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 真琴と双子なくせに、口が悪いし、笑顔がないし、ひょろひょろしてるし。俺と会話すると、やはり真琴と違って、大抵余計でしかも癪に障る一言を言ってくる彼は、俺のストレスの原因だと認識していた。

 中学で水希は水泳部に入らなかった。水希が水泳を始めたきっかけには凛があったし、その凛がそばにいないのなら、水希は水泳を続ける理由が特別なかったのだろうと思う。
 水泳を始めた理由が凛だったこと、水泳を続けない理由が凛だったこと。その二つに不快な気分になったのは確かだ。なぜ不快に思ったのか。このときは特に気にかけなかった。
 水希はあまり俺や真琴と一緒にいなかった。品行の悪い生徒に絡まれることがしょっちゅう。よく喧嘩沙汰になって、生徒指導室で怒られていた。連絡は家庭にも入っていたらしく、真琴とゲームをするために家を訪ねたとき、リビングで父親に諭されている水希を見たことがある。
 表情の変化の少なさと、感情の起伏のなさと、抑揚のない声が揃えば、人は「この人は優しくない人だ」とか。だいたいそんな印象を受ける。水希の場合、無表情でいるときの双眸はどことなく睥睨しているように見える。多分、それが災いしたのだろう。……あと、あいつは嫌悪の感情が顔に出やすいから、余計に。
 水希は貴澄と仲が良かった。貴澄の方が“真琴の双子”の存在に、興味本位で接触したとか。最初こそ水希にあしらわれていたようで、「あれってほんとに真琴の双子?」とか言っていたくせに、どうしてそうなったのか。気づいた頃には貴澄は真琴の双子を“水希”と呼んでいて、水希が不良に絡まれているのを見ると、自然な流れでその場を解散させ、それとなくフォローするようになっていた。
 水希は貴澄を“鴫野”と呼んでいた。下の名前で呼ぶのは見かけたことがないが、それがたとえ苗字であっても、水希が人の顔と名前を一致させるのはめずらしいことだった。
 貴澄が話す内容に水希の名前が頻繁に出てくるようになった。「昨日は部活が休みだったから水希と一緒に帰ったんだ」とか「最近の水希は呼ぶとちゃんとこっちを見てくれるんだ」とか。貴澄が楽しげに話してくるのに無性に腹が立った。
 水希は俺と同じ一組だったけれど、俺が水希と話すことはほとんどなかった。水希は休憩時間は机にうつぶせていたし、昼休みは教室から出てどこかへ行っていたし、俺には部活があるから帰宅も別で、水希と会話をするタイミングといえば登校時の数十分だけだ。その登校時も、自分の寡黙さのせいもあって、大体真琴が話をするのに相槌するのが主で、水希が眠たそうな目で景色を流し見ているのを窺うことしかできていない。つまり中学に入学してから、水希とはまったく話をしていない。
 “遙”と呼んでくるのが母親と、水泳部の先輩ぐらいになった。水希はしばらく俺の名前を口にしていない。数えたことなんてないけれど、今の水希は“鴫野”と口にする回数の方が比べるまでもなく多いだろう。
 自分で考えて、胃がムカムカとした。
「ハル? どうしたの。怖い顔」そんなことを言ってこちらを窺ってくる貴澄から目を逸らして校庭の方を向いた。
 旭は、間に誰かいない限り、水希と向き合って話すのは難しそうだと言う。
 郁弥は特に気にしていないと言っていた。
 それでいいと思う。真琴の双子だからと言って、水希に関心を持つ必要はない。水希と無理に仲良くならなくていい。
「二人とも勿体無いよ。水希、いい子だよ」
 一瞬、どこから声がしたのかわからなかった。その発言が貴澄のものだったのだと理解した頃には、貴澄は俺たちのそばから離れていて、教室に戻ってきた水希に声をかけていた。「バスケ部、考えてくれた?」とか「今日も図書室で寝てたの?」とか、水希の肩に腕を回してニコニコとする貴澄を、水希は、拒絶することがない。
 バスケ部に、誘っていた?
 “今日も図書室で寝ていた”? どうして。そんなことを知っているんだ。
「鴫野。しつこいよ」
「もー。だから貴澄でいいって!」
「絶対に呼ばない」
「なんで?」
「呼べって言われると呼びたくなくなる」
 水希の声は本気じゃない。むしろ、貴澄をからかっているような雰囲気だ。表情にも嫌悪がない。
 あの様子だと、水希は貴澄に心を許して、る……。? ……?
「けっ。貴澄のやつ、嫌がられてんじゃん」
「、」
 旭の声に意識を引き戻された。旭は貴澄を見て呆れた顔をしている。
 旭は、水希が嫌がっていると言った。それが当然の考えだと思う。水希の微妙な態度の違いや表情、声色の変化は、気づきにくい。
 しかし貴澄はわかっているのかもしれない。水希は嫌がっていない。心を開いている、と。わかっているのだとしたら、ただ事じゃない。こんな短時間で水希を理解した人が過去にいただろうか。
 嫌だ、と胸の奥で悲鳴が上がった。息が苦しかった。吸っても吸っても、酸素がうまく入ってこなかった。

 翌日の昼休み、自分の周りに輪ができる前に教室を出て、図書室に向かった。読みたい本があるわけではない。目的は、貴澄の発言の真偽を確かめることだった。
 こんなことをしなくても水希に一言聞けば解決するのだけれど、その水希に聞くという行為のタイミングが掴めなくてこうなっている。
 水希は、朝はまだ完全に起ききってなくてぽけーっとしてるし。学校でも休み時間は机に伏せているか貴澄に絡まれているかだし。放課後は別々だし。……。前にも似たような不満を持った。
 図書室の中は静かだ。読書スペースはポツポツと埋まっている。その中に見慣れた人間が、見慣れた体勢でいた。
「……」
 足がそちらに向かう。
 腕をついて机に伏せているのは水希だ。顔は見えないけど。学ランを畳んで枕にしている。
 ……本当に図書室で寝ているのか。
 確かにここは静かだし、他人の干渉も少ない。水希がいるのは日当たり良好、外から柔らかい風の吹いてくるかなりいい席だ。
 司書教諭は見逃しているのだろうか。生徒が一人二人、読書以外の目的でここにいても、騒がないなら特に注意はしていないのか。
 そんな、特に気にするようなことでもないことを悶々と考えつつ。立って観察しているのも疲れる。水希の横の席に腰掛けた。
 水希は横の気配に気づく様子はなくまだ眠っている。起こすのは憚られる。
 ……、貴澄もこうやって水希の横に寄り添っていたのだろうか。そう思うと胸のあたりでチクチクとした痛みがする。
 じっとその痛みをこらえる。
 水希のことを気にかける人がいるのが嫌だ。
 水希のことを俺以上に知る人がいるのが嫌だ。
 ……いつも二言目には腹の立つことしか言ってこなくて、鬱陶しい存在だと思っていたのに、いざ自分から水希が遠くなっていくのを感じると、嫌で嫌でたまらない。
「……」
 もぞ。と水希が動いた。
「……」
「……、……」
 上体を起こした水希が、寝ぼけ眼でこちらをじっと見てくる。それにやや居た堪れない気持ちになって身をよじる。
 ふと、笑い声がした気がした。すぐそばで聞こえた。見れば水希が表情を緩めていた。
「遙」
「、」
 トンと肩に水希の頭がぶつかった。水希が俺に寄りかかってきたのだと気づくのには少し時間を要した。
「……、水希?」
 水希が返事をする気配はない。
 ……起きたと思ったらすぐに寝てしまった。さっきの出来事から1分も経っていない。本当に一瞬の出来事だった。
 胸の痛みはいつの間にか治っていた。代わりに今度は鼓動が速くなっている。けれどそれに不快感はなく、横のぬくもりに安堵さえ覚える。
 こうして無防備でいるのは、俺の前だけであれば、なお――。

 図書室での一件があったからといって水希との距離が急激に近寄るわけでもなかった。状況はいつも通り。何も変わっていない。
 変わるのは自分の心情ばかりだ。気持ちばかりが膨らんでいく。
 誰かが水希を気にかけるのが嫌だ。
 水希が誰かに心を許すのが嫌だ。
 俺から離れていかないでほしい。
 そうは思っても自ら行動を起こすことをできずにいた。そもそもこの欲求を満たすために一体何をしろというのだろう。
 悶々と過ごすうちに冬になった。俺は部活をやめた。だからといって周囲の人間が全て離れていくわけではなく、今まで通り時は流れた。
 水希は俺たちに何も尋ねなかった。部活のことに関して、辞める前も、辞めた後も、真琴にさえ聞くことがなかった。興味がなかったのだろう。
「今日からは一緒に帰ろう」と笑みして声をかけてきた真琴を、水希は何も言わずに受け入れた。なぜ一緒に帰れるようになったのか。聞かなくてもわかるようなことだから聞かなかったのかもしれない。それでも水希の無言はひどく応えた。
 峻拒されているわけではない。しかし水希の関心はこちらに向いていない。
 自分の存在は彼の中ではさして重要なものでないと言われたような気がした。

 中学二年になった。今度は真琴と同じクラスになり、水希とは二つ離れたクラスになった。体育で一緒になることもない。接点がいよいよ登下校のみとなったことに焦りが募り、水希が貴澄と同じクラスであることはそれに拍車をかけた。
 水希に向けるものが独占欲であることは理解していた。ただ最近ではそれ以上を望んでいる自分がいた。
 優しくしてやりたい。優しくしてほしい。甘えてほしい。甘えさせてほしい。自分が思うのと同じ気持ちを持ってほしい。対等を返してほしい。
 水希は。
 ……水希は、幼なじみだ。真琴の双子だ。
 水希とほぼ同じような立ち位置にいる真琴に対してはこんな感情を抱かないのに、一体どうして、俺は、水希のことになると余裕がないのだろう。
 真琴のことは大事だ。水希のことも大事だ。この大事は、何が違う?

 放課後。一緒に帰るために、クラスの違う水希を迎えに行く。俺の横には真琴がいる。少しスキップしがちなのは、今夜水希とゲームで一緒に遊ぶ約束をしているからだろう。真琴は昼休み、嬉しそうに約束のことを話していた。大概ブラコンだと思う。……本音では、羨ましくもある。
 水希のクラスはまだ電気がついている。
「また喧嘩したの?」
 閉まっていたドアに近づいたところで声が聞こえた。思わず足を止めた。
「先生に呼び出されたの何回め?」
「うるさい」
「腕、すっごい青あざ残ってたよ?」
「知ってる。……っ! 押すな。痛いだろ」
「痛いなら喧嘩するの、やめなよ」
「……うるさい」
 机に腰掛けている水希の横には貴澄がいる。呆れたような表情をして水希を見つめていた彼は、ふとこちらに気づいて、ひらひらと手を振ってくる。
 自ずと水希もこちらを向いた。
 真琴が教室のドアを開けた。中に入って行く真琴に俺も続く。
「聞いてよ。真琴」
「うん?」
「今日の体育さあ、水希の半袖姿、ほんっと痛々しむぐっ!」
 貴澄は急に水希に手で口を塞がれ変な声を出した。
 真琴がきょとんと貴澄と水希とを見る。
「鴫野。余計なこと言うな」
「んー。んーっ」
 鼻まで塞いではいないので息はできるらしい。貴澄は困ったように俺たちを見て、パッと両手を肩の高さまで上げた。降参。そんな声が聞こえた。
「……ひどいよ。水希」
「鴫野の口が軽いのが悪いよ。二人には関係ないだろ」
 貴澄に向けられた言葉に、ズンと体が下に引っ張られるような気持ち悪さを覚えた。
 “二人には関係ない” 衝撃だった。
「早く部活に行きなよ。鴫野」
 水希が机から下りた。
「貴澄でいいって言ってるのに」
「呼ばない」
 頬を膨らます貴澄に水希は鼻を鳴らした。いつか、俺に突っかかってきていた水希の姿と重なって、無性に泣きたくなった。

 今日は真琴と二人で帰路を歩いている。水希は教師に呼び出されているようで、どうも一緒に帰るのは難しそうだった。
 喧嘩をやめろとかどうしてそういうことをするんだとか。水希は最近ずっとそんなことを言われているようだが、水希ばかりを叱っても意味がない気がする。あいつは自分から誰かに手を出すことなんかしないし、ただただ売られたものを買ってるんだと思う。売る方をどうにかしない限りは何も解決しない。
「ハル」
 横の真琴がポツリとこぼした。ぼんやりと考え事をしていたので危うく聞き逃すところだった。
 真琴の方を見て、首を傾げて促す。真琴はどこか落ち着かない様子だ。
「あのさ。……俺、ハルにずっと聞きたいことがあって」
「?」
「その。変なこと聞くかもしれないし、ハル、嫌な気持ちになるかもしれないんだけど……」
 頬をかく真琴は居心地が悪そうだ。前置きが長い。聞きたいなら聞けばいい。
「……はっきり言え」
「ん。……うん」
 なるべく優しく言ったつもりだが、真琴の表情は緊張したままだ。
 そんなに悪いことを聞くつもりなのか。不思議に思いながら真琴の言葉を待つ。
「ハルは、その……」
「……」
「ん、と……。えーと」
 長い。いよいよため息をつきそうになったとき、決心したような咳払いが真琴の方から聞こえた。
「ハルは、さ」
「……」
「……ハルは、水希のこと、好き?」
「…………は?」
 何を言っているのかと。こちらを見る真琴の目は真摯なものでなおさら困惑する。
 真琴は、俺が水希のことを好きか、と聞いてきた。と……思う。好きか、嫌いか。答えは二択の閉じられた質問だ。けど、急になんでそんなことを聞かれるのかがわからない。
「……。どう言う意味だ?」
「……ん。うーん……」
 真琴が難しい顔をする。眉を寄せて口をへの字に曲げて。多分俺も彼と似たような顔をしている。
「ハル、さ。貴澄と水希が仲がいいの嫌だよね?」
「……」
 また閉じた質問。しかも、ほぼ答えを確信して聞かれている。
 ……確かに真琴のいう通りだ。ただ、あっさりと頷いてしまうのは難しい。幼なじみが一人自分の関係を余所で築くぐらいで機嫌を損ねるなんて、心に余裕がないやつだと、嫉妬深いやつだと、そんなことを思われるのは嫌だ。
「……。別に、俺は」
「ハル。からかいたいとかじゃなくて、俺、力になりたいんだ」
 嘘をつくことは叶わなかった。言葉の途中に真琴が声をかぶせてきたせいだ。
 唖然とした。
 “からかいたいとかじゃない”? “力になりたい”?
 前者はともかく、力になりたいって、なんの力になるんだ。
 真琴から目を逸らして俯く。話を整理したかった。
 まず、水希のことが好きなのかと聞かれた。広義に解釈するのならば俺は水希が好きだと思う。ただそれは好きな食べ物とか好きな色とか、そういう意味合いであって、何も特別なことはない。
 次に、水希が貴澄と仲がいいのは嫌だろうと言われた。繰り返すようなことをするが答えはイエスだ。散々鬱陶しく感じてはいても、俺はどこかで彼との口喧嘩を自分の特権だと思っていたのだと思う。それが最近なくなって更には貴澄が元の俺のような立場にいるのがおもしろくない。なんとなく……嫌だ。
「ハルが、水希のことを特別に思っているなら。俺は応援したい」
 ――特別?
 特別、なのか? 水希は他の友人や真琴とは違うのか?
 ……。水希を甘やかしたいと思うのも、水希に優しくしてやりたいと思うのも、水希を幸せにしてやれるのが自分でありたいと思うのも、水希も俺と同じ思いでいてほしいと望むのも。特別だからか?
 その特別が、狭義の好き、なのか。
「本当は……前から思ってたんだ。でも、二人がもっと仲良くなって、俺から離れていくのかと思うと、少しだけ、寂しくて……」
 ハッと真琴を向く。彼は依然真剣な眼差しでいる。どこか寂しそうに緑の双眸を揺らしている。
「……俺は。多分、水希が好き、だと思う」
「うん」
「……だからといって、真琴を一人にするつもりはない」
「……うん」
 真琴は小さく微笑んだ。俺の頼りない言葉であっても安心したのだろうか。
「……。俺、ハルのことも水希のことも好きだよ。だから二人が仲良くしてくれてると、すごく嬉しいんだ」
「……よく恥ずかしげもなく言えるな」
「け、結構緊張しながら言ったんだよっ」
「ふん……」
 嘘じゃないらしい。真琴は顔を赤くしている。
 自分の中で完璧に整理されたわけじゃない。しかしどことなく体が軽くなった気がした。

 自分の気持ちに整理がついた中学二年の終わり。しかしタイミングの悪いことにその時期にはそれぞれ高校受験を控え始めていた。中三になると周りの会話は段々と受験のことになり、水希も、何より自分自身もそこそこ勉強に集中しなければならなくなって、やれお前が好きだだの、そんな話をするような雰囲気ではなかった。
 受験で抑うつ状態な時期を乗り越え、無事高校に入学した。今度は自分と真琴以上に水希に近い距離の人間がいなくなったことと、水希が喧嘩を売られることもなくなり俺たちとよく一緒にいるようになったこととでホッとして、満足してしまい、好きだなんて伝えるのを忘れていた。
 高校で二度目の春を迎えた。水泳部を立てて新しくなった環境に、絶え間なく変化する日々に、自分自身と向かい合うことに精一杯だった。
 そして、気づけば高校生活最後の春を迎えていた。はたと向き合ってみれば水希は俺より数センチ背が伸びていて、刺々しい態度もやや落ち着いたものになっていた。……俺に対してやけに突っかかってくるのは変わらないけど。
 学校の屋外プールの解放は早くてゴールデンウィークごろになりそうだと天方先生に伝えられた。水温が低いため学校の許可が下りないらしい。掃除したのに桜の花びらがちらほらと落ちているプールを後にし、今日も笹部コーチに屋内プールを貸してもらった。水温の低いうちはしばらく世話になっていいとのことでとても助かる。
 今はもう解散しているのでそれぞれ自由行動なわけだが、誰もなかなか家に帰ろうとしない。
 渚は笹部コーチにちょっかいをかけていてそれを怜が止めている。
 江は廊下に飾られた写真の前に立っている。
 俺は、正確には俺と真琴は、水希を待っている。水希がどこにいるのかというと、写真を眺める江の隣だ。そこで江の話に付き合っている。会話はここまで聞こえてこないけれど江の方が楽しそうにしているのはわかる。
 水希と江は、去年からあれぐらいの距離だ。結構仲がいい。渚が二人のことを聞いてみると「蘭みたい」「お兄ちゃんみたい」と両者似たようなことを言ったらしい。恋愛的な感情は一切ないとのことだった。が……それはそれで気が合い過ぎだと思う。
 江になにやら話しかけられてきょとんとする水希をぼんやりと眺める。
「ハルも長いこと片思いしてるよね」
「……」
 最近の真琴は俺に呆れ気味だ。
 ……確かに俺が逆の立場であったら、五年近く相手を思っているなんて随分一途なんだなとか、ちょっと皮肉な気持ちになる。
 受験がとか環境の変化がとか。なんのかんのと言い訳してきたが、結局のところ俺が保守的になってるせいだろう。案外言い出せないものだ。水希は距離の近すぎる存在だし、お互いに嫌みを言い合うような仲だからなおさらそういう話題は口にしにくい。
「見てるこっちがじれったいんだよなぁ……」
「……。ほっとけ」
「結構脈ありだと思うよ?」
 ジロリと真琴を睨む。真琴は水希と双子なくせして意外と外す。去年だって「水希、江ちゃんのこと好きなのかな?」とか一人で慌てていた。“そういう言葉”は信用ならない。
 そうこうしているうちに水希が俺たちの方に寄ってきた。俺たちがそちらを向くと、水希は、俺と真琴を見て不思議そうに首をかしげる。
「? どうしたの。水希」
「……ん。なんでもない」
 水希は真琴に首を振った。
「帰るぞ」
 水希が俺を見て小さく頷く。珍しくしおらしい様子で俺の横に並んできたから、うっかり可愛いとか思ってしまった。

 そろそろ告白しなよ、とか真琴に野次を飛ばされているうちに学校のプールが使えるようになった。
 最近の水希はぼんやりしていて嫌みに対しても反応が悪い。五月病だろう。とはいっても五月に限らず、新学期からしばらく、毎年水希は調子が悪くなる。
 ……本当に機嫌を悪くしたときと見分けるのがそこそこ難しいので厄介だったりする。
 今朝も真琴と一緒に家まで迎えにきた水希とのちょっとしたいざこざに肝を冷やした。自分が素っ気ないことをしてしまうのは今更、どうしようもないわけだけど、それに対して水希が気を悪くするのはほとんどないことだ。
 登校中も、三人で肩を並べればさりげなく一人になるし、昼休みも、机にうつぶせて顔を上げようとしないし。調子を崩すのは毎年のこととは言えど、今年の水希はやけに人との接触を拒む。放っておけばそのうち調子を取り戻すから何かしてやる必要はないし、何かしてやる方が余計悪化させてしまうのだが、……正直寂しい。
 今日も机に伏せて真琴の声に反応しない水希を置いて屋上に来た。「水希ちゃんは?」と聞いてくる渚には真琴が苦笑をした。それが返事だ。
「えー。また寝てるの? 水希ちゃん。そんなに家で寝てないの?」
「んー。そういうわけじゃないんだけど」
 渚の向かい側に座りながら真琴が答える。
「水希ちゃんどうしたんだろう」
「環境が変わって疲れが出てきているのかもしれませんね」
 それぞれが意見をかわすのをぼんやりと聞いた。
 周りは水希が“眠っている”ことを前提に話している。けど。多分、水希、……寝てない。寝たふりをしている。理由は一人になりたいからだろう。怜の言うこともあながち間違っていないのかもしれない。

 水希の寝たふりは数日と続いている。今日も例に漏れずそうだったので、水希を教室に残して屋上にて水泳部のメンツで昼食を済ませた。今日は俺と真琴、渚と江の四人だった。怜は図書室に用があるとかで不参加。
 教室に戻ると水希がいなかった。時計は予鈴数分前を指している。どこに行ったんだろうか。
 とりあえず手洗いを済ましに向かって、その帰り道。廊下で向かい側から歩いてくる水希に気がついた。
 あちらも俺に気づいたようだ。俺の横と後ろとを妙に気にしている。何かあるのかと俺もつい横を見たが何もない。
 水希は片手に本を持っている。……本? しかも分厚いハードカバー。水希、読書なんかするやつだったか?
 本から目を逸らし、俺の前で足を止めた水希を怪訝に思いながら見る。
「本、借りてきたのか?」
「ん。怜に勧めてもらった」
 軽い調子で返ってきた言葉に自然と眉が寄った。
 “怜に勧めてもらった”? 普段読まないくせに、わざわざ、怜に頼んで? ……。
 水希はやや嬉しそうにしている。
 肩に何かのしかかるような感覚を覚えた。俺以外のやつのことでそんなに優しい表情を、しないで、ほしい。無性に腹立たしくて、焦燥に駆られる。
「お前、そんなに長い本読めるのか」
 口を衝いて出たのは嫌みだった。自分の感情は抑えきれず、あからさまに声音に影響した。我ながら、機嫌の悪そうな低い声だった。
「さあね。でも勧めてもらったんだし。怜に感想が言えるように頑張るよ」
 臓器がぐんと地面に引き寄せられる。体が重たい。
「……」
 “怜に”……。
 怜に感想が言えるように頑張る、なんて。怜のため、みたいな。言い方だ。
 予鈴が聞こえた。水希は教室の方を向いて俺から離れていく。
 指先が震える。水希に伸ばそうとした腕は腰からわずかに離れただけで止まる。水希はすでにこの場にいない。行き場のない手で空気を握った。
 苦しい。覚えのある息苦しさだ。
 俺から離れるときの一瞬に見えた、水希の、ほんの少し照れたような横顔が忘れられない。なんで。あんな、優しい顔……。