打って変わって街路は賑やかであった。
マーケットは人で溢れ、そこらに楽しそうな話声が聞こえる。
ベンチにかかった砂を払うために、水希は遙に腕を離すように頼んだ。
今の今までそのことをすっかり忘れていた遙は、半ば振り払うように腕を解いた。やってしまってから慌てたが、水希は気にした様子もない。
どさりとそこに座った水希が遙を見上げる。
座れよ、と誘われ遙は黙って横に座った。少し距離が開いた。
遙の涙はすっかり引っ込んでいた。
「名前は?」
「……?」
「あんたの名前」
「……遙」
「遙、ねえ……」
遙は思案する水希の顔をじっと見た。
しかし遙の期待を裏切って水希は首を振った。「知らないな」と。
5年たったといえど――十数年はともに過ごしてきたのだ。どうして、思い出さない。
まさか本当に人違いなのか?
「……俺は隊商の一員をしてる」
水希は落としたレモンの表面を撫でている。
「隊商」ぽつりと遙が復唱した。
水希も軽くうなずく。
「ここよりずっと遠いところが拠点で、そこの特産品とか、骨董品とか。いろいろよそに運んで売ってるんだ。まあ、俺は専ら用心棒なんだけど」
ちらと水希の視線が遙に落ちる。
遙は膝の上に拳を握って、何かに耐えているようだった。
「……いつもの道の目印が消えててさ。死ぬ物狂いでやってきたのがここだった」
「……」
「あんたに会う前は仲間に頼まれて買い出しをしてたんだ。……ま、俺のことはそんな感じだよ」
水希は背を持たれ、ふうと息をついた。
それ以上彼に語るものはないようだった。
「……その腕輪は、」
「腕輪? ああ……これ」
水希が左腕のブレスレットを撫でる。
少し古びたそれは、遙の記憶に色濃く残るものと寸分たがわない。
「これは……大事なものだよ」
――これは5年以上前の話になるが、遙はお遣いを頼まれ一人でマーケットを歩いていた。
その時に、路上に敷物を広げて胡坐をかく男の店が目に留まった。
そこに並ぶのは装飾品や短剣。どれも時代を感じさせたが、遙は一つのブレスレットから目が離せなかった。
似合う、と思った。
「……大事なもの、」
「ああ」
――当然それは値が張った。
どうにかまけてくれと訴えたが、まだ10にも満たない子供は相手にされなかった。
それならば言い値で買ってやる。
遙は短時間でお金を貯めるために、家の手伝いはもちろん、よその手伝いもした。けれどもあくまで子供の駄賃。決して危ない道はわたらなかったのでなかなか達しない。
悔しくて地団太を踏んだこともある。もういっそ近道に手を出してしまおうか。
そんなときに吾朗にばれてしまったのだ。
「俺は、これは何に変えても守るつもりでいる」
「、」
「大事なんだ。本当に」
――吾朗は渋る遙になんとかして話させると、そういう話なら、とどこか嬉々として自慢げに遙をマーケットに連れて行った。
あの店にはまだあのブレスレットがあった。
まだお金がたまっていない、と焦る遙だったが、吾朗は商人の前に腰を屈めた。
「……たかが腕輪だろ」
「俺にとってはたかがなんてものじゃない」
――遙は自分の手の中にブレスレットを大切そうに握って、どこか腑に落ちない顔をしていた。
吾朗は商人と数時間にわたって値の交渉をして、相手側を折った。
自分の力だけで手に入れるつもりだったのに。彼に手助けされてしまったのだ。
遙はそれが悔しかった。
遙が吾朗にお礼を言えたのは、ブレスレットを渡した水希が、いつもの不愛想をどこかに無くしてしまったかのように、満面の笑みで喜んだのを見てからだ。
水希はしんから嬉しそうだった。
その日のうちに腕に飾って、遙が見る日はいつも身に着けていた。
うれしさと同時、恥ずかしさが胸をくすぐるぐらいだった。
「……そうか」
遙はそっと目を伏せた。
もう疑いの余地がない。
ブレスレットを愛おしそうに見つめる眸子はむしろ違いを見つける方が難しかった。
彼は間違いなく水希だ。
5年間行方を晦ました幼馴染だ。
水希は背も高くなったし、声も低くなった。「走れ!」と遙に怒鳴りつけた彼とは全く違う。
それでも遙は確信していた。
水希は涙目になった遙に気付いていたが、なんと声をかければいいのかわからずに麻袋からはみ出る果実を意味もなく睨んでいた。
それを越した方には人ごみ。
水でぼかしたような影のひとつがこちらに来ていると気づいたのは、その影にゴンッと頭を殴られてからだった。
ぼうっとしていた水希にはかなりの不意打ちだった。
「いってぇ……!!」
「なにぼさっとしてんだ?」
遙は鈍い音に驚いて水希を見た。
水希は右腕で麻袋を押さえながら、左手で頭を覆い、痛みに悶絶していた。
水希の前には背が高くガタイのいい青年が腕を組んで立っていた。
「殴られるまで気付かねえなんて、用心棒が笑わせるじゃねえか」
「…………」
言い返す言葉もないのか、水希は顔をあげ、唇を噛んで青年を睨み付けた。
青年は不意に自分を凝視する視線が1人分でないことに気付き、天色の瞳を見つけ、首を傾げた。
遙も青年のエメラルドの瞳を観察するように見ていた。
「……おい。知り合いか?」
青年に言われて、水希も思い出したらしい。
「ん……、なんかめんどくさいのに絡まれてたから」
「……お前にか?」
「俺じゃねーよ」
「冗談だ」
キッと険しい目つきで青年を睨む水希を、青年は慣れたようにあやす。
水希はかなり不機嫌な様子でため息をつく。
「人を捜してんだって」
「人?」
「うん。俺と同じ名前のやつ」
「水希と?」
「そう。珍しいこともあるよな、同じ名前なんて」
青年は遙を見た。
どこか遙を怪しむ目つきだった。
「ああ、そうだ。これは宗介。俺の仲間だよ」
水希は遙が置いてけぼりになっていることにやっと気づいたようで、助けを求める遙の視線に応えてみせた。
「仲間」と遙は小さくつぶやく。
どこか警戒心を見せる遙に水希はフと笑う。
なんだ、ちゃんと人並みの用心は持ってるんじゃないか。
「大丈夫だよ、取って食いやしない」
「おい、どういう意味だ」
「おまえは威圧があって怖いんだよ」
ギロリと青年、宗介が水希を睨む。
「ほら怖い」と水希が喉を鳴らして笑う。
「で、おまえは宿を見つけられたの」
「……、」
「うわ、マジかよ。人のこと殴っておいて、おまえは指示のひとつもこなせてないとか」
「水希が選んだ方は簡単だったじゃねえか。ただのお遣い」
「なんとでも言えよ。宗介が宿を見つけられてない事実は変わらない」
「……お前本当にムカつくよな」
「今日は野宿だな」
麻袋の向こう側から得意げな顔をする水希があまりに不愉快で、宗介はもう一度拳を握る。
「……宿、探してるのか?」
「ああ。さっきも言ったけど、何の予定もなく偶然ここにたどり着いたから。泊まり先も食料もなくてね。店は開けるんだけど」
「水希は商売をしねえけどな」
「俺は護衛専門だからしょうがないだろ」
「客寄せも接客も不得意なせいだろ」
「やれって言われればどっちもできる」
「ま、顔はいいからな。客寄せぐれえならギリギリ」
「殺すぞ」
「えっと……何人ぐらいなんだ?」
水希が鞘にかけていた手を下ろしたため、遙はほっと安堵した。
こんなところで切り合いをされたらたまったものじゃない。
水希は口許に手を当てて考えている。なかなか答えが出で来ない。
「10人ちょっとだ」
見かねた宗介が答えた。
「10人ちょっと……? 隊商にしては少なくないか?」
「本当は100人程度はいるけど、ちょっと災難に遭ってね」
遙は水希が「死ぬ物狂いでここに来た」と言っていたのをふと思い出した。
それが遙に歯止めをかけた。
いったい何があったのかと詳細に聞こうとした遙に待ったをかけた。
「目印も消えて、オアシスも枯れてたら、しょうがねえよ」
「……ん」
ぐしゃりと荒く宗介が水希の頭を撫でた。
目印がなかった。
オアシスが枯れていた。
それだけ聞けば何となく察しがつく。キャラバンはほとんど壊滅したのだろう。
やはり聞かなくて正解だった。水希はわかりにくいが辛そうだった。
遙は話を変えることにした。……が、イマイチ思い浮かばない。
「山賊とか……」
なんて、特に気になっていないことを聞いてしまった。
「しょっちゅうだよ。あっちに比べると、少人数で高価なものを運んでるんだし、狙われないわけがない。基本商売以外は非力だしね」
あっけらかんと言ってしまった水希に遙は唖然とした。
「俺もこいつもそのための隊員ってとこ」と水希は宗介を指さす。
遙は宗介と水希を見比べた。
宗介は見た目からすぐに納得できる。比べて水希はいささか厳しいように思えたが、つい先ほど賊を伸したことを思い出すとわからなくはない。
「じゃ、そろそろ宿探しするか」
「は?」
「おまえが見つけられなかったら俺も困るし、なにより隊長がなんて言うかわかんないだろ。手伝うよ」
水希はゆっくりと立ち上がり、麻袋を抱え直す。
「その代わり俺が何個か果物落としたことは内緒で」
「……落としたのかよ」
「あ、おまえは知らないんだっけ……。損した」
割と本気で悔やんでいるらしい水希に宗介はあきれ顔をした。
水希は宗介の横に並んで、遙に向きなおす。
「人捜し頑張れよ」と、別れの言葉代わりにかけようとしたが、それを遙が遮った。
「十数人なら、うちと真琴の家でなんとかなる」
「え?」
遙はぎゅっと拳を握りしめた。
今、水希と別れてしまうわけにはいかなかった。彼にはまだ聞きたいことがたくさんある。思い出してほしいことが山ほどある。
遙の強い眼差しを、水希は相当驚いた様子で見つめ返した。
「泊めてくれんの?」
「ああ」
「おまえさ、もし俺たちがうそをついてたらどうすんの? 俺たちが賊なのかもしれないとか考えてないだろ。今までのは全部おまえのその言葉を誘い出すためで、おまえをだまして家の物を盗むのが本当の目的なのかもしれないのに」
「水希はそんな卑劣な奴じゃない」
「、」
怒鳴り声ではなかったが、静かなその声は確かな気迫に満ちていた。
水希が相手に黙るのは、宗介の知る限りでは隊長相手のときか自分相手のときかなので、その様子を驚いたように見る。
「……いや、だからおまえの言う“水希”は俺じゃなくて、」
「水希がそうなんだから、その仲間だって悪いやつなはずがない。泊まる場所に困ってるんだろ? 甘えた方が賢明だ」
水希は閉口し、宗介に助けを求めた。
宗介は水希を見下ろし、ため息と一緒に――「頼む」と遙に頭を下げた。
水希にとってそれはかなり想定外だった。
「……宗介、」
「多分今日はもう見つかんねえ。ならこいつの言う通り、甘えた方が賢明だ」
「でも、」
「どうして水希が渋るんだ」
水希はとうとう黙り込んだ。
彼の中で決断するのは随分苦しいことだったが、彼も遙に向けてゆっくりと頭を下げた。
「……ありがとう」
「……ああ」
遙は水希の礼にどこか嬉しそうに返事をした。
それを見た宗介は難しい顔をしていた。
隊商の隊長は話を聞くと大いに喜んだ。それじゃあお言葉に甘えて、とほとんど深く考えずに返事をする始末だ。
水希はわが隊の長の適当さにあきれたが、ため息を一つつくだけだった。
家の前に並ぶ十数人の人間に、戸を開けた真琴はパチパチと瞬きをした。
ラクダと大荷物。たまにこの町から出かけるキャラバンよりは小規模だが、ほとんどそれと大差ないだろう。
「えっと……?」
「俺のところで10人は迎えるから、あとの4人を頼みたい」
「え、いや、え? た、頼みたいって……」
真琴は困惑した様子で遙の後ろを見る。
ちゃんと数えると14人。いったい何の旅行団体だ、と言いたくなる。
遙にこんな知り合いはいただろうか。
「一応、母さんたちに聞いてみるけど……」
いろいろと聞きたいことはあるが、遙が急に泊めてやってくれ、と願ってくるぐらいには切羽詰ったものがあるのだろう。
幼馴染として、頼られたからには応えてやりたい。
けれど真琴は遙の引き連れてきた人間を怪しむように見て――「え」と。思わずこぼした。
遙もそれに気付いたのか「真琴」とどこか咎めるように彼を呼ぶ。
真琴の顔は血の気が引いていた。
「あれ、」
「……ああ。間違いない」
「……!」
真琴の視線の先には、後ろの方で背の高く体つきのしっかりとした青年と並ぶ、アッシュ系の茶髪で真琴よりやや弱い緑の瞳をした青年しかいなかった。
「ただ、覚えてないんだ」
「覚えて、ない……?」
真琴は呆然と呟いた。
遙が小さくうなずく。
「覚えてないって、どういう……」
「俺にもよくわからない」
「あ、そっか……。そうだよね」
あやうく遙に詰問しそうだったが、真琴はすぐに空白の5年のことを思い出し踏みとどまった。
真琴はもう一度水希を見る。
気付いた水希が軽く頭を下げた。
遙の言葉は本当だ。
だから泣くのも、彼に駆け寄り抱きしめるのも、真琴はぐっとこらえた。
真琴の家族は隊商の隊員4人を快く迎えた。
真琴たちへの挨拶は、水希を除く隊員全員で行った。
水希に関しては遙がわざと彼らに対面させなかった。
混乱を避けるためだ。
「お前には少しこっちを手伝ってほしい、挨拶は後でいいから」とわずかに焦ったように言われると、水希も断るに断れなかったようだ。
真琴は遙が時間を稼ぐ間に家族への説明を頼まれた。
説明、と言っても真琴も詳細には知らない。
ただこの隊商の中に「水希」がいて、しかし「水希」は自分たちのことを覚えていない、ということしかわからない。
真琴はなんと説明すればいいのか、と頭を悩ませた。
もうすでに客人に慣れた幼い弟妹が、彼らのみせる珍しい物に目を奪われはしゃいでいる。
それを遠くで微笑みながら眺める両親のもとへ、真琴は重たい足を引きずった。
♯
遙の家に泊まることになったのは、1人の女性と、9人の男性。うち2人は宗介と水希だ。
水希は意図的に遙の家に振るようにしたが、残りは隊長による適当な割方だ。
男だらけのグループに割り振られた女性を遙は心配したが、その必要はなかった。彼女は随分と男勝りで、他は完全に頭が上がらない様子だったのだ。
これだけの人数を泊めると随分部屋が小さく見える。
遙は突如として賑やかになった家に戸惑いを隠せないまま料理場所に立った。
「料理、俺も手伝うよ」
振り返らずとも誰なのかわかる。
「いい。疲れてるだろ? 休んでてくれ」
「……自分で作らないと食べれないんだ」
遙はやっと水希を見た。
顔に影を落とした水希は一瞬で、彼はすぐに申し訳なさそうに眉を下げた。
「今、なんて……」遙が困惑を隠しきれずに聞き返す。
「俺さ、他人が作ったものとか、その過程を見てないと安心して食べれないだ」
「え……?」
「誰に対してもそうなんだ。俺、なんていうか……」
水希は言葉を濁した。
「……せっかく振る舞ってくれようとしてるのに、こんなこと言ってごめん」
「……いや」
つまりは水希に拒絶されたのだ。
遙は首を振って、手伝いを頼んだが、胸にぼっかりと開いた穴が誤魔化せなかった。
5年の間に何があったのか、遙にはわからない。
♯
比較的水に恵まれているこの町にはシャワーがある。
それが隊商のメンバーにはかなり珍しかったゆえに、食事がすんだあとはシャワーの順番でもめた。
「いつもはどうしてるんだ?」と遙が聞くと、「バケツに水を汲んでくるか、そのままオアシスダイブ」とのこと。
それもそれで楽しそうだと遙は思った。
風呂場から隊員が出てきた。
「ちょっといいか」
不意に声をかけられ、遙はそちらを見た。
横にいた水希は宗介が遙に声をかけたと同時に風呂場へ走って行った。なんだかんだで彼も気になっているのだ。
宗介はそのタイミングでわざと声をかけたのだろう。
彼の存外真剣なまなざしに、遙は何となくそう思った。
宗介と遙は家の外に出た。
ちょうど隣の家の戸が開いた。「あ」と。そこから出てきた真琴が声をあげた。
「今から行こうと思ってたんだ。水希のこと、聞きたくて」
真琴は2人に近寄って、眉を下げて言う。
遙は宗介を見遣った。
「お前も水希を知ってんのか」
「双子なんだ」
宗介はわずかに驚いた様子を見せたが、すぐに首を横に振った。構わない、という意味だ。
反して遙は胸につっかえを感じた。
――お前も水希を知ってんのか。
まるで、すべてを知っているかのような口ぶりではないか。
「もう少し離れていいか? なるべく、あいつには聞かれたくない」
宗介は家から離れることを提案する。
それなら、と真琴はかろうじてここから見えるベンチを指さした。
そこに3人で腰かけた。
真琴を真ん中に、左に宗介、右に遙だ。
「……何から話せばいいんだろうな」
宗介は膝の上で手すさびして、どこか遠いところを見る。
「お前は……水希の何を知ってるんだ」
「ハル」
遙はそれがじれったくて、つい責めるような口調になってしまった。
それを真琴が咎める。
気にしなくていい、と宗介はうっすら笑った。
「お前が水希の双子の兄貴で、お前が……幼なじみか」
真琴も遙もそろって驚いた顔をした。
遙には、宗介に自分が水希を知っていることを言った記憶がない。
なのにどうして。
「まず、一つ言うなら。水希に昔のことを思い出させようとしないでほしい」
「……どういうこと?」
真琴が眉を寄せて聞く。
「あいつの背中に刺青があるのを見たか?」
「え……?」
真琴は慌てた様子で遙を見るが、遙もまた驚いているようだった。
2人の反応で答えはわかった。「そうか」と宗介は言うと、そっと目を伏せた。
「俺が水希にあったのは5年前だ」
宗介の瞼には今よりも幼い水希の姿があった。
その姿に胸が痛むのに気付かないふりをして、彼は続ける。