05

 七種茨は今、戦に向かう心持だった。戦場を思い出せ、と自分自身に念じる。商談のときと同じ、敵対する事務所や会社と対談するときと同じ。自分の有利に事が進むよう、蛇はいつも通り目を光らせる。

 用意した書類は最高傑作と言っていいものだった。それでも油断ならないのは、今回の相手がP機関で権力を持つ敏腕プロデューサーだからだろう。茨はもう彼女を甘く見てはいない。ESが出来て約三年、彼女の仕事ぶりで見る目が変わるのは当然のことだった。

 入ってきた女を茨はにこやかに通した。「粗茶ですが」と言って冷たい麦茶を出し、お互い向かい合って座った。その周りには二人のほかのプロデューサーと、数名の関係者が腰を下ろす。どれも茨とあんずよりも年齢が上なのだから、若造らが牛耳っている場面を気に食わなく感じる者もいるだろう。

「それでは、選定を始めましょうか。リズムリンク所属アイドル、氷室美雪氏のプロデュース権をかけて」

 眼鏡を押し上げた茨は対面に腰掛けるあんずを睨んだ。他にもプロデューサーはいるが、一番の敵はお互いであると認識していた。

「これまではリズムリンクが美雪さんのプロデュース権を独占していましたが、今年度からは『余所に任せても良い』という御用達がありました。それでも、以前から彼女の衣装は斎宮氏が携わっていたので、我々がプロデュースすることになっても彼が口を挟んでくる確率は大いにあるのですが……まあ、そこはコズミックプロダクションの副所長である自分が何とかしましょう」

 宗のことだ。やれ露出が多いだの、やれ自分の趣味ではないだの、文句を言ってくるだろう。茨には容易く想像できていた。そうなった場合、コズプロの権威を振りかざして彼を黙らせるという強硬手段も否めなくなる可能性がある。

「……ほう。流石は敏腕プロデューサー殿。確かに、貴女の案は美雪さんの『可愛さ』を生かすことが出来ています」

 あんずの提出してきた書類の荒を探すように眺めた茨は内心面白くなさそうに言った。値踏みをされたあんずは気まずそうに苦く笑った後、自分の思い描くコンセプトをプレゼンした。愛らしさを押し出したいあんずのイメージは頑固な宗であっても許可しそうなもので、茨の思い描くものとは対極にあった。

「ですが! 美雪さんの魅力を最大限に引き出すことができるのは、自分の案であると説明させていただきましょう!」

 茨はプロジェクターに用意してきた資料のデータを表示させて熱弁する。

「リズリン主催の朔間氏と共演した美雪さんの主演映画ですが、やはり氷室美雪と言えばこの作品が代表作として挙がります。現在第三部が制作されているこの映画での美雪さんは、はじめは何も知らない無垢な少女として描かれていますが、朔間氏演じる吸血鬼によって妖艶な女へと変貌していく……。危うげで儚くもある彼女には、白や淡い色よりも黒が似合うとは思いませんか? 彼女がイノセントであることは誰もが想定済みなのですから、それとは真逆で売って行くのが大衆の心を掴むのではないかと申し上げたいのです」

 白を纏っていた乱凪砂に黒を纏わせた男は、美雪も自分の好みに仕立て上げたい思いがあるのだろう。
 あんずが茨の趣味ではないか、とやんわり指摘すると、茨はそこを刺される予想をしていたのかフンと鼻で笑って見せた。

「自分の趣味? 否定はできませんが、人聞きが悪いですねぇ。自分はしっかりデータに沿って案を練ってきたのですよ? そういうプロデューサー殿こそ、御自分の趣味を反映させているのではありませんか? 貴女は、何と言うかこう、ゆるっとしたものが好きでしょう。美雪さんにそんな要素を持ち込まないでください。元々あの方はふわふわしてるんですから、これ以上ふわふわさせては堪ったもんじゃないですよ」

 あんずは目を丸くして自分の案を見下ろした。確かに資料には遊園地のキャラクターとコラボするなど、茨の言うようにふわっとゆるっとした案が書かれている。衣装のイメージ図もふわもこロリロリした、女の子の夢を詰め込んだものだった。あんずは無意識だった、と口を噤んだ。

「でも、美雪さんは確かにこういう可愛いの好きですからね。ぬいぐるみ集めが趣味みたいですし」

 会議に出席している美雪のマネージャーでもあり、スカウトした男でもある倉見(くらみ)という男が発言した。予想外の援護射撃に茨はムッと眉間に皺を寄せ、あんずは感激してそうだろう、そうだろうと頷き、茨に得意気に笑って挑発してみせた。茨はヒクリと口角を引き攣らせる。

「だからと言って美雪さんが自分のプロデュース内容を嫌がるとは限らないでしょう。自分が言うのも変ですが、自分の案は影片氏の作風に近いと思います。美雪さんはValkyrieがお気に入りですから、拒否はしないと思うのですが?」
「うーん……確かに。それもその通りなんですよね」

 倉見は茨の意見にも賛同して二人のプロデューサーの書類を見比べた。

「美雪さん本人に選んでもらおうってなっても、『どちらでも』って返ってきそうな気がします」
「優しいあまり優柔不断というか、基本的に何でも受け入れますからね」

 彼女が易々と受け付けないのは作曲やValkyrieに関係することだ。昨今のアイドルにはアイドルとして歌い踊ること以外にも求められるものが多いため、コズプロの副所長である茨はValkyrieに多方面の仕事をさせようと仕事を振ったことがあったが、漸く頑固な二人を宥めた次に苦言を呈してきたのが美雪だった。忙しいはずの彼女は態々茨の前に現れて「お二人を不特定多数の女を喜ばせるだけの低俗な番組に出演させようと言うのですか」と早口で捲し立てた。茨は至近距離に迫った彼女の顔の良さ──怒った顔も可愛かった──にときめきかけたが、その後彼女を諭すのに苦労した。

「一先ず、なんですが」

 出席した全てのプロデューサーの書類を比較した倉見は腕時計を確認し、会議をそろそろ終わらせなければならない時間になりつつあることに気づき口を開いた。

「リズムリンクとしては今回からお試し、という方針なんですが、何も一つだけに絞る必要は僕としては無いと思うんです。上と美雪さんは僕が説得してみますので、いくつか上げさせて貰いますね」

***

 自室で目が覚めた美雪は気だるげに起き上がる。ベッド脇に置かれたサイドテーブルの時計を見て、休日だからと言って眠り過ぎたと反省した。
 伸びをしたところで喉の違和感に気が付く。美雪が首に手を当て唾を飲み込むと、内側にざらっとした感触が走った。

「……ぁー」

 発してみると、掠れた声だった。ここ最近、新たな楽曲──芸術家トリオユニットで発表したものだが、美雪のソロ曲だった──がアニメの主題歌として起用され、そのアニメが大ヒットしてしまったことで彼女は再び仕事を詰め込まれていた。毎日のように同じ曲を歌番組で披露しバラエティで披露し、はっきり言って飽きてきている。

 同じ楽曲を歌い続けるアーティストに在りがちなのがアレンジだ。実際の音源にはないメロディラインに変えたり、アドリブを入れたり。作曲家の美雪にもやろうと思えば気軽にやれる手だったが、多くの人々が求めるのが『音源の再現』であることを知っている美雪は忠実に歌い続けた。

(……酷使の結果。当然と言えば当然だけれど、居た堪れない)

 どれだけケアをしても壊すときは壊す。幸い今日は休みだが、明日はまた音楽番組に出演しなければならない。美雪はマネージャーに何と言うか、と悩んだ。口パクという手もあるが、美雪は試しに小さく歌ってみる。聞き辛さがないかの確認でもあった。

「……!」

 そのとき、美雪の全身にぴしゃりと稲妻のような刺激が落ちて来た。居ても立ってもいられなくなった美雪は大雑把に着替えて荷物を引っ手繰り、花鳴館を飛び出す。

 勢いのまま星奏館の前まで来た美雪は探している人物が芝生に寝そべっているのを見つけた。脚を踏み入れようとしたところで、そこが女性禁制であることを思い出し、思わず足踏みしてしまう。

「──あれ? 女神じゃないですかっ!」

 タイミングよく通りかかったのは友也だった。美雪を捉えた瞬間に頬を染め、目をキラキラさせて駆け寄ってくる。

「観ましたよ、北斗先輩のお父さんと共演したドラマ……! 北斗先輩と共演したら氷鷹ファミリー・コンプリートじゃないですか! もう俺、その日が楽しみで楽しみで……というか聞きましたよ? 先輩のお父さんにもお母さんにも気に入られてるって! これはもう北斗先輩と女神が結婚する日も近いですね!」
「……」
「ハッ! すみません、俺ばっかり一方的に喋って……」

 友也は我に返りぺこぺこと謝罪をした。美雪は頭を上げさせようとするが、声を出すわけにはいかないと判断し、彼の肩に触れる。顔を上げた友也は前に立つ美雪が無言でスマートフォンをタップしている姿に首を傾げた。美雪が画面を友也に向け、友也は目を凝らして読んだ。

「えっ⁉ だ、大丈夫ですかっ?」

 美雪の状況を知った友也は慌ただしく腕を動かして、何か気の利いたものを出せないかとポケットを漁ったり、バッグに手を突っ込んだりしてみる。

「すみません……気休め程度にしかならないと思うんですけど、飴をどうぞ」

 美雪が顔を明かし華々しくデビューしたのは高校三年の夏だ。その時点で夢ノ咲を卒業したみかと会える頻度が減っており、デビュー後は仕事が続き、フランスにいる宗は勿論、友人や先輩後輩とも仕事場以外では関わりが殆ど無いと言っても過言ではなかった。それは美雪が十九になった今でも変わらない。

 友也はバッグの底に沈んでいたキャンディをそっと取り出し、手のひらに乗せておずおずと差し出した。長らく会えていないみかを思い出した美雪は薄く微笑んでそれを受け取った。

「そういえば、女神は此処で何を?」

 質問された美雪は用事を思い出し、未だに芝生に寝そべっている少年のような青年を指さした。

「あれは……月永先輩? 月永先輩に用事だったんですか?」

 美雪はこくこく頷いてスマートフォンに文字を打ち込んで、再び友也に見せた。友也は「お安い御用ですよ!」と元気よく相槌を打つと、美雪の代わりに星奏館の門をくぐった。

「月永せんぱーい」
「……ん? 誰か呼んだ?」

 足をパタパタさせながら作曲作業に勤しんでいたレオはひょこっと顔を上げて辺りを見渡した。レオの傍に辿り着いた友也は門の方角を指さして「呼ばれてます」と教える。レオは彼の示す先に美雪がいることに目を丸くする。

「アイツがこっちに来るなんて珍しいな? いつもならスキャンダル気にして寄り付かないのに……ていうかスマホで呼び出せば良くね?」
「いや、そもそも月永先輩がスマホを持ち歩かないじゃないですか」
「だってあれブーブー五月蠅いんだもん。でも皆が言うから最近は持ってるぞ? 落とす頻度も減ったし」
「持ってても気づかなきゃ意味ないでしょうが。まさかとは思いますけどサイレントマナーにしてるんじゃないでしょうね」
「お、よく分かったな! あの機能便利だよな!」
「迷惑してるんですよ、こっちは! ドラマティカの打ち合わせあるから呼び出そうにも全然出ないから仕方なく瀬名先輩に連絡して……二度手間ですよ、まったくもう」
「うう〜、シロのいじわる!」
「というかさっさと起きてください。女神を待たせすぎです」
「……なぁ、前から思ってたんだけど何で女神なの?」
「女神は女神でしょう」
(あ、厄介オタクだ)

 友也に急かされたレオは五線紙を集めて拾い上げ、門の外で待つ彼女に近づいた。「どーした?」とレオが聞くと、美雪はそわそわした様子でレオに迫った。

「のどこわした」
「わ。はじめて聞いた、お前のそんな声」

 喋るのも辛そうな所々裏返った声にレオはぎょっとする。

「こんなとこで油売ってないで寝てろよ。明日も仕事だろ?」

 素直に心配したレオがそう言うと、説明するのが面倒になった美雪は彼の腕を引っ張って走り出す。いきなりの事にややつんのめったレオは「ちょ、美雪さん⁉」と謎の敬称をつけて美雪を呼んだが、彼女は止まらずビルに向かった。
 置いていかれた友也は二人の後ろ姿が駆け落ちする恋人たちに見えて「いや、俺は北斗先輩を応援する」と首を振った。


「つくりましょう」
「……何を?」
「いましかつくれないものを」

 たどたどしく言う美雪に、レオは訝しげな視線を投げた。レオが彼女に連れて来られたのはレコーディングの機材が整ったある一室だった。

「……こんなですけど、まだうたえるんです」
「はぁ」
「だからね、この『こえ』のうちに、やれることをやりましょう」
「……ん? え、その状態で歌うってこと?」
「うん」
「いや、悪化すんだろ」
「まだ『こえ』はでるんですよ? もったいない」
「何が勿体ないだ」

 レオはぺちっと美雪のおでこを叩いた。衝撃に目を見開いた美雪はすぐさまムッとして噛みついた。

「わたしの『こえしつ』がかわっているいまこそ、できることがあるとおもいません?」
「無理に喋んなって」
「いまならだせるきがするんです、『ですぼいす』」
「ファンはお前のデスボなんて聞きたくないと思うけど⁉ おれもあんま聞きたくないし!」

 清楚な乙女がいきなりそんな声で歌い出したら誰もがギャップで萌えるどころでは済まないだろう。彼女の喉が壊れるし、ファンの夢も壊れる。
 このまま話し続けても意味がない・レオが反発すると悟った美雪は立ち上がる。数歩後退し、息を吸い、細かな変奏を加えた『きらきら星』を歌った。はじめは制止しようとしたレオだったが、いつも透明感溢れる声で伸びやかに歌う彼女とは違う、低くハスキーな歌声にあんぐりと口を開けていく。

「……どう?」

 自分の耳で今の声を聴いたとき、「このままでも行ける」「このコンディションは今しかない」という確信を持った美雪はレオを真っ直ぐ見つめた。彼女の喉を悪化させるだけだと思っていたレオは表情をきりりとさせる。

「お前天才だな」

 そうして生まれた新曲──その日のうちにレオが作曲してその日のうちにレコーディングした即興曲と言っていい──はいつもの氷室美雪とは異なる歌い方に戸惑うファンも少なからず存在したが、大多数のファンが新たな彼女のギャップに魅了され、「喉を壊した状態の、普段とは異なる声質で録音した」というバックグラウンドに『芸術家の魂によって生み出された傑作』と評価まで受けた。
 しかし、彼女を案じる宗によってレオが叱られたのは言うまでもない。レオは「おれだってはじめは反対したんだけど腕が言うこと聞かなくて」と苦し紛れの言い訳をしたが、宗には通用しなかった。

prev

next