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「……さて、私たち恋人になったわけですけど何をしましょう」

 何が「さて」だ、とレオは思う。
 うっかり彼女に告白してしまったレオは誠実さを忘れてはおらず、「よくも僕を先に帰してくれたね⁉」とぷりぷり怒ってきた宗に向かって「美雪と付き合うことになった」と明かしていた。それを聞いた宗はポカンと口を開けて放心状態に陥ったが、レオの真剣な眼差しに我を取り戻して熟考し、「泣かせたら許さないからね」と耳元で呟いてその場を後にした。──現段階ではレオよりも宗の方が彼女を泣かせている。

 それぞれ寮暮らしのアイドルということもあり、交際がスタートしてから満足に会える場はなかった。携帯でのやり取りもレオが意識するばかりでこれといった変化はない。

「何って、そりゃあ普通の恋人がすることしたら良いんじゃない?」
「……普通の恋人はどんなことをするの?」

 作曲の打ち合わせで会うことになった二人。シナモンで向かい合って座っていた。テーブルの上には五線紙とペン、注文した珈琲とアイスティーが置いてある。
 美雪はこれまで外の世界の知識が乏しい分を本で補ってきた。その中には恋愛小説もあったが、それも所詮はフィクション。美雪はレオに現実の恋人たちは何をするのか問う。しかしレオは今まで誰とも付き合ったことがないのに加えて周りに色恋沙汰を経験している友人もいないため、これまたフィクションの知識で返すしかなかった。

「手を繋いだり」
「……手をつなぐ」
「あとは、……ハグとか?」
「……ハグ」
「き…………キス、とかも、ある」
「……キス」

 美雪はレオがあげた三点を復唱する。レオはこれから彼女とするのだろうか、と思うと顔に氷を当てたくなった。

「……全部なぁくんとしてる」
「ハ?」
「……私となぁくんは恋人だった?」
「ハ?」

 レオからは表情が抜け落ちていた。彼が普段よりも低い声を発しているというのに美雪は過去に想いを巡らせている。

「どうしてなぁくんとキスしたんだっけ……あ、そっか。ラブロマンスの映画を観せてもらって、それでごっこ遊びを」
「おい待てよ。お前の『なぁくん』って、え、何? 付き合ってんの?」

 それが現在進行形なのだとしたら、とんだ浮気ではないか。と一丁前に恋人面しているレオは憤っていた。恋人面も何も、恋人なのだが。

「……いえ、たぶん、ごっこ遊びの延長です」
「? 昔の話ってこと?」
「……昔、かなぁ」
「なんだよその曖昧な感じ」
「……だって、なぁくんとは会う度に…………」

 美雪はそこで漸くレオの顔を見て口を噤んだ。眉を顰めて猫目を鋭くさせている表情が「怒り」だと思ったのだ。この先は言わない方が良いのだろうか、と美雪はアイスティーのコップについている水滴に目を向けた。

「会う度に何」
「……いえ」
「言えよ」
「……貴方、怒ってるわ」
「そりゃ怒るだろ」
「……どうして?」
「浮気じゃん」
「──浮気?」

 凪砂と触れ合うのが常識と化している美雪には『浮気』と言われる所以が理解できなかった。美雪は頭の中で辞書を引いてみる。浮気はパートナー以外の異性と親密になること。その『親密』は人によって異なるためパートナーと話し合い、価値観のすり合わせをしておくべきだ。

「……じゃ、じゃあ、これからなぁくんとは触りっこしない方が良いの?」
「触りっこって何だよ! どこまで触ってんの⁉」
「ど、どこまでって……ぜ、全身、くまなく?」
「全身くまなく……⁉」

 それはつまり、あんなところやそんなところまで、ということ。
 レオは思わず身を乗り出し、眉を吊り上げていた。

「そ、そんなに怒らないで……?」
「怒るに決まってんだろうがッ!」

 レオが拳をテーブルに打ち付けた。美雪はびくっと縮こまるが、すぐさま弁解しようとする。まさか付き合うことになってすぐ浮気問題になるとは二人にも想像できていなかった。

「でも……なぁくんと私、別の個体になっちゃったから、定期的に触れ合わないと寂しくて、不安で」
「…………」
「う……けど、最近は触りっこしてないし、貴方が怒るようなことは何も」
「…………」
「れ、レオさぁん……怒らないで……?」

 終始無言のレオが怖くなった美雪は瞳を潤ませ、上目遣いでレオを見つめた。レオは真顔で美雪を睨む。

「……そう言えばおれが許すと思ってんだろ」
「お、思ってない」
「そういう顔すれば男が何でもしてくれるって学んだんだな、芸能界で。あーあ、男の扱いをよく分かってる。腹立つくらい。流石は国民的アイドルちゃんですね〜」
「……いじわる言わないで」
「そうやってしょんぼりしたら男がすっ飛んでくるんだよなぁ。ずーっとそうだよ、夢ノ咲のときから。何やってもおれが悪役で、誰も味方してくれねーんだもん」

 自分が悪く言われているように感じた美雪はテーブルの下で指を揉んだ。

「……分かりました。では今後、なぁくんと触りっこは控えます」
「『控える』って何」
「……頻度を下げます」

 それでは何も解決していない。レオはぶすっと腕を組んだ。

「会うのをやめろよ」
「あ、会うのも駄目なの……⁉」
「そりゃそうだろ。おれ以外の男と二人で会ったらもう浮気」
「……横暴にも程があるわ。束縛野郎」
「どこでそんな言葉覚えてきたんだお前⁉」

 上品な彼女から『野郎』という単語が飛び出して来たことに面食らうレオだったが、そんな暴言を吐かれたところで考えを曲げるつもりは一切なかった。ハグもキスも触りっこも言語道断。

「……なぁくんと触れ合うのはある程度許してもらわないと」
「嫌だ」
「……触りっこをやめれば良いですか?」
「手をつなぐのもハグするのもキスするのも駄目だからな」
「……お風呂は?」
「──は?」

 レオは思わず聞き返していた。美雪はきょとんとして続けようとする。

「え、お風呂。一緒に入っ」
「一緒に入ってんの⁉ 風呂に⁉」
「え、えぇ。いけなかった……? あ、いつもじゃなくて、会った日に、ですけど」

 衝撃で立ち上がったレオは美雪の悪びれない表情に脱力して座り込んだ。周りの客からの視線を感じたレオは声のトーンを落とす。

「いけないに決まってんだろ。素っ裸だぞ? やばい事になったらどうすんだ」
「……やばい事って?」
「そりゃ、その……妊娠、とか」
「……妊娠? 一緒にお風呂に入っても妊娠はしません」
「わ、わかんねーじゃん」
「……何故?」
「わかれよ、そんくらい!」

 レオは本日何度目かの台パンをしていた。一旦落ち着こうと珈琲を含むと、美雪もそれに倣ってアイスティーに口付けた。双方一息つく。

「あのね、美雪さん」
「……はい」
「そういうのは恋人とするものであって、『なぁくん』と恋人じゃないならしないんだよ。家族でも一緒に風呂に入るのは思春期に突入したらほぼ有り得ないし」

 説得するつもりで言った台詞だったが、美雪はレオの言葉を曲解する。

「……つまり、貴方とすれば良いの?」
「ばっ……⁉ ちっげーよ‼ アホ‼」

 珈琲をしっかり胃まで入れた後で良かった。そうでなければ、レオは思い切り吹き出して五線紙どころか彼女の洋服まで汚しているところだった。

「……でも、貴方はなぁくんじゃないから満たされないわ」
「ハ? 喧嘩売ってんの?」
「……いいえ? 事実を述べたまで。なぁくんには私が必要で、私にも彼が必要」

 曲げるつもりがないらしい彼女に、レオは頭を掻く。首をコキコキと鳴らして考え、「んー」と唸って再度身を乗り出すようにしてテーブルに肘を置いた。

「……じゃあお前さ、もし結婚して、人妻になっても同じこと言える? 旦那に向かって『なぁくんとキスもするしお風呂にも入ります。それは必要なことなので許してください』って。そんなこと言うなら『じゃあそいつと結婚しろよ』って話だし、言われた男はお前が好きなんだから普通は恋人とか夫婦ですることを余所の男にもされて不愉快だし、パートナーの自分が大切にされてないって感じるだろ?」
「…………」

 レオが懇切丁寧に解説すると美雪は茫然として、彼の台詞をゆっくり理解した。一度目を逸らしてからレオを見遣る。

「……貴方も同じ気持ち?」

 恋人になってから恋人らしいことは何一つしていない。それでも、今日のこれまでの彼との会話を思い返した美雪は、彼が何故怒り、不機嫌そうにしているのかが漸くわかった。
 美雪から気持ちの確認をされたレオは間を持って告げる。

「……ん」
「……そう。ごめんなさい」
「……や。おれだって、まだ付き合ってる自覚あんま無いし。お前は色々そういう常識みたいなのが抜けてんだから仕方ないだろ。……悪かったよ、ごめん。怒鳴って」

 気まずい空気が流れる。レオは空気を変えようとペンを回しながら明るく切り出した。

「しような、恋人らしいこと」
「……例えば?」
「二人で、どっか出かけるとか」
「……出かける」
「デートだよ、デート。知りたいんだろ? 普通の恋人がどういうことするのか。おれもカノジョいたこと無いから分かんないこと多いけど、あんま『普通』に拘んなくても良いと思うし」

 レオは自分の言葉が今まで彼女を困らせてきたのを覚えている。それはレオがその場その場で言うことを変えるせいであり、彼女に素直になれないせいであり、レオ自身の特性であるとも言えるのだが。今の言葉もきっと彼女は理解に苦しんでいるだろう、と感じ取ったレオは美雪に尋ねた。

「だって、おれとお前だよ? 普通か?」
「……」
「な? 普通かって言われたらかなり微妙なの、お前も分かるだろ?」

 美雪は普通が分からず、レオは変人と言われてきた。二人が『普通』を目指すのが難しいことが既に窺われる。

「躓いたら、さっきみたいに話し合えば良いの。何をしたいとか、何をやめて欲しいとか。カップルにも適したペースってのがあるんだから『このタイミングで手を繋げ』とか、『キスはこの時期にするもの』、なんてネット記事は大きなお世話なんだ。おれたちで決めて行こう」

 レオは自分に言い聞かせるように語った。(あれ? おれ良いこと言ったんじゃね?)と浸っていると、美雪から素朴な疑問が投げかけられる。

「……そういう記事があるんですか?」
「……別にお前と付き合うからって態々調べたわけじゃねーから」
「……調べたの」
「調べてねーから」
「貴方がそう言うときは大体言葉と真逆の行動をしています」
「うるさい。分析すんな」

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