シャルルは璃月にいた。理由は頼まれごとを果たすため。稲妻城を出てその辺を散歩していた時に、馴染みのある紺田村の老夫婦から「最近手紙の返事も寄越さないバカ息子が心配だから代わりに見てきてくれないか」と頼まれたという経緯だ。
老夫婦には世話になったこともあるので二つ返事で頷いた。
トーマに一言言っておこうと思ったが、彼は何やら忙しいらしく会うことが叶わなかった。しかたないのでトーマには何も言わず出発した。このときのシャルルは、老夫婦からの頼みは大して時間のかからないものだと考えていた。
ところで肋骨を折っておいて璃月に向かうなんて知ったら、トーマからは説教をくらうだけでは済まなかっただろう。出発前にトーマに会えなかったことが幸いだとはシャルル自身気づいていない。
そんなこんなで璃月である。璃月自体には来たことがあるが最近はずっと稲妻に居着いていたから景色が新鮮だ。観光したい気持ちをグッと押え老夫婦からもらったメモを見る。件の息子は璃月のとあるところで店を構えているらしい。
メモによるとこのあたりに――。
「あ」
メモの店名と建物の看板とを見比べる。ここで間違いないだろう。戸には"閉店中"と札がぶらさがっているが買い物をしに来た訳ではないので問題ない。
戸を軽く三度叩く。返事はない。
いないのだろうかと思いつつ扉を引いた。開いた。
「ん?」
「あれ?」
店内には人がいた。
身体を震わせ縮こまっている男がひとりと、もう馴染み深い明るい茶髪の男がひとり。
「公子……?」
と、呟くが早いか。蹲っていた男が弾かれたように立ち上がり、駆け出し、出入口に向かってきた。当然そこにシャルルは立っているので、突然のタックルをもろに食らう。
いつもならそんなものどうってことがないが、悲しきかな、シャルルはつい最近タルタリヤにボコられたばかりだ。
思い切り体当たりされてはまだ完治していない肋骨だって黙っていない。シャルルは胸部の激痛に小さく呻きその場にしゃがむ。
男はそんなシャルルに一瞥すらくれずに走り去っていく。と言ってもそんな俊敏な動きではなく、足をもつれされ、転ぶ様子も見られる。
「飄々としてるから折り損ねたかと思ってたけどやっぱり折れてたんだ」
頭上から何やら愉快げな声。シャルルが痛む胸を押さえながら顔を上げるとやはり愉快そうなタルタリヤがいる。
「痛そうだね?」
「骨が刺さったかも……」
「あはは、可哀想に」
全く可哀想だとは思っていないだろう。
恨めしげに睨んでくるシャルルから視線を外し、まだそう遠くない背中をタルタリヤは悠長な様子で眺め、くるりと再びシャルルに向き直った。
「ところで君はあの負債者と知り合いなのかな?」
「負債者……? っていうかなんでいるの公子……じゃなくて、ちょっと……! あんた、待てよ! ああ、もう!」
タルタリヤがのんびりと話しかけてくるがそれどころではなかった。あの男が行方不明になってしまったら、紺田村の老夫婦になんと言えばいいのか。
走る背中に向かってシャルルが手を伸ばす。
ぱきぱきと空気の凍る音。急な温度変化に人々が驚いて振り返る。「ひ」と情けない悲鳴をあげる男は足から腰まで凍りつき地面に繋がれ動くことができない。
「待てってば……。紺田のじいさんに言われてきたのに逃げられたら話ができないだろ……」
シャルルは痛みをこらえて立ち上がり、文字通り硬直している男に駆け寄って行った。
突然氷漬けになった男に驚きざわめく町民たち。
「……。君って本当に容赦ないよね」
タルタリヤから零れたのは呆れとも感心とも取れない声だった。
氷漬け騒動によりあやうくシャルルは千岩軍のお世話になるところであったが口の上手いタルタリヤがその場をいい感じに言いくるめてなんとか乗り切った。
捕まった君を指さして笑うのも楽しそうだと思ったけれど俺まで巻き込まれるのは本意じゃないからね、と言っていたので、シャルルを手助けしたのではなく自分のためだったらしいが。
ここでお互いの話をまとめる。
シャルルが稲妻から探しに来たこの男は璃月の北国銀行から金を借りていて、期日になっても返そうとしないから、ファデュイの執行官、公子ことタルタリヤが直々に債権回収しに向かった。
その現場にタイミングがいいのか悪いのか、紺田村の老夫婦から依頼を受けたシャルルが男の様子を見にやって来た。タルタリヤとシャルルはお互い顔見知りであったので、思わぬ遭遇に隙ができ、問い詰められていた男は今がチャンスとばかりに逃げ出し――。
「じいさんたちにそんなこと言えないんだけど……」
縄で縛られた男と、足を組んで机に座っているタルタリヤとを交互に見、シャルルは大きなため息をついた。
場所はまた男の店だ。シャルルに氷漬けにされて足止めされ捕まった男は、もう逃げる気力がないのか、震えて、大人しくしている。
「実家があるのならそちらから取り立てようか。璃月で重要視されるのは契約だけど……俺は貸した金を返してもらえればそれでいいよ?」
「ひいっ……」
「紺田のじいさん、お金ないと思うけど……」
「それなら死んでもらうしかないね」
「えっ。飛躍しすぎだろ」
待って待ってとシャルルは思わず間に入る。
先程から言っているがシャルルは紺田村の老夫婦に言われてこの男を探しに来たのだ。手紙の返事も来やしないと、彼らが息子の身を案じていたのに、借金を返さなかったから殺されてましたよ、なんてシャレにならない。
「いくら借りたの」
「50、……い、いや、ひゃく……」
「170万モラだよ」
「……」
他人事だが目眩がした。
店内の荒れっぷりを見るに商売も上手くいっていないのだろう。
いつだったか稲妻にたどり着いてすぐの頃、見ない魔物に傷を負わされ、紺田村の老夫婦に介抱された記憶が蘇る。「シャルル。この人たちの厚意がなければ君は死んでいたかもしれない」真面目な顔をしたトーマのことも思い出した。
――だから、恩返しを忘れないこと。
「はぁ…………。あんたさ、稲妻に戻って親孝行でもしなよ……」
「え?」
「あれ? 俺はモラを回収するまでこの男をみすみす稲妻に帰す気は一切ないんだけど?」
「俺が払うよ」
場の空気が凍った。
シャルルの氷元素のせいではない。「聞き間違いかな」と首を傾げるタルタリヤの目をシャルルは真っ直ぐに見つめた。
「俺が払う。きっちり満額。回収できればそれでいいんだろう」
「ふーん……。まあ俺はそれでもいいけど?」
「え、あ、なんで……」
「あんたに借りはないけど、あんたのじいさんたちにはお世話になったから。ただ肋のことは許してない……俺の気が変わらないうちにさっさと稲妻に帰ってじいさんの農作業でも手伝えってんだよ……」
「ひっ! はいぃっ!!」
可哀想なほど脅えた悲鳴だ。
まあある意味男にとってはとばっちりではあるが、傷を負っている体に思い切りぶつかられ、肋骨骨折がタルタリヤにバレたことを思い出したシャルルはじわじわと機嫌が悪いのだ。
「で? その金は今手持ちにあるのかな?」
「ない」
「……」
「稲妻から取ってくる」
「君も逃げる可能性を俺が考えないと思ってるのかい?」
「だから」
ずい、と突き出された拳を前に、タルタリヤは素直に己が手のひらを開いてみせる。
「持ってろ。それ。ちゃんと取りに行くから」
「……。へえ……」
タルタリヤの手のひらに乗せられたのは氷の神の目。神の目はそれを持つものにとって非常に大切なものだ。
「これってある意味プロポーズなのかな?」
「えっ?? 全然違うけど……」
単にそれを担保にしてるだけだけど……。と、シャルルは真顔だ。
「あはは。いいよ、わかった」
タルタリヤはシャルルの神の目を大事そうに握り、机の上からひょいと降り、すたすたと店の出入口まで歩いていく。
「俺は璃月の北国銀行で待ってるよ。シャルル」
扉が閉まる前に見えた彼の表情は、手合わせをしている訳でもないのに、実に愉快そうであった。
男を連れて稲妻に戻り、紺田村の老夫婦に引渡し、どうしても急いでいるからまたゆっくり話しましょうと彼らに別れを告げ、家の貯金から170万モラを包み、休みもとらず家を出る。トンボ帰りだ。
稲妻から璃月、璃月から稲妻への往復で丸一日留守にした帰りではあるのだが、休んでいる暇などない。シャルルは離島でトーマを見かけたが、トーマはなにやら忙しそうだし、シャルルも彼に声をかけている余裕はない。
「あれ……トーマさん! あれ!」
「えっ」
シャルルが船に乗り込んだ。
あ! とトーマは声を上げる。
既に船は出た。止まれ! と言っても止まれるわけがない。
ぎり、とトーマが拳を握る。帰ってきたらどうしてやろうかとハイライトの消えた目をしたことは、今この場で行方を聞かれていた当の"尋ね人"は知る由もない。
璃月に戻ってきてタルタリヤを訪ねたが、彼の部下いわく今は任務に向かってここにはいないのだという。
璃月の北国銀行で待っていると言ったくせに!
突然訪ねてきたシャルルを警戒せずにタルタリヤの行方を教えてくれたのは、事前にタルタリヤからシャルルの来訪を聞いていたかららしい。一日も待っていてくれないなんてそんな酷い話があるかと不服でもあるが、お仕事ならばしかたない。
タルタリヤからなにか預かっているか聞いたが、シャルルがきたら待っとくように伝えてくれと言われた以外に、他の言葉や物は預かっていないんだとか。シャルルの神の目はタルタリヤが持っているようだ。
一応タルタリヤだから自分の神の目を渡したのだ。部下に預けていないようで安心した。
待っている間にスられたら困るのでモラは北国銀行に渡した。老夫婦の息子の借金返済としてはこれにて終了。あとは担保の神の目を返してもらうだけである。
ところでタルタリヤがいつ戻ってくるのかは部下も知らないようだ。待っていろとのことなので待つしかないが、じっとしているのは暇である。
「応接室にお通ししておくよう、言われておりますが」
「あー。……いや、また来ます。じっとしているのは苦手なので」
そう断って北国銀行を後にした。
せっかく稲妻から璃月まできたのだ。冒険せずに何をする。
老夫婦の依頼から一睡もしていないが、この男、睡眠より冒険だ。未知の探求は睡眠よりも価値があるのだ。
そういうわけで街を出て宛もなく歩き回り、発見した秘境に足を踏み込んだ。
久々の冒険。期待と興奮。わくわくどきどき! というやつだ。
だからすっかり失念していたのだ。神の目が手元にないことを。
秘境の中を探索しているとアビスの魔物と出くわして、大剣を構えてその事実を思い出した。
アビスとは何度もやり合い始末してきたが、負傷した肉体に加え神の目がなく元素が使えない今、アビスの魔物とやり合うのは分が悪い。逃げようにもむこうには気づかれて囲まれてしまっているし、こうやって決めあぐねているうちに不利になっていく。
ち、と舌を打った。
アビスの魔術師が放った炎を避け大剣を振るもやはり素の武器ではシールドを割ることが出来ない。そうしていると次は鋭い旋風が吹き荒れ、軽く腕を切った。
「……っ」
あ。そういえばあったな。神の目がなくても元素を使えるものが。
それを思い出したシャルルには躊躇がなかった。
腰の小さなポーチに入れておいたそれを握り目を伏せる。ばちばちと体に電気が走る。
体中の血液が沸騰したみたいに熱い。傷の痛みが消えてなくなった。体が軽い。今までよりもずっと。
魔物に向かって雷撃を放つ。連鎖して感電する肉体に大剣を薙ぎ、胴を真っ二つに割る。
自分に群がる魔物を一網打尽。迸る返り血を浴びる。振り回していた大剣が弾かれた。そういえばあんな話をしたのにずっとグリップの調節をしていなかった。遠くで思う。素手で魔物の体を抉る。
もう誰もいない。
時間はどれぐらいだったのか。
「あれ。なんで君がここにいるのかな?」
ドクドクと自分の心音がうるさい。
くぐもった声の方向を向くと、5人ほどの人がいる。
シャルルは地面を蹴り上げそちらに飛びつき、彼らが武器を構える前にまず前方にいた人間を蹴り飛ばし、次を殴り飛ばし、さらに2人を同時に壁まで吹っ飛ばし。ひとりが落とした短剣を握り、一番後方にいた男に振りかぶった。
「あは、熱烈だね……! 嬉しいよ!」
振りかぶられた短剣を水元素で具現化した剣で受け止め、タルタリヤは舌なめずりをした。
部下を蹴散らした男――シャルルがなぜこんなところにいるのかはわからないが、自分が彼の神の目を持っているのにも関わらず元素を、それも雷を操っているのをみて、邪眼だなとすぐに理解した。
「完全に理性が飛んでるようだ。それが君に秘められた獣性ってやつかな?」
ふうふうと獣のように息を荒らげどうにかタルタリヤの喉を掻っ切ろうとしているさまはどこからどう見ても獣である。
「君とやり合えるのは嬉しいけど、獣になりさがった君はおもしろくないな」
もう一度剣を受け止めて、タルタリヤはがら空きの腹部を思いっきり蹴飛ばした。壁に向かって吹き飛ぶ体目掛け、追撃に槍を飛ばす。
「〜〜〜〜っ!!」
声にならない悲鳴が聞こえた気がした。
タルタリヤは今しがた吹っ飛ばした相手の方に悠長な足取りで近づく。
「はっ、は、公子、……っ、ぉぇ」
「うわ汚っ」
嘔吐したシャルルを見てタルタリヤはストレートに嫌がった。無慈悲だ。
ろくに食べていないから吐けたのは胃液と水分だけだった。
「あは、ごめん、かんぜんに意識とんでた」
「邪眼を使っただろ?」
「うん。てかそれよりこれ、めっちゃいたい、ぬいて」
シャルルは震える手で自分の腹を貫いているそれの柄に触れる。
腹のど真ん中を貫いたのはタルタリヤが水元素で具現化した槍だ。
「抜いたら君、失血死すると思うけど」
「はぁ、公子、なんだっけ。水か、はぁ、とーまは、あぁ、公子、ぬいて、ぬいた瞬間、じぶんでこおらせるから」
ここにいるはずのない幼馴染みの名前を呼んだのはそれほど意識が混濁としているからか。
「君さぁ、こんなところでなにしてんの?」
「いや、公子にあいにきたんだけど、ほら、いないから。ひまだし、秘境でも探索、しようかなって」
「……神の目がないのに?」
「あ? あぁ、そっか、公子がもってるんだ、はは。う、……いて……」
笑うと余計に傷が痛む。
「神のめ、おれの、かえして。公子」
「これは担保だよね?」
「はぁ、あんたほんと鬼畜だ、かえしたってば、ひゃくななじゅうまん」
は、は、と何度も短い息を吐き、肩で呼吸をする。目の前が暗くなってくる。血の流しすぎだ。
「はー、これって、こーしとの、手合わせでしんだことになる、のかな」
「うーん。まあそうなのかもしれない」
タルタリヤは別にシャルルを見殺しにしようと思っているわけではないが、死にそうな人間が一体どこまでしゃべり続けるのか、純粋な興味から眺めている。
「はぁ、くやしい、あんたに負けてしぬなんて……」
「そろそろ消してあげようか? それ」
「うん、あと、神のめ」
「はいはい」
死にかけているシャルルの手に彼の神の目を握らせる。タルタリヤの手元では輝きを失っていたそれは、本来の持ち主の手に戻り、綺麗な光を灯した。
「じゃあせーので消そうか。せーの」
「え。はやっ、ううっ」
ぱっと槍が霧散した。シャルルは緩慢に手を穴に近づけ、何とか凍らせ止血する。血は止まっても戻っては来ない。気が遠くなる。
タルタリヤは慌てずにただシャルルを見下ろしている。なにせファデュイの執行官だ。人の死なんかなれているだろう。
傷は塞いだ。意識を飛ばした先で運良く復帰できるのを願う。ああでも、もし死んでしまうなら、タルタリヤに聞きたいことが一つだけある。
「こーし……」
「ん? ついに俺に助けを乞う判断ができたのかな?」
全然助けてくれなかったのは助けてとすがって欲しかったからなのかとシャルルは驚いたがいまはそんなことはどうでもいい。
「おさななじみってさ、きす、する?」
目の前の深淵の青が、驚いたように見開かれた。
目を覚ますと知らない部屋だった。ぱちぱちと瞬きをし、体を起こしその鈍い痛みに顔を顰める。腹部を見ると包帯が巻いてあった。
ここはどこだろう。
ベッドから足をおろし、立ち上がろうとして、崩れ落ちた。
どんっと鈍い衝撃音。
全然足に力が入らなかった。
「い゛……、……」
「えっ……ちょっと、大丈夫?」
「……」
ベッドから少し離れたところにある椅子に腰かけているタルタリヤから素っ頓狂な声で問われた。彼はそこで書類仕事を片していて、シャルルが動き出したのも見てはいたが、まさか崩れ落ちるとは思わなかったらしい。
「公子? ここどこ……?」
「北国銀行。俺の執務室だよ」
「え。執務室ってベッドとかあるんだ……」
「とりあえず立ったらどうだい?」
「あー……」
シャルルは唸る。
足に上手く力が入らない。
「公子」
「ん?」
「立てない」
「邪眼の副作用ってやつだろうね」
タルタリヤが解説するがそういうのは求めていない。というかシャルルもそれはわかっている。
手を貸してくれと思っているのだ。シャルルは。
しかしシャルルがタルタリヤを見つめてもタルタリヤが助けに来てくれる様子はなく、優雅にお茶を飲んでいる。倒れ込んだ時は多少心配してくれたようだが、どうやら今はシャルルが弱っている様を観察するのが面白いらしい。
ううーっと一人唸りながらベッドの縁をつかみ、何とか体重を支えながら立ち上がる。そのままぼすんとベッドに沈んだ。
ふ……。あんたの助けがなくてもベッドに戻れたぞ、公子……。シャルルは胸の中で独りごつ。
「……何日寝てた?」
「今日で3日だ」
「3日!? はぁ……さすがにそんなに寝込んだのは初めてかも……」
邪眼を使ったのは初めてではない。興味本位でこれの力を使った時は、体の疲労はあったが、半日で目が覚めた。しかし今回は3日ときた。確かに元々本調子じゃなかったところにだいぶ邪眼に頼りはしたけれど……。
というか自分はこの男にまた腹を穿たれなかっただろうか。それが致命傷で、気を飛ばして――。気を飛ばしたのに安全な部屋にいて、手当をされていて、今目の前にタルタリヤがいる。
そんな彼はシャルルが3日寝込んでいたと言った。
見ていてくれたのだ。様子を、3日間。
「公子。ありがとう」
「ん?」
「ここに運んで手当してくれたんだろ?」
「なんだ。記憶はあるみたいだね」
3日間も寝てるから全部忘れてるんじゃないかと思ったんだけど、と続けるタルタリヤは、嫌味を言っているのか、本気でそう思っていたのか、シャルルには彼の本心が読めない。
「お礼は手合わせで構わないよ」
「あ。ソウデスヨネ……」
揺るぎない戦闘狂である。彼の優しさに触れた気がしたがそんなものは打ち消された。
ぐ、ぱ、と手のひらを動かし感覚を確かめる。起きた時こそ感覚が鈍かったが、手はそこそこ動かせるようになってきた。
「『幼馴染みとキスはするのか』」
「はっ? ぅ、いっつ……」
驚いて声を上げたら腹部が痛んだ。
「何驚いてるの? 君から聞いてきたんだろう?」
「……マジか」
如何せんタルタリヤに腹を貫かれてからの記憶は曖昧である。が、タルタリヤが突拍子もなく『幼馴染みとキスはするのか』なんて言い始めるわけがない。タルタリヤの言う通り、無意識のうちに自分が聞いたのだろう。
「結論から言うとしないと思うよ」
「……」
「そういうのは、一般的には恋人同士ですることだ」
やっぱりそうだよなとシャルルは頷く。
自分の感性に自信がなかった訳ではない。ただトーマがあまりにも平然としているから、もしかしたら、ミジンコくらいの可能性で、幼馴染みどうしでキスしてもその関係を『幼馴染み』と呼べるのではないかという疑念があっただけだ。
「まあしちゃダメってわけではないからキスする幼馴染みっていうのもあるんじゃないかな。で、わざわざそんなことを聞くってことはしたんだろ? 幼馴染みと」
「う……」
「君って距離感バグってるからそういうこと気にしないかと思ってたよ」
「えっ」
距離感がバクっているとは一体なんのことかとシャルルは目を丸くした。自分はトーマのように人懐こいつもりはない。
今までの話の内容で頭がパンクしそうだ。先程から、うとかえとか喃語しか発せていない事実が悔しすぎる。
シャルルがぐるぐると目を回しているとタルタリヤが大きなため息をついた。
「そんなこともわからないから君は彼と『幼馴染み』なんだろうけど」
やれやれと言わんばかりだ。
――シャルルがそれ以上を望んでくれるならオレはいつでも応えるけど。
不意にトーマの言葉を思い出した。幼馴染み以上を望むとはなんだろう。
「つ、つきあうとかよくわからないし……」
ベッドの上で体を曲げて、くしゃりと前髪を握る。
しばしの沈黙がおりた。
「じゃあ俺と付き合ってみる?」
「え。……え? 公子って俺のこと好きなの?」
「指輪を渡すくらいにはね」
指輪を渡すとは、彼が身につけていた指輪を借りたことか、それとも薬指を思い切り噛まれたことか。
シャルルが唖然としているとタルタリヤはゆっくりとシャルルの方へ近づいてきてベッドに乗り上げた。
ギ、とベッドが軋む。
「ちょっ」
ぐっと肩を押されシャルルは簡単にベッドに沈んだ。
両腕をシーツに縫い止められ、覆いかぶさってきたタルタリヤにジと見下ろされている。体はまだ本調子とは程遠いので押し倒された先で抵抗らしい抵抗がひとつもできない。
屈辱だ。
「こんな、こんなんじゃなくて、俺はあんたと、殺し合いたい」
「……あは、すっっごい熱烈なプロポーズだ……」
「えっ」
シャルルは愕然とした。この笑い声はヤバいやつだ。なにやらタルタリヤの妙なスイッチが入ってしまったらしい。
こんな一方的に組み敷かれるんじゃなくていつもの手合わせみたいに本気で殴り合いたいという意味なのだがなにがどうやって熱烈なプロポーズに変換されるのか。
ぐるぐると考えていると不意にタルタリヤの手が腹に触れた。
「……うん。入る」
「えっ??」
タルタリヤが舌なめずりしている。怖すぎる。
「は、入るって何? 俺、もうあんたに2回も腹えぐられてるんだよ。あれ結構痛いんだって。これ以上、おなか、えぐんないでよ」
「……最っ高だね。君」
「えっ?」
「君って首を絞められながらキスされるの好きそうだよね」
「? えっ? なんで? えっ。普通にそんなのやだけど」
目の前のタルタリヤが色んな意味で怖くてシャルルは少し泣きそうだ。
さわさわと腹を撫でていた手がシャルルの首を掴む。
シャルルは咄嗟に目を瞑った。
痛くなんてないのに痛いと小さく呟いてしまった。
「……試してみようか。きっと好きだよ」
★
「ほら呼吸を忘れないで。息をしないと死んじゃうよ」
首の圧迫から解放された。
「げほっ、はあっ、はーっ、はっ――」
何度も何度も胸を上下させ、口を大きく開けて酸素を吸う。思い切り吸って、思い切り吐いて、ひゅうと喉が変な音を立てた。「はい。おしまい」ぎゅうと首を絞められる。また頭に血が上る。
「ぅ、――、――」
「ヨダレこぼれてるよ。拭ってあげようか」
「――」
公子の端正な顔が近づいてきて、頬を舌で舐めてきた。馬鹿みたいに開けてる口に舌が入り込んでくる。苦しい。絡まってくる柔らかい舌に抵抗する気力がない。口の端から唾液が溢れてるのがわかるけれど、首を絞められているから飲み込むことも出来ない。苦しい。
ああ死ぬ。
「ほら」
「――っ、げほっ、げほっ、はぁ、はー」
勢いよく呼吸をしたらひゅうっとまた変な音が喉から鳴った。
きんと耳鳴りがする。手先が痺れていて、体が浮いているような感覚だ。ボロボロと涙がこぼれてくる。
「どう? 首を絞められながらキスされるの」
公子が面白いおもちゃを見つけたと言わんばかりの嬉しそうな表情をしながら問いかけてくるけれど、正直うまく頭が回らない。どう? ってなんだよ。苦しいよ。息できないんだもん。
「……ねむい、……」
「うんうん。しっかり酸欠だね」
公子は、彼の手首を掴んでいた俺の手と手を繋いだ。その代わり今度は彼の左手が俺の首を握る。
思わずぎゅと目を瞑る。炎に焼かれるのが怖い。
「俺も炎だったらよかったなぁ」
「……?」
「そしたらその痕を上書きしてやれたのに」
なんだか物騒なことを言っている。
「……火傷は痛いから、もう、いやだ」
「首を絞められるのは?」
「それもいやだ。苦しい……」
きゅ、と軽く首を絞められる。ぴくりと指先が跳ねた。
「嘘はよくないなぁ……」
「……?」
「シャルル。君さぁ、さっきから俺が首を絞めるとほんの少し口角上げてるよ」
唇を親指でなぞられる。
そんなわけがあるか。
じとと睨むと公子は俺の首から一度手を離し、じと顔を覗き込んでくる。
「シャルル」
公子の手が伸びてくる。知らないうちに嚥下した。
「……」
「期待した?」
公子は俺の首を絞めるわけではなく、頬を撫でている。ニヤニヤしてる。ムカつく。
「してない、ばかじゃないの? 調子乗んなよこう、――っ、――」
ぐっと思い切り首を絞められて声が出ない。
「絞めてほしそうに目をとろんとさせたくせに」
「――、――」
「ほらまた笑ってる。あは、可愛いね……」
口を塞がれる。また舌を絡められて唾液を混ぜられて、頭がぼんやりとしてくる。視界が霞む。
あ、死ぬ。
「――! はあっ! げほっ……ふう、はっ、はっ」
死ぬとこだった。
咳き込んで、求めていた酸素を必死で吸って、吐いて、吸って。体に力が入らない。今もう一度首を絞められたら即落ちる気がする。意識が朦朧としてる。
さっきから俺を殺しかけてる公子を見上げる。
「たのしい……?」
「……うん。すごく」
お得意の舌なめずり。最低だ。
「シャルルの命を俺が握ってるんだ。すごくゾクゾクするよ」
「あたまおかしいって……」
「けど君は怪我人だし、これ以上やったら本当に死んじゃいそうだからそろそろやめてあげようかな」
なにを今更慈悲深そうに。
できる限り睨みつける。と、口を塞がれる。熱い舌に口内を荒らされて指が震える。
首は絞められていないから息はできる。できるのに、意識が遠くなってきて、耳鳴りがする。視界がぐるりと回る。
あ。
死ぬ、……。