03

 花鳴館の間取りを見て「こんな豚小屋に住めるか」と言ったのは美雪本人ではなく執事の二人だった。星奏館は三人から四人で生活することを想定し、それだけの十分な広さを持って設計されている。花鳴館は現在ESに所属している女性アイドルの数を考慮し、加えて氷室美雪の影響でこれからES所属を希望する女性らが増えると仮定して、星奏館ほどではないものの、それの半分くらいの広さを確保していた。

 美雪が現在一人で使用している一室には氷室財閥が持ち込んだ豪勢なベッドやらソファやら何やら何まで、部屋を埋め尽くすようにして並んでいた。そうでなければ、美雪は最低限のものしか置かなかっただろう。
朝と夜には彼女のために立ち入りを特別に許されたメイドらが出入りする。時刻は二十二時を少しばかり過ぎていた。UNDEADに言わせれば夜はまだまだこれからだが、デビューする前に比べれば体力がついている美雪にとっては寝る時間だ。ネグリジェに着替えて天蓋付のベッドに横たわると、充電器に繋がれたスマートフォンが振動した。美雪は起き上がって取る。

「……はい」
「夜遅くにすまないね。今、大丈夫かい?」
「……ええ」
「すぐに済ませるよ。君の声が聴きたくなったんだ」

 相手は宗だ。彼は美雪の寝る時間が早いことを知っているため、気遣うように言う。パリの時刻は十五時頃だった。

「影片から君が忙しそうにしていると聞いてね……くれぐれも、体には気をつけてね。君はとても繊細だから心配だよ。一人部屋は寂しくない? 何か不満や不安はある?」
「……いいえ。大丈夫です」
「本当? 君は遠慮するから……もっと甘えて良いんだからね? 僕にも影片にも」
「…………」
「……美雪?」

 二人のいつもの電子機器を通した会話は、宗がよく話し、美雪がそれに相槌を打つようなものだ。宗は訪れた沈黙に彼女を呼んだ。美雪は宗に苗字で呼ばれなくなったことで、彼に自分の魂を触れられている気持ちになっていた。美雪にとって「氷室」はただの記号であり、魂の名ではないから。

「美雪? ……寝てしまった?」
「…………」

 美雪の胸にじんわりとあたたかいものが拡がる。目に熱が溜まった。

「……次は、いつ帰ってきますか?」
「え。そ、そうだね……今は個展の準備をしているから、来月になるかな」

 きゅ、と唇を噛んでネグリジェを握った美雪はぽろっと零してしまった。

「──会いたいの。早く帰ってきて……?」

 宗の全身は爆弾になった。内側から破裂してカッと炎が上がる。椅子から立ち上がり、わなわなと手足と口を震わせた。彼女からそんなことを言われた試しがなかった。

「今すぐ帰るよ」
「……?」
「待っていて」
「……でも、個展は」
「良いよ。間に合わせる」

 宗は大急ぎで支度をするとキャリーケースを引っ張って飛行機に飛び乗った。

***

「で、何でおれまで」
「仕方ないだろう。『早く帰ってきて♡』なんて言われたら体が動いてしまう」
「……」

 宗によって強引に連行されたレオは惚気に聞こえる彼の話に口を噤んだ。ハートマークは飽くまで宗の耳にそう聞こえただけだが、レオは面白くない。

「着いたらすぐにあの子に会いに行くけど、個展の準備に取り掛からなければならないのも事実。僕が手を外せない間は君があの子に付き添いたまえ」
「いや、まずおれの予定を聞けよ」
「君は今あの子ほど忙しくはないだろう。美雪は近頃作曲できていないようでね。忙しいのは良い事だけど、度が過ぎると体に毒だ。芸術家にとって自分の中で生まれたものを創出できないのはストレスになるだろう?」
「そりゃあ、まあ、わかるけどさぁ」

 レオは想像してみる。彼女の世界と自分の世界は異なるが、思うように作曲できないのは宗の言う通りフラストレーション。スランプは自分の意志でなるものではないが、作曲できない環境というのも美雪の意志でもたらされたものではない。作曲家・名波哥夏のファンも新曲を出す頻度が極端に下がっていることを心配している。

 自分の予定を聞け、と言ったレオだったが、自分の予定を完全に把握しているのは飼い主である泉だったことを思い出す。空港に着いたレオが泉に確認を取ると、「三日くらいなら何とかなるから、斎宮を出し抜くチャンスだよぉ」という宗にはとても見せられないメッセージが飛んできて、レオは隣に座る宗に見られないよう咄嗟に画面を隠した。幸い彼はESに向かうヘリコプターを待つ間に個展のためのスケッチを黙々と描き進めており、レオの動きを気に留めている様子はなかった。

 到着した二人が美雪に会おうとリズムリンクのマネージャーに連絡を取ると、彼女は仕事中だと言う。いつまでなのか尋ねると今日は夜まで、明日も撮影、明後日もインタビューとかなり詰め込まれていた。彼女自身の魅力と「氷室豊の妹」という肩書きの影響が大きすぎると痛感した宗とレオだった。

 二人は一先ず、彼女の仕事が終わるまでカフェ・シナモンで時間を潰すことにした。スケッチをする宗の前でレオがコーヒーを飲んでいると、「おぅい」と声がする。

「佐賀美先生」
「お疲れさん。珍しいじゃん? 海外寄りのお前らがこんなとこにいるなんて」

 最初は声を掛けるだけのつもりだったらしい保険医だったが、宗が理由を告げるとスッと顔色を変えた。レオの隣に腰を下ろし、肘をついて語り始める。

「お前らが一緒なんだから、ユニットとして活動が増えれば良かったんだけどな。お前らにも海外での活動があるしメインのユニットの仕事もある。対して氷室はあんまりにも可愛くて綺麗な女の子が出て来たもんだから業界がいまだに騒いでて、事務所内外はわんさか仕事を持ってくる。兄貴の名前もあるだろうけど、女性アイドルで『これだ!』ってヤツが居なかったのが一番の肝だよな。お陰で女の子に求められる役割全部が氷室に集中してるって状況なわけだ。リズリンは大喜びだけど、働かされてる本人は堪ったもんじゃない」

 かつて現役だった自分を振り返りながら陣は話す。彼はソロで活動するアイドルが多い時代に業界や国の期待の全てを背負わされた。男性アイドルに比べて女性アイドルは埋もれがちだった。故に男性アイドルがユニットメインになっている今になって、女性アイドルはソロメインで男性アイドルの歴史を後追いする形になっているのだろう。

「さっさと女性アイドル増やして負担を減らしてやんねーといけないってのに何やってんだか……まあ氷室と同等のルックスと技術を持ってる女なんて居るわけがないんだけどさ」
「あの子は大陸に一人居るか居ないかレベルですよ。世界中を探して掘り出さないと見つかりません」
「うん、わかるよ。オッサンもわかってる」

 宗のガチな目に陣は赤べこのように頷いた。

「だからこそ、だな。そんな子が出て来たもんで、お偉い方は氷室に期待して、それを本人が熟しちゃうもんで、更に仕事を増やす。元は作曲家ってことも忘れてな。氷室レベルの女を求めていないで妥協して、多少は歌って踊れるのを増やして、その中でも選りすぐりを氷室と組ませて女性アイドルユニットを作ればいいって思うんだけど……なかなかねー。頭が硬いんだよ、リズリン。『一人で何とかなってるからこのまま続行する』ってさ。本人が抗議したらどうするつもりなんだかねー。労働基準法って知らないのかな」

 陣は自分の人生から彼女がどれだけ危険な状態に陥っているのか、章臣も一緒になって事務所に訴えているらしい。P機関の立場をもってしてもリズリンは頑なに首を縦に振らず、氷室美雪のお陰で女性アイドルの時代が来た・そして彼女を抱えているのは自分たちだと調子づいている。ESとしても女性アイドルを進出したい気持ちがあるため、P機関でもリズリンに対して強気に出られない部分はどうしてもある。

「ま、外野が言っててもどうにもならねぇやって感じだったんだけど。斎宮に泣き言を漏らしたってんなら話は別だ。何とか本人から事務所に進言するように誘導してくれねぇか? 俺とあきやんが言っても効果ないんだよ。自我が薄っすいからさぁ、ベルトコンベヤーで流れてくる仕事を黙々とやるっていうか……あのままじゃあ、ぶっ倒れちまうよ」

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