ことん。
 木を陶器で叩くような音だった。それをきっかけにシャルルは潔く目を醒まし、小さく身動ぎをする。鼻腔に吸い込まれるのはいつもと違う空気。見慣れない室内をぼんやりと眺めている。「あれ」聞きなれた声。
「起きた?」
「……」
 テーブルから離れこちらに歩み寄ってくる男を一頻り眺めてからシャルルは枕に顔を擦り寄せた。朝に弱いのだ。まだ頭が働かない。通常運転である。
「シャルル」
 そんなシャルルが二度寝しようとしているように思えたのだろう。男、タルタリヤは、咎めるようにシャルルを呼び、シャルルに被さった羽毛布団を引っ張った。
「うう、寒い……」
 部屋は暖炉がついているが布団を剥がされると肌寒い。――トーマはシャルルの起動は時間がかかるだけでちゃんと自力で動き出すことを知っているからではあるが――こんな乱暴な起こされ方はトーマにだってされたことがない。「いつまで寝てるのさ」と非難され時計を見ると8時である。そんなに問い詰めるような時間でもないだろう。けれどこのままぼんやりしていたら次は頬を引っぱたかれそうな気がして、シャルルはゆっくりと体を起こしベッドに腰かけた。
「……」
「はい。ホットミルク」
「……。ん」
 手渡しされたマグを受け取る。白い湯気を立てるそいつは甘い香りを漂わせている。
「君、昨日のこと覚えてる?」
「……」
 ふうふうとミルクを冷ましているとタルタリヤから話を振られた。
 君、昨日のこと覚えてる?
 タルタリヤから発せられた記号をなんとか頭の中で組み立てる。タルタリヤに、昨日のことを、覚えているか、と問われている。なんとか理解した。第一関門突破である。
 タルタリヤから見れば、ミルクを冷ますのもやめ考えているシャルルは、虚ろな目をしていて、座ったまま寝ているかのようだ。
「……。話聞いてる? 君ってこんなに朝弱いの? 二日酔い? いや、それとも薬のせいかな」
「……?」
 せっかく昨日のことを振り返っていたのに、追い討ちように質問され、シャルルの思考は停止した。
「……」
 ホットミルクを一口飲む。甘くて美味しい。体が温まる。
「……あのさ」
「うわ。やっと喋った」
「ひとつずつ考えさせて。まだあんまり頭回ってないから」
「……? ポンコツ?」
 タルタリヤから可哀想なものを見る目が向いたがシャルルは気にしなかった。

 昨日は、スネージナヤの土地に足をつけた。そこでテウセルと再会して、テウセルの兄がタルタリヤであることを知った。流れでタルタリヤ達と氷上釣りをした。兄弟団欒のアウェー感に耐えきれず、頼まれていた手紙を届けに行くことでなんとかそこから離脱した。宿が取れなかった。ボルシチを食べた。骨董品店に行った。地元の子供達と雪合戦をした。どうやって夜を越すか悩んでいたところに都合よく酒場を見つけた。
 酒場では適当なカクテルを頼んだ。カウンターにスネージナヤの地図を広げながらゆっくり酒を飲み進めていると、隣に人が座った。小太りの、大柄な男だ。カウンター席にはまだ余裕があるのに隣に来るあたり、明らかに絡みに来たなとさすがのシャルルも理解した。
「観光客か?」と問われた。「ええ」と短く返事をした。
「それはそれは。……」
 男がシャルルの手元を見た。「ひとりで?」重ねられた質問の意図は理解できないが「まあ」とまた単調な返事をする。
「そうかい。そうだお客さん、ここはひとつ奢らせてくれ」
 シャルルはここで初めて男を正面に見た。自分を見る彼の瞳が、自分にとって好ましくないものであることをすぐに理解した。
 一人旅の男。いいカモなのだ。
 いい身なりをしているつもりはないけれど観光に来るのだからそれなりにモラを持っている相手だと思われているのだろう。それに先程手元を見られていた。トーマにもらったモンドの指輪を貴金属として狙っている可能性もある。
 今まで長く一人旅をしてきてある程度厄介事のあしらい方を身につけているつもりだが、成人したのは最近なので酒場に馴染みはない。穏便に事を済ませる方法を見つけなければ。
「いくつだ?」
「?」
「年齢」
 3歳くらい鯖を読むかと迷ったけれど20歳と23歳じゃあ大して相手からの印象は変わらないだろう。それ以上を盛るには自分の外見から難しいと判断した。
「20歳」
「なんだ! 成人したばっかりじゃねえか!」
 男の反応は凡そ予想した通りである。
 おすすめを飲ませてやると、4、5杯異なる酒を煽った。シャルルは酒に対して平々凡々だ。強くも弱くもない。少しくすみ始めた思考の中で時刻を確認する。22時。あと6時間粘るには酒のペースを落とすべき。
「一旦水にするか?」
「……」
 男がグラスに何か粉を混ぜるのが見えた。シャルルはピクリと眉を動かし険しい目つきで男を睨む。差し出された水を前に「あんた今……」そう呟いた時だ。
「ん! ………、……」
 急に口と鼻を覆うようにハンカチを押し付けられた。微かに甘い香りがして視界が眩む。上下が反転する。重力に引っ張られるがままに体勢を崩すと男に支えられ、髪を掴まれ上を向かされた。そのまま口の中に水を流し込まれたら、つい嚥下してしまうというもので。
「……う、……あー……、あんた……」
 直接脳を揺さぶられているかのように世界が回る。酷い目眩だ。なんとか男から離れ、上体をカウンターテーブルに預けながら立ち上がろうと試みる。
「これで気を飛ばさないやつは初めてだ」と逆さまになった男が驚いている。酒場は自分たちを知らんぷりだ。ここでこの男のこの行為は常習で周りもグルであることに気がついた。
 シャルルに薬剤耐性があるわけではない。ただ小さい頃からの一人旅でいろんなものを食べてみたシャルルは、腹を下したり熱を出したりした回数も数え切れず、ちょっぴり根性が図太いだけだ。
 口の中に指を二本突っ込み自分自身に嘔吐を促す。が、その手はすかさず男に掴まれた。シャルルは小さく悪態づいてその手を振り払い、フラフラと覚束無い足取りで出口に向かう。
 今シャルルを支配するものを広義に言えば眠気であるが、飲まされたのは単純な眠剤でない。
 胸のあたりに吐き気のような不快感がある。異様に体が重く、視界が黒ずんでいく。
 男が自分を押さえつけようとしなかったのは自分が直に倒れるのを知っているからだ。現に今、余裕そうな足取りで後ろから着いてきている。
 酒場から出ると異様な冷気にぶるりと体が震えた。
 隙を見て男を始末する他ない。しかし夜と言えどこんな街中で騒ぎは起こしたくない。けれどこの根性も先が短い。
 さあどうするかと男とやり取りしているところに、タルタリヤが来たのだ。シャルルを自分の連れだといい、男を追い払うために随分熱の入った演技をしてくれた。本人に言ったらきっと顰蹙を買うので言わないが、シャルルからみたタルタリヤはそういうことには慣れてそうな印象だ。キスの一つ二つ痛くも痒くもないのだろう。その後は根性の限界が来て意識を飛ばした。
 そして、今起きたのである。

 シャルルはまず「覚えてるよ」と返事をした。
 それから、タルタリヤが昨日のことを覚えてるかと聞いてきたのは、彼と別れたあと、特に酒場での出来事だろうと思い、シャルルはその部分を彼に語った。話を聞いていたタルタリヤは始終険しい顔をしていて「君って危機感なさすぎじゃない?」とシャルルを咎めた。
「横に座られた時点で酒場を出るべきだったね」
「そうすると俺は限界かまくらキャンプをすることになるんだよ」
「いやなにそれ」
 シャルルの思考はやっと調子に乗っていた。
 タルタリヤが限界かまくらキャンプに興味を持っているようだが別におもしろいことはなにもない。かまくらを作ってそこで一晩過ごすだけだ。そういう意味合いで微妙な目付きをタルタリヤに向けると「まあそれはいいとしてさ」タルタリヤが話を戻す。
「君のそれは金品の類じゃなくて男色家に狙われてたんだと思うよ」
「……。別にそこは重要じゃなくない?」
「は?」
「モラを狙っていようが俺の体目的だろうが結局俺にとって害ってことだろ」
「……。……シャルルって性的なことに無頓着なのかそうじゃないのかわからないよね」
「は?」
「もういいよ。それより俺になんか言うことあるでしょ」
 タルタリヤは腕組みしてシャルルを見下ろしている。
「泊めてくれてありがとう」
「……まあいいよ。それで」
 なにか他の部分にも感謝が必要なようであったが、及第点はもらえたらしい。シャルルは空になったマグカップを持ったまま立ち上がる。ここはタルタリヤと、その家族の家だ。彼の家族にも世話になったと礼を言わなければならない。
「親御さんはリビングにいる?」
「ん? ああ。いるよ」
「お礼を言いに行きたい」
「……。律儀だね」
 タルタリヤは少し意外そうにシャルルを見る。「君の分の朝食も用意してたよ」とタルタリヤが何気なく言うのでシャルルは動揺した。それなら尚更礼を言わなければ。
「ちょっと確認しておきたいんだけど。シャルル。俺とした約束覚えてる?」
「? ここではおもちゃの販売員のアヤックスだろ」
 答えるとタルタリヤはふうんと鼻を鳴らした。その目はどことなく不満げというかシャルルを軽蔑しているというか。
「なに?」
「君、幼馴染みに秘密にしてることがあるよね?」
「? たとえ幼馴染み相手でも言ってないことの一つや二つあるだろ」
「人を殺したことがあること。昨晩、君から俺に教えてくれたよ」
「……」
 シャルルは黙ってタルタリヤを眺める。タルタリヤの瞳はブレていない。口からでまかせを言っているわけでも、カマをかけているわけでもなさそうだ。
「シャルル。お酒飲むのはやめた方がいいんじゃない? 君は覚えてないだろうけど」
「ちょっ」
 マグカップは咄嗟にテーブルに避難させた。
 急に距離を詰めてきたタルタリヤに肩を押され、力負けしてベッドに仰向けに倒れ込んだ。そのまま乗りあがってきたタルタリヤに片手で顔を捕まれ、その深い青に射抜かれる。腹部にあるふたつの傷痕をなぞるタルタリヤの指。触れられる部分に痛みはないけれど、怪しく肌をなぞられるとぞわりとした感覚が走りびくりと体が跳ねる。
「君は俺とたくさん隠し事をしてるよ」
「……、え?」
 思わず困惑の眼差しを向ければタルタリヤは満足そうに笑い、シャルルの上から退いた。
「ほら、俺の親にお礼を言うんだろ?」
「……、……」
 打って変わって随分と機嫌がいい。タルタリヤはさっさと部屋を出ていった。
 シャルルは体を起こして開いている扉の先を唖然と見つめる。
 君は俺とたくさん隠し事をしてるよ。とは。一体?
 正直酒を飲んだあとの記憶がないのは二度目で、そのどちらにも目覚めたらタルタリヤがいたという事実がある。それにタルタリヤは、シャルルが誰にも話したことがない人殺しの過去を言及した。しかもそれはシャルル自らタルタリヤに語ったという。全然覚えていない。他になにを彼に教えたのだろう。
 どんな雰囲気で、何をしながら、自分のどの経験を?
「……?」
 肌をなぞられた感覚がぶり返す。急にじわりと涙が浮かんできた。痛みでも悔しさでもない。これは羞恥と言うやつだ。
 顔に熱が集まるのがわかる。シャルルは視界を隠すように手のひらで顔を覆う。何も記憶にないがタルタリヤは何かを知っている。
「俺、公子となにした……?」

 ☆

 昨夜の一件はタルタリヤの母親に思いのほか心配をかけていた。またそんなことがあったんじゃ困るからと、彼女はタルタリヤにシャルルの案内をするよう提案した。
 タルタリヤと歳が近く、親元から離れて旅をするシャルルを、息子のように感じたのかもしれない。
 シャルルはそれは別にと遠慮しようとしたのだけれど母は強しというものである。「アヤックス。わかってるわね?」そうタルタリヤに圧をかける様子にシャルルは思わず口をつぐんでしまった。
 テウセルが「僕も行く!」と声を上げた。またこの流れなのかとシャルルは顔に出してしまった。そしてそれはタルタリヤの母親にバレた。
 けれどそれは咎められなかった。
 小さな子を連れると子守りになってしまって自分の観光ができないことは、彼女もよくわかっているからだ。
 テウセルは母親に「お友達の案内もお兄ちゃんにとっては大事なことなのよ」と宥められていたが、シャルルは罪悪感が凄まじい。今日はタルタリヤと遊べないとわかるとしょぼくれていた。
 タルタリヤが断ることも期待したけれど、彼はシャルルの期待に反して「ごめんねテウセル。また明日遊ぼう」とテウセルの頭を撫でていた。
 なぜなのか……。やはり母は強しなのか……。

 場所は変わってスネージナヤの街道。しんしんと雪の降るそこを、二人で歩いている。目的地はスネージナヤの中心都市。昨日は骨董品店と飲食店しか見ていないので今日は他のお店を見るつもりだ。
「……」
 白い息を浮かべながら、シャルルは少し前を歩くタルタリヤの様子を窺う。さすが故郷なだけあって歩みに迷いがないし雪道にも慣れているようだ。
 にしても、本当に良かったんだろうか。彼は家族のために休暇をとって帰省しているのに、自分の案内をするなんて。
「……」
「……シャルル? ごめん。歩くの早かった?」
 考え事をしていたら思いのほか歩調が遅くなっていたようでタルタリヤとは少し距離が開いていた。
「あ。いや……俺こそごめん。ぼーっとしてた」
「……」
 タルタリヤが道を引き返してきた。
「ん」
「? わっ」
 急に右腕を引っ張られた。危うく転ぶところだった。
 ポケットに突っ込んでいた手が外気に触れる。「なんでこんな薄手の手袋なの」と顰め面をされたがかく言うタルタリヤもいつもの手袋とほとんど変わらないだろう。
「あんまりモコモコすると動きにくいから」
「手が悴んで動かなかったら同じじゃない?」
 それはそうであるが。
「ほら。行こう」
 掴まれた手は自然と恋人繋ぎに変えられた。シャルルは唖然とその様子を見るが今度は突っ立っている暇がない。タルタリヤが進むのなら、シャルルも進まなければならない。
 やっぱ公子ってこういうの慣れてるよな。胸中で独りごちった。
「公子」
「ん?」
「半日付き合ってくれたらあとはいいよ。親御さんには、俺はスネージナヤを出発したって言えばいい」
「え? もう稲妻に帰るの?」
「いや。帰らないよ。遺跡や秘境も探してみたいし、一ヶ月はいようと思ってる」
「……」
「公子は家族のために帰ってきたんだろ? さっきちゃんと断れなくてごめん。俺に付き合わなくて大丈夫、っい゛……」
 繋いだ手を急に強く握られシャルルは小さく呻いた。
 ぎり、と手袋が擦れあって音を立てる。「ちょっ、公子、痛い」手を離そうとするが力が思いのほか強い。
「さすがに俺も怒るよ?」
「は?」
「俺は嫌々案内してるつもりはないんだけど?」
「……」
 手の力は少し緩んだけれどまだ強い。
 嫌々案内しているつもりはないにしてもこの状況はタルタリヤ本人が望んだものではないだろう。元々幼い弟妹たちとの時間を過ごしたかったのだろうし、今だって不機嫌で、当然のことだろうが、観光案内なんかより弟の相手をしているときの方がよっぽど楽しそうだ。
 ただなんとなく、この雰囲気には覚えがあった。稲妻に置いてきた幼馴染みだ。社奉行のことがあるだろうから俺一人でたたら砂に行ってくるねと軽い調子で言ったときに、幼馴染みは、今のタルタリヤみたいな顔をしていた。そしてトーマは、シャルルのある態度で納得したのだ。
「……わかった。案内、改めてよろしく」
「ん」
 やっぱり。正解の答えは"一緒に行動すること"だ。
 タルタリヤってトーマと似ているところがあるんだよなあと胸の中で思いながら、力の抜けた手を握り直す。
「まずは向こうの広場に行こうか」
「あ。待って。宿をとっていい?」
「は?」
「怒るなよ。一ヶ月も公子の家にいるわけにはいかないだろ」
「……宿って一月も泊まれる?」
「いけるとこはいけるけど……無理なら適当に別のところを探して転々と移動したらいいし」
「君、170万モラ肩代わりしたよね」
「え? うん。なるべくなら安くおさえたいな」
「俺が都合つけてあげるから先遣隊のテントに寝泊まりしたら?」
「は? 何それ怖い。新手の追い込み? モラは返したのに……」
 何が悲しくてファデュイ先遣隊のテントに転がりこまなければならないのだ。どこにも属していないシャルルはファデュイへの嫌悪などないが、急に一般人が紛れ込んできたらファデュイの方が迷惑だろう。彼らはお仕事中なのである。
 というか完全な私情を公子という立場の職権乱用でどうにかしようとしているのも恐怖ポイントである。
「そんなに世話焼かなくて大丈夫だって。俺はあんたの弟じゃないんだから……」
「は? 俺だって大事な弟だったらファデュイに預けたりしないよ」
「ええ……」
 タルタリヤから何言ってんだお前と言わんばかりの顔をされたがこれにはさすがのシャルルも困惑である。
 取り留めのない会話をし、そんなこんなで宿の確保に成功した。弟たちに買い物をしていこうかなと閃くタルタリヤに付き合いつつ、タルタリヤにスネージナヤを案内してもらい、穏やかな時間を過ごす。
 シャルルはふとジュエリーショップの前で足を止めた。ネックレス、ブレスレット、ピアス。意匠を凝らした品々が並んでいる。それらは派手過ぎず地味でもない。シャルルの好みのデザインだ。
「指輪のお返しでも買うの?」
「ん? ……いや、旅先でアクセサリーを買うのが好きなだけだよ。トーマに指輪を買うならフォンテーヌで買うかな。こうみえて俺地元大好きっ子だから」
 シャルルの横で同じように足を止めているタルタリヤはシャルルの返答に微妙な表情をした。
「やっぱそれ幼馴染みにもらったんだ」
「うん」
「しかも結婚したんだ」
「結婚はしてないよ」
「左手の薬指なのに?」
「んー……」
 まあそうだが。
「付き合うことにはなったけどどうだろうね。俺、自分自身が誰かと生きていくって将来をあまり想像できないし」
「……。ふーん。あ」
 タルタリヤが商品をひとつ手に取った。青みがかったシルバーの指輪だ。熱心な様子でそれを見ているのでシャルルは「買うのか?」と何となく声をかける。「まあね」と素っ気のない返事。
 自分用にするのか贈り物なのか根掘り葉掘り聞いてしまうのは野暮というもの。
「いいデザインだよな」
 とだけ感想を残してレジに向かうタルタリヤを見送った。
 シャルルは左耳にピアスを3つあけている。それぞれ璃月、スメール、稲妻で買ったシンプルなデザインのものだ。フォンテーヌは地元だし、モンドは幼い頃に行ったっきりなのでピアスを買っていないのだけれど、これを機に右耳もあけて、フォンテーヌ、モンド、スネージナヤと集めてもいいかもしれない。いや待て。ナタがあった。
 あんまりバチバチにあけるのもなぁと思案する。ふとトーマからもらった指輪がモンドのものであることを思い出した。
 モンドはピアスを買わなくてもいいか。
「決まった?」
 会計を終えたタルタリヤが戻ってきたようだ。
「んー、ピアスを買おうかと思ってるんだけど、そういえば俺節約しないとだったなって」
「難儀なものだね。これに懲りたら安易に他人の肩代わりなんてしないことだ」
「……、はは」
 刺々しい言葉に返す言葉はない。シャルルは力なく笑った。

 歴史ある建物を見学したり買い物したりしていたら時刻はお昼時となっていた。癖のない定番のお店だよと紹介された料理屋に入って、羊肉の串焼きとピロシキを食べている。
「君ってなんで大剣を使うの?」
「ん?」
「何かこだわりでもあるのかなと思ってね」
 もぐもぐと咀嚼しながらシャルルはタルタリヤの問いに小首を傾げた。こだわり。そう言われると少し悩むが。
 ごくんと嚥下。
「強いて言うなら鉱石が割りやすいから?」
「……」
「あとは単純にロマンだな。かっこよくない? デカイ剣。男の子の憧れだろ」
「君ってたまにすごく子供だよね」
 タルタリヤが呆れ顔をしている。が、武器を選ぶのにそんなに複雑な理由などあるものか。大体が使いやすいか見た目が好きかだろう。
「公子はオールラウンダーってやつ?」
「弓は苦手だけどね」
「え? ……はは。ふーん……」
 いつも的確に急所を狙った矢を放つくせに苦手だなんて笑わせる。シャルルは乾いた笑いを零して、遠い目をしながらピロシキの残りを食べた。
「打ち合いしたから思うんだけどさ。シャルルの場合片手剣の方がしっくりくるんじゃない?」
「んー。まあそうだけど。片手剣の方が軽くて扱いやすいし。でもロマンは捨てられないじゃん? それに扱いにくいから使いませんってのはかっこ悪いし。扱いにくいからこそ扱えるようになりたいだろ」
「……ふーん? 意外といいこと言うね」
「?」
 シャルルの返答がお気に召したようでタルタリヤは機嫌良さそうに食を進めている。
「この後はどこに行きたい?」
「ん。……いったん宿で休憩する。夜、オーロラを見たいし」
「わかった」
「今日はありがとう」
「? 気が早くない?」
「え?」
 なにやら噛み合わない雰囲気が漂ってきたところで、ふとシャルルは窓の外の様子が気になりまじまじと眺める。何やら慌てた様子で雪を踏み締め、右往左往、泣きそうな様子の子供は、昨日雪合戦を一緒にやった子だ。「どうかした?」とタルタリヤに声をかけられ「いや……」ちょっと気になることがと続けようとしたときだ。
 窓の外にいる子供と目が合った。
「? こっちを見てないかい?」
 シャルルにつられて窓の外を見ているタルタリヤも子供がこちらをみていることに気がついたようだ。シャルルが何か言う前に、その子はすごい勢いでシャルル達のいる店の方へ走り出した。からんころんと心地の良いベルの音。「お嬢ちゃん」と店員に声をかけれた子供だが、そんなことはお構いなしに、たいそう慌てた様子で一人の男の元を目指す。
「シャルルお兄さん!」
「えっ。うん、どうしたの」
 大きな声で呼ばれシャルルは困惑気味に答える。
 女の子は、雪の中を一生懸命駆け回っていたのか、鼻頭は赤くなっていて、息も上がり、涙で目が潤んでいる。
「君、スネージナヤに妹がいたわけ?」
「そういうわけじゃなくて。この子は昨日一緒に雪合戦を……」
「お願い! 助けて!」
「へっ?」
 怪訝そうなタルタリヤに説明しようとしたら少女にぎゅうと手を掴まれた。外気に触れていた手袋は随分と冷たい。
「みんなが、全然戻ってこなくて、」
「落ち着いて。ゆっくりでいいから、何があったのか教えてくれる?」
 シャルルは椅子からおりて少女の目の前に屈み、目線を合わせ、切羽詰まった様子の少女の髪に絡んだ雪を払うように頭を撫でてやる。
 ぐす、ぐすと鼻をすする少女は、店内の温かさと、シャルルの柔らかい手つきに少し落ち着きを取り戻したのか、小さく頷いた。
「みんなとね、雪山の方で遊んでたの」
「うん」
「そしたら、大きな石の扉があって」
「うん」
「わたし、シャルルお兄さんが昨日、教えてくれたことを思い出して。これがきっと、お兄さんが言ってた"秘境"なんだって。お兄さん、すごい話も聞かせてくれたけど、子供だけではいると危ないよって、教えてくれたでしょ?」
「……うん」
「でも友達のひとりが『ここはおもちゃ工場だよ!』って、聞いてくれなくて……」
 少女の思わぬ発言にシャルルは目を丸くしたし、向かい側にいるタルタリヤが明らかに動揺した気配もあった。それもそうだ。少女とシャルルのやりとりを全く無関係な第三者の立場で眺めていたら、なんだか他人事とは思えない、馴染みのある表現が出てきたのだから。
「わたし、シャルルお兄さんは嘘なんかつかないと思って、危ないよって言ったんだけど、その子も、お兄ちゃんは嘘をつかないって、みんなと、中に入って言っちゃって……。ずっと待ってたんだけど、みんな、出てこなくて」
「どれくらい待ったかわかる?」
「えっと……時計がないから……あっ! でも、歩いてきた道の靴の跡が、少し、見えなくなるくらい……!」
「公子」
「雪山の降り方を考えると10分前後とみて良さそうだ」
 タルタリヤは既に立ち上がっている。
 タルタリヤの返答を聞いてシャルルも頷いた。
「寒い中怖かっただろうに偉かったな」と少女を軽く抱擁し背中を撫でる。「うん」と短く頷いた少女はまたぐすりと鼻を鳴らした。
「大丈夫。君の友達はちゃんと助けるよ。今教えてくれたところに俺たちを案内できる?」
「! うんっ」
「あと、そのおもちゃ工場だよって言ってた友達の名前を聞いてもいいかな」
 秘境をおもちゃ工場だと言い張る子供なんてそう何人もいるわけないとはわかっているが念の為の確認である。
 少女は小さな頭をこくりと振った。
「テウセル君って言うの」
 シャルルは肩を竦め、タルタリヤは頭を抱えた。

 ☆

 雪の中で少女をこれ以上待たせるわけにはいかないので絶対に戻ってくるから家で暖かくして待つようにと指示をした。女の子は不安げにしていたが、シャルルが彼の身につけていたマフラーを外し彼女の首に巻いてやり「約束する」と頭を撫でてやると、女の子はそのマフラーを大事そうに抱きしめてわかったと頷いた。
 タルタリヤとシャルルは秘境の中を静かに進んでいた。スイッチを押すような簡単な仕掛けは既に作動していて、この場に自分達以外の存在がいることを示している。魔物の気配はない。いないのか、それとも奥の方に移動したのかまではわからないが。
「テウセル、どこなんだ……くそ。俺がちゃんとついてあげてたら……」
 らしくもなく焦燥に駆られているタルタリヤをシャルルはちらりと見た。彼は自分に助けを求めた女の子と違い幼子ではないので大丈夫だよなんて言ったってなんの気休めにもならないだろう。
「……進もう」
「ああ……」
 細い隙間を通る頼りない風音と、ふたりが歩く足音以外特に音はない。冷たい空気に頬を撫でられながら奥へと進む。
 開けた場所に出た。
 奥の方は空洞で、高所になにかの入口らしき部分がある。あそこにいくには迂回するしかないようだ。今いる場所は左右に道が別れている。どちらかが行き止まりになるのか、はたまた同時に動かす仕掛けでもあるのか。
「俺は向こうに行く」
「わかった。何かあったらここまで引き返して合流しよう」
 シャルルにそう提案してタルタリヤもシャルルとは反対にある階段を下る。
 仕掛けを操作して鉄格子を開いた。そのまま少し入り組んだ狭い道を進んでいると、人影が見えた。蹲っているそれは怯えているらしい。子供だ。タルタリヤは慌ててそちらに駆け寄る。
「大丈夫?」
「ひっ! あっ、ひ、人だっ!」
 子供は、テウセルではなかった。2人で蹲っていた子供たちはポロポロ涙を零してタルタリヤを見る。
「安心してくれ。君たちの友達に言われて助けに来たんだ」
「! 本当?」
「本当だよ。……」
 女の子から聞いた話では、秘境に入っていったのはテウセルを含め3人。タルタリヤの前に2人いるので、あとはテウセルがいない。
「もう1人男の子は……テウセルは?」
「お、お兄ちゃん、テウセルの知り合い……? テウセルは、僕たちと反対の道に行ったんだ」
「……そっか」
 反対の道というとシャルルが進んだ方だろう。
「テウセルが、きっとそれぞれの道にスイッチがあるはずだから、別れていこうって……でも、しばらく前にものすごい叫び声がして、僕たち、怖くなって……動けなくて……」
「叫び声?」
「聞いたことない、高い音だよ。それでここも、少し揺れたんだ……」
 話を聞くにこの場はあまりいい状況ではなさそうだ。「少しこの先を見てくるから、ここにいてくれるかな」タルタリヤは子供たちにそう告げ、ほんの先の穴をくぐる。
 下り道だと思っていたが、やはり下っていたらしい。ここは、先程の分かれ道のある部屋より低い位置から、あの空洞の間に繋がっている。といっても足場で繋がっている訳ではなく、タルタリヤが一歩踏み出した先は底のしれない空洞だ。
 いわゆる行き止まりである。タルタリヤは穴から乗り出していた体を引き、一旦引き返そうとして――
「テウセル!!」
 遠く離れた足場に最愛の弟の姿を見つけた。
 タルタリヤの声が届いたテウセルは不思議そうにタルタリヤの方を向き、そこにいる大好きな兄を見つけると、嬉しそうに顔をほころばせ「お兄ちゃん!!」とタルタリヤに負けないくらいの大声を出す。
「お兄ちゃん! どうしてそこにいるの?」
「……っ、テウセルを探しに来たんだ! テウセル、そこを動かないで、兄ちゃん、すぐそっちに行くから!」
 距離があるので声を張り上げて伝える。不思議そうに首を傾げたテウセルは、暗い闇を背負った入口の前に立った。
「お兄ちゃん! きっとこの先に独眼坊がいるよね?」
「テウセル、――」
 暗闇に赤い光が一筋。
 タルタリヤはさあと血の気が引いた。間に合わない。
 暗闇から現れた鋭い爪はテウセル目掛けて振り下ろされた。
「〜〜〜っ!! ああ゛ッ!!」
 地を這うような絶叫だ。鮮やかな赤が放物線を描く。
 テウセルの体は急に浮き上がり、ぐるりと一回転して宙に勢いよく放り出された。
「わあっ!?」
 少し乱暴に着地したのは氷の滑り台の上だ。急に現れたそこにほぼ投げ捨てるように放られたテウセルは、勢いのままに滑り、タルタリヤの胸へと飛び込んだ。
「お兄ちゃんっ!」
「っ」
 抱きしめた弟の背には傷一つない。
 先程までテウセルがいた場所に倒れ込み悶絶する男は、暗闇から生えだした獣の手に足を捕まれ、明かり一つない空間に引きずり込まれた。
 凄まじい金切り声が響くと、他者の侵入を拒むかのように赤黒い結界が現れる。鋭い音を立てて氷が割れ、パラパラと虚空にこぼれ落ちる。
 テウセルがいた場所には、もう、行けない。
「お兄ちゃん? わ! なに、この壁……? さっきまではなかったのに」
「……っ、テウセル、兄ちゃんとここを出よう。そしたら、友達と、家で待っててくれ」
「え? でも……」
「テウセル。お願いだ」
 切羽詰まった兄の様子にテウセルは困惑しながら頷いた。
 タルタリヤはテウセルを大事そうに抱えて走り出す。二度目の叫び声にすっかり怯えきった子供達を何とかして立たせ、秘境の入口まで戻った。
 外は、しんしんと雪が降っている。
「テウセル、みんなと一緒に家に帰るんだ。兄ちゃんは、シャルルを迎えに戻らなくちゃ」
「シャルル? お兄ちゃんと観光してたんじゃないの? あ。シャルルのこと置いて、僕のところに来たの?」
「……、友達をちゃんと家まで連れていくのは、テウセルにしかできないことだ。テウセルなら、やってくれるよね?」
「? うん! 僕、できるよ!」
「よし!」
 張り切ったテウセルをしっかり見送り、タルタリヤは秘境を振り返る。
 ここに潜むのは獣型の魔物だ。腕の大きさからかなりの巨体と思っていい。稲妻に封印されていた魔獣と似た類かもしれない。
 テウセルを庇って鋭い爪で背中を裂かれた彼は、驚きで目を丸くしているタルタリヤを見つけると、鋭い目をしてテウセルをタルタリヤに向かってぶん投げた。ぶん投げたと言っても一人の人間を遠い対岸まで飛ばすことはできない。氷で作られた道は彼の即興元素芸だ。
 ――あの力強い瞳が死ぬわけがない。
 テウセルをタルタリヤの元に投げ飛ばした直後、彼はそのまま崩れ落ちた。距離が遠く彼の正確な様子を見ることはできない。しかし、宙にある魔獣の鋭い爪からぱたぱたと短い間隔で赤い血が滴り落ちる様子が、深い傷、致命傷を物語っていた。
 ――死ぬわけが。
「まさか死ぬわけないだろ……? シャルル」
 こぼれ落ちた言葉が震えていることを指摘する人は誰もいなかった。

 ☆

 何もない天井をぼんやりと眺めているのは退屈だけれど体が言うことを聞かず、指先ですら動こうとしない。なんだか息苦しくて、深く呼吸をしようと試みる。カヒュと変な音が喉から鳴っただけで、肺が上手く膨らまなかった。
 ああ。
 こんなところで寝たら絶対凍死するとわかっているから根性で起きているけれどそろそろ眠気に負けそうだ。起き上がらなければと頭で思うばかりで体はピクリとも動かない。
 途中地面が崩れだいぶ深く落ちた。あたりは真っ暗だ。少しも光がささないと本当に何も見えないなと改めて思う。
 背中を裂かれ暗闇に引きずり込まれてからは完全に気合いだった。稲妻でみたやつよりも大きな躯体の魔獣にはだいぶ翻弄されたけれど、むこうはもう息がなく、自分は未だしぶとく呼吸をしているのだ、一応自分の勝ちである。
 初っ端から手負いになってしまったので惜しみなく邪眼も使った。使わず死ぬくらいなら使って死んだ方がマシである。と、思ったが生きている。自分の生命力の強靭さにシャルルは変な笑いをこぼした。
 そういえばオーロラをまだ見ていない。再び体を起こそうとしてみるが、かろうじて指先が震えて終わりだった。
 疲れた。
 素直な感想だ。身体中痛いのにそれをあまり感じられない。意識は朦朧としていてひたすら眠い。
 カン、と上からなにか落ちてきた。小石だろうか。この秘境もそろそろ崩れるのかなとぼんやり考えた。最期は縁もゆかりも無いスネージナヤで生き埋めになるとは思いもしなかった。まだナタにだっていってないのに。幼馴染みを置いて死にはしないと豪語したのに。旅の末に死ぬのなら本望と思っているが、これは旅の末ではない。不憫な最期だ。
 ぼうっと上を眺めていると光がチラついた。シャルルはおもむろに瞬きする。光は段々近く、ハッキリとしてくる。誰かが走る音。瓦礫の中で足場を探す光が揺れている。
「シャルル!!」
「…………」
 ナイス公子、と言ったつもりなのだけれど驚くことに一切声が出なかった。
 揺れていた光はタルタリヤが身につけたランプだったようだ。わざわざ戻ってきて、しかも崩れ落ちてできた穴を降りてまで探しに来てくれたとは感動である。
 シャルルは焦った表情をするタルタリヤを虚ろに眺め、ぱくぱくと口を動かす。声が上手く出せない。
「なに?」タルタリヤがシャルルの口元に耳を寄せる。
 はくはく。何度も失敗しているうちになんとか音が出せるようになってきた。
「……、……」
「テウ、セル、たち、は? ……」
 かすれた音を拾って読み上げたタルタリヤが思っきり顔をしかめる。
「テウセルや他の子は無事だ。……でも今は、そんなことより自分の心配をしなよ」
 心配しなくても瀕死からの生還はわりと経験があるのだ。
「……は、……」
 と、言いたかったけれどやっぱり言葉はうまく形にならなかった。
 シャルル自身余裕があるつもりだが、タルタリヤから見た彼はほぼ死にかけだ。タルタリヤは無言でシャルルを横抱きにして降りてきた瓦礫をのぼる。
「死ぬなよ」
「……」
 体が揺れると激痛が走る。なのに体は動かなければ悲鳴も出ない。余裕があるつもりだったが、全然そんなことはなかった証拠である。