5年経って、水希は背が高くなり、顔は大人び、体付きもしっかりし、声も低くなっていた。
 隊商の護衛として生き、外の世界のことも知っていた。
 まるで俺とはかけ離れた世界に住んでいた。
 それでも俺は。


 真琴と宗介が出て行ってしまい、残された俺たちはお互いに顔を見合わせる。
 とりあえず部屋で待っていようと俺が提案すると、水希は暫時ためらった末に頷いた。
 2人掛けの椅子に一緒に腰掛ける。
「……真琴がお前の具合が悪くなったって言ってた。大丈夫なのか?」
「ああ、もう平気だよ。ごめんな、変な気ぃ遣わせて」
 水希は苦笑して頬をかく。
 何があったのか掘り返すのは余計な気がしたので、そうか、と頷くだけにしておいた。
 一人手遊びしていると、不意に水希が今朝隊商の仲間と集まったときに話した話を切り出した。
 聞くところによると、この町から彼らの拠点が遠いとか、帰り道の目印もわからないし、外も荒れているのでしばらくは動けないとか。
「じゃあ、しばらくはここにいるのか?」
「ん」
 下手すれば1年はいるだろうね、と水希は喉を鳴らして笑った。
 そっけない返事をしたけれど、かあっと熱くなった頬は素直に喜びを示している。
「だから今日は宿探しのリベンジ」
「なんで宿を探すんだ?」
「遙は真琴と同じことを聞くんだな……」
 水希のあきれた眼差しが俺に向く。
「ほんっとお人よしだらけで鈍りそう」と小さくつぶやいた水希は、同じように小さめのため息をついた。
「これから何週間も世話になるわけにはいかないだろ。10人も泊まってたら迷惑だ」
「別に俺は迷惑だなんて思わない」
「……本当におまえは真琴と同じことを言うな。本当に……おまえらは俺には眩しすぎるよ」
 ぽつりとつぶやかれた言葉に俺はポカンとあっけにとられた。
 哀しそうに揺らぐ目は、どこか虚空を見つめている。
 過去を見る目だった。
 ズキ、と胸が痛んだ。そんな顔をさせたいわけじゃないのに。
「俺は猜疑心の塊だから、少しうらやましいよ」
 自嘲的に水希は言った。
 昨夜の話が脳裏を過る。
 宗介にも水希にも、人を疑い生きていく術しか与えられなかったのだ。
 俺に綺麗だと言ったり、眩しいと言ったりするときの水希は、自分は汚く、色あせているのだと暗に言っていた。それが俺にはヒシヒシと伝わってきていた。
 でも、その腕の飾りをまだ大切にしてくれているお前は。大事なのだと目を細めたお前は。
 言おうとしたけれど、それよりも先に水希が手をたたき、この空気を破る。
「変なこと言ってごめん。聞き流しといて」
 水希はさっと立ち上がって「じゃあ俺は宗介より先に宿を探すよ」とうっすら笑う。
「……見つからなかったら、今夜も泊まれ」
「……お人よしだな。まあ、その時は頼むよ」
 見つからなければいい、宿なんて。
 言いたいことは何も言えずに、ぎゅっと拳を握って水希の背中を見つめることしかできない俺は、5年前から何も変わっていないのだろう。

 夕方、そろそろ夕飯の支度をしようとしていると、トントンと戸をたたく音がした。
 昼間にマーケットで買った魚を置いて、戸を開けに行く。
「……」
「水希……」
 扉の前には大変不服そうな顔をした水希と、その他昨日と同じ隊商の隊員が立っていた。
 何人かは麻袋を持っている。宿は見つからなかったらしい。俺はほっとした。
「ダメだったのか?」
 水希はむすりとしたまま頷き、それから申し訳なさそうに頬をかく。
 プライドが邪魔をして、彼の口からは言いづらいのだろうと思って、「俺が言ったんだ。今晩も泊まれ」と言った。
「……ごめん」
「気にしなくていい」
 扉を大きく開けてやると、隊商の人たちが「今夜もお邪魔しまーす」とか「迷惑かけてすまんなぁ」とか、俺に一声かけてから家に上がっていく。
 水希は宗介に声をかけられてやっと動き出した。
 何をそんなにためらうのか、俺にはわからなかった。
「ハルー、シャワー使っていいかぁ?」
「ああ」
 隊商の一人に声をかけられたので頷くと、我先にとシャワーの取り合いが始まった。
 みんな俺たちより年上だろうに、なんだかとても子供っぽい。
 水希も同じようなことを思っているのだろうか、微妙な目で彼らを見ている。
「ちょうど夕飯の支度をしてたところだ。お前もやるだろ」
「あ……うん」
 ぎこちなくうなずいた水希の左腕を掴んでキッチンへ連れていく。
 触れたブレスレットはやはり冷たかった。
「あ、魚買ったんだ」
 水希はすでに調理台に乗っていた魚を見て、少し上ずった声を出す。やっと本調子になってきたようだ。
「まあな」と頷くと、「なんだ、買えないのかと思ってた」と水希は小さく笑う。
「ほら、今朝はマーケットですごく悩んでただろ? だからどんなに魚が好きでも好みに合わなくて、結局は買えない性格なのかと思ってた」
「どんな性格だ……」
「水希、ほら」
「ん。ありがとう」
 食材の入った麻袋なんかを、宗介がこちらにやってきて水希に手渡した。すぐにいなくなるかと思いきや、鼻歌でも歌いだしそうな様子の水希をジと見て「お前、本当料理のときは別人だよな」とあきれ顔。
「こんな男が護衛とか……」
「なんか文句あんの」
「負けた気がすんだよ」
「まあ事実俺の方が剣の扱いうまいし。なあ遙、今日は何にすんの?」
 水希は宗介を雑に扱っている、と思う。彼が嫌いだからとかじゃなくて、信頼しているからこそのいい加減な扱いなんだろう。
「クスクスにする」
「いいね。魚のクスクスとか、俺まだ作ったことないけど」
 そう言って笑う水希は楽しそうだ。
 昔から水希は料理が好きだった。そのことをぼんやりと思い出して、少しだけ泣きたくなった。
 それがばれたくなかったから、俺は何も返事をせずに、魚に包丁を入れた。
「なあ。動きにくいんだけど」
 水希の文句を聞いてちらりと横を見ると、宗介が水希に後ろから腕を回している。
 俺はそれを見て少なからず動揺した。なんでって、料理をする水希はひどく面倒くさそうな顔だけれど、その腕を振り払おうとはしないから。
「危ないから離れろよ。ほら、包丁使ってるから」
「しょっちゅう曲刀振り回してんだろ」
「それとこれとは話が違うだろ」
 深いため息をつきつつも、水希は宗介を追い払わない。どことなく、慣れた様子で作業を続けている。
 自分の包丁を扱う手が震えた。胸には嫌なものが充満していた。
「離れなさいよ」
 高めの声に俺ははっとした。まるで俺の胸中そのままであったが、俺とは違う声だったので、俺が無意識に口に出したのではないらしい。
 見れば、俺の家に泊まる隊員、唯一の女性が立っていた。
 彼女は振り返った宗介を、かなり迷惑そうな顔で値踏みするように見た。
「男2人がイチャイチャして。むさくるしいわ」
「嫉妬か?」
「そんなわけないでしょう。もう、本当あんたたちだけ宿に泊まればよかったじゃない。10名越えだから見つかんないだけで、2人部屋なんてあふれてるんだから」
 女性の言葉に、耳が痛いとでもいうように、水希は俯いている。
「……別々に泊まると、連絡が瞬時に行き届かないだろ」
「大人な水希はそういうけど、彼氏は不服そうよ」
 かれし。それが何なのか、誰のことなのか、すぐには理解できなかった。
 なんとなく、そうなのだろうとは思っていた。
 今朝もマーケットの帰り、朝食を作って振る舞ったとき、水希は宗介にキスをしていたから。それを俺以外だって見ていたけれど、みんな何も言わなかったから。ああ、当たり前なのか。受け入れられてしまっているのかと。俺だけが、異端だった。俺だけが、一人で傷ついていた。
「どうせどっちも溜まってるんでしょう?」
「……ストレートすぎだって、あんた一応女だろ」
「なによ、そんな『女』の前で未遂だったことがあるくせに」
「未遂だろ! それにあれはあんたが突然部屋に来るからでっ」
「言いつつお前、俺のこと突き飛ばしたりしなかったし、あのあといつもより感度よかったじゃねえか」
「宗介!」
「ほら、痴話喧嘩はよそでやりなさいよ。困ってるわよ、家主さん」
 水希が慌てて俺を見て、なんとか言い繕おうとしている。が、うまい言葉は見つからない。
「付き合ってるのよ、この2人。何かとめんどくさいだろうけど、大目に見てあげて」
 女性はそういうと、踵を返してこの場を去った。
 それと同時に、宗介も水希から離れて、彼女の後を追う。どうやら彼女が何かを言って宗介を離れさせたようだった。
 この場に残った水希は握りこぶしを額に当てて、何とも言えない声で唸っている。
 女性は、まったくの厚意からあんな話題を出したのだろう。これからしばらくはここに留まるだろうから、宗介と水希の仲を事前に俺に伝えておこうとしたのだ。その方が、いろいろと不便にならないだろうと思って。
「……」
「……」
 俺と水希は無言だった。
 俺はその無言について、気まずいとか、どうでもいいとか。そういうことを考える余裕があったけれど、反対に水希はずいぶん余裕がないようだ。わかりやすいぐらいに赤面。俺に宗介との関係がばれたのが恥ずかしいのか、あんな話題を聞かれたことが恥ずかしいのか。
「……気にするな、宿は取らなくていい」
「……」
「そういう仲だろうが俺は気にしないから。ここにいていい」
 水希は不思議そうに俺を見た。
「……、ありがとう」
 ぽつりと言われた小さな礼には、大きな安堵がこもっていた気がした。
 俺は、嘘をついた。誰よりも気にして、動揺して、嫌だ嫌だと喚いているのはほかならぬ俺自身なのに。
 明確な関係だったわけじゃない。それでも俺と「水希」は、お互いに同じ思いを持っていると自負していた。
 それを、帰ってきた水希は忘れ去っていた。そして、俺とは別の、心から信頼できる相手を見つけていた。
 ふざけるな、と怒鳴りたかった。
 それでも俺が水希と離れた5年間を考えると、俺にはできない。
 暗い闇の中で手を引きあった2人なら、しょうがないのだろうと思っている自分がいるからだ。
 静かに水希の左腕を見る。彼の腕のそれのせいで、俺は期待を捨てられないのだろうか。俺がそれをやったんだとも、あいつといるのならそれを外せとも言えないのは、俺が臆病だからか。
 ああ。ただただ、遣る瀬無い。



 朝起きると、すでに部屋には3人の姿があった。3人というのは女性隊員と宗介と、あとは水希だ。彼らはお金を真ん中にして円を描くように座っている。
 何をしているのかと不思議に思ってその場で足を止める。真剣に話し込んでいるようだ。少し、近寄りがたいな。……けど、水を飲みたい。水を飲むためにはあの3人のそばに行かなきゃいけない。
 どうするか迷っていたらタイミング良く俺に気付いた水希が「あ」と声を漏らした。
「おはよ」
「……はよ。何してるんだ?」
 聞くと水希は俺を手招きした。
 さっきまではためらっていたのにそれだけで足は軽くなる。誘われるがままにそちらへ行って、水希が女性との間に作ったスペースに腰を下ろす。
 向かい合うことになった宗介からは何もなかったが、隣になった女性には、水希と同様挨拶をされた。
「お金がない事件」
「は?」
 水希はちらりと俺を見て、金銀の山を見る。
「隊長のところに行けば、昨日売り出しに行った分があるだろうけど……」
「すぐ尽きるだろうな」
 順に、女性と宗介だ。
 水希の見る山は、山といっても頼りないもので、しかもどれも大金ではない。確かにこれはお金がない。
 てっきり俺は誰かに盗まれた、とか。そういう類の話だと思っていたのは余談だ。
「水希」
「ああ。わかってる」
 宗介の視線を受け、水希は頷いた。
 ……少ない言葉を交わすだけで通じ合っている様子を見せつけられるのは気分が悪い。胃がムカムカするけれど顔には出さないよう我慢した。
「遙、朝っぱらから悪いけど。案内を頼みたい」
 唐突に俺に告げた水希に、俺はしばらくポカンとすることしかできなかった。


 俺が水希たちを連れてきたのは、マーケットのすぐ近くにある場所――たまに芸人が来て、そこで自分の腕前を披露している広場――だ。
 まだ人はまばらだ。そんな中で、水希は手首足首をくるくると回している。
「夜の方が盛り上がりそうだけどな」
「朝はコマーシャルみたいなもんだよ。夜もやります、って言えば、もっと集まるだろ」
 宗介は持っていた大きめの袋を水希に渡して、少し離れた場所に立っている俺たちの方に戻ってきた。
 一緒にここに来た女性に、水希は何をするつもりなのかと聞くと、まあ楽しみにしてなさいよ、と笑って返される。
 疑問はまったく解決しなかった。はぐらかされた。むずむずして水希を見る。
「意外と器用なのよ」
「?」
「ちょっとあたしは手伝ってくるわ」
 彼女はそう言って、2人の隊員(今朝の輪にはいなかったが彼女がたたき起こして連れてきた)と一緒に水希の方へ駆け寄って行った。
 俺は宗介とぽつんと残されて、どうすればいいのかと困った。多少なりとも嫉妬している相手と二人きりなのだ。彼はどうも感じていないだろうが、俺は気まずい。
 どさりと宗介が段差に腰掛けた。
 俺はそれをちらりと見て、少し間を開けて座った。
「……あいつなりの金稼ぎだ」
 ぽつりと言った宗介を慌ててみるが、彼は少しも俺を見ていない。それ以上は何も話す気がないのだろう。
 水希が袋から取り出したのは鞘に収まった曲刀だ。数はざっと5本ほどあるが、あれをどうするんだろう。
 その様子を見て通行人は不思議そうに立ち止まる。
 パンパン、と女性が手を打った。
「ご注目くださーい!」
 彼女たちの前にはぽつぽつと人が集まり始めた。
 女性は水希に向き合ってにこりと笑う。まばらに集まっていた人たちがおっと声をあげた。まあ、美人だからな。あの人。
 彼女の笑みを見て水希がどんな反応をしたのかは、あいにく彼に背中を向けられている俺には見られなかった。
 2人の隊員が、水希と同じような袋から取り出したのは楽器。一人は笛、もう一人は太鼓だ。この街では見かけない装飾がなされている。
 それを使って音楽を奏で始めた。2つしかないため、盛り上がりには欠けるが、それでも人が徐々に足を止め始める。
 水希は一本の曲刀を鞘から抜き、一振りする。
 太陽に反射した切っ刃に背が寒くなるのを感じた。俺はまだ忘れられていないのだろう。
 そっと水希から目をそらして女性を見た。彼女も手に何か持っている。……リンゴ?
 人々の前に女性が見せるのは、どこからどう見ても真っ赤な形のいいリンゴだ。
 ますます水希たちが今から何をするのかわからなくなり、俺は相当おかしな顔をしていたと思う。
 女性は音楽に合わせて、ひょいとリンゴを宙に投げた。
 それは穏やかな放物線を描いて水希の方へと落下する。
 水希のすぐ目の前に来たそれを、水希が薙ぐ。スパンと真っ二つに割れたそれに、群集がおおと声を上げた。
「切れ味良好です!」
 と、彼女は明るく言って、水希がひょいひょいと投げたリンゴを受け取る。それから前の方にいた人に渡した。
 よければ朝食に、と聞こえた。
「この切れ味抜群の短剣を使って、このお兄さんがやってくれますよーっ!」
 お、お兄さん……。そんな呼ばれ方をした水希が一体どんな顔をしたのか少し気になるところではある。
 彼女はそう言うと、少し下がってくださいね、と群集を水希から離す。
 ぱちぱち、と瞬き。何をするのか宗介に聞こうと思ったけれど、それはなんだか癪で。それにそんなに待たずとも答えは見つかるだろうから、俺はじっと水希たちの方を見ることにした。
 きちんと数えると短めの曲刀は全部で6本あった。それを全部鞘から抜いて、水希は足元に2本、手にもそれぞれ2本ずつ持つ。
 ざわざわと群集がざわめきだす。
「さあ、ご注目ください!」
 もう一度、彼女が言うと、音楽が変わる。
 それを合図に、水希は足元の短剣を足で掬い上げ宙に高く上げると、手元の剣も同じように空へ抛った。
 途端に短剣は全部で何本あるのかわからなくなる。今水希の手に帰ってきたかと思えば、また宙に舞って、かと思えば水希の手には違う短剣があって。
「……あれ、切れるのか?」
「さっきリンゴが真っ二つだっただろ」
 思わず聞くと、宗介にあきれたように返された。
 くるくると宙を舞う短剣は、太陽に照らされきらりと光る。切れ味良好、つまり、ちょっとでもミスするとグサッと。
 群集の中には俺と同じことを思う人がいるようで、ひやひやとしながら、けれどのめりこんで水希を見ている。
 その場で一回転したり、少し動いてみたり。脇の下に回したり、足の下をくぐらせたり。そのたびに広場が歓声で沸いた。
 何分間、人々が水希に魅了されていたかは分からない。
 音楽と一緒に、最後には両手に3本ずつきれいに収めて、水希は頭を下げた。
 わあっと歓声があがって、女性が用意した袋の中に金銭が投げ込まれる。
「夜もやるのかい?」とか「剣は切れるんだろう?」とか。そんな声をBGMに、俺は無意識に握りしめていた拳を解いた。一気に、脱力してしまった。
 始終ヒヤヒヤしていた。短剣が水希に刺さるんじゃないかと。それでも水希を止めに入らなかったのは、俺もまた、スリルのある彼の芸に魅了されたからだ。
「あれが、今の水希だ」
「……」
 宗介はそう言って立ち上がった。
 まだ賑やかにしている水希たちの方へ向かうようだ。
 それを追う気にはならない。俺はその場に座ったまま、水希を見つめる。
 不意にこちらを見た水希が、ちょっと笑って小さくピースをしてみせる。なかなかお金が集まった、という合図らしいが。
 ……本当、心配しっぱなしだった俺の気にもなってほしい。
「……バカだな」
 ふっと頬が緩んだ。
 彼は俺の知っている水希じゃない。それでもやっぱり俺は、彼が好きだ。