水希のことは、宗介から話を聞いた後に親に話した。
 両親はどちらも唖然としていた。それから泣いた。
 子の前ではめったに泣かないような2人だったので、俺は慌ててしまったし、つられて泣いてしまった。
「その子も話すのがつらかったでしょうね」と母は宗介のことを気遣った。
 俺も深くうなずいた。
 きっと俺以上に水希をその腕で抱きしめたいに違いないのに、両親は温かく迎えましょう、と笑った。
 水希は水希だから、と。
 蓮と蘭には話していないから、彼らは水希を見れば「おかえり!」と大きな笑顔で言うに違いない。
 彼らはこの5年間、水希は遠い国で勉強をしに行ったものだと思っているから。
 けれど幼さゆえの懐き様、と言ってしまえば誤魔化せるだろう。
 あまり幼い2人に話せるようなことではないので、何も伝えていないけど、きっと大丈夫だ。


 トントン、と戸をたたく音がした。
 家族は総出でマーケットに向かったばかりだったので、それにしては早い帰りだ。隊商の人たちだろうか、と不思議に思いながら戸を開くと、そこには予想外の人物がいた。
「……どうも」
「あ、……おはよう」
 彼がぺこりと頭を下げると、アッシュ系の茶髪がさらりと揺れる。
 一人、なのだろうか。
 窺うように彼の後ろを見たけれど、他の隊商の人はもちろん、宗介も、ハルもいないみたいだった。
「俺一人です」
「そう、なんだ」
 あまりに挙動不審な俺を見かねたのか、水希が自分だけであることを告げた。
「昨日、挨拶をしてないのは俺だけだったので」
 顰められた眉をみれば不機嫌だと誰だって思うだろうけれど、俺はその表情が困った、という気持ちからくるものであることを知っている。
 水希はちょっとだけ居心地悪そうにしている。
「ふふ、気にしなくていいのに」
「……でも、お世話になるのに、何も言わないのは失礼です」
「敬語」
「……?」
「なくていいよ。同い年なんだし」
 水希はパチパチと瞬きをして、ほんの少し首を傾げた。
「うん、じゃあお言葉に甘えて。……そういえば、名前は?」
「……真琴」
「真琴、でいい?」
「いいよ」
 5年ぶりに水希の口から呼ばれた自分の名前に胸が熱くなった。
 俺はうまく笑えていただろうか。
「君は水希だよね?」
「、」
「あ、昨日宗介に聞いたんだ」
「宗介? ああ、昨日の夜、真琴も一緒に話したんだ」
「……宗介から、何か聞いたの?」
「なんにも」
「気に……ならないの?」
「気にならないって言ったらうそになるけど。あいつがわざわざ俺のいないところで話したんだ、あいつなりの気遣いだろ」
 自分には聞かないでほしい話だろうから聞かないのだ、ということだろう。
「あ。俺も水希でいいよ」
 水希はほんの少し目を細めた。
 ずっとそう呼んできたし、今だってそう呼んでる。のに、改めて言う水希には、やはり何も残っていないのだ。
 正直俺は、俺が自分の名前を教えた時に、水希はなにか掴むのではないかと期待していた。
 それはあっけなく打ち破られた。
 水希は変わらず、俺と初対面だった。
「改めて、昨日は仲間が世話になった。ありがとう」
「ううん、蘭も蓮も喜んでたよ」
「……弟、とか?」
「あ、そっか……知らないんだったね」
「?」
 水希は俺の言い方に違和感を覚えたようで、ほんの少し顔を顰める。
「水希の昔話は必然的に“5年前”になる」ふっと宗介の昨夜の言葉を思い出して、俺は慌てて手を振る。
「言葉の綾だよ」とぎこちなく笑うと、水希はやっぱり怪訝そうにしていたけれど、深く聞いてくる気はないようだった。
 変に水希が記憶を探るような言動をとってしまえば、彼は振り返った先で宗介の語った5年間を思い出してしまう。
 それは避けたかった。
「妹と弟なんだ。今はマーケットに行ってる」
「へえ、真琴の家は賑やかそうだ」
 ちょっとだけ喉を鳴らして笑った水希。
 ズキンと鋭く胸が痛んだ。
 お前もその一人なんだよ。
 言えない言葉が俺の喉を焦がした。
「そういえば、これからどうするの?」
 この苦しさから逃れたくて、俺は無理やり話題を変えた。
「ああ。そのことも伝えに来たんだ」
 水希は今朝隊商の仲間と集まって話した内容を俺に教えてくれた。話を聞くに、どうやら……。
「しばらく、ここにいるの?」
 カアッと頬が熱くなる。
 そんな俺を不思議そうに見る水希は、軽くうなずく。
 よかった、すぐいなくなったり、しないんだ。
 胸を占めるのは喜びと安堵ばかりだった。
「真琴の家の人にも挨拶をしたかったけど……今いないなら、また夕方に出直すよ」
「どうして? 俺の家で待ってればいいのに」
「今から宗介と宿を探しに行くんだ」
「え、なんで?」
「質問ばっかりだな」
 水希は若干呆れた顔をした。
「ずっと真琴たちに迷惑かけれるわけがないだろ。泊まる先を探さないと」
「そんな、迷惑だなんて……」
「迷惑になるよ。何か月も世話になるわけにはいかない」
「そんなこと言うなよ……っ!」
 むしろ俺は水希に近くにいてほしいのに。
 また水希を見失ってしまうのではないかと不安になって、慌てて彼の腕を掴んだ。
 俺が急に叫んだことに驚いたようで、水希はあっけにとられた顔をした。
 しかし俺はそれよりも先に、水希の左腕の冷たい温度にハッとした。
「これ……」
 金色の、シンプルなブレスレット。
 俺が最後に見たそれは、腕とそれとの間に随分隙間を持っていたけれど、今ではちょうどよくなっている。
 震える手で水希の左腕を強く握り、恐る恐る彼を見上げた。
「おまえも気になるの?」と水希が困ったように笑う。
 おまえも、ということは、ハルにも言われたのだろう。
「大事なものなんだ」
「だい、じ……」
 ――ハルからもらったのだ、とはにかみながら俺に話した水希は、ポカンとする俺のせいでさらに恥ずかしくなったのか、「おやすみ!」と乱暴に言って布団にもぐる。
 やっと水希の言葉をかみ砕いた俺は、「ええ?!」と頓狂な声をあげて驚いた。
 大きな布団の山はビクリと揺れ動いた。
 しかし俺はそんなことにかまっていられなかった。
 あのハルが、水希に、プレゼント。しかも、ブレスレット。
 まじまじとは見ていないけれど、デザインもシンプルだったし、比較的毎日つけていても邪魔にはならないだろうから、きっと水希は常時それを身に着ける。
 ……す、すっごい「俺の物」って感じだ。
 ハルは意識してないんだろうけどなあと遠い目をするほかない。
「……あれ、寝るときもつけるの?」
「……ん」
「ええ、寝るときぐらい外しなよ……」
「……」
 無視。
 水希は何も言わなかったし、布団の山も動かなかった。
 ああもうほんとこの2人、見てるこっちが胸焼けする。
 大きくため息をついて、俺も布団にもぐりこんだ。
 あきれたように言ったくせに、頬が緩んでいるのには、俺自身ちゃんと気づいていた。
「それ、くれた人とか、覚えてるの……?」
「、」
 水希は目を瞠った。
「くれた、人……?」おうむ返しに言って、水希がブレスレットに視線を落とす。
 俺はバクバクとうるさい心臓を押さえて水希のことを待つ。
 しばらく経つと、ふらり、水希が後ろに下がって、ゆっくりその場にしゃがみ込む。
「水希……?」
 明らかに様子がおかしい水希に不安になって声をかけたけれど返事がない。
 慌てて俺も膝を折って彼の肩に手を置く。
「水希、水希っ?」
「悪い……」
 弱弱しい声。
 薄い唇は一瞬で色を失い、額には汗、手は震えていた。
 何が起こったのか理解できなくて、俺は呆然と水希を見ることしかできなかった。
「ちょっと、気分、悪くなって……」
 顔面蒼白として彼は無理に俺に笑いかけた。
「水希の昔話は必然的に“5年前”になる」もう一度宗介の言葉が脳裏に過る。
 それを言った苦しそうな宗介の顔も、声色も、鮮明に思い浮かんだ。
 俺はすぐ、水希はブレスレットをくれた人、を探ろうとしたが振り返った過去に思い出したくないことばかりを見てしまったのだとわかった。
 どんなに過去を探ろうと、水希には5年間しかない。
 それなのに俺は、宗介にも注意されていたのに、軽はずみな期待で、水希を苦しめてしまったのだ。
「水希っ、ごめんね、ごめん、大丈夫だから……っ」
「は、なんで真琴が焦るんだよ……」
 俺をなだめようとし、水希の冷たい手が俺の腕に優しく触れる。
 しかしそれすら恐怖で、俺は焦る気持ちを募らせる。
「ごめん……宗介、呼んでくれる……?」
 この状態の水希を一人にしていいのかとかなり迷ったけれど、水希の絞り出したような声に頷いて、俺は急いで家を出た。
 頭の中にあったのは後悔と恐怖。
 見たことのない双子の弟への恐怖は、5年前に彼を失ったときに感じたのと全く同じだった。

 あの日、俺は賊に囲まれたハルを、水希と一緒に見つけた。
 物陰に身を隠すように水希に静かにどなられ、慌てて引っ込んだ。
 胸の太鼓は異常にうるさくて鼓膜が破れてしまいそうだった。
 どうしよう、と焦る俺に、水希はやはり静かに「街に戻れ」と命令した。
「戻って、大人を呼んできて」
「でも、」
「俺が時間を稼ぐから」
 そういって水希は物陰から飛び出そうとした。
 俺はとっさに水希の腕を掴んだ。
 怖かった。
「大丈夫だから、早く」水希はちょっと苦笑した。その時に俺は、彼が怖がっていることに気付いた。
 水希の体は震えていた。
「真琴にしかできないんだ」
 水希は優しく俺の腕を解いた。
 ハルが賊に曲刀を突き付けられていた。
「走れ!」2人に背を向けた俺が、弾丸のように走り出したのは、水希の怒鳴り声のせいだった。


 多分ハルの家にいるだろうと思ってハルの家の戸をたたきもせずに開け放ち、靴を乱暴に脱いで家に上がった。
 ハルは食器の片づけをしていて、宗介は床に広げた地図を難しい顔をしてみていた。
 どちらも俺を見ると目を丸くした。
 俺は宗介に声をかけようとしたけれど、息が上がり、うまく言葉が紡げなかった。
 とぎれとぎれに、なんとか水希の様子がおかしくなったことを言うと、聞いていたハルも呆然とする。
 宗介はやっと俺の言葉をつなげて、チッと大きく舌を打つ。
「宗介……」
「話はあとだ」
 宗介は俺を一睨みし、走ってハルの家を出た。
 俺は気が動転したままだったけれど、ハルは俺の腕を掴み、「俺たちも行くぞ」と急いで宗介の後を追った。
 俺はほとんど引きずられるようだった。
 家にまた戻ると、壁に背を預けて座り込んでいる水希とすぐ目が合った。
 彼の前には屈む宗介がいて、水希の手を握ってやっていた。
「あ、真琴。遙もか」
「大丈夫、なの?」
「ん。ごめんな急に」
 水希には顔色はすっかり元に戻っていて、声にも芯があった。
 少しの間に宗介がどのようにして水希をなだめたのかはわからないけれど、そんなことを気にする間もなく、俺は水希があっけらかんと笑うことで気が抜けた。
 へたんとその場に座り込む。
 慌てた水希が俺の方に駆け寄ってくる。
「どうした?」
 慌てて俺の顔をのぞき込む水希が幼い頃の彼と重なる。
 そういえば怖いことがあったときは、一人しゃがみ込んでは、こうやって水希に心配されたんだっけ。
 何でもないよ、と首を振る。
 水希は腑に落ちない顔をしている。
 ああ。その優しい瞳は何があっても揺るがないのに。
「ありがとう。大丈夫だよ」
 水希の頭をわしゃわしゃと撫でる。
 されるがままの水希は少し唖然としていた。
 しばらくして落ち着くと宗介に呼ばれた。
 水希とハルを家に残し、俺たち2人で外に出る。
 いささか不安そうにハルは俺たちを見ていて、水希は宗介に何やら言いたげだった。
 それでも2人は俺たちの後を追ってくることはなかった。
 宗介は日陰になっているところで背を凭れ、腕を組んだ。
 俺は中途半端な日蔭と日向の境目に立った。
「……大方水希に聞いた。お前のせいじゃないって何回も言ってるだけだったけどな」
 早速出たのは大きなため息だった。
 過去を思い出し、あれほどまで体調を崩すことを宗介は知っていたから、昨夜俺たちに告げたのだ。多分、怒っているだろう。
「ごめん」と小さく謝ると、宗介は首を左右に振った。
 俺も宗介もしばらく無言になった。
 今の時間はみんな働きに出たり、マーケットに出たりしているので、この場は随分静かだった。
「……やっぱり、俺のわがままなのかな」
「……」
 宗介は静かに俺を見遣った。
 それを機に、俺はゆっくりと話し出す。
 俺はどうしても水希に眠っている部分を起こしてほしいと思っている。
 昔のようにハルと笑いあってほしいし、家族でそろって手を取り合いたい。堂々と、お前は俺の双子なのだと言いたい。
 たまにケンカして、仲直りして。当たり前をもう一度描きたいのだ。
 今の水希には今の水希の環境があるのだと分かっていても、俺はあきらめがつかない。
 ブレスレットを甘い瞳で見つめる彼を見たのだから、なおさら。
 だけれど水希は苦しむ。昔を探しては、もう一度地獄にもぐりこみ、その苦痛に身を裂かれる。
 ならばこれは俺のエゴイスティックな思いということになるのだろうか。
 大好きな双子が戻ってきて、彼を守りたいと願う、俺の思いは。
 もう一度幼なじみと弟の幸せを望むのは。
 ハルにブレスレットをもらった水希はあんなに嬉しそうだったのに。
 水希はあれを大事なものだと言って優しい目をするのに。どうして過去を振り返ることが苦痛となってしまったのだろう。
 どうしても彼に思い出してほしいのだという趣旨の話を、宗介はただひたすら黙って聞いていた。
 それから不意に空を仰いで、ふーっと息を吐き出した。
「……水希が拒まない限り、俺も無理強いはしねえ」
 きっと強い否定をされると思っていたので、宗介の言葉には拍子抜けだった。
「え」と抜けた声を出す。
 宗介は何も言わずに預けていた背中を壁から浮かせた。
「いつか来るってわかってた。それが今なんだろ」
 宗介が言わんとしていることを正確につかむことはできなかった。
「でも、水希が嫌がったら、やめてやれ」と宗介は言い残して、ふらりと歩き出した。
 俺は呆然とその場に立ち尽くしていた。
 もう一度求めていいのだ、と許可されることで落ち着いた心とは裏腹、去っていくその背中にどうしようもない息苦しさを覚えた。

 宗介は、きっと水希に思い出してほしくないのだ。何か、違う理由から。