その日は宿を借りた。もちろん、ジグルフがモブハントで稼いだ賞金で、だ。ジグルフが自分の瞳を売るだのうんぬん語りだした時にはヴァレリーもかっとなってお前なんかの世話になる気はないと断言してやったが、あの町の外に出たことがないから――宿の勝手はわからないし(意気揚々と店主に声をかけ田舎者を見抜かれて料金をぼったくられるところであったのを離れて見ていたジグルフに止められた)――外でのお金の稼ぎ方だってわからないし(多分これは習えばわかるが、傭兵稼業やら製作代行やら初めて見たものはさっぱりであった)――ひとりでは、何もできなかった。
「クキュ、キュ」
「ハリネズミってクッキー食べていいんですかね?」
ヴァレリーはテーブルに広げたクッキーを懸命に貪るハリネズミの体をつつく。それでも夢中で食べ続けているのでよほどお腹が空いているのだろう。きゅうきゅう鳴き声をあげながら必死で齧り付いている。
「キュッ……、……!!」
詰まったらしい。
「ああもう。そんなに急がなくてもクッキーは逃げませんよ」
軽く背中を叩いてやるとどうにかこうにか窒息の危機を免れたらしく、ついでにヴァレリーのアドバイスも聞き入れたのか、ハリネズミは今度はゆっくりとクッキーを齧り始めた。
「キュ、キュ」
「……」
一個を食べるまでに何十秒とかけているハリネズミを横目に、ヴァレリーもひとつクッキーをつまみ口に放り込んだ。
ジグルフは――ここに来てすぐシャワーを浴びて出てきたかと思えば、「寝る」と一言言い放って、布団に潜って行った。驚いたヴァレリーがほんの少し布団をめくりその様子を恐る恐る見てみると、宣言通り、布団を被ったあと一瞬で眠ってしまったらしかった。
「えぇ……」
寝てるというか気絶というか。寝顔はお世辞にも穏やかとはいえず、文字通り、電池切れを起こしたような様だった。
「キュ」
ヴァレリーの胸ポケットに収まっていたハリネズミが小さく鳴く。
ポケットから手のひらに乗せてやってジグルフの顔の横に下ろしてやる。ハリネズミは2、3度その場をクルクル回ると、ジグルフの頬に体を寄せてしゅんと縮こまって見せた。
「……、彼、寝てるだけですよ」
「キュー……」
寂しそうに鳴いて、身を震わせている。その姿を見るとヴァレリーの胸は少しきゅっと苦しくなった。
「むこうで、クッキーでも食べましょう」
「キュー?」
「おいで」
手を差し伸べる。意外にも、ハリネズミはジグルフからすんなりと離れヴァレリーの手のひらに乗った。
それから、冒頭に戻る。
テーブルに広げたクッキーは、ここに来る前、使えそうなものをリュックに詰めろと命令された時に小屋からもってきたものだ。非常食なのかなんなのか、あの小屋に生物はほとんどなかったが、パンとか、こういうお菓子とか。多少日持ちする食料ならほどほどにあった。
でも持ってきたものもいつかは底をつく。
今日はジグルフが稼いだから宿にも泊まれたし、食べ物を持ってきていたから空腹を満たすこともできる。
それは、――ずっとは続かない。
「……」
一生懸命にクッキーを頬張るハリネズミの背中を撫で、ヴァレリーは不安げに窓に目をやった。
町には旅人なんてこなかった。人々もそれぞれの家があるので、宿、なんて施設も初めて知った。知らなかったからお金をぼられそうになってしまった。無知につけ込む悪意とは恐ろしいものだ。
でもそれは知らなかったからで、仕組みとか暗黙のルールとか、そういうものがわかればヴァレリーでもなんとかできる。もともとヴァレリーは人当たりもいいから社会に溶け込むのは簡単な事だ。
ジグルフにいつまでも世話になるわけにはいかない。彼はパートナーではなく、いつか殺す者といつか殺される者という、歪んだ関係にある他人にすぎないのだから。
「……。よし、ちょっと散策してきます」
「キュ?」
立ち上がったヴァレリーを、ハリネズミは不思議そうに見上げる。
散策。
学ぶにはまず情報が必要だ。ヴァレリーは自分の足でこの町を回り、自分の目で確かめていくことにしたのだ。わからないことは都度――親切そうな人に聞けばいい。親切そうな人が見当たらなければ、見よう見まねでやっていけばいいのだ。なにも、物の買い方がわからないとかじゃあなくて、冒険者ギルドの利用の仕方とか、そういう特殊なものがわからないだけだ。
出入口に向かい、意を決して扉を開けようとしたヴァレリーの肩にちょんと重みがかかる。
「キュ、キュー」
「え? ついてくるんです? ……君はご主人の様子を見ていてあげた方がいいですよ」
「キュ、キュ、キュ!」
「うーん。……まあ、好きにどうぞ」
耳の傍で鳴くハリネズミはヴァレリーのお供を譲らないようだった。ヴァレリーも悩んだが、まあジグルフを一人にしても問題はないだろうと判断して、とりあえずは承諾した。
時刻は夕方に近づく頃だった。
人々の服装はシャツだったり鎧だったり、統一されていることはなくて、みなそれぞれだ。多分あれは一般市民で、あっちは剣術士で。ヴァレリーはひとり思考しながら周囲を観察する。
そんなときにぐぅと腹が鳴った。
「キュー?」
「……はは、さすがにクッキーだけだとお腹が空きましたね」
ハリネズミの方ではなく、ヴァレリーの方だ。
町には出店もあっていい匂いが鼻をくすぐる。それが余計ヴァレリーに空腹を意識させた。……とはいえ、ヴァレリーはお金を持っていない。あの美味しそうな骨付き肉なんかも指をくわえて見つめるしかない。
「……。食べたいなぁ。はぁ……」
「キュ?」
ひとり本音をこぼしながら、心配そうに鳴いているその小さな体を撫でてやると、なんだかハリネズミのことがまんまるのお饅頭に思えてきて……。
「こりゃあ時間までに運びきれねぇ……。お? おーい! そこの兄ちゃん!」
ヴァレリーはぶんぶんと頭をふった。
「ハリネズミちゃんが饅頭に見えるなんて!」
「おーい!」
「俺は、俺はっ」
「ちょっと! お前さんだよ! そこのハリネズミ連れてる兄ちゃん!!」
「はいっ?」
ヴァレリーは頓狂な声を出して振り返った。そもそもいままで声をかけられていたことに気づいていなかったが、ハリネズミというワードには過剰に反応した。
やけにガタイのいい中年の男が、こっちにきてくれ! とヴァレリーを手招きしている。その傍には大樽が置いてある。
……お饅頭……。
ヴァレリーはしばらくその場で思考停止していたが、ハッとして、首を傾げながら手招きに従った。
「いやー! こりゃあ助かった!」
「はぁ……? えっと、なんでしょう」
「お前さん、俺の見立てじゃあ力持ちだ! ちょいとこれらを運ぶの手伝ってくれねえか?」
そう言って男が指さすのは例の大樽である。その大きさは中身にもよるだろうが、大人の男性でひとつ持つのがやっとに見えた。
「時間までに運びきらねえといけねえんだが、どうも無理そうでなぁ」
「はぁ。なるほど……」
手伝うのは構わない。
ヴァレリーは樽に近づき軽く押してみる。どうやら中身はそこそこ重たいようで、軽く押したぐらいじゃビクともしなかった。
「よければ手伝ってくれねえか?」
返事しようとした矢先だ。
ぐー! と。また一段と大きな音が鳴った。
ヴァレリーがぐー! と唸ったわけではない。ハリネズミがそんな獰猛な鳴き声をあげた訳でもない。
ヴァレリーの、腹の音だ。
「……!」
ぽかんとヴァレリーを見ていた大男が、口を大きく開けて笑いだした。
「なんだ! お前さん腹減ってんのか!」
「……! うっ……まあ、はい……」
「わかった、わかった。それを運んでくれたらたらふく食わせてやるよ!」
「えっ!」
「これ、少し先にある酒場に運ぶ酒でなぁ。そこでいくらでも奢ってやる!」
肉でもなんでも、好きなだけ食わせてやろう。男はそう豪語する。空腹のヴァレリーにとっては、それはそれは大変魅力的な言葉だった。
「任せてくださいっ」
「!?」
大樽は3つ残っていたのでふたつ運ぶことにした。ひょいとふたつに重ねて持ち上げる。男がなにやら目を白黒させていたが、気を取り直すように残りの1個を持ち上げた。
「予想以上の力持ちだなぁ。お前さん……」
「へへ、……」
男はたいそう感心したように言う。
なんだかくすぐったくて、ヴァレリーは小さくはにかんだ。
酒場なだけあってそこにいる人々はとても陽気。大男がひとつ持つのさえ苦労する樽を2つも抱えてきたのだから、たちまち人気者になって、あっちこっちと引っ張られた。どこから来たんだ? とか、どうしてそんなに力持ちなんだ? とか。たくさんの質問をいっぺんに投げかけられて、ヴァレリーは目が回りそうだった。
大樽を運んだお礼にと、ヴァレリーは遠慮すんなとたらふく食わされ、ついでにお土産だと串焼きを何本か持たされ、さらには気持ち程度のギルも握らされた。
また来いよ! とブンブン手を振られて酒場を後にする。ヴァレリーがこの場を離れるために使ったのは「連れが待ってるので」という嘘だったが、店主にはお連れさんを連れてまたおいでと言われてしまった。連れはいるがやつは自分を待っていないし、この酒場にジグルフをつれてきたって淀んだ空気で沈黙するだけだろう。店主の明るい笑顔を思い出すとなんだか複雑な気持ちだ。
「……」
ヴァレリーはすっかり暗くなった空を見上げた。
午前は宿屋の店主に騙されそうになったが、午後には随分親切な人々に会えたものだ。
冒険者ギルドについても少し話を聞けた。何もモンスターとやらを始末するものだけじゃなく、薬を調合したり洋服を仕立てたり、さらには今回ヴァレリーが手伝ったような荷物運びの仕事もあるらしかった。それなら、戦いに慣れていないヴァレリーでも小銭稼ぎができそうである。もちろん危険も伴うモンスター退治のほうが賞金が弾むようであったが――。それはおいおいだ。
しばらく歩いて宿にたどり着いた。実の所道に迷ったが、頼もしい案内人がふよふよと先導してくれたのはここだけの話である。
「おかえり」
「……、……。……」
寝ていたジグルフは目覚めたようで、椅子に腰かけ、ヴァレリーたちがそのままにしていたクッキーをつまんでいた。
ジグルフに「おかえり」と声をかけられたが「ただいま」と返すのもなんだか気が引けて、ヴァレリーはもごもごと口ごもってしまった。結局軽く会釈だけして、テーブルにお土産の串焼きを置いた。
「おや」
「もらいました。手伝いをしたお礼にって」
「手伝いねえ、それは殊勝なことで」
「やっぱりあげません」
「残念」
どことなく嫌味ったらしいジグルフの態度が気に障り、串焼きを取り上げて見せたが、ジグルフはほとんど興味無さそうだった。
「……」
「……」
「……。食べなさい」
ヴァレリーはもう一度ジグルフの前にお土産を置いた。
「気が変わるのが随分早いね」
「お前がしっかりしてないと、この子がお前のことすごく心配するんです」
この子。もちろんハリネズミのことである。
ジグルフは欠伸を一度して、ヴァレリーの手のひらにちょんと乗っているハリネズミの方に目を向けた。
「……。寝てるけど?」
「!?」
ヴァレリーがハリネズミを慌ててみてみると、ジグルフの指摘した通り、くぷくぷと寝息を立てて気持ちよさそうに眠っている。
「心配そうとか言ってたけど、その様子だとどうだか」
「……! 心配してましたよ!」
「知ってるよ」
「この子本当に、お前のことすごく、……はい?」
「差し入れどうもありがとう」
ぐちぐち屁理屈をこねると思ったのにすんなり折れた。すんなり折れたことにヴァレリーは初め気づかなかったし、気づいた時にはあまりの素直さにきょとんと間抜け面をした。
ジグルフは串焼きをひとつ手に取って口にする。ヴァレリーは一拍遅れてはっとした。
「……、それは俺が食べようと思ってたやつなんですけど」
「はぁ? それなら名前でも書いときなよばーか」
「ばっ……!? バカって言いました? 今!」
「さあ。言ったかな。バカだったかな、マヌケとなら言ったかも」
「……!!! お前、ほんと嫌な性格ですね! ムカつく! 友達いないでしょう! 俺シャワー浴びますから!!」
ヴァレリーはわなわなと拳を震わせ、ずんずん音を立てながらシャワー室に入っていった。もちろん扉を力任せに閉めたので、バン! と大きな音が鳴った。
静かになった。
ジグルフはもぐもぐと肉を噛む。怒っていたくせに風呂に入りたいことは思い出したんだなと思うとなかなかにおもしろい。
ふと、ヴァレリーが器用にも右の拳だけを強く握っていて、左手のハリネズミは大事そうに抱えていたのを思い出した。
「……。ハリネズミも一緒に洗ってくれるのは親切だな」
ジグルフは小さく笑った。
とはいえ、ハリネズミを連れていったのは無意識だったらしく。「ハリネズミちゃん!?」と風呂場からヴァレリーの慌てた声が聞こえてくるのは数秒後のことだ。