Knightsの冠番組の収録中、レオは言いたげな視線を送ってくる司にやきもきしていた。カメラが回っているというのに司は違うことを考えているのか、嵐に話を振られてもすぐに反応できずにいた。
失敗した、と思っているのだろう。収録が終わった楽屋で司は大きなため息をついていた。
「気にすんなって、スオ〜。そういう日もあるだろ」
「……いえ。はい、すみません」
レオが司の背中を撫でると、彼はふにゃんと脱力する。そのやり取りを見ていた泉が目を吊り上げた。
「何年やってると思ってんのぉ? どうせまた食い過ぎて胃もたれでもしてたんでしょ」
「セナぁ〜。やめてやれって」
「アンタはかさくんに甘すぎる」
はっきりと言い捨てた泉だったが、それなりに後輩を気遣っているのだろう。着替えながらチラリと司を盗み見ていた。
「悩み事があるならお姉ちゃんに相談しなさいって」
「う。い、いえ。何でもありません」
「何でもないって顔じゃないけど?」
レオとは反対側、司の隣の椅子を引いて腰を下ろした嵐がちょん、と頬を突いて言う。司は居心地が悪そうにレオに目をやり、肩を縮こませた。レオは収録中から様子の可笑しい司に問う。
「あのさ……何かおれに言いたいことでもあんの?」
「ひぇ⁉ べべべ別に何もありませんけども⁉」
「それは何かある反応だよ、ス〜ちゃん」
「隠し事が下手にも程があるわね」
ドタバタと立ち上がった司は先輩らから向けられた疑いと呆れの視線にたじろぐ。じりじりと追い詰められている気分で後退り、脛を思い切り机の脚にぶつけて蹲った。近寄った凛月が司の旋毛を突いて言う。
「さっさと吐いた方が身のためだよ〜」
「牛丼でも買ってくる?」
「やめときな、太るよ。ていうか牛丼じゃなくてカツ丼じゃない?」
「あらやだアタシったら間違えちゃった。でもそんなアタシも可愛くてス・テ・キ……☆」
嵐は楽屋の鏡を見てウッフンと決めて魅せた。取り調べと言えばカツ丼だろう、と訂正した泉は思いのほかノリノリでスタンドライトを引っ張り出して司の顔面を照らす。司は眩しさに顔を顰めた。
「や、やめてください!」
「ほらほら吐きなってぇ。れおくんに隠し事するってことは俺に隠し事してるのと同義だからね?」
「うぅ、Power Harassmentです……!」
「いや、別に言いたくないなら良いけど……」
司は下唇を噛んでぷいっと顔を背けた。泉が怒るが、司はKnightsのメンバーがいる場所で話すべきではないと判断した。言うか言うまいか悩んでいるというのもあるが、話すのであればレオと二人きりのときにすべきだ、と。
「その、個人的……でもないような気はしますが、個人的なので。皆さんの前では話しません」
「……ふーん」
泉は詰まらなそうにライトを消した。見かねた嵐が「さぁさ!」と言って凛月の腕を掴み、泉の肩を引き寄せる。
「それじゃあ邪魔者は退散しましょ」
「はぁ? コイツらが出て行けば良いじゃん」
「帰る場所は全員同じなんだから良いじゃない。空気が読めないと芸能界ではやっていけないわ、それくらい分かってるでしょ?」
「日本特有の文化だと思うけどねぇ、空気読みとか察するとかって」
「セッちゃん、そんなにイタリアに染まっちゃってるの?」
泉と凛月は嵐に引きずられながら楽屋を出て行った。扉が閉まる直前、司は嵐にウインクを送られて申し訳なさそうに頭を下げた。
二人きりになった楽屋、司は手に滲んだ汗をズボンで拭いた。レオは司に何を言われるのか見当もつかない。仕事の関係だろうか、守るべき後輩の立場が危うくなっているのであれば尽力しよう、とレオが思ったところで、司が深呼吸をしてレオを見つめた。
「……あ、その」
司は決心した割には心許ない声量で発した。
「言うべきでは、ないのかもしれませんが……私は高校時代から貴方の姿を見ていましたから。目にして、耳にしてしまった以上、何もせずにこのままで居ることはできません。行動せずに後悔するというのは私の精神に反します。レオさん、貴方を思うからこそ、もしかすると貴方を悩ませ傷つけてしまうことを今から伝えるかもしれませんが……それでも許してくれますか?」
「いいよ」
レオは茶化すことなく、迷うことなく、真っ直ぐに司を見つめ返した。レオの揺るがない瞳を見た司は改めて呼吸を整える。
「氷室さんのことです」
「え。アイツがどうかした?」
てっきり司から何らかの助力を求められると思っていたレオは意表を突かれる。司は眉間に皺を寄せ、辛そうにしていた。
***
週刊誌に撮られては堪ったものではないが、芸能人だって飲みに出る。そんなときによく利用されるのが個室のある飲食店だ。何者にもプライベートな空間を邪魔されない場所。
美雪は成人して初の飲酒は宗とレオと共にすることを約束していた。二人ともそこまで強くはないという自覚はあったため宗とレオはほぼ付き添いで、飲むとしても彼女が飲めなかった分、という決まりを設けている。
「……美雪さん。それ何杯目?」
摘まみに頼んだ焼き鳥を齧っていたレオはふとテーブルに置かれた空のジョッキを数えて美雪に尋ねた。
「……これを入れて五つです」
「飲みすぎじゃん?」
「……そうなんですか? 相場が分かりません」
「酔ってる? 見た感じ素面なんだけど」
「顔に出ないタイプかね」
宗が美雪の頬を触ってみるが、温度も色もいつも通りに見える。ジョッキを五つも空ければ宗とレオであれば机に撃沈しているだろう。
「摘まみも食えよ」
「……固形物は要りません」
「あ、だからお前酒ばっか飲んでんのか。納得」
「ふむ……居酒屋ならお茶漬けだろうか。バーならワインと一緒にチョコレートでも、と思ったんだがね」
メニューを捲った宗は台詞とは裏腹に目ぼしい物を見つけたのか店員を呼んで注文する。斎宮宗という男が居酒屋に居るのはミスマッチだと先程から感じていたレオは、彼の慣れた様子に疑問を抱いた。
「シュウって居酒屋くんの?」
「影片がバーは落ち着かないと言うからね。あの子はこういう庶民的な場所の方が安心するのだと」
「気をつけろよな、発言。また炎上すんぞ」
レオが忠告すると宗は「今更」と言った風に肩を竦めた。
暫くすると宗の注文した品物が卓に届いた。置かれた皿を美雪の前に流した宗は、他に店員から受け取った徳利を自分の前に置く。
「え、お前が飲むの?」
「ああ、日本酒をね。美雪が僕たち以上に飲めそうなのは分かったのだから問題ないだろう」
「お前酒弱いじゃん。ベロベロになるじゃん」
「君に言われたくはないね、泣き上戸」
「おれたちが潰れたら誰がコイツのお守りすんだよ」
「君が飲まなければ良いだけの話」
傍若無人な帝王は上機嫌にお猪口を取った。美雪が日本酒に興味を示したため彼女の分も注ぎ、ジト目で睨んでいるレオを華麗にスルーして日本酒に口をつけた。
これは酔っ払い二人を車で送り届けることになるな、と悟ったレオは減らない摘まみに手を伸ばした。
「……宗さん、お顔が真っ赤です」
「う〜? そんなことはないよぉ。ぼくはよっぱらってない」
「それは酔っ払いの言う台詞だな。下戸なんだからやめとけっての」
最初こそ優雅に日本酒を楽しんでいた宗だったが、お猪口何杯目かで舌が回らなくなっていた。徳利にはまだ中身が入っている。
美雪に顔の赤さを指摘された宗は卓に突っ伏していた顔を上げて彼女を見上げる。ぼんやりとした視界に映り込んだ女神に、宗は熱い息を漏らした。
「ああ……君はどうして、こんなに可愛いんだろうねぇ」
ずりずりと美雪に近寄る。「よく顔を見せて」と言われた美雪は、されるがままに宗に触れられた。レオは二人の距離の近さに苛立つ。宗はペタペタと美雪の頬に触れ、肩を抱いてイタリア男のように甘い言葉を投げかけ始めた。
「かわいい、かわいいね……君はぼくだけの天使。Mon ange. ぼくの元に舞い降りた天女。お空になんて帰してあげないからねぇ……」
「……いつもとあまり変わらないように思います」
「大体お前にはデレデレだもんな、シュウって」
油断すればぐでんぐでんの宗が今にもキスをかましそうだと思ったレオは卓上の水を引っ手繰って押し付けた。受け取った宗は不服そうにしつつもチビチビと水を飲み、やがて「……しつれい」と言って席を立った。御手洗いに向かったのだろう。千鳥足の彼の背中を見送った二人の元に沈黙が訪れる。美雪は徳利を取って注いだ。
「…………あのさ」
「……はい」
切り出したのはレオだった。レオの頭には、司に言われた例の件がずっと巡っていた。司が言っていた事なのだからほぼ確定だと思って良いのだろう、と思うレオも居たが、信じたくない気持ちもあった。彼女が結婚するかもしれない、など。
(シュウは知ってんのかな……いや、相手が元fineの兄貴ってなったら絶対五月蠅いよな。たぶん、知らないんだろ。……スオ〜は、おれが、コイツを好きだからって、教えてくれた。おれが後悔しないようにって。ならおれは、何も知らないシュウに教えた方が良いよな? だって、じゃないと……不平等だろ。おれたちは仲間だろ。一緒に越えなきゃいけない話だろ)
なかなか喋らないレオを待つ美雪の横で、彼は葛藤していた。
(だから、シュウが知らないのをラッキーなんて思っちゃいけない。アイツが知らない内に、おれがコイツに想いを告げるのは狡い。卑怯だ。おれが何をしたって、きっと……何も変わらないだろ。お嬢様とかお坊ちゃんって、決められた結婚は避けられないもんなんだろ。テンシも昔、似たようなこと言ってたし。スオ〜のあの感じは、そういう事なんだ)
そしてレオはこうも思う。自分自身は海外でも活躍できるくらいの作曲家であるが、家は極普通の一般家庭だ。対して宗は天祥院や姫宮などの財閥ほどではないものの、由緒正しい家柄と呼べる。
(おれかシュウかってなったら、コイツの親父はたぶんシュウを選ぶ。……誰とも知らないヤツに盗られるより、シュウの方がよっぽど良い。シュウならコイツを幸せにできる。コイツだって、シュウのことが好きなんだから。だから、だからおれは……)
何かを堪えるように拳を握ったレオだったが、ふとその手にひんやりとした感触がしてハッとする。美雪の指だった。
「え?」
「……手。そんなに握っては傷がつきます。大事にしてください」
「……あ、う、うん」
何でもない、同業としての気遣いの言葉。それでもレオはどうしようもなく満たされていた。それと同時に、どうしようもなく苦しくなる。気を紛らわせようとコップを握って俯き適当に誤魔化す。手汗か表面の水滴のせいか、うっかり滑りそうになった。
「シュウのやつ、トイレ長いな。うんこかな」
「……お下品」
「あ、吐いてるとか?」
「……そういう悪酔いをされるの? ……様子を見に行った方が」
「男子トイレに行くつもりかよ」
「……じゃあ貴方が行って来て」
「はいはい。もうちょいしたらな」
彼女が宗を気遣い、宗を優遇すると、レオはいつも胸が窮屈だった。レオは口の中の肉を犬歯で噛んだ。飲み干した水に血の味が混ざっていることに気づいたところで、ふとレオの視界の半分が開かれる。ずっと俯いているレオを心配した美雪が、流れ落ちている彼の髪を退けたせいだった。
「な、なに」
「……いえ。体調が悪いのかと」
「は? おれ飲んでないけど」
「……飲む飲まないに限らず、顔色が悪ければ気にします。……それに、貴方は飲んではいけないでしょう、飲酒運転で捕まります。誰が私と宗さんを送るんですか」
「さも当たり前のように人を足にすんな」
調子を取り戻したレオは彼女に心配された喜びを隠し、卓の下で軽く彼女の足を蹴った。すると見た目とは正反対に足癖が悪い美雪から厳しめの仕返しが飛んでくる。ヒールで踏まれては堪らない、とレオは即座に避けた。美雪は詰まらなそうな顔をしてお猪口に口付けた。
「……飲みたいのならどうぞ」
「はぁ? さっきと言ってること違くね?」
徳利を突き出してくる美雪にレオは肘をついて受け取らない姿勢を示した。
「ていうかおれ、日本酒飲んだことないし」
「……何故?」
「だってなんか、……なんかぁ、何となく、舌に合わなそう」
「……つまり、飲まず嫌い?」
「うわ、お前に言われたくないわ。食わず嫌い女王」
「……食べてみてもどうせ嫌いなのだから、私のは『食わず嫌い』ではないと思います」
「冒険してみりゃ良いのに。案外行けるかもしれないじゃん?」
美雪はお猪口に徳利の残りを注ぎながら横目でレオを見た。
「……そのままお返ししますよ。そこまで悪くありません、喉が締め付けられる感じがするだけで」
「ほんと食リポできないのな。それ聞いて飲みたい気分にはならないわ」
「……そう? 残念。……では、貴方のお好きなものを選んでくださる? 飲んでみたいの」
「まだ飲むのか……? お前さてはザル?」
渋々メニューを開いたレオは自分がよく飲むサワーを指で示す。目を落として確認した美雪はお猪口を置くと店員に「このサワーを二つ」とオーダーした。
「二個飲むの?」
「……貴方の分」
「え、おれの?」
「……駄目?」
「いや、お前が飲酒運転がどうのって言ったんじゃん」
自分と宗を送り届けるのがお前の役目だ、と言われたはずだ。レオは美雪の意図が分からず彼女の綺麗な顔をまじまじと見ることしかできない。まさか「酒気帯び運転をして捕まれ」なんてことは言わないだろうが。
「……私が執事を呼べば済む話ですから」
美雪はさらりと言う。確かに彼女の家の者を呼び出せばレオも飲める。だが一般家庭出身のレオとしては、それだけのことでこの場に居ない誰かを呼び出すのは忍びないように思えた。
「んー、でもなぁ」
「……だって、元より三人で飲む約束だったでしょう」
レオがやんわり反対しようとすると美雪が遮った。
「……私よりも先に大人になった貴方たちが、どんな風に飲んで、どんな風に酔うのか気になっていたんです。一人だけ飲まないなんて無粋だわ。水臭い」
「……んっと、意味わからないんですけど」
「……どうして。何が」
美雪は目をぱちくりさせているレオの察しの悪さに膨れ気味だった。そんな顔をされても、とレオは思う。そんな顔も可愛いな、とも思う。
「誰が私と宗さんを送るんですか〜って言ったじゃん。あれは『飲むな』ってことだろ?」
「……違います。……貴方、天邪鬼だから。ああ言えば意固地になって飲むと思ったんです」
月永レオの対氷室美雪を把握している彼女なりの挑発をレオ自身が上手く受け取れなかったというよりも、この場合は犯罪に関わってくるのだからレオには飲まないという選択肢しか無かったため、これは彼女の稀に見るミスだ。彼女の中の自分はそこまで単細胞か、とレオは失笑する。
頼んだサワーがオーダー通り二つやってきた。美雪は細い腕で重いジョッキを持ち上げ、レオに片方を突き付ける。
「……ほら。飲んで」
「いいよ。執事さんに申し訳ないし」
「……じゃあタクシーにすれば良いわ」
「ずっと駐車場に停めたまんまなのもなぁ」
「……分からず屋。良いから飲みなさい。私が飲めって言ったら飲むのよ」
「誰が決めたんだよ」
「私」
「わ、馬鹿。零れるって」
グイグイと押し付けられたレオは諦めてジョッキを持った。彼女はこういう酔い方をするのだろうか、と伺うと、彼女はレオがジョッキに口をつけるまで見張っているつもりらしい。レオは渋々一口。美雪は満足そうに笑って見張りを解いた。
「おれ、酔ったら面倒臭いらしいんだけど、相手できる自信ある?」
「……ああ、いつもと変わらないということ?」
「オイ」
「ふふ」
「……ジョークがブリティッシュだな、お前は」
ロンドンに滞在している期間はそれほど長かったわけではないはずだが、彼女とイギリスの雰囲気がマッチしたのか元々の素質か、日に日に皮肉がグレードアップしていくようにレオは感じていた。上流階級出身だとそうなるのかもしれない、とレオは忌み嫌われがちな友人を思い浮かべた。
「……酔うと面倒臭いらしい、というのは自覚がないということですか?」
「んー。記憶があんま無い。後になってセナから『こんなこと言ってた』って口頭で言われたり、わざわざ録音されたこともあったな」
それを聞かせてくるのだから泉も質が悪い。
「……宗さんが泣き上戸って言ってましたね。酔うと泣くってこと?」
「そうみたいだな。シュウだって弱いはずなのに、アイツは記憶は残るタイプらしいんだよ」
「……へぇ。楽しみ」
「……それはおれが泣くのが?」
不満気なレオに対して美雪はわざとらしく目を逸らしてサワーを含んだ。レオおすすめの酒はこんな味か、とジョッキの中を踊る泡を眺める。
「よし決めた。ぜってー泣かない」
「……詰まらない人」
「別に良いし。詰まんなくて」
「……まあ、無理そうなら言ってくださいな。私が飲んであげます、無理に摂取すると体に悪いでしょう。……昔から大人の娯楽で、憧れてしまうし慣れてしまうものなのでしょうけど、飲まない方が良い液体です」
こうして時折優しさを向けられると、レオは心地よくなると同時に弄ばれている気持ちになる。
「今日はじめて酒飲んだ小娘の癖に生意気だな」
「……貴方に小娘って言われても嬉しくないわ」
ほら見たことか。すぐに宗の陰をちらつかせてくるのだ。いつもなら黒い靄が出てくるだけで済むのに、今のレオにはその言葉に反発できる程の気力がなかった。切りつけられたようだった。
(あーあ、言わなきゃ良かった)
彼女の心を占めている男を連想させる単語を言った自分に後悔する。
「どこ行くんだよ」
「……宗さんのところ」
宗を思い出した美雪は彼がいつまで経っても戻らないことを心配して席を立とうとした。レオは後悔の上に後悔が重なり、息苦しさで潰れそうだった。
行かないで、行くな、此処に居て、おれを見て。喉から出かかる。
「……どうして泣いているの?」
「え?」
「……まさかもう酔いが回ってしまった? まだ半分も飲んでいないのに」
気持ちが涙として出て来たらしい。レオが泣き出すと個室を出て行こうとしていたはずの美雪は引き返して、彼の前に膝をついて目線を合わせた。細く白い指で涙を拭われるのを、レオは茫然と受け入れる。
「……お水を飲みましょう」
「……」
「……どうしたの? 大丈夫?」
「うん」
「……一人で飲めますか? 私が飲ませてあげた方が良い?」
「うん、大丈夫」
コップを貰ったレオは(おれ、かっこわる)と温い水を力なく飲んだ。一口飲むと、何故か美雪が頭を優しく撫でてくる。ぶわ、と目頭が熱くなり、レオの意志に反して涙がボロボロ零れてきた。
「えっ。ど、どうしてもっと泣くの?」
「うぅぅ、うるせぇ……」
「何……何なの?」
「こっちが聞きてぇよぅ。お前のせいだ、ばかぁ」
「……はぁ?」
「ぜんぶぜんぶ、お前の……お前が、お前がさぁ、お前の」
かつての過ちのように押し付けそうになったレオは言い淀んだ結果、黙り込んだ。
「……私の何。私が何なの」
「おれ、おれさぁ……」
「なぁに」
「……何でもねー」
結局何でもないのか、と美雪は呆れて彼の背を撫で続けた。乱暴に顔を擦ったレオはサワーを一気に飲み干してジョッキを空にした。泣き上戸だと聞いていた美雪は彼がまた泣き出すのではないかと疑うが、レオは思いのほか清々しい顔をしていた。
「……シュウ、呼びに行けば?」
「……貴方は平気なの?」
「へーきへーき」
「本当に?」
「うん」
「……」
「平気だって。トイレから出て来なかったら戻ってこい、おれが行くよ。心配だろ?」
「……貴方だって心配ですけど」
「あ。お前が行くよりおれが行った方が良いか? 酔っ払いに絡まれるかもだし」
いつもよりも頭が回らないように思うのは、やはりアルコールのせいだろうか。思い直したレオは「よっこらしょ」と立ち上がって個室を出ようとしたところでフラつく。美雪が慌てて支えた。
「おわ。ジョッキ一個でこれか」
「……私の台詞ですけど」
「お前よく潰れなかったなー」
「……そこまで軟じゃありません」
「そうだな、お前は案外タフ。じゃなきゃここまで多忙アイドルやってらんないよ」
震える足を見下ろしてレオは言った。いつも気遣われ「休め休め」と言われている美雪は、レオの言葉が新鮮で目を丸くしていた。
「また舞台やんだろ? ジャンヌって聞いたけど」
「……えぇ」
「マジで火刑じゃん」
「……そんなこともありましたね」
レオは学生時代、彼女に「火炙りだ」と言ったことを思い出し、美雪は彼にそう言われたことを思い出す。宗が拠点にするフランスにおける救国の乙女は、彼女に似合うだろう。レオは以前、嵐にも見合う役だと本人に告げたこともあった。
「……役作りに髪を切ろうかと」
「え。猛反対されるぞ、事務所とシュウに」
「……だって、ジャンヌは男装でしょう?」
それが理由の一つとして、ジャンヌは異端審問を受けることになった。美雪はジャンヌを演じるに当たって彼女が男装をしていたという部分を忠実に再現したいのだろう。
「そうだけどさぁ。何もそこまでガチにやらなくたって良いだろ。いきなりショートになったら卒倒するって」
「……そうですか」
「そうだよ」
レオは美雪の髪を触って、もしこの艶やかな髪がばっさり切られたら、と想像してみる。宗なら「一房くれ」と美容師に頼み込んで大事に保管するかもしれない。レオもそれに便乗することになりそうだ。
「おれと付き合って」
「──はい?」
ぎょっと目を剥いた美雪の顔を見て、レオは首を傾げる。レオは彼女が髪を切ることに対して「おれも結構ショックだと思う」と続けるつもりだった。ところが出て来た言葉がまったく違うものだった。
「……おれ今なんて言った?」
「…………」
答えを言わない彼女に、頑張ってほんの数秒前に自分が発した台詞を思い出そうとする。耳に残る音声を巻き戻し、自分が何を言ったのか理解した。出た言葉をそのまま飲み込むことが出来れば良かった。
「──あ、あー、嘘。ごめん、いや、嘘っていうか、その、うん。ごめん」
レオは美雪から離れて宗を呼びに行くことで、この出来事を無かったことにしようとした。
「……良いですよ」
「へ」
「……付き合いましょう、私たち」
今度はレオが目を剥く番。あまりにも澄んだ瞳で告げられ、レオは後退って扉に踵が当たった。
「い、意味わかってる? 付き合うって、その辺にとかじゃないぞ?」
「……えぇ。男女交際のことでしょう?」
「……マジで言ってる?」
本当は彼女に詰め寄って本気か否かを問いたいところだったが、レオにそんな度胸はなかった。至って冷静な美雪はけろっとしている。
「……丁度、気になっていたんです。普通の恋人ってどんなものかしらって。恋とか、愛とか、何だろうって」
彼女の疑問にはレオもすぱっと答えられなかった。愛は真心、恋は下心なんて言葉も聞いたことはあるが、誰かの受け売りの言葉では再現したくなかった。レオにとっての恋は氷室美雪で、愛は。
「……私の愛の正解を見つけたいんです。手伝ってください」
レオは飲んだことのない日本酒を飲ませられた錯覚に陥る。喉が窮屈だった。
「ただいまぁ。ごめんよ、道が迷路のようになっていて……んん? 月永、そこに突っ立っていると邪魔なのだけど」
「ぁ、ごめ……うわっ、シュウ⁉ 今の聞いてた……⁉」
突然後ろの扉が開き、ぽやぽや状態の宗が帰って来た。レオは彼女との会話を聞かれていたのではないかと焦るが、宗は寝ぼけ眼で「なんの話ぃ?」と言ってレオの横を通り過ぎ、卓の前に腰を下ろした。
「おや? 新しいお酒を頼んだの? どれどれ……」
「……これ以上は」
「む……美雪、ぼくはまだまだ飲めるのだよ」
宗がジョッキを持とうとすると美雪がそっと止めに入る。否定する宗の声は幼児のようにたどたどしい。
「……いえ。もうお開きにしましょう」
「いやだ」
「……宗さん」
「やだよ、やだからね」
「……駄々を捏ねないで」
「だって、折角君と酌み交わせるのに」
しな垂れかかってくる宗に、美雪は仕方が無さそうにため息を吐いた。すぐさま彼女と先程の話の続きをしたいレオは宗と彼女を引き剥がし、「ぅお?」と声を上げる宗の腕を引っ張って会計を終わらせ、呼び止めたタクシーに宗だけを突っ込んで帰らせた。記憶がばっちり残る彼に後日どやされるのを覚悟して。
「……あのさ」
「……はい」
宗の乗ったタクシーを見送った後、レオは美雪を振り返る。
「……おれで良いの?」
「……貴方だからお願いしてます。信頼してるから」
胸がいっぱいになったレオは彼女の腕を掴んで引き寄せていた。すぐに突き飛ばされて「ちょっと。外で何してるの」と叱責を喰らった。幸い、週刊誌には撮られなかった。
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