「飽きないよな」
 ぽつりと言われた言葉に横を見ると、俺の持つビニル袋を見つめる水希が呆れ顔をしていた。
「そのうち海に帰りそう。『実は海からやってきたんです、時期が来たから帰ります』とか言われても多分俺疑わねーや」
「それ、サバは関係ないだろ」
「全体を通して変わらないねってこと」
「……」
「水が好きなのも、サバが好きなのも。ずっと変わらない」
 水希はそう言って困ったように笑う。
「ま、言うなら進歩しねーなってこと」
「余計なお世話だ」
「それにお前だって変わってないだろ」と反論すれば、きょとんとした顔ののち「そうかも」すいっと水希の目は空を泳ぐ。俺と同じ高さの目線の先を追っても同じものを見ることができている気がしない。
 強く言い返さなくなったところだけ、彼は変わったと思う。でも、と口を動かすと素直に水希が俺を見るから、お前も少しは大人になったよななんて煽り言葉は口に出ず。
「サバ料理のレパートリーは増えた」
「……くっ、はは、遙のおかげでね」
 かさかさ。水希の持っているビニル袋が揺れる。からから。水希が笑う。
 再び無言が下りてきて、けれど居心地悪くなることなく家まで続く川沿いの道を歩く。歩き慣れたこの道を彼と肩を並べる日はそう多くない。大概は俺が忙しいせいだって水希は笑いながら言うけれど、そういう水希だってゆるゆる過ごす時間を持っていない。俺が休みの日に限って予定が詰まっていたり、空いていたはずの日に急に予定が入ったり。ともかくこうやって一緒に買い物をして一緒に帰り道を歩くのは久しぶりなんだ。
 横で夕日に照らされる幼なじみ。ぷらんと揺れる彼の左手を見つけてそっと手を伸ばした時に、水希の歩みがピタリと止まった。あまりにタイミングがよすぎて、もしかして俺が手をつなごうとしていたのがバレていたのだろうかと慌てるが、水希は川をじっと見ているだけだった。
 この道はぽつぽつ俺たち以外にも歩く人たちが見られる。その何人かも、どうしてか不自然に歩みを止めた。
 ――なんだろう、嫌な予感がする。ぞわりと這い上がった悪寒に身を震わせる。
「遙!」水希は俺の名前を叫び、俺に持っていたビニル袋を押し付けた。待てと制止をかけても「おまえは電話しろ!」と水希は耳も貸さず急斜面を滑り降りる。
 女の悲鳴が上がった。近くを歩いていた人らしく、彼女も川を見たんだ。夕日に照らされて赤とオレンジの混ざった色に染め上げられた水が乱されるのを。そこで浮き沈みしてはどんどん流されていく子どもの姿を。
「水希!!」
 踏み出したのにぐっと何かに阻まれた。一体何がと振り返ると、俺の腕を掴むのはガタイのいい男で、離せと叫んでも聞き入れず、もがく俺に落ち着けと声をかけてくる。
 こいつが邪魔だ、早く行かないと、早くしないと、そんな、落ち着いていられるはずがない。バシャンと水の音が耳を劈いて、あちらこちらから息を飲む声が聞こえて。
「冷静じゃない人間が飛び込んだところで死ぬだけだ!」
 気づけば人だかりができていた。土手下にいた数名の子どもは他の大人に取り囲まれ、ずいぶんと混乱した様子で慌てふためいている。
 遠くからサイレンの音。赤く点滅するライトは近づいてくる。それを理解すればもう川に視線を戻す勇気なんか出なかった。途端に力が抜けてへたりとその場に座り込む。
 俺の横を人が走り抜けて、俺の肩を誰かが叩いて。

 なにも、きこえなかった。

 溺れていたのは中学2年生の男子生徒だったというのをのちに知った。病院に運ばれ数日経ってから目を覚ましたその少年は、パジャマ姿で俺の横に立っている。年齢的に蓮たちに近いことをまざまざと感じ、もし違えばなんて思うけれど、きっとどうであれ結果はこうなっていただろう。
 彼は今にも泣き出しそうだった。ごめんなさいとつぶやいても誰からも返事はない。それが堰を切ったのか、ぼろぼろと涙をこぼす。ごめんなさい、ごめんなさい。少年は繰り返す。俺は何も言う気になれなかった。お前のせいじゃないよと優しくなることも、お前のせいでこうなったんだとやけになることも、何もできずにぼんやりと、おろした瞼を持ち上げない幼なじみを眺めていた。
 溺れた子どもを助けようとして悲しい結果を迎えるニュースをテレビで何度か見たことがある。そのたびにきゅっと眉間にシワが寄った。どうしてそうなるんだろうと。ただ、あくまでそれは画面の向こうの話だった。
 水希の容体について橘家と場を共にして話を聞いたけれどどれも頭に入ってこなかった。難しい話はともかく、彼は目覚めないのだ。俺の制止を聞かず飛び出した水希が、あのシーンが何度も蘇り続ける。止めればよかった、殴ってでも、無理やり引き止めれば。
 蘭と蓮は水希の手を握ってわんわん泣いた。「大丈夫、水希はすぐに目がさめるよ」と声をかけ後ろから2人を抱きしめた彼こそ今にも壊れてしまいそうだったのを、真琴本人はわかっていたのだろうか。
「ごめんなさいね、遙くん」真琴の母親に謝られて首をかしげる。どうして彼女が謝る必要があるのかわからなかった。
 それでも彼女はもう一度謝り、無理な笑顔を浮かべて俺の頭を撫でた。その時初めて俺は泣いた。蓮たちのがうつったんじゃないかってくらいに。「ガキみたいに泣かないでくれる」って、きっと水希なら俺を見て嫌な顔をしたに違いない。
 病院は嫌いだ。どこかひんやりしていて、怖いぐらいにシンとしているから。
 慣れない薬品のにおいと、管をつながれ痛々しい様子を見せる幼なじみが、あの日の出来事をなかったことにしてくれないから。