28

「ちょっと待って零くん。これ俺の空目じゃないよね?」
「どれのことじゃ」
「これ!」

 ロケバスの中、薫は零の恐ろしく整った顔面に向けてES支給のスマートフォンを突き付けた。零は「近いんじゃけど」と苦言を呈して目をショボショボさせながら画面を見つめた。

「ああ、美雪ちゃんのことかえ」
「なんでそんな平然としてるの⁉」
「そりゃあ、つい昨日のサミットで聞いたからじゃよ。あの子本人からの」
「じゃ、じゃあ美雪ちゃんリズリン所属確定⁉ ほ、本当に俺たちの事務所で良いの⁉ うちって相当面倒臭いはずだけど! もう手放さないよ⁉」

 薫のスマートフォンに表示されているのは氷室美雪の名前。彼女が正式にリズムリンクに所属することになったという通知が、リズムリンク所属のアイドルたちに送られていた。
 よくよく目を通した薫は新たな情報に飛び退き、勢いよく座席の縁の硬い部分に頭を打ち付けた。零が「おぉおぉ、大丈夫かえ?」と心配して声を掛けるが、薫は気にも留めていなかった。

「しかも作曲家じゃなくてアイドル⁉ え、ファンクラブできてるかなっ、俺いますぐ入りたい! 一号になりたい! ライブの予定はっ? そこ絶対仕事入れないようにしないとだからね零くん!」
「まあいずれライブはすることになるんじゃろうが、だいぶ先になるじゃろうな。それから、ライブをすることになったらもれなく斎宮くんと月永くんも付いてくるぞい」
「ん? え? どういうこと?」

 零は座席のレバーを引いて背もたれの角度を調節しながら言う。

「男女混合ユニット、と言えば良いんじゃろうか。あの三人で活動するらしい。斎宮くんも相変わらず過保護というか。気持ちは分からないこともないが、度が過ぎる気がするのぅ」
「ずるい! 俺も美雪ちゃんとアイドルやりたい! 俺も混ぜて四人ユニットにして〜!」
「そうしたらライブに行くのではなくライブに参加することになるが」
「それでも良い!」
「良いんかい」

 零はジタバタする薫に苦笑いで突っ込んだ。とはいえ零自身も、昨日のサミットに現れた宗とレオ、美雪に告げられた事務所への所属と新しいユニットの情報に混乱させられた。彼らが言うには、美雪の顔を公開せずに活動し、彼女がアイドルとして所属するのはリズムリンク。それには零も隣に座る敬人と共に、過去の因縁も忘れてハイタッチとハグをした。

「へぇ〜、そっか。美雪ちゃんがついにアイドルかぁ……嬉しいけど、ちょっと寂しいね。あの子の可愛さを世間と世界に知らしめることができるのを喜ぶべきかな……」
「ああ、顔出しはせんらしい」
「はぁ⁉ え、何のためのアイドル⁉」
「そういうアーティストも居るじゃろう? まあ、月永くんには考えがあるようじゃったが……え、ちょ、薫くん? もうすぐ出発するんじゃけど、何処に行こうとしてるの?」
「今すぐ月永くんと斎宮くんに抗議してくる! 納得できない!」
「いやいや落ち着いて」
「俺は夢ノ咲で美雪ちゃんとはじめてご対面した男!」
「はいはい分かったどうどう」
「あやし方が適当過ぎる!」

***

 凪砂が美雪の許可を得ずに茨に渡したコズプロの契約書は偽装として処分され、サミットで美雪本人がリズムリンクに所属することを選んだことで、他の事務所は押し黙ることになった。
 リズムリンク職員はほぼ全員が神輿を上げる状態だったが、顔出ししないという条件に上役は肩を落とした。美雪をスカウトしていた倉見という男も。

 それから二か月ほど経ったある日のこと。
 宗・レオ・美雪の三人のユニットはCMソングにデビュー曲が起用され、それなりに注目を集めていた。ESアイドルのファンであればメンバーの二人がValkyrieの斎宮宗とKnightsの月永レオであることに気づく。もう一人の女性ボーカルが誰なのか、様々な憶測が飛び交っていた。ミステリアスであればあるほど、謎が深いほど、人々の興味を引く。

「お前まじで体力ねぇのな。そんなじゃライブ立てないぞ?」
「……っ、はぁ、はぁ」

 レオは少しでも空いた時間が生まれれば美雪をレッスンルームに引っ張ってきて強制的にトレーニングをさせていた。高校生まで屋敷で過ごしていた美雪がアイドルになる上で一番の壁として立ち塞がるのが『体力』だった。

「顔出ししないっていうか、こんなんじゃ出せないっていうのが正解だな。一曲踊っただけでフラフラじゃん。飲み込みは早いし、お嬢様なだけあってバレエ齧ってたみたいだから動きは悪くないけど。後半が駄目だな、疲れてんのバレバレ。それでも一月に比べたら全然マシになってきてはいるけど」
「…………もっと」
「ん?」
「……もっと、丁重に、扱ってください。繊細なんです」
「お前シュウの影響受け過ぎだぞ」
「私は、褒めて伸びるタイプです」
「嘘つけ。絶対に貶されて苛立った方が伸びるタイプだ」

 いつも丁寧に育てられている美雪はレオのスパルタに頬を膨らます。

「……優しくしてください」
「やさっ……その台詞二度と言うなよ。特に息切れた感じで言うなっ」

 生娘がベッドの上で言う台詞のようで、レオは頬を染めて腕を組んだ。首を傾げた美雪は額に浮かんだ汗を拭うと床にぺたんと座り、そのまま後ろに倒れて天井を見上げた。その様子を観察したレオは扱き過ぎたか、と反省する。

「休憩にする?」
「……します」
「水は?」
「……飲みます」
「寝っ転がって飲むなよ」
「……」
「だぁから寝っ転がって飲むなって。零すぞ」
「……あ」
「ほーら零した」

 レオからペットボトルを受け取った美雪は起き上がるのも億劫で彼の指示を無視した。結果、衣服に水を零すことに。レオは首に下げていたタオルを引っ張って美雪のTシャツを拭こうとする。

「……寝て良い?」
「赤ちゃんかよ」
「……眠い。寝ないと死んじゃう」
「はいはい。お前はもっと食えって。体力が付き辛くなるだろ〜?」
「……努力は、します」

 美雪はそう言うと瞳を閉じた。レオはじっとその顔を見つめ(睫毛なげーな……一本欲しい)と思ったところで我に返る。

「いや、床で寝るなって。体ギシギシになるぞ。パイプ椅子でベッド作るから。寝心地良いとは言えないけど、床よりマシだろ」
「……」
「寝るなよ⁉」

 返事をしない美雪が本格的な眠りにつく前にと、レオはパイプ椅子を取り出してせっせとベッド型に並べていく。作り終えたレオは床に転がっている美雪に駆け寄った。

「おーい、出来たぞ〜」

 レオがぺちぺちと頬を叩くと、美雪は顔を顰めた。そんな顔も可愛いな、とレオは密かに思う。

「ほら、ベッド行くぞ。起きろって」
「……んん、運んで」
「わがままプリンセスか、お前は」
「……だっこ」
「──ンッ⁉」

 シスコンなだけあって、レオは生粋の兄属性だった。泉にはその反動のせいかとことん甘やかしてもらっている自覚はあるが、甘えられると弱いのも事実。

「お・ま・え・なぁ……! 人がどれだけ……くそっ、可愛いことしてんじゃねーぞ……⁉」
「……早くだっこして」
「フ、んす、お、おぉ……」

 裾をきゅっと掴まれたレオは上手く言葉を喋れなくなった。大人しく彼女の言うとおりに屈んで膝裏と背中に手を回した。キョロキョロと目を泳がせながら無言でパイプ椅子ベッドまで運んだレオはちらっと美雪を盗み見る。彼女はパイプ椅子の素材を確かめているのか、猫のようにふみふみしていた。

「……枕欲しい」
「文句言うな」
「……デュベは?」
「注文が多い!」
「……仕方ないですね」
「おれの台詞なんだけど。何こき使おうとしてんだ。おれはシュウみたいに先回りしてお前を気遣ったりしないからな」
「……私は斎宮先輩と影片先輩の前では我が侭は言いません」
「人を選んでるってか⁉ あいつらの前でぶりっ子してんのかテメーは!」

 レオががたがた椅子を揺らすと美雪は恨めしそうにレオを見上げた後、丸くなるようにして寝転んだ。本格的に寝る体勢になった美雪を見下ろしたレオは床に座り込み、一つの椅子に肘をついて彼女を眺めた。

「あ、そーだ。お前に絡んできてたリズリンの大御所俳優、捕まったって」
「……ああ、鮫島さん?」
「そそ。そいつ」

 新人アイドルの顔を拝見しようとして真っ逆さまに美雪に堕ちた鮫島三成は何かある度に美雪に近寄ってきていた。零や敬人はそれをさり気なく守っていたが、しつこい男にうんざりしていた。美雪も顔を合わせれば「顔出しはしないのか」「女優として共に映画に出ないか」「君に私の妻の役をやってもらいたい」「若妻に『旦那様』と呼ばれたい」と願望を押し付けてくる男の相手をするのが面倒だったが、彼が捕まるようなことをしたという情報に興味を示した。

「……一体何をしたんです?」
「若いアイドルが気に食わなくて陥れようとして失敗。お前の『なぁくん』もレイも、邪魔なヤツを消せて清々してるみたいだったぞ」
「……へぇ」
「良かったじゃん、面倒なオッサンが居なくなって。しつこかったんだろ?」
「……まあ、そうですね。大御所の相手をすると表情筋が疲れるので」
「だからリズリンはやめとけって言っただろ? ニューディにすれば良かったのに」
「……だって、一番にスカウトしてくれたのはリズムリンクなんですもの」
「先着順かよ」

 レオが呆れて半目になると、美雪は身じろいで更に体を丸めた。

「……お二人が」
「ん?」
「……この間、新しいお人形を連れてお出かけしていたんです」
「あー、この前新曲の撮影だったからか。シュウ、日本に来てたもんな。あと何か、ミカエルが自己催眠したってセナから聞いたけど」

 寝るんじゃないのか、と思いつつレオは話を聞いてやることにした。さっきレオ自身から話を振ったせいで彼女の目が覚めてしまったのかもしれない。レオは彼女の言う『お二人』がValkyrieを示している単語だと認識して、泉との会話を思い出した。美雪は自分の指の爪に目線を落として続ける。

「……私が居るのに、なんでお人形を増やすのか理解できません」
「そりゃあお前は人形じゃないし、あいつらが人形好きだからだろ」
「でも絶対お人形より私の方が可愛いです」
「は?」
「私はおしゃべりも出来るし、自分で動けるし、お二人の作ったお洋服だって着れます。お人形じゃなくて私で良いじゃない。なんであんな玩具の女共に負けなきゃいけないの? 私だってお二人に抱っこされたいのに」
「お、おぉ……お前嫉妬深いなぁ? ヘラかよ」

 早口に毒を吐く美雪から黒いオーラが出ているのを感じ取ったレオはゼウスの妻を思い出した。

「シュウに言えば? 抱っこして〜って。あいつならお前が甘えてきたら喜ぶだろ」
「そんなこと宗様に言えるわけないでしょう」
「……じゃあミカエルにお願いすれば?」
「みか様も同じです」
(めんどくさ……)

 つまり自分はValkyrieの二人に言えない代わりに我が侭に付き合わされ、振り回されているのか、とレオは肩を落とした。とはいえ、宗に素直に甘えられない分を自分に強請ってくるのはレオの気分を良くさせた。Valkyrieには見せられない姿を自分には見せているということは、美雪がレオに心を許している証明になるのではないか。

「……私が最初から、物言わぬ人形なら」
「やめろ」
「……」
「そうならないように、今必死にやってんだからさ」
「……そんなに上手くいくとは思えません」
「上手くいくように努力しろ。死にたくないだろ」
「……」
「大丈夫だよ。あと一年と半年ある。お、今度こそ一年半だ」

 レオは美雪の頬を突いてにっと笑う。すると美雪は少し目を細め、じっとレオを見つめた後、指から逃げるようにして仰向けになった。ゆっくり目を瞑り、頬に睫毛の影を作った。

「……私、アイドルに成れるかな」
「成りたかったの?」

 美雪はレオの質問に答えなかった。レオは小さく寝息を立て始めた美雪の顔を見つめ、静かに前髪を撫でた。

(成るのは簡単だ。どんなに売れていないヤツでも、ちょっと歌って踊れさえすれば、曲の一つや二つ持っていれば、自分はアイドルだって言える。名波、お前が自由になるには、そんなちっぽけなアイドルじゃあいけない。もっと大々的で、華々しくて、神々しいもの。おれがお前を最高のアイドルにしてやる)

 美雪の唇の形をなぞったレオは熱くなった顔を椅子に伏せた。

「おれの歌を歌って」

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