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 紆余曲折ありつつも、それぞれの地域の予選は無事に終局した。ESビルのある関東まで戻ったアイドルたちは、予選の間できなかった仕事や次の案件、またはSSに向けての特訓に勤しんでいる。SSに向けて広報をするのも重要な戦略の一つだ。

 廊下を歩く巽はふと、自分の進む方向に人影があることに気が付く。垂れ下がった三つ編みに窮屈そうな肩。巽が伴侶と呼ぶ礼瀬マヨイだった。

「おーい、マヨイさーん」
「…………ああ、巽さん」
「……おや?」

 手を振って朗らかに声をかけた巽は、ゆらりと振り返ったマヨイの空気の重さを感じ取った。マヨイの顔色が悪いように見えた巽は彼に近寄る。

「どうかしましたか? ここに来るまでに人の波に飲まれたとか?」
「……いえ。大丈夫です」
「とても大丈夫そうには見えませんが……無理にとは言いません。ですが、言葉にすることで心が軽くなることもあります。マヨイさんが良ければお付き合いしますよ」
「うぅ……相変わらず眩しい御方」

 マヨイの目には巽から後光がさしているように映った。眩さに目を瞑ったマヨイは、巽の「俺とマヨイさんの仲ではありませんか。遠慮することはありませんよ」という言葉に背中を押される。

「……その、ですね。さっき美雪さんにお会いしたんですが」
「ほほう、美雪さんですか」

 相槌を打った巽は自身と美雪の接点がこれと言ってないことを思い出し、これはマヨイに大した助言は出来ないことになるだろうと悟りつつ、彼の話に最後まで耳を傾けることを決めた。

「声を掛けようとしたら、逃げられてしまいまして」
「逃げられた?」
「はいぃ……ついに気味悪がられたのかもしれません。私をまん丸お目目で捉えた瞬間に顔色を変えて、踵を返してしまったんです」

 マヨイはそのときの彼女の様子を詳細に語った。無垢な生物を愛してやまないマヨイは美雪の行動を逐一記憶していた。例えそれが自分にとってショッキングな出来事であっても。

「避けられているように感じた、ということでしょうか」
「そうですぅ……」
「それは、胸が痛みますね。……彼女にも何か事情があったのではないでしょうか。急ぎの用事を思い出したとか」
「で、でも! 彼女の目は怯えでした! 明らかに私という怪物を恐れていたんです! 今まではそんなことなかったのにっ、私に小さく微笑みかけてくれていたのにっ。可愛くて可愛くて堪らない彼女に避けられたら私……美雪さんを何処かに攫って閉じ込めてしまうかもしれません‼ 檻か鳥籠を用意してその中に天蓋付のベッドを置いて美雪さんを寝かせたらとってもステキですよね、色んなことを教え込んだら楽しそ……わあああっ何でもありません! いけません、こんな悪質な妄想……!」

 巽は髪を振り乱したマヨイの肩を触り、「落ち着いて」と呼び掛けた。涙ぐんだマヨイは唇を噛んで俯く。

「私……嫌われてしまったのかも」
「そんな。マヨイさんは彼女に嫌われるような何かをしたんですか?」
「だって……いつもいつも『見守る』という名目で後をつけてくる男は嫌でしょう? 私はストーキングを依頼されたストーカーですもの」
「ああ……」
「否定してください⁉」

 そういえば彼女とマヨイの仲は大財閥の御令嬢とその見守りを任された監視役だった、と巽がのんびりとした返答をする。マヨイは必死の形相で巽に迫った。

「す、すみません。ええっと、そんなことはないですよ」
「あああ巽さんに私が言って欲しいだけの言葉を言わせてしまったぁッ!」

 不甲斐なさに耐え切れなくなったマヨイは壁をよじ登って天井裏に消えようとした。巽は慌てて「待ってください」と呼び止め、恐る恐る振り返ったマヨイに提案する。

「でしたら、俺が美雪さんに事情を聞いてみます」
「へっ?」
「マヨイさんの話によると『さっき会った』ということですから、恐らく彼女はまだビルの中に居るでしょう。俺が追いかけて、何があったのか尋ねますよ」

 いつでもよじ登れるように仕掛けを施した壁から飛び降りたマヨイは巽の前で手をブンブン振った。

「そそそそんなことしなくて良いですぅ!」
「だって。このままではマヨイさんの気持ちも晴れないでしょう? はっきりさせた方が」
「巽さんはどうしてそう無神経……ではなく! た、偶に男気溢れるんでしょうか⁉」
「? 俺も男ですからな」

 巽はびくびく震えるマヨイを見て、彼の中でも葛藤があるのだろうと察していた。彼女自身に問い、その理由を聞くことで原因が自分ではないことを確認したい気持ちが、安心したい気持ちがマヨイにはあった。

「心配しなくとも、美雪さんは心優しい方でしょう。マヨイさんの恐れていることにはなりませんよ。怖いならここで待っていてもらって構いませんし、どんな返答であっても俺の口からマヨイさんには伝えない、と約束することも出来ます」
「う……」

 そこまでしてまで聞く必要があるのかどうか、マヨイは悩む。巽が真相を聞き、それを伝えられないというのも気を揉むことになりそうだ。そもそも巽という人間は、もし美雪がマヨイを避けた原因がマヨイ自身にあった場合も、それを隠して「マヨイさんが気に病むようなことは何もありませんでしたよ」と言ってのけそうだ。
 マヨイは決意し、不安で震える手を握り擦った。

「……着いて行きます」
「無理しなくても……」
「い、いえ。大丈夫です。……上で聞いてますので、お願いします」

 マヨイはそう言うと再び壁の窪みに手を這わせて天井裏へと消えて行った。頼りない背中を見上げた巽だったが、彼の不安を取り除くべく美雪を探すことにする。
 どの方向に彼女が消えて行ったのか、巽が上にいるマヨイに問いかけるとくぐもった声で方角を示され、巽はそちらに歩みを進めた。

 艶やかな髪を捉えた巽は、思いの外すぐに彼女を見つけることが出来たと安心する。

「美雪さーん」
「……? ……ALKALOIDの、風早さん」

 巽はするりと名を呼ばれて面食らう。巽は彼女を一方的に見かけ拝んだことはあっても、唯一真面に接触したと言えるカフェ・シナモンで自己紹介をすることは叶わなかった。

「おお。覚えてくださっているとは思いませんでした……俺と貴女は、あまり接点が無いでしょう?」
「……ALKALOIDは、いつか作曲しようと思っていたので」
「え、そうなんですか? それはとても光栄です、楽しみにしていますね」
「……本当は、あまり他のユニットに気を取られたくないのだけれど、礼瀬さんが私を守ってくれているって知ったので……そのお礼をいつかしようと思い、ALKALOIDの情報を見ました」

 自分の名前が出て来たことに天井のマヨイはガタンと震えた。その物音を拾った美雪が目を向けると、同じくマヨイの動揺を察知していた巽が「ネズミでしょうかね〜」と誤魔化す。

「成る程。そういう経緯で、俺のことをご存知だったのですね」
「……ええ」
「そういえば、そのマヨイさんなんですが。彼とはどうですか?」
「……どう、とは?」
「マヨイさんが貴女の見守り係というのは、俺達ALKALOIDの全員が把握しているので。彼と貴女の関係が良好であれば良いなと。お節介かもしれませんが」

 巽はそれとなく聞き出そうと回り道をした。直接「さっきマヨイが避けられて気にしてたけど」などと言えば彼女の本音も分からないかもしれない。

「……礼瀬さんは、とても優しいです。……この前も駆けつけてくれて」
「そうですか。同じメンバーとして誇らしいです」
「…………ただ」

 これからマイナスの評価が始まりそうな切り出しに、マヨイの心臓が大きく跳ねた。

「……シャッフルの、映画を観て」
「? ああ、La mortですか?」
「……はい」
「マヨイさんは確か『氷結の死神』でしたね。……映画が、どうかしたんですか?」

 巽が尋ねると、美雪は俯き加減に言う。

「……少し、怖くなってしまって」
「怖い、ですか。死神が題材だからか、仄暗い雰囲気でしたよね。ホラージャンルとまでは行きませんけどダークファンタジーの系統ですから。『怖い』という感想を抱く人がいるのも可笑しくはないと思いますよ」
「……風早さんは、永遠はあると思いますか?」
「え。永遠、ですか?」

 まさか自分が質問されるとは思っていなかった巽は戸惑いつつも返答を考える。永遠。無期限に、時間という概念すら無視して存在するもの。

「人の世というのは移ろいゆくものですから、永遠というのは難しいでしょうな。何に永遠を求めるかにも寄ると思いますが」
「……なら、私は一体何に成るのでしょう」
「……?」

 首を傾げる巽に、美雪は「……ごめんなさい。もう行かないと」と言って背を向けた。彼女の姿が見えなくなると、巽の背後で音がする。天井から降りて来たマヨイだった。

「そういうわけみたいですよ。マヨイさんの出演した映画が怖くて、思わず逃げてしまったという可愛らしい理由でした」
「そ、そういう解釈で良いんでしょうか……」
「きっとそうですよ。美雪さんは、マヨイさんを嫌っているわけではありません。マヨイさんも聞いていたでしょう? 彼女は君に感謝しています」
「……はい、そうですね」

 都合よく解釈することにしよう、とマヨイは渋々頷いた。

***

 大晦日、SS当日。レオはSSで歌えるよう作ってきた新曲を白組の大将であるEdenに突き返され、とぼとぼと落ち込みながら仲間の元へと帰っている最中だった。
 その途中、レオは廊下で同じ組の宗と出くわす。

「む、月永か」
「……あー、シュウ」
「何だか元気が無さそうだけど。これから本番だというのにそんな調子で良いのかね?」
「うう〜、やめろやめろ〜。全部おれが悪かったって……」

 レオが猫背になっているのを見た宗は体調不良を疑うが、レオはやる気が無さそうな返答しかしない。彼を責めているのではなく、案じているつもりだった宗はじっとレオを見下ろした。

「……本当に体調が悪いのなら医療班の元に連れて行こうか?」
「いや、良いって。新曲に駄目出しされたから落ち込んでるだけ」
「駄目出し? 誰に」
「Eden。良かれと思って作ったんだけどなぁ〜。ま、あいつら名波の曲使ってるし、おれは要らないってことかな」
「ほう。なら行き場のなくなったその曲は僕が貰ってあげようか」

 レオは信じられないようなものを見る目で、そう軽く言ってのける宗を見上げた。

「お前ほんと懲りてねーのな。名波がキレんぞ」
「冗談だよ。僕はあの子の曲以外使わないと誓ったからね」
「あーあ。チクってやろうかな」
「やめろ。……いや、だが嫉妬するあの子も可愛いからな……悩むところだ」
「ふーん……どうせアイツも会場に来てんだろ? 暇な時間に見つけたら尾鰭つけまくって密告してやるよ。お前と名波の仲がぐちゃぐちゃのドロドロになれば良いんだ」
「やめてくれ。頼む」

 宗は急にへっぴり腰になってレオを引き留めた。むっと頬を膨らませて上目遣いで睨まれるくらいで済むのなら、彼女の愛を確認しつつ良い思いもできる。ただ、取返しのつかないところまで行くリスクを取るのは避けたい宗だった。

「ちなみにだけど、氷室はこの会場には居ないよ」
「え? なんで? SSにお前らが出るってなったら来るんじゃないの?」
「諸事情でね。大晦日は身動きが取れないそうだ。去年も僕と影片はSSを観戦したけど、あの子は来られなかったからね」

 宗は去年、彼女がSSに来られなかった理由を知らなかったが、その数か月後に彼女の過去を知ることで、彼女から真相を聞くことが出来ていた。

 大晦日はSSのために氷室豊が海外から帰国する日だ。義妹が勝手に外に出ていることを知らない彼が、氷室の屋敷に戻ってくる。美雪は嫌でも例の部屋に入らなければならない。

「あ、そーだ。名波のことなんだけどさ」
「?」
「あいつ、最近スランプ気味?」
「……いや? そういう風には見えないが」
「そっか……あー、スランプっていうか、なんか変じゃない?」
「変?」
「この間あいつの曲聞いたけど、音がいつもと違うなって」
「……」
「そうでもないかな? おれの気のせい?」
「……僕より影片の方が今の氷室の様子に詳しいと思う。君があの子の不調を感じ取ったと言うのなら確認してみるよ。悔しいけれど、同じ作曲家にしか通じないものもあるだろうからね」

 宗はそう言うと、ひらっと手をあげて「では、そろそろ僕は行くよ。お互い良い結果を残そう」と声を掛けて立ち去った。レオは再びため息をついて仲間の元へと向かった。

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