六月。この月の異名は水無月。
いつも重たい通学カバンは珍しく軽い。そしてみんなもどこかふわふわとしている。
校内は各学年各クラスによって素敵に、ときにはおもしろおかしく装飾されていて、まったくの別物みたい。
そう、今日は文化祭だ。
文化祭は主に文化部の活躍するイベント。特に吹奏楽部が毎年すごい。
わたしの所属する手芸部も文化部のくくりではあるけど、あんなに大規模なステージは用意してない。そもそも、手芸部が“ステージ”なんて言葉とは無縁なんだけど……。
廊下の一角に自分たちの作品を展示しておしまいだ。作品投票を一緒に置いているけど、毎年みんな参加してくれない。……少し寂しい。
さておき。わたしのクラスは露店でたこ焼きを売ることになっている。
このクラスは他クラスに貸すことになっていて、今はお化け屋敷と化している。立ち入りができないためわたしたちは廊下集合だ。
クラスメイトの大半は吹奏楽部。他にも演劇部とか、結構大きめの見世物をする文化部なので、残された運動部、帰宅部のみんなに渡されたシフトは一人一人の時間が長めだ。
今朝渡されたそれをしっかり確認する。
一応気を遣ってくれたのか、そこそこ話せる子と組まれている。
たこ焼き、ちゃんと焼けるかなぁ……。一往家にあったホットプレートで練習したけど、不安だ。頼り切ったらだめだよね……。
「あの、高橋さん」
「はっはいっ!」
考え込んでいたところを話しかけられて声が裏返ってしまった。情けない。
わたしの挙動不審さのせいか、話しかけてきたクラスメイトの女の子は怪訝な顔をしている。
「高橋さんのシフト、朝だよね?」
「う、うん」
「あたし、昼からなんだけど。他校の友だちと回る約束しちゃってて……できれば変わってほしいなって」
「え……っと」
昼から。昼からは、わたしも部活の友だちと回る約束をしている。
返事に渋る。
なんて断ったらいいんだろう。
「ちょっと、高橋さん?」
「あっ、え、えっと! い、いいよ!」
「ほんと? ありがとね!」
ぱあっと花が咲いたみたいに可愛らしい笑顔を見せる彼女に前言撤回なんてできるわけない。
あ、あああ……どうしよう。
凄みを利かせた(つもりは、彼女にないのかもしれないけど)声で呼びかけられるから、思わず頷いてしまった。
クラスメイトは、じゃあよろしくね! とわたしの肩を叩いて颯爽といなくなった。自分のグループに戻ったらしい。
……手芸部の子に、あとで合流するって言うしかないよね。
がっくり肩を落としつつプリントを見て、さっきの子の名前を探す。自分がどの時間に変わったのか、それとペアは誰だろう。
プリントを指でたどる。
あ、あった。12時半から……。
「水希、クラスの方わかったらすぐ教えてね」
「しつこい」
「えっ!」
「その話昨日から10回以上聞いたんだけど」
「えっ……そうだっけ。ごめん……」
聞き覚えのある声にプリントの文字を追うのをやめて目線を上げた。
やっぱり、水希くんだ。
一緒に歩いてるのは、双子のお兄さんと幼なじみくん。橘真琴くんと七瀬くんだ。
真琴くんはしょんぼりと肩を落としている。三人の中で一番大きいのに、なんだか一番頼りない。
「水希、そんなに真琴をいじめるな」
「いじめてない」
「いじめてるやつに限ってそう言う」
「はぁ? なんなのおまえ……」
水希くんが七瀬くんからめんどくさそうに目をそらした。
不意に目があった。
わたしは水希くんを凝視していたのをここで自覚した。
声をかけるにはまだ距離がある。でも顔をそらすのも不自然だろうと思って、会釈してみる。
水希くんが少し眉間のシワを和らげた気がする。
水希くんははっと何かに気づいた様子を見せ、二人を置いてこちらに駆け寄ってきた。
真琴くんと七瀬くんが驚いている。
わたしもたぶん、そんな顔をしている。
「おはよ。高橋さん」
「! お、おはようっ」
「ふっ。声、裏返ってるよ」
「!!」
指摘されて顔が熱くなる。
と、水希くんがどことなく愉快そうにしていることに気がついた。
か、からかわれた……! 水希くん、いじわるだ!
「それ、シフト? ちょっと見せてもらっていい?」
「あ、うん。いいよ!」
握っていた紙を水希くんに渡す。
水希くんは難しそうな顔をして文字を目で追っている。
「ありがと高橋さん」
「! うん」
片手に返されたプリントを受け取る。
挨拶だけじゃなくて、お礼も言われた。また違った意味で頬が熱くなる。
にしてもなんかわたし、さっきからろくに喋ってないような……。
「真琴。12時半から14時まで」
水希くんがすぐそばまで来ていた真琴くんを向いて言う。
真琴くんと七瀬くんはこう近くで見ることはないし、なんだか居た堪れない。し、知らんぷりでいいよね? わたしは別にこの二人に話しかけられたわけじゃないし……。
「て、ことは……」
「俺とはかぶってない」
「! はぁ。よかったぁ……」
真琴くんが大きく肩を落とした。ずいぶんと力が抜けたみたいだ。
「じゃあまたあとで」と真琴くんが水希くんに手を振って見せる。
水希くんも手を振った。しっしっ、て。振ったというか払った、だ。なのに真琴くんは気にしたそぶりも見せなかった。
遠ざかる二つの背中を眺めていると、ふっと七瀬くんがこちらを振り向いた。
な、なんだか見られている? 会釈すべき?
ちょっと頭をさげる。と、七瀬くんは少し驚いた様子を見せ、前を向いた。
なんだったんだろう……?
水希くんを見上げると、ちょうどあくびをこぼしていた。
「……水希くん、三人で何かするの?」
「? 水泳部で出店」
「え、水泳部も?」
「そ」
ほんのり涙の浮かんだ瞳が細められる。
か、かわいい……じゃ、なくて!
「クラスはたこ焼きだよね。水泳部はなにを出すの?」
「クレープ」
「クレープかぁ……水希くんが提案したの?」
「……そう思うんだ?」
どことなく楽しそうにする水希くんに思考が停止した。
水希くんの言葉がぐるぐると頭の中を回る。
クレープと聞いて――。水希くんは甘いものが好きだから、きっと水希くんが提案したんだろうと思った。
もしかして、違った?
窺うと、水希くんが短く笑う。素っ気ない感じではあったけど、いじわるさはなかった。
「真琴だよ。俺は、賛成しただけ」
「! そうなんだ」
「本当はめんどくさいから部活の方は無しが良かったんだけど後輩が聞かなくて。他の案がロクでもなかったからさ、まあやるなら真琴のが一番マシだったっていうか」
プールを使ったヨーヨーすくい、怜ちゃんの理論講座、マッスル展覧会……。
水希くんが指折りあげる言葉はどれもどんなものなのかと目を瞠るものばかりだ。
「プールでヨーヨーすくいって、すごいね……」
「ぶっ飛んでるんだよ、渚は」
「ふふ、そっかぁ」
でも水希くん、楽しそう。優しい目をしてる。
「さっきはもしかして、シフトの話?」次の話題を出した。
水希くんは首を縦にふる。
「真琴はあんまり料理が得意じゃなくてさ。後輩三人もできないことはないんだろうけど、目を離すと大変なことをしでかすから……」
「大変なこと?」
「プロテイン入れたり」
「ぷ、プロテイン……」
瞬時にプロテイン入りクレープを想像してしまって顔が青くなる。
ぜ、絶対に美味しくないよ……!
水希くんも何かを思い出したのか顔を歪めている。まさかプロテイン入りのご飯とか食べたことがあったり……。
「だからまだ料理のできる俺か遙が常に入ってた方がいいってことになってさ」
疲れたように言う水希くんは、確かおかし作りが好きだったと思うのだけれど。
不思議に思って聞いてみると、「作るのはいいんだけど、接客がだるい」と返答をもらった。な、なるほど……。
「そういえば高橋さんは何時から?」
「あっ、えっと。わたし、さっき他の子と時間を変わって……」
シフト表はずっと握っていたからくたびれている。
さっき時間を変わった子の名前を探す指。横で、水希くんが身をかがめてそれを追いかける。
指が止まる。あった。これだ。
“12:30〜14:00”
“橘水希”――。
「ふうん。俺と一緒なんだ」
「!」
何度見ても変わらない。さっきシフトを交代した女の子の名前の横には水希くんの名前がある。
気づかなかった。水希くんに指摘されるまで、まったく。
一緒、なんだ。水希くんと。一緒……。
……。
「俺、接客は遠慮していい?」
「……」
「? 高橋さん?」
「ひゃあっ! う、うんっ! がんばるっ!」
シフト表を折りたたんでポケットにしまう。
「わた、わたし、部活の友だちに言わなきゃいけないことがあるからまたあとでっ!」
「? うん」
釈然としない様子の水希くんに気づかないふりをしてわたしは一目散に走り出した。
水希くんと一緒ならたこ焼きを任せて大丈夫だ。とか、そんなのは上辺の思いで、本当は心が落ち着かない。
さっきまで友だちと回れないことが残念でたまらなかったのに。ああ、わたし、思ってたよりも現金だ……。
しかも。
思ってた以上に好き、らしい……。こ、困った……。