ヴァレリーは冒険者ギルドの掲示板に張られた紙を眺めている。モンスター討伐に薬品製作……アップルパイ作りなんてのがある。これは魅力的だ。
「料理が好きなら料理屋でもすればいいのに」
ほかの人にとられないようにと慌ててアップルパイの依頼を手にしたヴァレリーの様子を見ていたジグルフは手のひらにのせたハリネズミを軽くもみながらつぶやく。マッサージされているハリネズミの方は目をうっとりさせ実に満足げだ。
ヴァレリーは「ハリネズミちゃんが溶けてる……」と内心思いながらジグルフの料理屋という言葉に少ししゅんと目線を落とした。
「うん……まあ小さいころからの夢ではあったんですけど。料理屋」
「ふぅん? ならやってみればいいじゃん」
「……。コツコツお金をためて揃えてた料理道具なんかも全部めちゃくちゃになっちゃったというか」
「ああ。なるほど。俺のせいだ」
あっけらかんとジグルフは言う。動揺は言うまでもなく申し訳なさも大してなさそうなこの冷静さは、そういえばさっき手を洗ってきたやぐらいのどうでもいいことを報告するのと同じぐらいの軽さというか……ジグルフは町を一つ焼き払ったことにはやはり特別思い入れはないのだ。「まあなんにせよ」ヴァレリーはこほんと咳払いをする。
「お店を構えたいのなら資金集めをしないとですしね。こういう小さい仕事からコツコツと、ですよ」
「真面目だね」
鼻を鳴らして笑ったジグルフにヴァレリーは少しむっとする。そういうジグルフはどういう仕事を選ぶんだと手元の紙を覗いてみた。しかしそこに「死霊・アンデットの討伐」と書いてあったのでヴァレリーは見なかったことにした。ワイバーンもなかなか圧を感じたが、あれはまた違うベクトルで怖いやつである。
「ヴァレリーって人助けが好きだよね」
「え? うーん……。まあ、そうかもしれないです」
「じゃあ俺が雇ってあげよう」
「はい?」
ヴァレリーはきょとんとした。
「雇ってあげようってあなた……。いったい何をさせる気です? というか俺と同じぐらい貧乏なのに給料払えるんです?」
「そりゃあ払えるよヴァレリーと違って金ならある」
「は?」
「見る?」
今日はなにやら珍しく麻袋をもってきているなと思ってはいたが……。
ドンと机に乗せられたそれの口をおそるおそる開き中身をみたヴァレリーはしりもちをついた。
「な、何を売ったんです!? 心臓!?」
中に入っていたのは複数の札束だった。袋も大きいし数も多いので何千万と絶対にある。ヴァレリーの戦慄した表情を見ながらジグルフは眉をひそめた。
「心臓て。そんなことしたらさすがに死ぬよ」
「じゃあなんです?! 泥棒ですか!?」
「やだなあヴァレリー。俺をそんな小物だと思ってんの? しかもそんなことしてたら今頃町は大騒ぎだよね」
「確かに……。でも、……。はっ……まさか売春!?」
「あー。まあ選択肢の一つとしてあってもいいとは思うけど、あれって考えると案外わりにあわないんだよね。むこうは安く買い叩こうとするし病気になるリスクも高いし。結構一発芸じゃない? やる気はないかなあ」
ジグルフは娼婦まがいのことをしていなければする気もないらしい。ヴァレリーはそれを聞いて胸がほっとした。
「違うんだ……。よかった……」
「……?」
「あ。いえ! しかしどうやってそんな大金を……?」
ヴァレリーは首をかしげながら聞く。同じぐらいの無一文だったくせに急にこんな大金を用意できる術などヴァレリーからすればこれぐらいしかない思いつかない。けれどそのすべてが否定されたのだ。
ジグルフは徐にテーブルにハンカチを敷き、手のひらの中で眠ってしまっているハリネズミをそこにのせた。それから両手を合わせて何やら楽しそうに口角を上げる。
「この町カジノがあるじゃん」
「カジノ……? はっ! まさか!」
「そのまさかだよ。1を100にも1000にもできるってすごいよね。俺ああいうの結構得意みたい」
ヴァレリーはこの町に来てすぐのことを思い出す。確かにこの町にはカジノがある。ヴァレリーのいた町はさすがにあそこまで大きな施設はなかったが、酒場で男たちがよく賭け事をするのをみたことがあったし、それで破産した人だって知っている。だから資金調達に賭け事はするなと口にしたつもりだったが――。
「賭け事ダメって言いましたよね?! ていうかあなた、17歳でしょう!」
「あー。年齢で差別するなんてひどいやヴァレリー」
「何言ってんです差別じゃないですよこれはっ! はっ! ていうかジグルフ! あなたお酒も飲んでましたね!?」
全くの他人であればヴァレリーだって目をつむるのだけれど、ジグルフは一応ヴァレリーの連れである。ジグルフに違法なことをされてヴァレリーまでツケが回ってきてはたまらない。
「気づくの遅いなあ」
けんけん怒り始めた保護者モードのヴァレリーに対してジグルフはめんどくさそうである。
「でさ、仕事の内容なんだけど」
「こらっ! まだ話は終わってませんよ!」
「俺とキスしてほしいんだよね」
「仕事内容なんかより……はっ?」
ヴァレリーは唖然とした。
「待って……。ジグルフにからかわれすぎて俺もついにおかしくなったのかもしれない……」
「ヴァレリーって男もいける口でしょ?」
「待ちなさい。その言い草はちょっとどうかと思うんです」
「俺のこと抱いたじゃん」
「いやあのね。いける口云々の理由を言わせたいわけじゃないです。ちょっと静かにしてもらえます?」
「そんなに大声でしゃべってないけど……」
ヴァレリーはくっと眉間にしわを寄せた。不服そうに顔を顰めているジグルフを見るとなんだかヴァレリーの方が頓珍漢な対応をしているように思えてしまうが、この場合絶対にジグルフの方がおかしいだろう。
ヴァレリーは一度冷静にあたりを見渡した。
自分たちの周りにはそんなに人はおらず、ほかの冒険者たちもそれぞれの会話に夢中でヴァレリー達のことは気にしていない様子だ。
「大体ね。男もいける口とかそんなんじゃないですよ、ジグに手を出したのは……」
「そう? で、どう? キスしてくれる?」
「……。やっぱりキスしてって言ってたんですか」
「え。そこから話し直し?」
「いやあのですね。そうじゃなくて……」
なんだかんだ好きな相手だ。その相手からキスをしてといわれて胸が高鳴らないことはないのだが、むこうには何のムードもないのが玉に瑕だ。
ヴァレリーはくしゃくしゃと頭をかいて大きなため息をついた。
「……なんでキスしてほしいんですか」
「ん? うーん。好きだから」
ニコ、と笑ったジグルフには騙されない。ヴァレリーはジトリと彼をにらんだ。
「あれ。慌てると思ったのに」
「やっぱりからかってた……」
「からかってるけど嘘じゃないよ?」
「……ああもう。話が進まないので今はいいです。で! なんでですか」
「俺って魔力の方が膨大すぎて体がついていってないんだよね」
「……、風船とか何とか言ってましたね」
「うん」
ヴァレリーの声色が暗くなったのはジグルフが自分はいつか死ぬだろうとなんてないように言ってのけたことも思い出したからだ。
「町一個焼いたぐらいじゃ魔力自体は少ししたらすぐ湧いて出てきちゃうんだよね。それにあんな高火力の魔法ばかばか撃ちまくるわけにはいかないし……。そこで魔力の薄いヴァレリーの出番だ」
「はい……?」
「魔力を移そうかなって」
ジグルフは頬杖をついて楽しそうに目を細める。
「……?」
正反対にヴァレリーは怪訝な様子である。
魔力を移す。簡潔すぎてその意味が不明だ。
ヴァレリーが頭上に疑問符を浮かべているのは気にせずにジグルフは話を続ける。
「普通の相手じゃむこうだってエーテルがそこそこあるからやったって意味はないんだけど、ヴァレリーってそれはもうこのカルピスどれだけ水で薄めたんだよってぐらいにエーテルが薄いじゃん?」
「今めちゃくちゃディスりましたよね?」
「そのおかげで俺の魔力の均衡を保てるんだよね。ヴァレリーって本当にびっくりするぐらいすっかすかだから」
「喧嘩売ってますか?」
「唯一ヴァレリーは俺を生かすことができる」
ぱちんとジグルフが指を鳴らした。
喧嘩腰になりかけていたヴァレリーは不意を打たれた。
「どう? すごい人助けじゃない?」
「……」
「これ、こないだヴァレリーに強姦されたときに気づいたんだよね。体は重いんだけど、体調はいいっていうか。俺のエーテルがヴァレリーに移ったんだよ」
「あの……。うん……。はい、……」
まるで他人事のようにジグルフは語る。恐ろしいメンタルだ。
件についてはヴァレリーも未だ罪悪感はあるのだけれど、ヴァレリーの価値観でジグルフと話そうとすると一方的にヴァレリーの精神が疲労することになるのでこれに関してはもう諦めて肩身を狭くしておくしかない。
「ていうかジグルフっていつ死んでもいいって感じじゃなかったです? ……。生きたいんですか?」
「こんなくだらない寿命じゃ死ねないよ。ヴァレリーに殺されて死にたいんだもん」
「……」
まるで重たい恋人である。
ヴァレリーは感情がジェットコースター状態だった。動揺したり、怒ったり。……目的は何であれ、ジグルフにも多少は生への執着があるのだとわかって、少し嬉しくなったり。
ヴァレリーは胸が張るぐらい大きく息を吸い込み、ゆっくりゆっくりと時間をかけて吐き出した。
「はあ……。いいですよ、その話。乗ってあげます」
「やった。じゃあさっそくしよ」
「は?」
「ちゅーしようよ。ダメなの?」
「いや、ダメとかじゃなくて……。ここじゃ人目もあるでしょ? 宿に帰ってからしてあげます」
「堅物だなぁ」
「ジグルフがメンタル強すぎるんですよ……」
ジグルフは愉快そうに目を細めた。それをみて、今のは自分の困る反応を見るための揶揄だったんだなとヴァレリーも気が付いた。
本当にこの子は困った子だ。
「あとそのお金はいいです。俺に渡すぐらいなら、なんか……家でも買いましょうよ」
「家?」
「いつまでも宿じゃ窮屈でしょ。キッチンは狭いし、好きな家具を買ったりもできないし」
「なるほど。スペースを作ればヴァレリー夢の料理屋さんもできそうじゃん」
「……」
「妙案だ」
ヴァレリー夢の料理屋さん、と言ったジグルフは――ヴァレリーが子どもからの夢を実現できそうなことが喜ばしいのだろうか――なんだかとても嬉しそうだった。
「いい家探そうね」
「……はい。あ、ギャンブルはもうだめですよ」
「やだ。せっかく楽して稼げる方法見つけたんだもん。たまにならいいでしょ?」
「もう……ほどほどにしなさいよ。破産されたらたまったもんじゃありません」
「そのときはまた一緒に小銭稼ぎしようよ」
ジグルフが楽しそうに笑った。
「……そのころにはさすがに俺も、いい剣使いにでもなってるかもしれませんね」
ヴァレリーも笑った。
殺そうと思っていた相手を好きになった。
殺そうと思っていた相手と未来を思い描いている。不思議な話だ。
――唯一ヴァレリーは俺を生かすことができる。ジグルフのその言葉は今もヴァレリーの胸の中でくるくると回っている。
彼を生かすことも殺すこともできるのは唯一、自分だけなのだ。