3日前だか4日前だかに離島の船着き場で見かけたのを最後、シャルルが帰ってくる様子はなく、一体どこに向かったのかとトーマは少し途方に暮れた。シャルルの家の中は荒れていたので計画性のある遠出ではなさそうであった。
 そんなときに紺田村の老夫婦がシャルルの家を訪ねてきた。シャルルに改めてお礼を言いに来たのだという。ちょうどシャルルの家で途方に暮れていたトーマが詳しく話を聞くと、紺田村の老夫婦からの頼みを聞いて、彼らの息子の様子を見に璃月へ向かい、その日のうちに息子を連れて帰ってきたかと思えば、なんとシャルルは老夫婦の息子の借金を肩代わりしていて、支払いのため璃月に戻ったのだという。
 一体いくら借りていたのかと思わず聞いたところ170万モラだという。トーマは軽く目眩がした。
 そんな大金なのによく稲妻に一度帰ってくることができたなと言うと、息子が言うには一度稲妻に戻る代わりにシャルルは神の目を相手に預けていたらしい、と。
 目眩どころかトーマは卒倒するところだった。
 シャルルは昔からそういうところがある。
 幼い頃モンドで冒険していたときも、今日は一旦引き返した方がいいとトーマが提案しても、いーや今行くと進んで行って獣の住処に迷ってしまって追いかけ回されたし。
 つい最近ではボートの操縦が分からないからって、海面をひたすら凍らせ海を渡って行ったし。
 つまりは後先を考えない行動が多い。それがどうにかなったのは単に運が良かったからだ。ちょっと運が悪ければ今頃死んでいたって不思議じゃない。
 神の目が手元にないまま璃月に向かい、もう5日も帰ってきていない。心配になったトーマは事情を話して2日間の休暇をもらい(事情が事情なので少し延びても構わないと言われた)、璃月行きの船に乗った。
 目的は言わずもがな、シャルルを迎えにいくためである。

 璃月の北国銀行って言ってたよな。と老夫婦に貰ったメモを確認しながら湿原地帯を歩いている、と、目の前から何かが吹っ飛んでくるのが見えた。
 それは空中で2転3転し、地面に手を付き、回り、足をつき、体勢を整える――
 パンツ一丁の男――。
「ああああっくそっ!! しつこい!!」
「シャルル!?」
「!? トーマ!?」
 驚いたように声を上げてトーマを振り向いたシャルルだったが、すぐに前を向き直し、舌打ちと一緒に腕を振る。肌を刺す冷気。水元素を纏った矢の雨は空中で固まった。
「しつこいって、言ってんだろうが!!」
 もう一度腕を大きく振ると、凍結した弓矢が飛んできた方向へ戻るように勢い良く放たれる。
「あはは! こんなので時間稼ぎか!?」
 先程シャルルが吹っ飛んできた方向からまた別の人影が迫っている。その正体はシャルルが戦闘狂と罵るタルタリヤだ。
「いい加減っ」
 ばち、と白い光が直線の軌跡を描く。
 タルタリヤに向かって飛んでいた氷塊は電気によって砕けまるで空を飛ぶ鳥を捕らえる網のように広がった。
「! おっと……」
 細かい破片といえど勢いと鋭さがある。
 タルタリヤは剣を薙いで氷片を払い、目を丸くした。
 氷を振り払った先にいるのは大剣を大きく振り上げたパンイチの男である。
「堕ちろ!」
 凄まじい衝撃音。
 トーマは急なことに呆気にとられていたが、はっとして砂埃の舞うそちらへ慌てて掛けていく。
 砂埃の晴れた先には、顔の前で大剣を受け止め凌ぐタルタリヤと、そんなタルタリヤのマウントポジションをとり、頭をかち割ってやろうとしているパンイチのシャルルがいる。
「ああ、幼馴染み君か。お迎えかな?」
 ぱき、と音を立ててタルタリヤがつけている仮面が割れた。
 砂の地面には血が滲んでいる。
 シャルルはやはりパンツ一枚、お腹に包帯、ほかは身につけておらず、もちろん裸足だ。裸足で地面を摩っているのだから、当たり前に皮膚が剥けている。
「えっ……どういう状況?」
 トーマは困惑した。怒りとか心配とかそんなものを置いてけぼりにするほど、パンツ一枚腹包帯の幼馴染みが、シュールな光景だったからだ。
「見ての通り手合わせさ」
「違う! これは殺し合いだ!」
「君がそんなにやる気だと嬉しくてたまらないよ……!」
 ぐぐ、とお互いに力を押し付け合う。絶対に殺す今ここで! と声を荒らげて叫ぶシャルルと、そんなシャルルに恍惚と顔をほころばせ笑い声をあげるタルタリヤ。
 トーマはその様子を数秒見つめ、我に返り、大きなため息をした。
「……シャルル」
 トーマの低い唸るような声。
 シャルルの殺意は霧散し、ぴた、と体が硬直した。
「服を着なさい」

 つい数時間前、タルタリヤに腹部の包帯を巻き直してもらっている時に「これそんなに痛いの?」と両親指で傷口を圧迫されたのが全ての始まり。あまりの痛みにブチ切れたシャルルが元素を最大限に放出してタルタリヤをぶっ飛ばし、北国銀行執務室の壁に空いた穴から彼を追いかけ追撃、タルタリヤが歓喜しながら応戦したことで戦闘が始まり、ここまで吹っ飛ばし吹っ飛ばされしてきたということだ。
 それ以前の借金返済の話から、神の目未携帯での秘境探索やら、シャルルがタルタリヤと戦闘して3日気を失っていた話まで聞くとトーマは頭が痛かった。
「なんでそんなに無鉄砲なのかなぁ……」
 言っても言っても直らないと深いため息をつかれる中、シャルルは両足を抱え木箱のそばで小さくなっている。
 トーマに服を着なさいと言われたものの、衝動的に壁をぶち破って外にやってきたのだから着る服がない。タルタリヤが北国銀行まで取りに向かったので、シャルルはタルタリヤに貸してもらった彼のジャケットを羽織って、小さくなっているわけだ。
 貸してもらったというか「あんたもしかしたら俺の服一生持ってこないつもりかもしれないだろ」とシャルルが人質と言わんばかりにタルタリヤから剥ぎ取ったのだが。
「シャルル」
「!」
「足見せてごらん」
 厳しい口調なのでついビクビクしてしまう。
 目の前にしゃがんだトーマに怖々と右足を差し出すと、何故か両足首を掴みあげられ、シャルルはバランスを崩し、木箱で軽く頭を打った。
「ひどいな」
「……」
 頭も痛かったんだけど……。と思うが黙っておく。
 シャルルの足の裏はすっかり擦り剥けていて、砂に汚れ血が滲んでいて痛々しい。
 はぁ。と何度目になるのかトーマは溜息をつき、からってきていたカバンから水筒とタオル、消毒液、傷薬、綿花と包帯を取り出す。
 広げられた小道具たちを前にシャルルはぱちぱちと瞬きした。
「……準備いいな」
「シャルルはオレがいないとき絶対怪我をしてるからね」
 トーマにジロリと睨まれシャルルは言葉を詰まらせた。
 さすが幼馴染みである。今までの経験から全てを見越し準備してやってきたのだ。
 まず右足から水筒の水で洗い流しタオルで拭く。それから綿花に消毒液を染み込ませ、傷口を消毒。
「ぅ〜〜……」
「染みる?」
「うん」
「……」
「っ?! いっ……たぁ〜〜!」
 頷くとグリグリとわざとらしく消毒される。容赦ない。消毒液が傷に染みて痛い。
 思わず涙目であるがトーマが怖くて文句は言えない。ひいと情けなく悲鳴をあげながらひたすら耐える。
 くるくると包帯をまかれ右足が終わる。パンイチ靴下。シュールである。
 右足が終われば今度は左足だ。
「うぅ〜………」
「……」
「いっ! いたっ……! うう……トーマぁ……」
 ひぐ。と喉が引き攣った。
 タルタリヤと殴りあっている時はアドレナリン大放出というわけでほとんど痛みを意識しないのだけれど、戦闘後に冷静になると体中が痛い。傷口の消毒となると尚更だ。
「……なに?」
「も、も少し優しくして……」
 とうとう音を上げトーマに慈悲を請う。
 左足首を掴まれバランスの悪い体勢で目に涙を浮かべながら弱々しい声を出す成人男性の情けないこと。
「……。はぁ」
「う……」
 言ってみるものだ。消毒の仕方が優しくなった。
 しゅるしゅると優しく包帯を巻かれる。手当が終わったようだ。
「……、ありがとう」
「どういたしまして。ていうかシャルル、神の目はどこにあるんだ?」
「え」
 今はタルタリヤの上着をかぶっているが、それと包帯を除くとシャルルはパンツ1枚である。その姿では神の目を携帯できるようには思えない。
「下着のゴムで挟んでるけど……」
 言われてよくよく見てみればたしかにボクサーパンツのゴムで腰との間に挟まれている。
「……はは。よく落とさなかったね……」
 呆れを通り越して笑えた。トーマは遠い目だ。
「シャルルって本当に何も考えてないよな……」
「は? ……俺だっていろいろ考えてるんだけど」
 シャルルはむっとした。
 トーマはしゃがんだまま顎に手を当て「たとえば?」と呆れの眼差しをシャルルに向ける。
 どうせ売り言葉に買い言葉だ。そしていつもシャルルの方がトーマに言い負かされる。
「幼馴染みと、キスはするのか。……、とか……」
「え」
「……」
 トーマはきょとんと目を丸くした。
 シャルルも途中ではっとしたのか、口を押え、目を泳がせている。トーマからの視線に耐えられないのか、じわじわ、耳が赤くなってきた。
「ふーん……そんなこと考えてたんだ?」
「……う、……」
「もしかしてオレのことずっと意識してた?」
「! し、して……ないっ! してない……」
 分かりやすく動揺している。
 そういえば何日か前に家に泊まった次の日もこんな感じだったなとトーマは不意に思い出した。なるほどあの日も抱きしめてほしかったわけじゃなくて『意識』していたのか。
 シャルルは鈍いし距離感がバグっているからあんなこと気にも留めていないだろうとばかり思っていたが、トーマとしてはこれは嬉しい誤算である。
「……それで?」
「、」
「『幼馴染み』とキスはするの?」
 トーマはシャルルの頬に手を伸ばす。
 バサバサ。
「持ってきたよ」
 いつの間にかシャルルが背をもたれる木箱の上にタルタリヤがしゃがんでいる。気配は一切なかった。さすがファトゥス、『公子』である。
 突然洋服を落とされたシャルルは目の前が真っ暗だ。服のせいで前が見えない。
 トーマはゆっくりとタルタリヤを見上げる。
 底の見えないタルタリヤの瞳は読めない色を灯している。
「……ちょっと向こうで話を聞いてもいいかな?」
「……ああ。もちろんだよ」
 お互い笑顔だ。シャルルには見えないが。
 酸素が薄い。
 2人の気配が遠くに行くのを感じながら、シャルルはひゅと喉を鳴らした。
 知らない間に息を止めていた。息を止めていたせいかバクバクと胸がうるさい。
 トーマの手が自分の顔に近づいてきたとき、目が回った。その優しい手が首を絞めるのを想像して体が熱くなった。
 あの瞬間、確かに自分は首を絞められるのを期待した。
 こんなのおかしい。
 じわ、と目に涙が浮かぶ。
 頭を抱える。かぶっている服を強く握りしめた。

 ☆

 稲妻まで帰ってきた。離島の船着場から稲妻城に行く道のりに紺田村はある。トーマの背中におぶられているシャルルを見かけた老夫婦は、慌てた様子で2人を呼び止めた。
 もしや借金取りから酷い目に遭わされたのかと、自分では歩かずトーマに背負われているシャルルを酷く心配していた。
 借金取りに酷い目に遭わされたというのはその通りなのだけれど老夫婦の息子の借金のせいではない。
 久々の璃月に興奮して冒険してたらドジしちゃって〜と軽い調子で笑ってみせると、初めこそ老夫婦は落ち着かない様子ではあったが、シャルルが秘境での冒険譚を話すと次第に納得してくれた。
 もちろん話は一部を伏せた。神の目未携帯で秘境に潜りましたなんて言えるわけがない。加えて危機に直面して邪眼を使い、偶然その秘境をファデュイとして調査していたタルタリヤに会ってボコボコにされましたなんて、特に邪眼の部分はトーマにだって伝えていないのだから。
 老夫婦は今回の件でお世話になったからと2人に夕飯をご馳走した。トーマは自分は何もしていないと言ったが、トーマにもいつもお世話になっているから振る舞いたいとのこと。
 老夫婦は彼らの少ない貯金から数十万を差し出してきたがシャルルは断った。息子の方はというと、シャルルに頭が上がらないのか始終ヘコヘコとしていて、どうにか月々支払うからと約束してきた。
 シャルルとしてはモラの返済は気にしていないし期待してもいない。別にいいよと素っ気なく言って、老夫婦たちに別れを告げた。
 今回はただ、トーマに倣って恩返しをしただけだ。トーマならこうするだろうと思って、行動しただけ。
 そのお手本のトーマだが、タルタリヤと別れてから口数が妙に少ない。シャルルも幼馴染みとキスはするのか発言をしてしまった分気まずいので、何を考え込んでいるんだと気楽に背中を叩くこともできずにいる。
 ちなみにおぶられているのは足の裏の擦りむけ方が酷いからだ。歩けないわけではないのだけれど、地面を踏む度に「ン゛ッ!!」と唸るシャルルをトーマは見ていられなかったらしい。
 唸るシャルルを見たタルタリヤはニヤニヤしていた。やはりやつは鬼畜である。
「トーマ」
「ん?」
「キツかったら下ろしていいよ。俺も歩けるから」
 紺田村から稲妻城にあるシャルルの家までは階段はないけれど緩やかな上り坂だ。ここまでもずっとおぶってもらっている。トーマも大人の男を一人背負って歩き続けて疲れているだろう。
 しかしトーマはシャルルを下ろそうとはせず、小さく息をついた。
「キツくないから大丈夫だよ。それに足以外にも怪我はしているだろ? 本当は肋骨が折れてるのに璃月に行ったことも怒ってるんだけど……」
「……」
「それにしても神の目を他人に預けるなんてさすがに驚いたよ」
「……トーマに習ったことだから」
「え?」
「『稲妻では人の好意を受けないと生きていけない。恩返しを大事にしなさい』」
「……」
「トーマが言ったことだから守ろうと思った」
 沈黙。
 しばらくトーマの足音だけになった。
「……一人で危ないことするなってのは守らないのに」
 不満げに言うのが照れ隠しなのだとわかった。
 それはそれ、とシャルルは笑う。
「冒険に危険は付き物だよ」
「シャルルは危なっかしくてオレは気が気じゃないよ」
「はは。でも俺は、冒険の末に死ぬなら本望だよ。それぐらい旅が好きだ」
「……。シャルルに死なれたらオレは悲しいよ」
 トーマの声は今まででいちばん弱々しかった。
 シャルルは一度キョトンとし、軽く体を起こしてトーマのつむじを眺める。
「……トーマを置いては死なないよ」

 ☆

 聞けば2日間の休暇を取ったらしく、トーマはシャルルを家に送りそのままシャルルの家にいる。シャルルとしてはトーマは自分を送ったら神里屋敷に帰ると思っていたのでわりと不意打ちである。
 そしてそんな不意打ちを食らって思い出したのだ。
 我が家に敷布団は一枚しかない。
「ほら。おいで」
「……!!」
 両手を広げニコニコと笑っているトーマを前にシャルルはワナワナと拳を震わせる。なにも、ほらおいで、じゃないが。
「あ、あのさぁトーマ」
「うん?」
 トーマがきょとんと首を傾げる。その姿は愛らしい大型犬のようだ。しかしシャルルはわかっている。トーマは、シャルルが何を思って拳を震わせているのかを理解していると。理解していて、本人の口から言わせようとしていると!
「どうしたの? こっちにおいでよ」
「……」
 トーマのこういうところはタチが悪い。
 意地が悪いくせに纏う雰囲気は柔らかく、腹が立つのにどうしても怒る気になれない。
「お、俺さ」
「うん」
「トーマのこと、その。……ほら」
「ん?」
「……っ、トーマのこと、意識してるから、その」
「……」
「前一緒寝た時も正直全く眠れなかったし、一緒寝ると、すごい緊張するから、ちょっと、そんな、当たり前のようにおいでーとかされるの、その。……えっと……こ、困る」
 自分で言っておいて何を言っているのかと顔が熱くなってきた。しどろもどろなんとか言葉を紡ぐ間トーマは黙っていたしひとまず言葉を着地させた後も黙っている。
 何か言ってくれ〜〜〜。シャルルの心情はこれに尽きる。
「……トーマ?」
「……」
「あの……」
「オレは」
 トーマの若草の双眸が寂しそうに揺れる。
「オレはシャルルと一緒に寝たいな」
 シャルルは急な胸の衝撃に心臓を押さえた。きゅんではない。ドッ、だ。重たい棍棒で心臓を直接殴られたような衝撃なのだ。そんなことされたら心臓は破裂して死んでしまうのであくまでこれは比喩である。
 そして心臓を押えるシャルルもあくまで心の中のシャルルであり、現実のシャルルはトーマをの若草色を見つめながら呆然としている。
 というかなんだこの『ドッ』という衝撃は。
「シャルルはオレと寝るのは嫌?」
「嫌とは言ってなくて……緊張して眠れないからご遠慮願いたいっていうか……」
「そっか……嫌なんだね」
「話聞いてる?」
「悲しいな……」
 トーマの頭に垂れ下がった犬の耳が見えた。幻覚である。
 昔からそうだ。昔からシャルルはトーマに弱い。
 トーマに怒られる時は肩を竦めて正座をするし、トーマに厄介事を頼み込まれた時には渋りながらも引き受けるし、多少は反発して自由にやるけれど最終的にはトーマの言いつけを守る。
「あぁ゛〜〜〜〜……」
 シャルルは地を這うような唸り声をあげて顔を覆って天を仰いだ。
「……トーマ」
「ん?」
「もっとあっちに寄って。狭いから」
 しっしっとトーマを追いやる動作をする。
 最初こそきょとんとしていたが意図を理解したのかトーマが嬉しそうに笑った。ハイハイ負けですよ俺の。俺の負けです。シャルルは心の中でやけくそである。
 照明を常夜灯に切りかえ既にトーマが横になっている布団に潜る。トーマに背中を向ける姿勢をとったらすぐにぎゅうと抱きしめられた。
「シャルルの心臓すごくバクバクしてるね」
「それわざわざ本人に言うの??」
「幼馴染みにこんなにドキドキするんだ?」
「……」
「……オレはするよ。幼馴染みに」
「え」
「でも幼馴染みじゃ触れられないから、幼馴染みをやめたいなってずっと思ってる」
「……」
 なんだか真面目な話のようだ。
 シャルルはトーマを剥がそうと思っていたが大人しく抱きつかれたまま思案する。
 幼馴染みをやめたら幼馴染みという関係はなくなってしまうのだろうか。それは嫌だ。
「俺は幼馴染みをやめたくない」
「……」
「俺の幼馴染みはトーマしかいないから。幼馴染みはやめたくない」
「……ああ、なるほど……。じゃあさ」
 シャルルの心拍を確かめていた手が一度腹をまさぐる。そこはまだ痛い。逃げるように少しだけ身を捩る。
「幼馴染み兼恋人は?」
「こっ、……!」
「付き合ってる幼馴染み、でもいいけど」
「つっ……!?」
「はは、シャルルって意外と純粋だよなぁ」
 声が裏返りかけている。相当動揺しているシャルルの様子にトーマは思わず吹き出した。
「シャルルはオレのこと好き?」
「うん」
「……即答されると結構照れるな」
「……。付き合うって言うのはさ」
「うん」
「ゆくゆくは世帯を共にするってことだよな」
「え、うん……シャルルって貞操観念が低いのか高いのかわかんないよね……」
「は?」
 シャルルは低い声を出した。「え。いまなんかめちゃくちゃバカにされた気がするんだけど」「してないよ」そんな短いやり取りが行われる。
 シャルルは考えた。トーマと家族になる未来を。
 トーマはきっと今みたいに世話をしてくれる。掃除、洗濯、料理――毎日朝が苦手な自分を起こして、それじゃあまた後でねと神里家に戻るのだ。なんていったって彼は神里家に忠誠を誓った家司。稲妻の人々に信頼され、忠義を尽くす、万能の男。シャルルはそれを遠目に見て、次の冒険の計画を立てる。稲妻を去り、新たな未知を知りに行く。
 ――ん?
「……トーマとは付き合えない」
「は? ……なんで。オレのこと好きなんだろ?」
「好きだけど……。将来的にさ? 神里の人たちとか、稲妻の人たちとか、トーマの周りにはいつも人がいて、……トーマは稲妻が似合うけど、俺は合わないっていうか……。俺は稲妻に定住する気はないし、なんならフォンテーヌの方が好きだし……トーマの隣にいる自分を想像できない」
「…………オレちょっと泣きそう」
「えっ」
 ぐすん。
 鼻をすする音が聞こえてシャルルは少し焦る。
「じゃあアイツならいいのか?」
「あいつ? あ、公子……?」
「は? すぐ名前が出てくるくらい好きなの?」
 唸るような低音である。さっきの涙声はどこにいったんだ。
「え?? いや、俺とトーマの共通認識で考えたら公子かなってだけなんだけど……」
 自分から聞いてきたくせに名前を出すと機嫌をさらに悪くするなんて身勝手なやつだ。
 ともかくシャルルは、顔を合わせるとなんのかんのと煽ってきて耐えきれずに殴りかかれば「あは!」と心底嬉しそうに剣を構える青眼の男を思い浮かべる。
 彼は故郷がスネージナヤだといった。まだ訪ねたことのない雪国。……。……?
「公子こそなくない? 『付き合ってみる?』って聞いてきたけどそもそもろくに会えやしないのに付き合うとは? ていうかあの人自身身を固めたりしなさそう。ぜんっぜん想像つかない」
 シャルルはろくに想像できなかった。ボロクソである。
「……いや『付き合ってみる?』とか聞かれたの?」
「え。うん。断ったけど……」
 断ったらなぜか熱烈なプロポーズと言われたがシャルルは都合のいい記憶喪失となった。
「ていうかさ。トーマ」
「なに」
「俺、誰かと生きていくって想像できないかも」
 シャルルは冒険が好きだ。旅が好きなのだ。
 今はトーマを探してやってきた稲妻で、いろんな島を探索しているけれど、それも満足すればまた別の国に行きたいと思っている。未知を既知にしたい。新しいものと出会いたい。
 それにシャルルは歳が一桁の頃から旅をしている。それこそ旅に出る前は家族団欒があったし、両親から愛を注がれ両親を敬愛している。けれど誰かと過ごす夜が想像できない。
 数年その国に身を置くことはあっても永住するとは思えないのだ。
「シャルル」
 大きな溜め息と一緒に名前を呼ばれた。
「ん?」
「オレと付き合おう」
「え? あれ? 俺の話聞いてた?」
「聞いてたよ。オレのこと意識してるし好きなんだろ? じゃあオレが、稲妻でオレと暮らすシャルルを想像できるぐらいそばに居てあげるから、とりあえず付き合ってみよう」
「ん……? うん……?」
「よし。言質」
「えっ。そういう"うん"じゃないんだけど」
 ひたすら困惑していると後ろのトーマが急に起き上がり、強い力でシャルルの肩を掴んだ。
 ぐるりとシャルルの視界が回る。わ。と声が上がるが早いか、シャルルは仰向けで、トーマに覆いかぶさられていて、両腕を布団に縫い付けられている。
「シャルル」
 真剣な声だ。
「好きだよシャルル。キスしていい?」
「え? え、と……」
 端正な顔が近寄ってくる。シャルルは咄嗟にきゅっと口を真一文字に引いて、目を瞑った。
「……」
「……?」
「……、はぁ〜〜〜〜……」
 ぎゅうと抱きしめられる。柔らかいトーマの髪がシャルルの頬をくすぐる。
「なんでそんな顔するくせにオレと付き合わないとか言うのかな……」
「え? どんな顔……?」
「オレのこと好きで好きで仕方ないって顔」
「エ゛?」
 声が裏返った。
 一体どんな顔だと思案するが鏡がないのでシャルルには一生わからなかった。