早速研修生は担当の場所に振り分けられた。
 いすずとモッフルに連れられて行くほかの研修生を見送り、水希は自分の前に立つ西也を見た。
 なんというか、アイドルでもしてそうな容姿だ。キャストにいれば女子が盛り上がりそうなのに――支配人ということは、きっと事務的仕事をする人だろう。
「それじゃあ、ついてきてくれ」
「ひゃっ、ひゃいぃ!」
 肩を跳ね上げてツインテールの少女、中城椎菜が返事をする。
 西也はあきれた様子でそれを見て、次に、返事のなかったもうひとりの研修生を見た。
 西也と目が合うと、水希はふいっとそっぽを向いた。
 西也は眉を顰めたが、特に何も言わずに歩き出した。
 椎菜はサメの着ぐるみ(名をジョーというのだという)に紹介され、機械室に残った。
 着ぐるみ……は尾びれで立ち、歩いていたわけだが。どういう仕組みなのか、些か心が不安になる。まるで、中の人などいないようで。
 たどり着いたのはプールだ。
 水希は人のまばらなそこをぐるりと見渡す。
「プール……」
「水泳部、と書いていただろう?」
「? ええ、はい」
 なるほど、そういう理由でプールへの配属なのか。
 西也は水希に、ここで主にゲストの監視を頼みたいのだという。危険な行為が見られたら、ピッと笛を鳴らして注意。溺れている人を見つけたら救助。
 そういうことならできそうだが……。
「きちんとした救助員を雇った方がいいんじゃないですか」
「確かにそうかもしれんが……」
 水希の尤もな意見に西也が苦い顔をした。
 ああ、募集をかけても来ないのか?
 ゆるい採用基準や個性豊かな研修生から察してはいたが、そこまでひどい状況なのか。
 水希は微妙な顔をして、再びプールを見た。
 やはり人はまばらだ。
 もったいない、と思う。自分たちの使う屋外プールとは比にならないぐらいきれいなのに。
「今までところで、何か質問はあるか?」
「いえ。特には」
「そうか。ああ、プールでは別の制服に着替えてもらう。その方が都合がいい」
「そうですか」
「次に行くぞ。ある程度設備を把握しておいてもらわんとな」
 つかつかと西也が歩き出す。
 そんなに急いで、スケジュールが詰まっているのだろうか。
 水希は一度プールを振り返った。遙を呼べば、彼が喜びそうだと思った。
「そういえば……」
「?」
 ある程度施設の説明をされた後に、ふと西也が呟いた。
 何やら思案顔で水希を見て、口許に手を添える。様になっていた。
「確か自己紹介がまだだったな。俺は可児江西也、ここの支配人代行をしている」
「……橘水希です」
 かにえ、ってどんな漢字を当てるんだろう。ひらがなか? そんなどうでもいいことを考えながら、水希は軽く頭を下げる。
 面接のときにもう知れていただろうが、一応名乗りなおした。
「同い年のようだからな。別に敬語じゃなくても構わんぞ」
「え」
「会話がぎこちない。敬語が苦手なんじゃないのか?」
「そういうわけでは……」
 敬語が苦手なわけではない。水希は単に口数が少なく、会話が弾まないだけなのだ。
 水希は珍しく困ったように眉を下げた。
 急に影を作った水希を西也は心配した。
「橘?」
「……できれば、下の名前で呼んでくれると」
「は?」
「名字ではあまり呼ばれなれてないので」
「……?」
 西也は不思議そうに首をかしげたが、何かひらめいたように手をたたいた。
「わかった。名前で呼ぼう。代わりにお前も敬語をやめろ」
「は?」
「どうだ?」
 どうだ、もなにも。
 水希は西也に対してタメ口で話すことはためらわれた。
 たとえ同い年といえど、彼は支配人だ。映子のように同じキャストであったのならまだしも、この遊園地を取り仕切る、いうなら「偉い人」にどうしてタメ口をきけようか。
「それはちょっと……」
「ふん。ならば上司命令だ」
「職権濫用では?」
「なんとでも言え。水希」
「……」
 水希は口をへの字に曲げた。
 なんなんだこの上司。王様か。
「この俺に名前で呼ばれるんだ。光栄に思え、橘水希よ」
「……おまえ友だちいないだろ」
 思わずそう言ってしまったし、水希はこんなやつにかしこまる方がバカらしいと諦めていた。
「うっ」と西也が唸ったのを見て、図星か、と水希は蔑みの目を見せる。
「顔はいいのに、ってやつだな」
 憐れむ水希に、西也は放っておけと声を荒げた。
 ムキになるところがますます同情を誘ったが、水希は微妙な顔をしたままでなにも言わなかった。


 研修1日目を終えた水希は、男子更衣室にいた。
 周りには不思議な従業員ばかりだ。
 例えばレンチ、イルカ、マスクマン。最後の1つ以外は明らかに人間ではない。
 一体どうなっているのか不思議だったが、それを追求するまでの興味はないので気にしないことにした。
 帽子を取って、白いベストを脱いで、それぞれロッカーに置く。次に青のワイシャツのボタンを外して前を開け放つと――不意に視線を感じた。
「……? なにか」
 ジッとこちらを凝視しているのは、一見ネコのようなピンク色のポメラニアン。右耳にお花がついており、可愛らしい。
 しかしこの着ぐるみは水希の警戒対象だ。
 忘れもしない、研修会場での第一声が原因である。彼は確かに言った。彼の楽しみは、新人キャストが挫折し、脱落していくことだ、と。
「いやー、いいカラダしてるみー」
「…………どうも」
 ぞわりと背筋に悪寒が走った。
 相手は着ぐるみだが、男子更衣室にいるのだ。中身は男に違いない。
 男に裸体を褒められて、嬉しいわけがなかった。
 純粋に言ってきたのかもしれないが、着替えるに着替えられない。
 水希はシャツを引っ張り、少し体を隠した。
「その体に、顔つきもいいんだから、女の子にモテるんじゃないみー?」
「……特には」
「あはは。謙遜しなくていいみー」
 着ぐるみ、ティラミーは水希の背中をバシバシとたたいた。
 軽いスキンシップのつもりだろうが結構痛い。
 鬱陶しいコミュニケーションだ、と水希は眉を顰めた。
「……で、実際何人抱いたみー?」
「は?」
 ティラミーはニヤニヤした顔を隠しもせず、水希の耳許でそう問いかけた。
 水希はあまりにも素っ頓狂なティラミーの発言に、思わず低い声で唸ってしまった。
「それとも……抱かれる側だったりするみー?」
 唖然とする水希の尻にティラミーの手が伸びる。
「やめんかっ!」
「みーっ!」
 水希の視界の端から端へ、瞬間的にティラミーが移動した。
 すさまじい音を立てて壁に衝突したティラミーは、ぐでっと力を抜かしている。
 水希はティラミーをあらかた観察すると、今しがた長い足で彼を蹴り飛ばした男の方を見た。
 支配人の腕章。
 西也は気を飛ばしたティラミーに肩を竦めていた。
「なんか……ありがとう」
「……、いや」
 水希のぎこちないお礼に、西也もまたぎこちなく返した。
 お礼を言われ慣れていないのだろう。友達がいないということも判明していたので、その線が強い。
 水希はまた着替えを再開した。
 脱ぎかけだった青のワイシャツを完全に脱いで、イントゥ・ザ・ロッカー。
 次に灰色っぽい薄青のスラックスに手をかける。
「可児江くんひどいみー!!」
「!」
「ぼくはただ、新人の子と、仲良くなろうとしてただけだみー!」
 再起したティラミーが、ぶんぶんと手を振って西也に抗議している。
「あれのどこが! ただのセクハラだろ!」と西也が水希の言いたいことを、一語一句違わず口にした。
「違うみー! 仲良くなるには、まず、体の触れ合いからだみー?」
「それがセクハラだ!」
 ぎゃあぎゃあと騒がしい2人をよそに、水希はすでに私服に着替えていた。
 荷物を整頓して、ぱたん、とロッカーを閉めた。
「あの。俺はこれで」
「あ……ああ」
 然らぬ顔で言われてしまえば、西也もどぎまぎしながら頷くほかない。
「橘くーん! ぼくはティラミーだみー! 明日もよろしくだみー!」そんな言葉を背中に、水希は更衣室を後にした。
「んー。クールな子だみー」
「……そうだな」
「調教のしがいがありそうだみー!」
「お前……」
 西也の蔑みの目がティラミーに向く。
 ティラミーは可愛らしく冗談だと言って見せたが、まったく信用に欠ける。
 そんな会話が西也とティラミーとの間でなされていたとは、水希は知る由もなかったが……。
(……なんかさむい)
 帰りのバスへの道の途中、小さく身を縮めていたのだった。