ヴァレリーはもともと家族と賑やかな食卓を囲んできた。今日はこれの味付けがいいとか、これをもっと食べたいとか。一人で食事するなら静かな空間でも構わないのだが、全くの無口で味のひとつさえ感じてなさそうなジグルフがいると変に気まずい。
「これ、おいしいですね」
だからヴァレリーは話しかけるのが日課になり始めた。もちろんその相手はジグルフ――
「キュ!」
ではなく、ハリネズミである。
ヴァレリーの声掛けにハリネズミは可愛らしい鳴き声を出して返事をする。相変わらず肯定否定以外の会話は理解できないけれど、声をかけるとヴァレリーを見つめて返事をしてくれるのが、ヴァレリーはとても嬉しい。
いい子ですねとはにかみながら小さな背中を撫でてやる。ハリネズミの方は、ふるると身震いさせ喜んでいるらしかった。
「君も、ベーコンは好きですか?」
「キュ」
「ふふ……ゆっくり食べるんですよ」
一匹と一人が会話をする中ジグルフのほうはもちろん無言である。
口を開くと大概嫌味や屁理屈ばかりが出てくるので黙っててくれた方が助かりはするが、かの男はいつもぼんやりと遠くを見つめているので、何を考えているのだろうかと、ヴァレリーは少し気になる。
「……。君のご主人は無口ですね」
「キュキュー」
小声でハリネズミに言う。
そうでもないよと言ったのか、その通りだよと言ったのか。ヴァレリーをちらりと見上げた後は、ベーコンに夢中なようだ。
「この子とは、一緒にいて長いんですか?」
「……」
「……、……」
ヴァレリーは思い切ってジグルフに声をかけてみた。が、案の定、ジグルフはついた頬杖はとかずにそっぽを向いている。
返答を大きく期待していたわけではないが、あからさまな無視は腹立たしいものだ。ヴァレリーはムッと眉間に皺を寄せ、嫌なやつだと胸の中で呟き、半ば八つ当たりのようにベーコンをフォークで刺した。
「子どもの頃からずっといるかな」
「……?」
「その子。俺が小さい頃からずっと一緒にいる」
ワンテンポ遅れて返ってきた言葉がヴァレリーの質問に対する答えなのだと気づくのに、ヴァレリーはほんの少し時間を要した。
ヴァレリーはぱちぱちと瞬きをして、すぐ怪訝な顔をする。
「無視したのかと思いました」
「聞こえてたよ。いつからかなって考えてた」
「ふーん。耳が悪いのかとも思ったけどそうじゃないんですね」
「いや、結構悪いよ。気を張ってないと聞き逃す」
「……」
ヴァレリーはピタリと動作を止めてジグルフを見た。
……耳が、悪いのか? 確か彼は右目の視力がないだか右目自体がないだか……。耳も、よくきこえないのか。……。
「なんてね。冗談だよ」
ジグルフは鼻で笑った。
本当に耳が悪いと思った? 俺まだこんなに若いんだよ。と軽口を続けさえした。
ヴァレリーはまたもムッとする。
「……。心配して損しました」
「ヴァレリーは真面目だねえ」
頬杖をとき、両手を肩あたりまであげるジグルフはやれやれとわざとらしくポーズを取った。
ヴァレリーのムカつきメーターは徐々に上昇しているが、まだ爆発するには至っていない。ジグルフの不真面目な態度に少し耐性がついたような気さえする。
ハリネズミはベーコンをすっかり食べ終えて満腹のようだ。ヴァレリーの傍でくぷくぷと寝息を立て始めている。
「こんなに若いって。確かにお前、少し幼い気がしますが……。いくつなんです?」
「ん? うーん、もう100年は生きたかなぁ」
「……」
「顔怖っ。魔法使いって見た目より歳いってそうなイメージない?」
「今はおとぎ話はしてません」
「つまらない男だなぁ」
「…………」
「んー。多分、17にはなると思う」
「じゅ、じゅうしち!?」
ヴァレリーは苛立ちを隠しもしない顔をしていたかと思えば今度は顔色が真っ青だ。
「なに?」
「いや、……うん……、若いですね。それが本当なら……」
それが本当なら。本当なら、ジグルフは随分と若い。ヴァレリーは成人していて、ジグルフの語る年齢より5つ上の22歳だ。いうならお兄さんなのだ。なのに5つも年下の男に翻弄されていたとは……。
「……」
なんだか急に情けなくなった。
「……ん? お前、この子と子どもの頃から一緒っていいました?」
「言った」
ヴァレリーは訝しむ。
詳しいことを知っているわけではないが、あれぐらいの小動物となると生きて2年、長くても5年程度ではないのだろうか。ジグルフは彼自身を17歳だと語ったので……子どもの頃からずっと一緒にいるとなると、このハリネズミ、随分な長生きではないか?
「すごい長生きな子ですね……?」
「魔力さえ尽きなければ俺より生きるよ」
「はい?」
「その子、使い魔だから」
使い魔。
使い魔……。使い魔?
ヴァレリーは頭上にたくさんのハテナを浮かべる。「ツカイマ」聞いた言葉をただ繰り返す。
「要するにただのハリネズミじゃないってことかな」
「……。ふーん」
ジグルフも今は詳しい説明をする気がないようだった。
ヴァレリーとしても使い魔とやらがなんなのか理解できないうちに語られても、頭が痛くなるだけだろうから、特に追求はしなかった。ただのハリネズミじゃないのか。確かに、ふわふわ浮くし、話ができるし、使えない治癒魔法を使えるようにしてくれたし。特殊なハリネズミなのは納得だ。
ヴァレリーは眠っているハリネズミをちょんと指でつついた。すぷすぷ眠っていて起きない。無防備なやつだ。
「……」
なんだか今なら聞けそうな気がした。
「お前、名前はなんて言うんです?」
「?」
急に名前を尋ねてきたヴァレリーには、ジグルフの方も少し面食らったようだ。
「もしかして、墓標にでも彫ってくれるの?」
「誰がお前なんかの墓を立ててやるもんですか。お前、お前って呼んでると、不便だから聞いてるんです」
「なるほど?」
「で! なんて言うんです!」
ジグルフお得意の饒舌で話が長引きそうだったのでヴァレリーは声を張った。
「ジグルフ」
「……」
「親しみを込めてジグって呼んでくれても構わないよ」
「嫌です」
「それは残念」
と言いつつ表情は真顔だし、話から興味を失ったようにまたベーコンをつついているので全く残念と思っていないのだろう。
教えてもらえないかもと思っていたが案外すんなり教えてもらえた。
ジグルフ――。
ヴァレリーは胸の中でその名前を呼んで見る。ジグルフ、ジグルフ……。ふーん。そんな名前だったんだ。
「ふん……」
別に彼の弱みを見つけたわけではないが、彼についてひとつわかったことが、なんとなく、ヴァレリーを愉快にさせた。
「じゃあハリネズミちゃんの名前はなんていうんです?」
「名前はつけてないよ」
鼻歌交じりしていたヴァレリーに対してジグルフは至って冷静そうだった。
ヴァレリーはキョトンと目を丸くし、不思議そうにジグルフの様子を伺う。冗談を言ってるわけではないらしい。
「名を呼んでしまうと情がわく。そうなると失うことが怖くなる」
「……」
「ねえヴァレリー。君は俺のことを殺せるのかな」
――嫌な人だ。
ジグルフは、ヴァレリーの気さくな友人であるかのように振る舞うのにたまにこうやって、自分がヴァレリーの全てを奪った悪魔であることを思い出させる。
忘れてたつもりはない。ないのだけれど、もしかするとこの人はあんな残酷なことをする人間ではないんじゃなかろうかと胸の隅で思ってしまうのだ。
それなのに、希望ともとれるその思いを、ヴァレリーの胸に小さく芽生えた――それこそ情というやつを摘んでしまうかのように、ジグルフはふとしたときにこうやってヴァレリーに現実をみせる。
「あ。まだ俺のこと呼んでなかったか」
あははとおもしろくなさそうに笑うジグルフ。ヴァレリーは静かに視線を落として黙り込む。そういうお前は俺こと名前で呼んでいるけど情がわきましたかとか、俺がいなくなるのは怖いですかとか、返す言葉はあったのだけれど、何も言えなかった。
ジグルフ。もう何度かその名前を胸の内で呼んでしまった。
自分は彼をいつか失うのだろうか。
それは、恐ろしいことなのだろうか――。