フォンテーヌのとある酒場。オープンテラスもある洒落たそこの前を、タルタリヤはつまらなそうな顔で通り過ぎる。「見た目のわりに強かった!」「騙された! あんなに強いなら挑まなかった!」ふと聞こえた言葉に足を止めた。
タルタリヤの視線の先にあるのは暗闇の中煌々と光を焚いている酒場である。テラス席には、なんだか人だかりができていて、「いいぞいけるぞ!」「ああ!!」「畜生!」そんな騒ぎ声が聞こえる。
「ちょっと失礼」
タルタリヤは人集りを掻き分けてその中心を目指した。
そのテーブルでは男が二人、向かい合っていて、肘をテーブルにつき、お互いの手のひらを握り、力比べをしていた。
「よしっよしっ!! いけるぞっ!!」
「そのまま倒せっ!!」
「! ア゛!?」
ドン、と木製の机に手の甲がぶつかる。
「あはあ! どう!? ギリギリの戦いを演出してみたんだけど!」
「ガァ〜〜〜ッ! あとちょっとだったのに!」
「あははっ! 全然、全然あとちょっとじゃないよ! わざと押されてみたんだ! ふふ、はいじゃあ1000モラ!」
「畜生!」
男は1000モラを机に叩きつけた。
タルタリヤは目を疑っていた。何が楽しいのか一人で「ふふ」とか「あはは」とか笑っている男。いつものむっつりとした愛嬌のない態度からは全く想像がつかない。
「店主! 炎水もう一杯!!」
「……あの人、何してるんだい?」
大きな声で酒を頼むシャルルから視線を逸らし、タルタリヤは野次馬の一人に声をかける。いつからそこで腕を組んでシャルルの様子を見ていたのかは知らないが「力比べをしてるんだよ」とその男は言う。
「久々に小僧を見かけて声をかけたら、あの小僧が成人してるっていいやがるから酒に誘ったんだがな」
「おっと……」
尋ねた男とは別の男が話に入ってきた。タルタリヤはさすがに動揺したが、ここは酒の席。みんな気分が浮ついているのだ。
「最初はよォ、俺に腕相撲で勝てたら今日の分の酒は奢ってやるって、俺が言ったんだ。そしたら何を思ったかシャルルは『ちょっと待って今からめっちゃ飲むから』って言い出してな……」
聞けば幼き日のシャルルを知っているのだというこの男は、成人したシャルルを見かけ酒場に誘い、最初はシャルドンをちびちび飲みながら昔話や彼の冒険譚を聞いていたのだという。
2杯目はフォンテーヌの酒ではなくスネージナヤの酒。珍しいのが入ってきてるんだぞと男が勧め、興味本位でシャルルはそれを頼んだ。
度数の強いそれを聞いた風習に倣って一気飲みしたシャルルはすぐにぼーっとし始めた。「これうまい……」と呟き、もう一杯店主に頼む。味が気に入ったのだろう。
それを見た男が何となく言ったのだ。俺に腕相撲で勝てたら奢ってやると。
そしたらシャルルは急に炎水を3杯も4杯も追加で頼み、酔いが回っていると言えどさすがに泥酔ではない男が驚いていると、その追加をやはり風習に倣って一気飲みし。「やろうか!」と。
食い意地ならぬ飲み意地である。最近170万モラを肩代わりしたシャルルは奢りという言葉に目が眩んだのであろう。
頬を紅潮させ瞳孔を揺らすシャルルはどこからどう見ても酔っぱらいで、しかもガタイのいい男と違って線が細い。腕相撲の結果は目に見えているが、幼い頃のシャルルを知っている男にとって目の前の青年はなんだかんだ幼い姿のままで、呆れた顔で腕相撲に応えた。
そして、負けたのだ。
男は何が起こったかわからなかった。腕を組んで、店主に合図を出してもらったあとは一瞬だった。この線の細い酔っぱらいの青年に、抗う隙もなく、筋力には自信のある腕を倒されたのだ。
「俺の勝ち! オジサン、ごち!」
ニコニコと笑うシャルルを見て男が呆気にとられていると、様子を見ていた他の客たちが騒ぎ出す。「俺ともやろう! お前が勝ったら炎水を奢ってやる! でも負けたら俺らの酒代を払え!」「よっしゃ俺に炎水を奢れ!」酔っぱらいの絡み合いである。
そうこうしているうちに騒ぎは大きくなり、シャルルの連戦記録と炎水のオカワリ回数がどんどん更新されているとのことだ。
タルタリヤはなんとも言えない気持ちになった。多分これは呆れである。
「くそー! 誰かこの生意気なガキを負かしてくれー!」
「あは!」
ご機嫌な笑い声である。
「……」
「お」
タルタリヤは真っ直ぐに進み、そろそろ一気飲みする威勢はなくなっているのか、ゆっくりと炎水を飲んでいるシャルルの対面の椅子を引いた。
「俺ともやろうか」
「ん? ……あ! こーし!」
口付けていたグラスを下ろし、シャルルはぱあと目を輝かせて笑う。素面の時からは一切考えられない反応である。
「なんでここにいるの? もしかしてまた俺のこと追いかけてきた?」
「自意識過剰だねぇ……」
「えっ。ちがった!?」
わーん! 違ったんだ! と急に喚き出すシャルルはやはり酔っぱらいなのである。呂律の回っていないのがさらに鬱陶しい。興味本位で絡んでしまったのは間違いだった。少し後悔する。
しかしこのべろべろの酔っぱらいを負かして恥をかかせてやりたいという加虐心は止まらない。
「シャルル」
「!」
タルタリヤはテーブルに肘を着く。それを見たシャルルは、手元のグラスを完全に机に置き、
すっと空気が冷えた。
「!」
「うわあ! 何やってんだお前ら!!」
キン、と鋭い金属の音。
ざわめく群集。
水の剣と氷の剣が鎬を削る。今回はタルタリヤからではない。シャルルが、瞬きする間もなく氷元素の短剣を作り、タルタリヤに斬りかかってきたのだ。
タルタリヤは腕相撲をする気だったのだからさすがに驚いている。「ちょっとシャルル」珍しく咎めるタルタリヤを見て、シャルルは赤い舌をちろりと見せる。
「公子とは腕相撲なんかじゃおもしろくないだろ? 公子とするのがすきなんだ、俺!」
「、」
「ほら、公子! やろう!」
そんな物騒なものを出すなと店を追い出された。街中でもやるなよと釘を刺されたのはちゃんと理解し、守っているようだ。酒場で凶器を出すなんて危うく審判ものだったが今回ばかりは謝り倒すシャルルの連れの男に免じて目を瞑ってもらえた。
そして今、タルタリヤはなぜかシャルルを連れて歩いている。タルタリヤの横のシャルルは、相変わらず頬を紅潮させ熱に浮いた目をし歩幅も定まらないが、少しは高揚が落ち着いたのか少なくとも大声をあげる様子はない。
酔ったシャルルを家まで送ってほしいと件の男に頼まれたのだ。ここはフォンテーヌ。シャルルはまた実家に帰ってきていたようだ。
なんで俺がと思ったが、手合わせを止められたあとも公子公子と付き纏われてはそうなってしまうのも仕方なかった。
「君の家はどっちかな」
「んー? こっちだよ」
どことなく機嫌良さそうにシャルルが進む。ふらふら。千鳥足までいかなくとも安定しない足取りである。
「公子は、なんでフォンテーヌに?」
「仕事」
「ふーん、やっぱり大変だね」
シャルルはくるりとタルタリヤを向いて、その青を覗き込んだ。ハイライトのないその瞳は底のない海を思わせる。
「なに?」
「んー……。公子の目ってきれいだなって」
「……」
「この目が光を失う瞬間はもっときれいなのかな。……あ、もうハイライトないか!」
「はぁ。今日の君は鬱陶しいだけでなくとても物騒だね」
「ふふ、俺、公子と殺し合うの、冒険と同じぐらい好きなんだ。いつか死ぬまでやり合いたいね、公子」
どうせ酔っぱらいの戯言だ。いつもタルタリヤを見るだけで嫌がるくせに。
「死ぬまでか。どうやら俺に勝つ自信があるようだね」
「ん? んー……。いや、俺は負けるかなぁ」
「は?」
「だって俺、公子に死んでほしくないもん。公子のこと殺せないよ」
「……。君って俺のことそんなに好きだっけ?」
「? できれば一思いに殺してほしいな。痛いのは好きじゃないから」
噛み合っているようで噛み合っていない会話である。
「こんな酔っぱらいが帰ってくるなんて親もたまったものじゃないね」
「ふたりでモンドに行ってるからいないよ。手紙もきてたし」
「は? え、じゃあ君何しにフォンテーヌに帰ってきたんだ?」
「稲妻からフォンテーヌまでの護衛依頼だよ。だから明日には帰るんだ。あ、ついた」
とある一軒家の前でシャルルの歩みは止まった。つられてタルタリヤも足を止める。
「送ってくれてありがとう公子。お礼は手合わせで返すね」
「……、ちゃんと鍵をかけなよ」
「はは、そんなに子供じゃないってば」
ひらりと手を振り、シャルルは扉の鍵を開け、家の中へと消えた。
しんとした静寂。
鍵がかかる音は一向に聞こえてこない。タルタリヤはしばらく悩んで、悩んだ末に戸を引いた。
「…………はぁ」
玄関を開けた先で力尽きたのだろう。シャルルは靴を脱ぐ途中のまま座り込み眠っている。タルタリヤにシャルルの世話をしてやる義理はないのだが、このまま放っておくのがなんでか憚られ、気づいたらシャルルの体を揺すっていた。
「こんなところで寝るもんじゃないよ」
「うん……、とーま?」
「……」
ふわりと浮いた新橋色は、自分を見下ろす濃紺をみて「公子か」と呟く。どことなく落胆の色を見せた声音は、次は隠すことなく「トーマはどこ?」と不満げに言葉を紡ぐ。
「いないよ」
「なんで? 俺のそばにいるって言ったのに」
「ここはフォンテーヌだ」
「……。ふん……」
シャルルの瞳はうつらうつらと揺れる。
それを見ると、素直に対応してやった自分がなんとなく馬鹿らしく思えた。
「トーマは結局俺なんかより神里の若様とお嬢様が好きなんだよ」
「なに急に。俺に言わないでくれる? ほらベッドに行きなよ」
「タルタリヤは?」
いつも公子と呼ぶシャルルが珍しくそちらを選んだ。公子、公子と呼ぶからその名は覚えていないと思っていたのだけれど意外にもシャルルは覚えていたらしい。
「俺が何? ところで君の部屋はどこかな」
「そこ」
タルタリヤはシャルルを半ば引ずるように背負って歩き出す。両手が使えないので足で扉を押した。
部屋の中は整然としていてあまり生活感がない。シャルルはこの部屋で過ごすことはほぼないのだ。
「公子はさ、家族にはすごく優しそうだ」
「俺は君に俺の身の上の話をしたことはないと思うけど?」
「なんとなく見えない? 人が大事にしているものって」
「はぁ?」
「トーマの傍には神里がある。タルタリヤの傍にあるのは、スネージナヤの家族と、氷の女皇様かなぁ」
どさ、とシャルルをベッドの上に落とした。
ファデュイという組織に属していることを知られているので女皇はともかく。
「君さぁ、俺のこと嗅ぎ回りでもしたの?」
ベッドに乗り上げてシャルルに覆い被さる。場合によっては今ここで彼を殺そうと思った。
「ふふ。はは、なにそれ。俺って犬?」
「真面目に聞いてるんだよ」
「ふ、くく。……はぁ。あんた、故郷の名前を呟いたときすごく優しい目をしてたよ」
酒の回ったシャルルは始終楽しそうだ。
――スネージナヤか。
――俺の故郷だ。
シャルルがナタやスネージナヤに行ってみたいと言ったとき、たったそれだけ返事をした覚えはある。
タルタリヤは肩の力を抜いた。
「……。意外な特技ってやつかな、シャルル、君って案外諜報とか向いてるんじゃない?」
「え? ありがとう」
シャルルは褒められて嬉しそうに笑った。タルタリヤとしては純粋に褒めたつもりではないのでその反応は複雑だ。
「お酒って初めて飲んだんだけどなんだかおもしろいよね」
「それを酔っぱらいっていうんだよ」
「炎水ってスネージナヤの酒なんでしょ? やっぱり次はスネージナヤに行こうかな」
「君、ドラゴンスパインで遭難したんだろ? スネージナヤにきたら本当に死ぬんじゃない?」
「ん? そうそう! 吹雪がすごくて何も見えやしなくてさ。歩いても歩いてもキャンプ地に辿り着けないんだ。まるで同じところをぐるぐる回ってるみたいだった。俺は氷元素を扱うけど、あれは寒すぎて死ぬかと思ったね」
「バカじゃないの? 普通は吹雪が収まるまで下手に動かない」
「大雨の日や台風のときワクワクしたことってない?」
「ただの子供じゃないか……」
呆れた。タルタリヤは一言呟いて体を起こす。
シャルルから離れようとしたタルタリヤの動作止めたのはシャルルだった。タルタリヤは胸元のベルトをシャルルに引っ張られ、バランスを崩しシャルルの上に倒れる。
「ふっ。あはは」
吐く息が酒臭くて最低である。胸を上下させ上機嫌に笑う様子はまるでイタズラが成功した子供だ。「びっくりした?」と目を細める様子が腹立たしくタルタリヤも黙ってはいない。
「君さぁ」
わざと低い声を出してタートルネックで隠れたシャルルの首を掴む。軽く手に力を入れて緩く気道を絞める。タルタリヤの手の中で揺れる脈は、今彼がシャルルの命を文字通り手に握っていることを明確に示す。
笑い声は早々に止んでいた。
首を強く絞められることへの恐怖か、シャルルの口角は歪み、少しだけ潤んだ瞳の中で、瞳孔が小さく揺れている。物欲しそうな顔。は。と漏らした吐息はどちらのものだったのかわからない。
急になんて顔をする。さっきまで無邪気な子供だったじゃあないか。
「……俺、もしかしなくても君の性癖歪めちゃったかな」
「……、……」
「シャルル、俺に首絞めてほしい?」
「……うん」
唾液を通らせた喉仏が上下する。期待だ。
素直な返事にタルタリヤは少し目眩がした。
元々嫌がらせ半分興味半分で彼の首を絞めながら口付けをし遊んだのは自分だ。
それはシャルル、パンイチ騒動のとき。以前璃月までシャルルに迎えに来た幼なじみが彼の頬に触れようとして、その時のシャルルの瞳が最近見たものであることに気づいて、邪魔をした。トーマにはシャルルに余計なことをしただろうと言われたしまあちょっと遊んだねと笑い返した。あの時のシャルルは自分に首を絞められた光景が過ぎって動揺したんだろうと思っていたが。
軽く見ていた。これは完全に癖になっている。
「やっぱり好きなんだ。首絞められるの」
「……」
ぼんやりとする瞳はなかなか訪れない息苦しさに焦れたのか。
シャルルは徐に自分の首を掴むタルタリヤの腕を手のひらで辿り、たどり着いたタルタリヤの頬を撫で、指先でタルタリヤの唇に触れる。乾燥してすこしかさついている。
「……公子って案外リップクリームとか塗らないんだね」
「どういう意味かなそれは」
「んー……」
ぱたりとシーツに落ちるシャルルの腕。すうと寝息。タルタリヤは目を見開いて驚いた。
「え? この状況で寝る……?」
☆
朝起きると隣に公子がいた。その事実に多少は驚いたが、そもそもシャルルは朝に弱いので、シャルルの頭は考えることを放棄した。朝といってももう11時だ。シャルルは軽く頭をかいてベッドから降りた。
タルタリヤはまだ寝息を立てている。本当、なんでこの人ここにいるんだ。怪しげにその姿を観察するシャルルは昨日のことをほとんど覚えていない。
炎水がおいしかったことと、近所のおじさんと腕相撲をして勝ったことは覚えている。その後のことはさっぱりだ。とりあえずシャワーを浴びよう。
シャワーを浴びたあとはパンケーキを焼いた。こんがりきつね色をした表面と、しっかりとした厚み。中はふんわり表面はかりかりである。この焼き方は熱いうちがおいしいのだ。
「公子ー」
シャルルは皿をテーブルに置いたあと、タルタリヤを呼びながら自室に戻る。
初めてフォンテーヌでタルタリヤをみたときは絶対に実家を知られたくなかったけれど、知らない間に家にいたタルタリヤには特に抵抗はなかった。
これがトーマに、距離感がバグってるやら、シャルルは貞操観念が低いのか高いのかわからないやらディスられる所以の一つであるが本人は知る由もない。
「公子」
いつまで寝てるつもりなのかとタルタリヤの体を揺する。そうするとタルタリヤは寝心地悪そうに眉間に皺を寄せ、寝返りをうった。
いつも自分を起こしに来るトーマはもしかしてこんな感じなのだろうか。そして目の前の寝穢いタルタリヤは普段のシャルル。そんな想像をしてなんだか微妙な気持ちになった。
「公子。パンケーキ食べよう」
「……、う……」
強めに肩を揺すると小さく呻いてタルタリヤが目を開けた。寝ぼけ眼は徐々に覚醒し、じいと自分を見つめるターコイズブルーを認め、「はっ?」と変な声を出す。
「おはよ。公子」
「えっ、うわっ」
タルタリヤは勢いよく起き上がった。「ありえない。俺、寝てた!?」寝起きだと言うのによくもまあそんなにでかい声がでるものである。
「寝てたよ」
「っていうか、君、なんでそんな平然としてんの?」
「? や、なんで公子がいるのかよくわかんないけどお腹すいたし考えるのもめんどくさくて……」
「……昨日のことどこまで覚えてる?」
「昨日? オジサンに腕相撲で勝ったことまでかな」
「……」
「ん? もしかして俺、公子となんかやった……?」
「君さ、外でお酒飲まない方がいいよ」
「エッ」
最初の慌てぶりはどこにいったのかシャルルの前にいるタルタリヤは冷静で心底蔑むような表情をしている。
シャルルは覚えてない記憶をどうにか探る。
思い出せないので想像だが、酒を飲んだ帰りに偶然タルタリヤと出会って、連れ込む理由が一切思い浮かばないのはさておき彼を両親不在の実家に連れ込んだとして。
「やでも公子も俺も男だし……。あ」
間違いは起こりようがないだろうと言いかけて、ここに来た本来の目的を思い出した。
「公子、朝ごはんできたよ。一緒に食べよう」
「は? なんで俺の分も作ってるの? 君って馬鹿じゃない?」
「はぁ? 別に食べなくてもいいけど……。俺朝ごはん食べたら稲妻に帰るから公子もさっさと帰れよ」
タルタリヤがどこに帰るかは知らないが。
朝から喧嘩腰で来られると面倒。シャルルはまだ本調子ではないのだ。
早々に会話を切り上げて起こしたタルタリヤを放置しリビングに戻った。
椅子に腰かける。まだ温かいパンケーキにフォークを差し込み、1口サイズに切る。ぱくりと一口。うん。おいしい。
二口食べたあたりで、どことなく気まずそうなタルタリヤが姿を見せる。いくら戦士でも空腹には耐えられなかったか。
「俺ももらっていいかな……」
「ん」
どうぞ。と顎で隣の席をさした。あいにく今は咀嚼中なので喋れない。
今回は稲妻のフォンテーヌ人に頼まれて彼女らをフォンテーヌまで護衛した。それが終わったら戻るとトーマに言っているからあまり寄り道してはいられない。でも、護衛途中に秘境を見つけ地図に書き留めておいたのがどうも気になる。そこに寄って行くくらいの道草なら許されるだろうか。
けれど秘境があんまりにも深かったりいつかのように厄介な魔物がいたりすれば帰宅が遅れるばかりだろう。道草にしては長すぎる。しかしせっかく稲妻から出たのにどこにもいかないのも……。
「フォンテーヌから璃月に寄って……璃月でもお土産を買ってから稲妻に帰るか」
お土産があればトーマも許してくれるだろう。なんだかんだで彼にも現金なところがある。
「……あのさ」
「ん?」
そういえばタルタリヤがいた。シャルルはすっかり忘れていた。横から話しかけられてハッと現実に戻る。
何やら物言いたげな表情をしているタルタリヤを向いて、その手元にカップがないことに気がついた。
「あ。ごめん、公子のお茶出してなかった」
「シャルル」
席を立った瞬間にタルタリヤに腕を捕まれた。
「君さ、もうちょっと焦ったり気にしたりしないの?」
「え。何を?」
「酒を飲んだあとの記憶がなくて、知らない間に俺を家にあげてて、しかも一緒に寝てたんだよ?」
「うん」
「いや、『うん』じゃなくて」
「逆に聞きたいんだけどそれの何を気にしたらいいの? 俺、公子となんかした? 俺は覚えてないけど公子は何をしたか聞いてほしいわけ?」
「……」
タルタリヤは絶句した。絶句した先で湧いてきたこの感情はきっと怒りである。
「君って最ッ低だね……」
「は? え。もしかしてセックスでもした?」
「…………してない」
「なんだ。びっくりしたじゃん」
食べ終わった自分の分の皿をさげる。そのついでに自分の体をあちこち見てみるけれど、特に手合わせしたような傷もない。
何が最低なんだ……。
「酔っ払って人のこと家に連れ込んでおいてその態度ってどうなの?」
「急にめんどくさい女ムーブじゃん」
「は??」
「公子。そろそろ食べて。俺もう行かなきゃ」
皿を洗うのはタルタリヤがパンケーキを食べ終わってくれないとできないし、家の戸締りはタルタリヤがいなくならないとできない。
「……今度絶対泣かす」
「?」
☆
いつからそこに待機していたのか知らないが家の前で待機していたファデュイの部下に声をかけられ、タルタリヤはわかったと頷き踵を返して去っていった。
去り際に「お前絶対泣かすから」と宣言されたのだが一体なんの恨みをかったと言うのだろう。
"君"ではなく"お前"なあたり相当キレてそうだ。この世で1番トーマの怒りが怖いシャルルとしては大して気にはしていないが。
そんなこんなで家を戸締りしてフォンテーヌを後にした。
船に揺られひとまず遺瓏埠にたどり着いた。ここから璃月港まではまだまだかかる。一旦ぐっと伸びをして歩き出す。できるだけ最短ルートで璃月港まで向かうつもりだ。
ふと、あまり見なれない厚着をした子供が目についた。キョロキョロと辺りを見渡し、困ったように眉を下げている。
迷子か? 様子を観察しているとシャルルと同じように思ったのであろう大人がその子供に声をかけ、その子供は驚いたのか、走り出す。
子供は遺瓏埠を駆け出していってしまった。シャルルはやや迷ってその背中を追いかける。
遺瓏埠の外から集落まで行く間には魔物もいる。あの子がどこに行くつもりか知らないが、子供一人が歩き回るには些か危ない。
少し走った先で先程の子供を見つけた。シャルルの嫌な予感はあたり、その子供は短い足を必死に動かし、アビスの魔術師から、一生懸命に逃げていた。
シャルルは小さく舌を打ってそちらへ駆け出す。
子供が転んだ。
アビスの魔術師は陽気な声を上げて杖を振る。野原を焼きながら子供目掛けて炎が走る。
「助けてお兄ちゃん!!」
とっさのシールドはすぐに溶けた。炎はシャルルと相性が悪い。ぎゅっと目を瞑って縮こまっている子供を抱え、シャルルは地面を蹴って走り出す。
アビスの魔術師は転移が厄介だ。へたに子供を手放してそちらに行かれても困るし、かといって子供を抱えていたら元素をバカバカ打ちづらい。ここは敵の増援が来る前に逃げるに限る。
「……?」
心地の良い風に子供は恐る恐る目を開けた。
なんと自分は空を飛んでいる。
「わあっ! すごい!」
「うわっ。急に暴れるな!」
「すごいや、僕! 空を飛んでいるよ!」
風の翼の扱いには慣れているが抱えた子供にはしゃがれると方向が狂う。先程までの恐怖を忘れたかのように興奮する子供を落とさないように抱きしめ、シャルルは一旦安全な場所へ着地した。
シャルルが助けた少年はスネージナヤから璃月の兄に会いに来たのだという。その手段は密航。前科あり。以前も同じように船に乗ってお兄ちゃんのところに来たんだと語る様子に、シャルルは少しだけ目眩がした。
「前はもっと大きい港についたんだけど、どうしてか今回は違ったんだ」
そう言って眉を下げる子供にどこに行く予定だったのか聞くと「璃月港だよ!」と少年は言う。
「そうだ、強いお兄さん! 僕を璃月港まで連れて行ってよ」
「ええ……」
置いていくつもりはないが厚かましいなとも思う。「知らない大人が怖くないのか?」「お兄さんは僕を助けてくれたからいい人だよ!」そんなものだろうか。
まあ璃月港なら自分も今向かっているところだし、少年をついでに連れていくぐらい問題はない。「いいよ」と返事をして、シャルルは少年の手を握った。
少年は名をテウセルというらしい。家は大家族で、兄弟は彼を入れて6人。テウセルは末っ子なのだとか。
「強いお兄さんは、兄弟はいるの?」
「俺は一人っ子だよ」
テウセルはふうんと頷いた。シャルルにも兄弟がいれば兄弟トークで場は盛り上がったかもしれない。
「璃月港のどこに行きたいんだっけ」
「北国銀行!」
「へえ……。あ、きみのお兄さんの名前ってなんだっけ」
「アヤックスお兄ちゃんだよ! おもちゃ屋さんの販売員をしてるんだ!」
「ふーん……」
北国銀行と聞いて驚いたが、続きを聞いて彼のお兄さんは北国銀行から借り入れのある玩具屋さんだとわかり、安堵する。
スネージナヤから兄に会いに璃月の北国銀行へ。
ここまで聞いて今朝別れたばかりの不貞腐れた男を思い描いていたのだけれど、その線が消えて安心である。
「強いお兄さん、まだ歩くの?」
「……おいで」
くたびれたと言わんばかりの表情を向けられたシャルルは、テウセルをおんぶした。この子の足ではいつまで経っても璃月港につかないし、シャルルとしてもこの方が楽である。
「わあ! 強いお兄さんは背が高いね。お兄ちゃんよりは小さいけど」
「……」
彼のお兄ちゃんは長身らしい。
シャルルは小さくため息をついた。
背負ったテウセルからは、遺跡守衛を見て「独眼坊だ! 近寄ってよ!」と髪を引っ張られたり、珍しい建物を見て「あれは何? 見に行きたい!」と耳を引っ張られたり、正直散々なものであった。しかしシャルルは怒らなかった。「痛いよ」ぐらいは言ったけれど子供にマジになるほど大人気なくはない。
そんな彼をお腹に抱え直してところどころ風の翼で飛んでショートカットしてきたが、遺瓏埠から璃月港まではそれなりに距離がある。
璃月港についたころにはテウセルはシャルルの背中で眠りこけていた。
璃月港の眩い光に目を細めながらこの子供をどうしようかと悩む。
とりあえず北国銀行に行って、おもちゃ屋のアヤックスに連絡を取りたいと言えば、取り次いでもらえるだろうか。
璃月の北国銀行と言えばタルタリヤがいるイメージだけれど、彼とは今朝フォンテーヌで別れたし、フォンテーヌで仕事中であったようなので、会うことはないだろう。
こういうことはさっさと行動するに限る。シャルルは北国銀行に足を運んだ。
「すみません。ちょっと取り次いでほしいんですけど」
北国銀行の職員に声をかけると、彼女は仮面の下で怪訝そうにする。
「なんの御用でしょうか」
「えっと……ここで金を借りているおもちゃ屋の――」
「テウセル様!?」
急に後ろから大きな声がした。
シャルルは反射的に振り返る。ロングコートの眼鏡をかけた男性が、なにやら慌てている。
「どうしてテウセル様がこんなところに! お前! 何者だ!」
「……? は?」
お前呼ばわりで指をさされている相手が自分なのだと気がついた。シャルルは眉を顰める。
背中の子供が身動ぎした。
タイミングよく目を覚ましたテウセルによってこの場の誤解は解かれた。「テウセル様の命の恩人に失礼申し上げました」なんて頭を提げられてはシャルルもさすがに引く。
北国銀行に借金をしている兄の弟のはずだが、この少年はここの職員にとても大事にされているようだ。
興味がないので深く聞くつもりはないけれどなんだか狐につままれたような気分だ。
テウセルのことはシャルルをお前呼ばわりした男、兼北国銀行マネージャーであるアンドレイが責任をもって預かってくれるらしい。それじゃあ頼みましたとシャルルはとっととこの場を去る。
「強いお兄さん! 待って!」
「ん?」
「ここまで連れてきてくれてありがとう! それでね、お兄さんの名前を教えてよ」
名乗ってなかったっけ。首を傾げる。
「シャルル」
「シャルル! また遊んでね!」
呼び捨てかよとちょっと呆れた。
シャルルは「またね」と返し柔らかなテウセルの髪を撫でた。屈託のない笑顔が眩しい。
子供なんて、こんなものである。