08

 今日だけで数えきれないくらいに祝辞を送られた美雪は、また何度目かの礼を言う。薄く微笑んで応対するだけで目の前の男たちは息を飲んで頬を染めていた。心臓を撃ち抜かれ呼吸を荒くする者もいる、ごくりと唾を飲む者もいる。

 昼間のバースデーイベントを終えた美雪は氷室の屋敷に戻り、氷室の父からの要望でパーティーに参加していた。
 美雪は本来であれば氷室の血筋ではないが、「氷室豊の妹」とデビュー時に自ら名乗った。氷室豊に妹がいた事実に驚いたのは芸能界だけではない。今まで社交界では「氷室の妹」の名も存在も浮上したことがなかった。それもそのはず。美雪が──義兄によって強制的に──氷室財閥に引き取られたのは美雪がおよそ十の頃。社交界というのは家に子どもが生まれれば公表し、ある程度の年齢になればお披露目としてパーティーに参加するのが普通のことだ。美雪はその過程を飛ばして「氷室財閥の娘」として突如現れた。

「恵慈(けいじ)様、あんなにお美しい娘さんが居たなんて聞いていませんよ」
「一体今まで何処に隠していたんです? どうして会わせて下さらなかったんですか」
「えぇ、本当に。きっと幼い頃から愛らしかったんでしょうねぇ」
「可愛すぎるからって独り占めしていらっしゃったんでしょう。恵慈様ったら」

 美雪と離れた位置で、氷室の父である恵慈は群衆に囲まれていた。息子が勝手に連れて帰り監禁していたため会わせようにも会わせられなかったというのが正解であり、血の繋がりのない娘を自分の子として紹介するリスクの高さを懸念していた恵慈だったが、有難いことに好意的に解釈されているようで否定することなく流しておいた。それはそれで都合が良かったのだ。

「豊様も海外でご活躍のようですが、美雪様も大変注目されて」
「テレビで見ない日はないと言っても過言ではありません」
「実は私の息子は美雪様の大ファンで」

 氷室の父はすり寄ってくる成金に対応しながら美雪を確認する。先程からずっと絡んできていたどこぞの下級財閥の男は、天祥院の子息が間に入ったことで姿を消したようだった。氷室の父に内容は聞こえないが、美雪は英智と会話をしているらしい。英智が横を通ったウェイターを引き留め、シャンパンを取って美雪に渡そうとする。そこを止めに入ったのは巴財団の次男だった。声の大きい彼の「美雪ちゃんが成人したからって手が早いね⁉」という台詞が聴こえ、氷室の父は思わず俯いて笑う。

「人聞きが悪いな。今日は美雪ちゃんの二十歳の誕生日だろう? 二十歳と言えばお酒を飲める歳。勧めるのは当然のことじゃないか」
「酔わせて連れ帰って既成事実を作ろうとしてるんじゃないだろうねっ」
「いや、お父上の居る前でそんなこと出来るわけないよね? もっと頭を働かせて考えてご覧。そもそも此処は氷室財閥の御屋敷なんだから、僕が美雪ちゃんを連れ帰ることなんて不可能だよ、意味が無いしね」
「どうかな? 天祥院の君なら出来ると思うけど。その舌はよく回るから、『忙しい彼女と交流する時間が欲しい〜』とか『娘さんにもそろそろ婚約者が〜』とか言って、上手い具合に乗せかねないよね?」
「ああ……婚約者、ね」

 英智は意味深に、含みを持たせて呟いた。視線を美雪に送った後、日和を見て微笑む。日和は「まさかこいつ」と英智を睨んだ。

「そういえば、美雪ちゃんには婚約者はいるのかい?」
「美雪ちゃん、答えなくて良いよ」
「?」

 美雪が答えようとして口を開くと日和が手を出して制止した。

「この男は君が『いる』って言っても『いない』って言っても手を回してくる可能性があるからね」
「嫌だなぁ。そんなことしないよ」
「……目は口程に物を言うね」

 革命以前から交流があり、彼が天使の皮を被った悪魔であることを幼少期から理解している日和は、英智を心の底から信用することは出来なかった。

「……婚約者は居ませんけど、困ったら結婚してくれそうな人なら」
「ちょちょちょっ、言わなくて良いんだって!」

 日和が慌てて遮ろうとするが、美雪の言葉ははっきり英智の耳に聞こえていた。英智は心底真面目な顔で告げる。

「困ったら結婚してくれそうな人? 僕だって美雪ちゃんが困っているのなら喜んで結婚してあげるよ?」
「何その上からな感じ。君だって相手は選べないはずだよね?」
「うん、確かにそうだけど。相手が氷室財閥の御令嬢なら天祥院も文句は言えないよ。僕も誰とも知れない御令嬢を宛がわれるより美雪ちゃんと結婚したいから」
「天祥院と氷室が結束したら財界のパワーバランスが可笑しなことになるよね?」
「はは。財界最強になっちゃうね♪」
「笑い事じゃないからね?」

 天祥院の御曹司と氷室の令嬢が結ばれれば、財界の大多数が悲鳴を上げることになるだろう。これは歓喜の悲鳴ではなく、強大な財閥が誕生してしまうことへの恐怖の悲鳴であることを間違えてはいけない。

「というか、困ったら結婚してくれそうな人って何? どういうこと?」
「……責任を取って結婚しろ、って言われました」
「な、何の責任……?」
「……」

 美雪は燐音のことを何処まで言っていいものか悩んだ。彼と関わるといつもそうだ、周りへの隠し事が増える──とはいえこの件に関しては美雪の行動が原因ではある。
 アイドル同士が仕事場以外でキスをしたという事実はスキャンダルに成り得るだろう。限られた人物だけ知っておくべきだ。という結論に至った美雪は言葉を濁そうとした。

「……はじめてを、貰いました」
「──⁉」
「──⁉」
「……だけど、約束は出来ないので。困ったらお願いするとだけ伝えました」

 責任を取れと言われる『はじめて』と言われれば頭に浮かぶのは一つだった。実際にはファーストキスだが、美雪の言葉選びが悪かった。日和と英智は愕然とする。

「ぼ、僕らの美雪ちゃんが……?」
「はじめてを『あげる』じゃなくて、貰う? え、美雪ちゃん、君、何回……え?」

 二人の御曹司はさっきまでいがみ合っていた相手に助けを求めるように見つめ合い、目で会話をした。

(はじめてって、あのはじめてだよね?)
(いや、美雪ちゃんのことだ。まだ分からない。まだ希望はある)
(いつの間に大人の階段上ってたの)
(まさかリズリンのお偉方に……いや、美雪ちゃんは枕なんて必要ないし、いくらあの連中でも氷室財閥の令嬢に手を出すような危険な真似はしないだろう。可能性があるとしたら、君の相棒じゃないかい?)
(え、凪砂くん? ま、まさか。茨が制御してるはずだし、美雪ちゃんが忙しくて会えてないよ)
(どうだか。一緒にお風呂に入る仲なんだろう?)
(最近は入ってないよ!)
(普通は入らないんだよ)
(そんなの僕だって知ってるね⁉)
(浴場で欲情した凪砂くんが遂に美雪ちゃんに手を出したってことだよ。君だって常に彼と行動しているわけじゃないだろう? きっと密会してたんだ。そして初体験を終えた美雪ちゃんは、他の男に騙されて流され、そいつに「責任を取れ」と脅された。そう考えるのが妥当だろう)

「……あの、お二人とも」
「なんだい?」
「どうかした?」

 呼びかけられた二人はにっこり笑って美雪を振り返る。

「……距離が近いのでは? このままではキスをしてしまいます。そういうのは陰ながらするか、ステージでやってくださいまし」

 指摘された二人は顔を合わせる。確かに目で会話をしている内に距離感が可笑しなことになっていた。おでこが触れ合いそうな場所まで来て、互いの顔がドアップになっている。

「ちょ、やだ! 英智くんの男好き! 僕にそういう趣味はないね!」
「僕だってないよ。君が勝手に近づいてきたんじゃないか」
「嘘だね! 渉くんのことが大好きな癖に!」
「渉は別だよ」
「別って何⁉」
「渉は性別の枠を超えてる」
「確かに女の子の役も上手だったけど訳がわからないね」
「君だって大好きな漣くんや凪砂くんとそういう営業をしてるせいで感覚が麻痺したんじゃないかい?」
「僕らの愛を営業なんて呼ぶんじゃないね!」

 ゲシゲシと相手の脚を踏み合う御曹司を見かねた桃李と司が歩み、美雪に祝辞を送った。

「氷室さん。お誕生日おめでとうございます」
「おめでとう♪」
「……ありがとう」

 この世界では「芸能活動をするなどお遊びだ」という思考を持つ者も少なくはないが、実際にアイドル活動をする御曹司らが集まったこの場は煌びやかな雰囲気に包まれている。遠巻きに眺めた令嬢はぽっと顔を赤くした。

「もうお酒は飲んだ?」
「……いいえ。まだ」
「そうでしたか。自分がどれくらい飲めるのか把握しておく事も大切ですよ」
「これなんか果物も入ってて美味しいけど、どうする? 同じもの作って貰おうか?」

 桃李がグラスを揺らして見せた。それに合わせて底に沈んでいた林檎や葡萄が舞い上がる。彼が飲んでいるのはサングリアのようだ。あれだけ愛らしかった姫宮桃李も身長が伸び、今では美雪よりも高くなっている。自分が忙しくしている間に起こった彼の変化を感慨深く思った美雪はゆっくりと瞬きをした。

「……ううん。折角だけど、大丈夫」
「そう?」
「……最初にお酒を飲む約束をしてるの」
「それはValkyrieのお二人ですか? それともレオさんと斎宮先輩?」
「え、あの子たちじゃないの? 美雪と一緒に活動してる女の子三人」

 バカンスを終えた美雪は日本に帰国すると、スターメイカープロダクション・コズミックプロダクション・ニューディメンションからそれぞれ一人ずつ厳選した女性アイドルと共にユニットを組んで活動を始めた。四人ユニットになったことで、美雪の負担はソロのときに比べればいくらか軽減されたと言って良い。

「……あの子たちは未成年よ。全員年下だから」
「あ、そうなんだ。凄く大人っぽい子がいるから勘違いしちゃってた」
「ああ。うちの人ですか?」

 桃李が想像しているのが自分の事務所のアイドルではないかと思った司が問う。桃李は「そうそう。ニューディの子」と相槌を打った。

「ハーフなんだっけ? だからかな」
「スタプロの方も大人びているように感じましたが」
「あ、その子、美雪と同室になったんでしょ? 大丈夫? 何か迷惑かけてない?」

 桃李は同じ事務所の先輩として後輩が不躾なことをしていないか心配したが、寧ろスタプロ女子が美雪の世話を焼いている状態だ。

 サンクトペテルブルクで出会ったニューディ女子と同室になることを期待していた美雪だったが、実際に同室になったのはスタプロ女子だった。美雪はほんの少し落胆したが、彼女がニューディ女子と同い年であることが分かると手のひらを返して世話をしに掛かった。
 はじめは怒涛のお世話ラッシュに困惑したスタプロ女子だったが、だんだん氷室美雪という女が分かるようになると(これは自分が世話をする側だ)と判断し、美雪が眠くなればブランケットを用意し、美雪のお腹が空けば食べられるものを用意し、マネージャーの如く走り回っている。

「……うん、良い子だよ。お世話させてくれるし、お世話してくれる」
「う、うん? ま、まあ美雪が良いなら良いんだけど……」

 美雪のその台詞だけで自分の後輩が苦労しているような気がした桃李は失笑した。

「一人幼げな方がいますよね、コズプロの……彼女が一番年下なのでしょうか?」

 Knightsの末っ子である司は美雪のユニットの最年少の情報が気になり問いかけた。美雪はコクンと頷いて説明する。

「……そう、あの子が一番年下。十八歳」
「美雪のこと、不思議な渾名で呼んでるよね?」

 桃李も自分が記憶しているコズプロ女子の情報を引き出して尋ねる。不思議な渾名、と言われた美雪は一拍間を置いて考えた。

「……ああ、『オンニ』のこと?」
「それどういう意味? 何語?」
「……韓国語で、女の子が年上の女性を呼ぶときに使う言葉だよ。翻訳するなら『お姉ちゃん』か『お姉さん』かな」
「へぇ〜。韓国の子なの? なんか、国際的なユニットだね? 言語が大変じゃない?」

 ロシアとのハーフに加えて韓国出身も居るとなれば、ユニット内で三か国語が飛び交うことになりそうだ。桃李の推測に美雪は首を振る。

「……いや、生まれは北九州だから日本語で話してるよ。韓国には一時期住んだ経験があるみたい。……なんだか、名前にコンプレックスがあるらしくて。私は可愛いと思うんだけど……気にしているみたいだから、その子のことは『マンネ』って呼んであげてる」
「まんね?」
「……韓国語で『末っ子』」
「合わせてあげてるんだ」
「お優しいですね、氷室さんは」

 桃李と司が微笑ましく思っていると、美雪がじっと司を見つめた。

「……朱桜くんは、Knightsの先輩方からするとマンネだね」
「え。あ、ああ、そうなりますかね?」
「……姫宮くんも、fineのマンネ」
「うに?」
「……マンネは可愛い。だから、二人も可愛い」

 謎理論を披露した美雪は自分よりも背の高い二人の頭を撫でた。ユニット的には末っ子かもしれないが年齢的には美雪と変わらない二人は、彼女の手を戸惑いながら受け入れた。

「美雪」

 氷室の父が娘を呼び止めた。美雪は桃李と司、英智と日和──未だに近くに居て三人の会話に耳を澄ませていた──に断り、父の元へと向かった。氷室の父は美雪の手を取り、人の少ない場所へと導いていく。豊に似て風貌の整った父が美しい娘をエスコートしていく姿を、財界の人間はうっとりと見送った。

 バルコニーに出た氷室の父は美雪の手を離す。既に辺りは暗くなっており、窓から差し込む室内の明かりが頼りになっていた。

「疲れてはいない?」
「……ええ」
「無理はしなくて良い。そろそろお開きにしよう。……忙しいのに無理を言って済まなかったね」
「……いえ」
「お前が世に出た以上、いずれはしなければならなかったんだ。社交界で『氷室の娘』として認めてもらわなければならなかった。二十歳の節目にと思ってね」

 氷室の父は美雪を気遣う言葉を掛けた。息子には、そんな語りは出来ないだろう。

「豊は呼ばなかったけど、それで良かった?」
「……はい。お兄様とは……どう話せば良いのか、わかりませんから」
「共演しないからという理由で不仲説が流れているのだろう? あれは日本のメディアにはあまり露出していないのだから、共演する場がないというのが正解なのだけれどね。一昨年から日本に戻る頻度は上がってるけど、それでもすぐにフランスに戻るから……向こうが気に入ったのかな」

 兄の話題を出すと美雪の表情が沈む。それに気付いた氷室の父は意図的に話題を逸らすことにした。

「改めて、二十歳の誕生日おめでとう。氷室美雪。美しい娘、私の自慢の娘」
「……ありがとうございます、お父様」
「お前ももう二十歳だ。そろそろ結婚のことを考えても良いと思ってね」
「──……はい?」

 唐突のことに美雪は耳を疑った。氷室の父はそんな娘を見て、眉を下げて続ける。

「早いかもしれないが、決めておいて損はないと思うんだ。お前の見目なら大丈夫だと思っていたけれど……多忙で相手を探す暇もないというなら私が見繕う。氷室は財閥だ。煩わしいかもしれないけれど、世間体を気にする必要がある。今日のパーティーはそのためでもあったんだ。婚約者候補を探そうと思って」
「……」

 氷室の父は美雪が自分で相手を探し、連れてくる可能性があると思っていたようだ。彼女の現状からそれが厳しいと判断し、自ら動くのを視野に入れているということ。まさか父親がそんな心算だったとは知らず、美雪は父を見ることが出来ない。

「見ている限り、あの四人とは仲が良いのかな? 天祥院と巴、朱桜、姫宮とは。全員夢ノ咲だからね」
「え、ぁ」
「天祥院は少し、大きすぎるかな。財界にも力関係と派閥があるからね、均衡が崩れるのは良くない。巴は不安定な時期もあったけど、今は長男のお陰で安定していると言う。朱桜は司くんが頑張っているようだが、まだ若いからどうだろうね。少し不思議な方向に事業を進めているようにも思う。豊がやんちゃをしたせいで朱桜と氷室の仲は微妙だけど……態々お前を差し出してまで取り持つ必要はないだろう。姫宮は天祥院と結託しがちだし、歴史が浅い。……この中なら巴かな。長男が良いだろう、優秀だと聞く。巴は天祥院に支援されていた時期もあったけど、氷室とも良好な関係だった。日和くんもああいう風に振る舞っているのだから頭の良い子なんだろうし適齢期でもあるけど、私の娘だからね。長男と結婚しなさい」

 次々に先輩や同輩を値踏みされた美雪は落ち着かない。日和がよく自慢していた日和の兄も、どんな人物か想像がつかなかった。

「……巴さんの、お兄様?」
「会ったことはないか。今日は出席しているはずだからご挨拶しよう。婚約者になるかもしれない人だからね。……ああ、丁度いい。あそこに居るのが巴財団の長男だ。行こう」
「え? お、お父様?」

 豊が人を無視して話しがちなのは恵慈の遺伝だろうか。「当主としては優秀」「父親としてはろくでなし」だと自負していた氷室の父は、美雪を自分の娘としてきっぱりと受け入れたということだろう。美雪が動揺しているのを分かっていてか、分かっていないのか、肩を掴んでバルコニーを出て、巴の長男の元へと連れて行く。

「久しぶりだね、元気そうで良かったよ。私の娘の美雪だ。紹介が遅れて悪かったね。……あぁ、そうだろう? 自慢の娘だ、何処にも嫁に出したくないくらいにね。だけどこの子も大人になったわけだから、将来のことも見据えて仲良くしてくれると嬉しい」

 日和の兄は美雪を間近で見て血液が沸騰するかのようだった。高鳴りを押さえつけて快く挨拶をする。恵慈の「将来のことも見据えて」という言葉をどう捉えるべきなのか分からない程、日和の兄は青くない。美雪は心に重しを抱えながら、彼に恭しく頭を下げた。

(……巴さんのお兄様だから、きっと、優しい人。……私の将来、私の未来。私の、結婚相手。夫。旦那様。…………この人なの?)

 美雪がぐるぐると考えていると、日和の兄は「お手を」と言って手を出した。エスコートだ。氷室の父も送り出そうとしてくる。二人で時間を過ごしてみろ、と言いたいらしい。

(結婚って、結婚したら、アイドルは……続けてる人もいるけど、隠してる人もいるけど、どうするの? 婚約したら必ず結婚するものなの……? 結婚はいつするものなの? 私が結婚したら……宗さんとレオさんに迷惑が掛からないかしら。結婚は、好きな人と…………私の、好きな人)

 日和の兄の手に指先でそっと触れた美雪は優しく握られ戸惑う。心にある蟠りは何なのか。勝手に婚約を決められそうになっていることに対する怒りではない、将来への不安だろうか。

(好きって、何かしら。愛とは、何かしら。閉じ込めるのが愛ではないのなら、愛に色んな形があるのなら、感情や衝動や言葉に正解が無いのなら、それは、何。大切は沢山あるのに、分からない。私の正解がまだ見つけられていないんだもの)

 美雪は目線を落として巴財団の長男と歩いていく。

「……成る程。恵慈さんはそういう心算なのか」

 氷室と巴のやり取りを離れた場所から眺めていた英智はワイングラスを揺らして面白くなさそうに言う。英智の言葉が後押しになり、桃李は自分の考えが正しかったことを理解した。

「やっぱり、日和様のお兄様と美雪が、結婚するかもしれない……ってこと?」
「かもね。天祥院と違って短命ってわけでもないんだから、焦らなくて良いだろうに。……恵慈さんは結婚が早かったと言うから、自分の子どもにも早めにさせたいと思うのかも。豊さんはパリだから分からないけど彼も確か二十五だから、もう婚約者は決められていて、そろそろなんじゃないかな。……はーあ。斎宮くんはどうするんだか」

 自分にも少しの可能性があると思っていた英智は期待が打ち砕かれた気分だった。そして革命時に葬った、自分を恨んでいる男を思い浮かべた。彼は傍に居られれば良いと身を引けるようななよなよしい男ではないだろう。
 その横で司は焦る。自分のことではないというのに、自分の前代の王のことを思い出し焦っていた。

(レオさん、レオさん。貴方の想い人が誰かに攫われてしまうかもしれませんよ。……ああ、悲しい哉。氷室さんは大財閥の令嬢。貴方が天才作曲家でも、どうにも成らないことがあるのかもしれません)

 信頼する彼と美雪の橋渡しが出来ないものかと司は爪を噛んだ。

「美雪ちゃんが義姉になるかもしれない日和くんはどうなのかな?」
「嫌な話の振り方だね? 性格悪いよ、英智くん」
「知ってる癖に」

 英智はだんまりを決め込んでいる日和を見逃さなかった。日和は兄と美雪の背中を見つめ、肩を竦めた。

「元はと言えばあの子は僕のところで幸せに育つはずだったんだから、時を経てそれが成し遂げられるというのは喜ばしいことかもね?」
「へぇ、賛成なんだ?」
「君に嫁がれるよりはましって話だね。僕の兄上は優秀だから、美雪ちゃんを不幸せにはしないと信じてるってこと」

 巴財団の権威が及ぶ地域で発見されたゴッドファーザーの双子。凪砂の片割れである美雪を氷室財閥に奪われたことは、日和の中で根強い過去だった。

「まあでも、凪砂くんに後ろめたい感じがしちゃうね。凪砂くんだって僕と過ごした記憶があるから兄上の人の良さは分かってるはずだけど、だからと言って容易く納得できるものではないと思うから」

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