02

 煉瓦の町並み。ぎらつく太陽に照らされた欠けている壁を横目に、青年は進んで行く。何か祭でもやっているのだろうか。ここは男の地元ではないため分からなかった。商店街はえらく活気づいて、あちこちから客を引こうとする声が響いていた。

「見ない顔だな」

 青年が顔を顰めたところで、壁に背中を預けている髭面の男が呟いた。自分に向けての言葉だと察した青年は髭男の前に並んでいる金属に目が行く。どうやら髭男は商人らしい。フードを被っているせいで顔立ちは分かりづらい。

「若いの、この町に来たなら注意しなきゃいけねぇことが二つ三つあるぜ」
「数がはっきりしないんだな」
「あんまり言い過ぎても覚えてらんねぇだろ? 要点を絞ってるんだ。アンタの容量が良さそうだったら三つ以上話してやるが、悪そうなら二つしか教えない。なぁに、難しいことじゃあねぇさ」

 まずは一つ目、と髭男。

「路地裏」
「路地裏? 何かあるのか」
「そこをちょっと曲がれば異世界さ。一歩踏み込んだだけで人目につかない暗闇。そこじゃ怪しい連中が怪しい取引してるから、巻き込まれたくないなら近づかねぇこった」

 青年は表情を変えずに頷いた。髭男は二本目の指を立てる。青年は(このやり取りだけで、自分の容量を図ることができると思っているのだろうか)と思う。

「余所者は物価を分かってねぇからぼったくられる。変なもんを売りつけられる前に逃げな」
「そうだな。例として尋ねるが、貴方の売っている商品はいくらだ?」

 すると髭男はニィッと笑って瞳を覗かせた。聞くべきではない質問だったかもしれない。髭男は商品の一つを摘まんで見せびらかす。

「ケケッ、旅のモンには必要ねぇさ。ただ首から提げて神に祈るんだよ」
「貴方はキリシタンか」
「いんや。キリシタンなら売らずに配るだろ」

 そういうものか、と青年は身を引いた。

「三つ目は?」

 青年が急かすように言うと、髭男は肩を竦めた。意味深なことを言われれば気になるのが人の性だ。焦らさずに教えて欲しいと青年は右足で砂をにじった。

「山奥に館がある。そこには化け物が住んでるって噂だ」
「化け物?」
「あァ。夜になると、その化け物が霧を出して獲物を迷い込ませるんだと。男なら血だらけで逃げ帰って来れた奴がチラホラいたが、女なら確実に」

 髭男は口にはせず、首の前で親指を横に切った。

「化け物の正体は?」
「お? 命知らずか?」
「違う。生き残った人がいるなら、正体が分かってるんじゃないかと思っただけだ」

 髭男は詰まらなそうにして、フードの中に手を突っ込んで頭を掻いた。逆の手でロザリオを青年の胸に押し付け、囁く。

「ヴァンパイアだ」
「……血を吸う?」
「そう。女が帰って来ねぇってのは、男の血が不味いってワケだろうって地主サマが言ってるよ。ま、それでも殺されない保障はないから、気をつけるに越したこたぁねぇ」

 髭面の商人は「やるよ」と言ってロザリオを手放した。受け取った青年はじっと商人を見て、薄っすら笑う。

「やっぱりキリシタンなんじゃあないか」
「誰が金貰わねぇっつったよ」
「え?」
「ぼったくりに気をつけろって言ったばかりだぜ」

 商人はニヤニヤ笑って急かすように手を突き出した。青年は騙された、と思いつつ有益な情報をくれたと信用して、銀貨を髭男の手に落とした。

 それから青年は商人から買ったロザリオをいじりながら大通りを真っ直ぐ進んだ。ここらで本日の宿を探すかと立ち止まったとき、路地裏に目が行く。ついさっき、髭面の商人に忠告されたことを思い出した。
路地裏には怪しい連中が居て、怪しげな取引をしているのだと。居るとすれば奴隷商人やギャングの類だろうか。青年が見る限り、その影は見当たらない。

 否。人の影のようなものがあった。一つだけ。女性のようだ。力なく壁に寄りかかっているように見えた青年は、路地裏に踏み出していた。

「大丈夫ですか」

 青年の声に顔を上げた女性は眩しそうに目を細めた。青年からは彼女の顔は見えない。路地裏の影の色が濃すぎるのだ。女性は忌々しそうに青年の足元を睨み、唾を飲んだ。

「……ねぇ。もっとこっちに来てくれない? 動けないのよ」

 青年は大人しくそれに従った。日向から日陰へ、路地裏の奥へと進む。すると脱力した女性が地面に手をついた。青年は咄嗟に駆け寄り、女性に触れようとする。

「──良い、香り」

 女性は青年にしな垂れかかるようにして首元にすり寄った。青年は疑問に感じながらも、身を預けてくる彼女を振り払うことはしなかった。気をよくした女は青年を壁に押し付ける。そんな力が何処にあったのか、青年は驚き初めて女性の顔を間近で見た。

 白い肌だった。背筋が凍り付く程、美しい女。彼女は辛そうに息を吐いて青年の服の襟を掴み、外気に触れた肌に噛みついた。

(──山奥の吸血鬼!)

 鋭い痛みに青年は女を突き放そうとするが、視界が歪む違和感で動きが鈍った。体温が上昇し、頭がぼんやりする感覚。熱に魘されているときと近い。

「くっ……」
「ん、ん……んぁ、暴れないで。お願い、ね? 坊や。お願いよ」
「……っ」
「ああ、良い子ね……とっても、良い子。……男の血が不味いなんて大嘘じゃない。あの人ったら……ほんとに酷い人ね」

 柔らかい唇がちゅ、ちゅと肌を小さく啄んでくる。控えめに舌でなぞられた瞬間、青年──役を演じる蓮巳敬人は爆発しそうになった。

(早く……早くカットしてくれ! 理性が……俺の鋼の理性が! 氷室美雪という女によって崩壊させられる──!)

 敬人がそう念じたのが届いたのか、監督のカットの声が響いた。女吸血鬼役の美雪は敬人から離れ、椅子に座る監督に目を向けた。真剣な表情で映像を確認している監督を待っている間、美雪は敬人を見上げて首筋に付いている血糊を指でなぞった。

「まず自分の口を拭いたらどうだ」
「……そんなに汚れていますか?」

 きょとんと目を丸くする美雪の口周りにはべったりと血糊がついていた。空腹の吸血鬼は加減を知らずに青年に噛みつくため、かなりの量の血糊を口に含んでいたのだろう。加えて、朔間零が演じる吸血鬼によって同族にさせられた女は、吸血行為が得意ではないという設定だった。ミートソース塗れの子どものようだった。

 スタッフが近づいてきて美雪の口にハンカチを当てた。美雪が微笑んで礼を言うと、女性は「い、いえ」とたじろいだ。同性まで魅了するのだから恐ろしい女だ、と敬人は密かに思いながら昂りを鎮めた。すると敬人の衣装を直しに来た男性スタッフが、敬人の耳にこそこそと近づいた。

「蓮巳くん。やばそうだったら言ってね、休憩挟むから」
「は、はい?」
「前作で朔間くんもさ、美雪ちゃんにクラッと来ちゃったのか役に入り過ぎちゃったのか、ベッドシーンで歯止め利かなくなってたんだよ。カットかかっても止まらないから、スタッフで止めたんだ」
「初耳なんですが」
「そりゃあバラエティでも話せないからね、こんな話。美雪ちゃんも朔間くんもアイドルだから」

 男性スタッフの言葉の意味が瞬時に理解できなかった敬人だったが、どうやら彼は敬人の下半身の心配をしているらしい。濃厚な接触をしなければならないシーンではよくあることなのだという。

「あの朔間くんで成るんだから、気にしなくて良いからね。いやぁ、あんだけ可愛いと僕らスタッフも眼福だよ、ほんと」
「……朔間さんはその後どうしたんですか?」
「結構興奮してたみたいだから、抑えられて落ち着いたら、まあ、トイレ直行?」
(何やってるんだあの人は……いや、仕方がないのか。氷室が相手なら)

 朔間零がトイレに消えていく姿を想像してしまった敬人はちらりと美雪を見遣った。監督から今のシーンのオッケーを貰えた彼女は口内の血糊を濯ぎに行くらしく、敬人に背を向けていた。

 ダークファンタジー一作目は見事好成績を収め続編の制作が決定した。脚本家の望み通り敬人に声がかかり、彼は零と美雪に合流する。敬人も興奮気味の脚本家にシリーズがどのように展開していくのか、第三部の結末は、第四部の結末はと聞かされ、今後もESアイドルが新キャラクターとして追加されていくことになるだろうと踏んでいた。

(氷室は前作で朔間さんによってじわりじわりと吸血鬼に変えられ、それから朔間さんが狩ってくる女の血しか口にしない。朔間さんから「男の血は不味い」と言われ、それを信じて不自由に過ごす。耐え切れなくなった氷室は館を飛び出すが、日光に当たらないように隠れながら人の町で過ごすのには限界があり、身動きが取れなくなったときに俺と出会う。そして空腹状態の氷室に近づいた俺は血を根こそぎ吸われ、彼女の眷属となった)

 それがたった今撮影していたシーンだ。

(眷属となった俺は氷室とひっそり生活するが、そこにやってくるのが朔間さんだ。朔間さんは氷室を連れ戻そうとし、俺はそれに抵抗する。氷室も俺と同じように抗うが、今作・第二部のラストでは争いの末に氷室の手によって朔間さんが日の光に当り、消滅するという筋書きだ)

 敬人は男性スタッフに血糊塗れの首元を拭かれながら脚本家との会話を振り返り、纏めてみる。あの朔間零演じる役が二作目で消えるという展開には敬人も唖然としたものだった。

(彼を憎んでいた氷室は灰と化した朔間さんに解放された喜びを抱くはずが自責の念に駆られ、より一層彼に囚われるようになる。朔間さんの幻覚を見たり、灰を集めて砂時計にしたり。眷属として氷室に尽くす俺の役は報われない立ち位置だ。今後も半永久的に彼女と行動するが、彼女の心はいつまでも朔間さんに囚われたまま。彼女が朔間さんに対して愛憎を抱えているように、俺も彼女に対して愛憎を抱くようになる。第四部では俺が彼女への復讐として、朔間さんにそっくりな美少年を同族にして連れてくるらしいが……確実に朔間弟に声がかかるな。第三部に登場する聖職者は、風早辺りだろうか。……英智も出しゃばってきそうだな)

 敬人は自分が出演することになった際に態々電話してきて祝福するどころか「狡い狡い」と抜かして来た幼馴染を思い出す。聖職者が登場するとなれば「自分だってやれそうな役どころだ」と挙手するだろう。
 とはいえ、この作品は脚本家の希望でキャスティングされることが殆ど。英智自身が出演を希望しても、脚本家が望まなければ叶わないということだ。

***

 その後も無事に撮影を進めていき、その日の撮影は終了した。零のシーンはなかったため、続きは後日ということになる。
 敬人と美雪は解散してスタッフに声を掛けるとESに向かって歩き始める。

「花鳴館での生活はどうだ。令嬢のお前からすると、部屋が狭いと感じるのではないか?」

 男性アイドルに星奏館があるように、女性アイドルにも寮がある。花鳴館がそれだ。当たり前だが女性禁制の星奏館とは逆に男性禁制で、星奏館とは真逆に位置する。どちらもESからの距離はほぼ変わらない。ビルを出て右手に進むか、左手に進むかの違いくらいだ。

「……十分な広さだと思います。男性アイドルよりも人数が少ないですから、私は一人部屋ですので」
「なら良いんだが……いや、良くないな。ちゃんと食事は取っているんだろうな? せめて同室が居ればお前を見張る役が出来るというのに」

 敬人が小言を言うと、美雪は自分の体と食生活を気遣う聞き飽きたフレーズに内心ため息をついていた。

「……食事は殆ど外で済ませていますから、例え同室が居たとしても見張れないと思います」
「殆ど外だと? ……自室で食事もできないほど忙しいのか?」
「……そう、ですね。私は皆さんと違って十分な土台もないままアイドルに成ってしまい、お兄様の名前もあって無駄に注目されてしまったので……少しでも空いた時間があるならレッスンをした方が良いですから、この後も予定が入っています。……最近は、ドラマや映画の撮影も詰め込まれて、キーボードにも触れていません」
「そうか……同じ事務所だからな。お前が忙しそうにしているのは分かっているつもりだったが、そこまでだとは思わなかった。体力が無いのだから無理はしないように」

 敬人がそう言うと美雪は「はい」と素直に頷いた。作曲家ではない自分には想像できないが、多忙で作曲ができないというのも彼女には堪えているのではないかと敬人は思う。

「そう言えば来季のドラマにはお前が出るんだったな。鬼龍が主演の、ヤンキーの」
「……ええ」
「お前は何の役なんだ?」

 尋ねながら、ヤンキーに助けられるクラスメイト的・マドンナ的立ち位置だろうかと敬人は想像する。美雪はいつものように間を空けて答えた。

「……すけばん、というらしいです」
「……スケバン?」
「すけばん」
「……それは、女番長の?」
「……はい。煙草を吸う振りをしなければいけません」
「……なんだかお前は、そういう役が多いな」
「……そういう役とは?」
「こう、闇っぽいというか……怪しげな女というか、危険というか」
「……そうでしょうか?」

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