ヴァレリーは話の最中でジグルフに対して頭に血が上ってはいたが、卒倒したジグルフを目撃するとさすがに冷静になった。冷静になったと言っても怒りが納まったというだけで今度は大慌てし始めたのだが、ジグルフがすうすうと自発呼吸しているのを確認するといくらか落ち着いた。
とはいえ、ジグルフのは寝落ちじゃなくて気絶だ。医者を呼んで見せようかと思い至る。
「キュ?」
「あ……」
ジグルフと変わるかのようにハリネズミの方が起きた。ハリネズミは不安そうにしているヴァレリーをみて、それから倒れ込んでいるジグルフをみて、キューと寂しそうに鳴き、ふよふよと浮遊する。倒れ込んでいるジグルフを見て大慌てするかと思いきや、悲しそうな鳴き声をひとつ出したあとはちょんとヴァレリーの肩に乗るだけだった。その様子を見る限り、ハリネズミの方は主人の様子について何か知っているらしかった。
「……ジグルフ、医者にみせた方がいいですかね」
「キュキュー」
ハリネズミは反対した。
「そうですか……。ずっとそばにいた君が言うなら、やめといたほうがいいですね」
「キュム」
力強い肯定だ。
――偉大な魔術師。ふと、ジグルフがよく口にする言葉を思い出す。魔法に疎いヴァレリーは、何をもって魔術師のランク付けをするのかはよくわからないが、それこそ見てわかる人なら、相手が魔法を使っていなくたってこいつはすごい力を持っているぞと理解するのかもしれない。
――引く手あまただった。
――奴隷だった。
数分前のジグルフの発言を反芻する。宿に泊まろうとしたときに、自分を騙そうとした宿主のことを思い出した。
もし、ジグルフの力が本人をみただけでわかってしまうものならば。たとえ医者でも、悪意を持った人ならば弱っている彼を見てヴァレリーを言いくるめ、ジグルフを捕らえて使役するのかもしれない。だからハリネズミは医者に見せることに反対なのかもしれない。ヴァレリーの憶測ではあったが、ジグルフの発言と、ヴァレリー自身の経験から導いた可能性は、あながち間違っていないような気がした。
「……ハリネズミちゃんってジグルフの使い魔なんですよね?」
「キュキュッ!」
なにやら得意げな肯定。
「ジグルフは、君は魔力が尽きなければ死ぬことはないって言っていました」
「キュ」
「その魔力って、もしかしてジグルフからもらっているんですか?」
「キュ!」
「……、じゃあ、もしかして、君が元気ならジグルフもまだ大丈夫ってことですか?」
「キュ、キュ、キュー!」
ヴァレリーの肩でくるくるとハリネズミが回っている。よほど機嫌がいいらしかった。ハリネズミの言っていることははっきりとは分からないが、ご名答! と言っている気がした。
ジグルフによって召喚され、ジグルフの力で動いている使い魔。その代表のハリネズミはこんなにも元気。だから、ジグルフも、気は失っているけれど、使い魔を維持する力はまだあるのだ。つまりはかなりの緊急事態ではない。
状況整理ができてきた。ヴァレリーはほっと胸をなでおろした。
「……。ジグルフが奴隷だったって本当なんですか?」
なぜそう聞いてしまったのかはわからないが、ヴァレリーの口からは自然とその言葉がでていた。
「…………。キュ」
「……そうですか。嫌なこと思い出させてしまいましたね。ごめんなさい」
もしかすると、ハリネズミがジグルフの語った過去を否定してくれるのを、ヴァレリーは期待したのかもしれない。つらそうに鳴いたハリネズミの背中を撫で、ヴァレリーは1枚タオルをとると、流しで水を含ませ、ぎゅうとしぼった。
ベッドの方に戻り、うつ伏せに気を失っているジグルフを仰向けにする。額に濡れタオルを乗せてやった。
ヴァレリーは自分のベッドに腰かける。
「キュ?」
「容態が急変したら困るから、今日は徹夜で看病です」
「キュキュー!!」
「わっ! な、なんです?」
ハリネズミは急に暴れだした。容態が急変したのは、ジグルフではなく、まさかのハリネズミだ。
「キュ、キュキュー!」
「な、なっ?! ほんとになに!?」
ふよふよと肩から降りてきたハリネズミはヴァレリーのベッドの上でぽいんぽいんと跳ねてみせる。
「もしかして、俺に寝ろって言ってます……?」
「キュ!」
「……」
ぷっくりと針をふくらませたハリネズミの返答は力強い。本当に、ヴァレリーに寝なさいと言っているらしかった。ヴァレリーが拒否したら、またきゅうきゅうと喚きそうな様子だ。
「……。何かあったら起こしてくださいよ?」
「キュキュッ」
「あ。でも、寝る前にシャワーを済ませてきます」
「キュ〜」
「えっ。ついてくるんです? うーん……まあいいですけど……」
立ち上がったヴァレリーのまわりをふわふわとついてまわっていたハリネズミはヴァレリーの肩に乗った。なぜ風呂についてくるのかは理解し難いが、ジグルフと魔力という繋がりがあるハリネズミが傍にいれば、ジグルフに何かあった時すぐ異変を察知してヴァレリーに知らせてくれるだろう。そういうことにしてヴァレリーはハリネズミと風呂に向かったのだった。
翌朝になって起きたのはヴァレリーとハリネズミだけであった。真っ先にジグルフの様子を確認したところ、昨日より幾分顔色が良くなって、少しは穏やかに眠っているようだ。ヴァレリーはジグルフの額に乗せたタオルを変えて、出かける準備をする。テーブルの上に出かけてきますとメモを残す。買っておいたパンを口に押し込む。お行儀の悪い朝食だ。
「君も来ますか?」
「キュ!」
ハリネズミはヴァレリーの肩に乗った。いままでだったらジグルフの傍にいてやりなさいと言うところだが、いわばジグルフからの緊急コール受信機にもなるハリネズミは、ヴァレリーについてきてくれたほうが助かる。
ヴァレリーは肩に乗ったハリネズミをひとなでして部屋を後にした。
しばらく歩いて、ヴァレリーは町にあった図書館に来て施設の奥の方で何やら熱心に文献を漁っていた。その肩にはハリネズミが乗っていてきゅぷきゅぷとたまに小さく鳴き声を上げている。いつもはもう少し声量があるが、今回は「図書館ではお静かに」という張り紙を意識したらしかった。
ヴァレリーは目星をつけた本を持って、大きな窓から外が見えるテーブルへと向かう。机に載せたのは、初心者向けの魔法書と、同じく初心者向けの使い魔についての説明書の2種類だ。
昨日のハリネズミとの会話で大体のことは把握できているが、いかんせん、ハリネズミと人語で話したわけでないのでもしかするとヴァレリーは都合よく捉えているかもしれない。その疑惑がぬぐえないので、ヴァレリーは資料を探し、知識をつけに来たのだ。
魔法のほうはジグルフのことを理解するためでもあるが――もしかすると、自分でも基本の回復魔法を少しは使えるかもしれないという淡い期待のもとだ。
ハリネズミはテーブルの上に降りた。それから日当たりのいい所によってきゅぷ、となにやら眠る姿勢である。
「あれ。寝ちゃうんです?」
「キュ〜……」
「ふふ。日が当たって気持ちいいんですね」
ヴァレリーは小さく笑って本を開いた。書物の文字を目でなぞる。
使い魔とは――魔術師が魔法の力を使って強制的に使役する生物である。
地上にいる生き物を魔力によって使役する者もいれば、魔法陣を用いて異界から召喚したり、同じく魔法陣を用いて想像から生み出すこともできる。
使い魔の能力は術者によってさまざまで、知性や感情の有無、持つ力の強弱はそれぞれの個体による。
使い魔との契約には術者の魔法の力を用いているので、当然術者がいなくなれば、その契約は無効化される。その場合、個体が消滅するのか契約から解放され自我をもって動くのかは、契約の方法によって異なる。
「……」
ヴァレリーは顔をあげハリネズミの方をむいた。
この子は力は弱いけれど、知性と感情を備えた子だ。森にいた子なのか、異界からやってきたのか、それともジグルフの想像から生み出されたのか。
ジグルフはハリネズミと幼いころから一緒だと言っていた。幼いころ――それこそまだ純粋なジグルフが、彼の想像からハリネズミを作り出したのだとすると。
「ふ……。似合わないですね」
いつもの憎らしい態度からは想像できない、幼少期のジグルフとやらがこんなにかわいい小動物を生み出したのではないかと考えると、ヴァレリーはちょっぴり愉快だった。今のジグルフにはどう考えてもこんな愛らしい生き物より、まがまがしいクリーチャーの方がお似合いである。
ハリネズミのことは大方把握した。
ヴァレリーは使い魔の本を閉じて隅に寄せ、もう一つの本を手に取る。魔術師入門本だ。ぺらりとページをめくってみると、入門という割に、文字が細かい。
魔法とは――生命エネルギーであるエーテルを用いて、超常現象を生じさせる技術である。魔法を扱う者の広義的な通称が魔術師だ。魔法は大まかに、回復や補助効果を主とする白魔法、破壊や呪いに使われるいわば攻撃を主とする黒魔法、幻獣や召喚獣を呼び出す召喚魔法などがある。人々はそれぞれかならずエーテルをもっているが、個人によってその強さや性質に差があり、白魔法を得意とする白魔導士、黒魔法を得意とする黒魔導士、召喚魔法を得意とする召喚士など、魔術師といっても、またそれぞれに得意分野があるのだ。……。
「……」
初心者向けだからなるべく易しく書かれているのだろうが、読んでいるとだんだん眠くなってくる。
日向ぼっこをしながら居眠りしているハリネズミがきゅぷっとあくびをした。
つられてヴァレリーもあくびをした。
「……。それぞれ絶対エーテルがあるってことは、誰でも魔法がちゃんと使えるってことなんですかね。俺はなにをしてもへたくそなのに……。それに得意分野って言ったって、じゃあジグルフはなんなんです? 黒魔導士……?」
「君のイメージする魔法使いって、杖だとか魔導書だとかをもっているよね。媒介になるものがあれば魔力を増幅させてうまく作用できるよ。ハリネズミが補助してくれた時はヴァレリーも治癒魔法が使えたでしょ。あと俺はなんでも得意だから黒魔導士ってわけではないよ」
「はあ……なるほど。ん……?」
ヴァレリーは小さく独り言をしていたつもりだったが、なにやら会話が成り立っていた。
「図書館で自学とは感心するね」
「わっ! ……!!」
振り返ったヴァレリーは思わず大声をあげて慌てて口を手で覆った。
図書館ではお静かに。きっと全世界共通のマナーである。
ほかの利用者が何人か、煩わしそうにヴァレリー達を見ていたのでヴァレリーは焦りながら頭を下げた。しかしヴァレリーを驚かせたジグルフはというと「律儀だねえ」と感嘆するようにつぶやいただけだ。一緒に頭を下げる気はないらしかった。
「い、いつから……。というかどうしてここが……」
「使い魔の本は読んだんでしょ」
「読み、読みましたけど……」
「術者の魔力で契約してるんだ。GPSみたいなものだね」
「じーぴーえす……」
あんな無防備にお昼寝をしているのに、どこまでも高機能なハリネズミである。
「というか……、体調は大丈夫なんです?」
「うん。おかげさまで。濡れタオルで冷やしてくれてありがとう」
「あ、いえ……」
ヴァレリーはおどおどと視線を落とした。
「ここじゃあいつまでもひそひそ話していないといけないし、お昼でも食べに行こうよ」
「ん……。そうですね。もうそんな時間でしたか」
ジグルフの提案にヴァレリーは素直に乗った。読んでいた本を抱え「戻してきます」と一言、テーブルから離れる。その間にジグルフは腹ばいになって日向ぼっこをしているハリネズミを指先でつついた。起きる様子がないのでわざとらしく仰向けにする。それでも起きない。
「君、俺の使い魔なんだからもうちょっと警戒心ってものをもったらどうなの?」
「キュ〜……」
しまいには寝言を言い出したので、ジグルフは呆れた様子でハリネズミを両手で持ち上げた。
「お待たせしました。行きましょう」
「うん」
ヴァレリーが駆け寄ってきたので二人で並んで図書館をあとにする。
施設から出るとシンとした空気から一変、人々のざわめきや鳥のさえずりが聞こえてくる。
「それにしても水臭いよね」
「え?」
「裸を見る仲なんだから魔術師のことも使い魔のことも俺に聞いてくれたらいいのに」
「なっ……!!」
ジグルフは悪びれる様子もなく言った。もちろん小声なんかじゃなくて、普通の声量だ。通りかかった何人かの通行人には聞こえていたようで、ジグルフたちを振り返って、怪訝そうにしている。
「語弊がありますっ!」
「そう?」
「そうです!」
「あはは。なにも間違ったこと言ってないのになぁ」
焦るヴァレリーを見るジグルフは愉快そうだ。
「何人かこっち見たじゃあないですか!」
「それはヴァレリーが大声を出すからだよ」
「違いますっ!」
「違わないって。ほらまた見られた」
「〜〜〜〜!!」
ああ言えばこう言う。ヴァレリーはわなわなと拳を震わせ、「もう知りません!!」と声を上げるとずんずんと歩き出し、いかにも怒っていますという背中をジグルフに向けた。
「待ってよ」
笑いの収まらない調子でジグルフは言った。その笑い声も、笑みも、人を皮肉るような作りものじゃなくて、彼自身の素直な気持ちのようだった。
まあしかし。こうやってからかってこれるぐらいに体調はよくなったのか――。ヴァレリーはいくらか進んだ先で歩調を緩め、ジグルフを待った。少しして追いついたジグルフがヴァレリーの横に並び、小首をかしげながらヴァレリーの様子をうかがう。
「ピザを食べに行こうよ。ヴァレリー。ここに来るまでによさそうな店を見かけたんだ」
「ピザですか? 別にいいですけど」
「やった。食べてみたかったんだよね」
「……? 食べたことないんです?」
「ないよ」
「……、ピザも食べたことないってどんな食事してきたんですか……」
言ってから、しまったと思った。
「うん? 残飯……?」
そりゃあそうだ。つい最近まで奴隷だったんだから。ろくな食生活を送っているはずがない。大好きな家族と、温かい食べ物をおなか一杯食べてきたヴァレリーとは違うのだ。
「……奢ってあげます。ピザ」
「ひゅう。太っ腹だね」
ジグルフは口笛を吹いた。無駄にうまかった。
「一番高いのにしちゃおう」
「……別にいいですよ。一番高いメニューぐらい」
「なに? 気にしたの?」
「……」
「はは、ほんとまじめだね。ヴァレリー君、そんなに俺に同情してたら殺せなくなっちゃうぞ〜」
「いてっ」
ジグルフはヴァレリーにデコピンした。
ヴァレリーがジグルフに何か言う前に「怒られちゃうー」とわざとらしく言いながら、逃げるように走っていく。まるでいたずら好きの子どもだ。かけていくその背中を、ヴァレリーはじっと睨む。
「……。余計なお世話ですよ」
ヴァレリーが無意識につぶやいた言葉は、離れていったジグルフはもちろん、無意識なのだからヴァレリー自身にも聞こえていない。
「ちょっと! 先に行くとお店がわからなくなります!」
「えー」
ジグルフが振り返った。遠くでなにやら悩んで、徐に手元を揺らす。
ふわふわと何かが浮いた。ヴァレリーに徐々に近づいてくるそれは、どうやらハリネズミのようだ。
「案内してもらいなよー」
「……。はあ。そういう話じゃありません……」
まだどこか眠たそうなハリネズミは、ヴァレリーのそばに来るとちょんと肩に乗った。この様子じゃガイド役は無理だろう。大きなため息をして、ヴァレリーはジグルフを追いかけた。