ヴァレリーが持ち帰ってきた物件情報を一つ一つ眺めるジグルフは真剣だ。ジグルフの向かいに座っているヴァレリーは、そわそわと落ち着かない様子で待っている。
「これとかいいね」
「! どれですっ!?」
 ヴァレリーはがばりと身を乗り出した。
 自分のセンスで選んだものからやっと一つ選ばれた。それがなんなのかとヴァレリーは勢いよく確認に出たのだ。
 町から少し離れたところにある、長閑な田園都市。そこの一軒家。
 これはヴァレリーが最初にいいなと思った家だ。豊かな自然に囲まれた閑静な家というのはやはり憧れるもの。それに売りに出されている家は、他と比べて住宅の密集していないところに建っている。あまり人混みを好まないジグルフが、きっと気に入るんじゃないかと思ったものだ。
 その予測通りにジグルフがこれがいいと言ったのだから、ヴァレリーは内心ガッツポーズだ。
「二人暮しならこれくらいの大きさの家でいい」
「ん? 二人暮し……」
「明日にでも内見に行こう。問い合わせてみるよ」
 ジグルフは資料をもって立ち上がり、早速宿に備えられている電話から問い合わせを行っているようだ。
 ヴァレリーは体を椅子に落ち着け「二人暮し……」ともう一度呟く。
「そうか……。一緒に住むんだ。ん? 一緒に……?」
「予約取れた。ある程度現物をみたらその場で買おう」
「あ。はいっ! その場でって……なんかすごいですね」
「この宿もだいぶ飽きてきたしね」
 ジグルフにつられてヴァレリーも宿の様子を見渡した。お世辞にも綺麗とは言えないけれど、この古臭さがなんとなく庶民感があって馴染むものだ。
 今に至るまでいろんな人が寝泊まりして、いろんな物語が刻まれたのだろう。
「……ジグルフ、俺に人を歩ませるのは優しい思い出って言いましたよね」
「ん? そうだね」
「俺は、故郷のことを知っても、それからのジグルフとの思い出があるから歩けているんだと思います」
「……。そう」
 ヴァレリーの言葉が嬉しいのだろう。ジグルフはほんの少し口角を上げた。
「でも、気になることもあって」
「うん」
「ジグルフを支えてくれてる優しい思い出ってなんなんですか?」
「……、なるほど。そうきたか」
 ヴァレリーの質問にジグルフは珍しく思案顔だ。
 ヴァレリーの質問は尤もだろう。絶望するしかない人生を歩んできたのになぜそうもしゃんと立っていられるのかと、自分がヴァレリーの立場だったら、とても気になる。
 別に隠すことでもないので教えるのは構わない。構わないのだが、どこまで教えてやるかにやや迷う。
「……小さい頃に親切にしてくれたお兄さんがいてね」
「……、……ふーん?」
 ヴァレリーが不思議そうに首を傾げた。
 まあ覚えてないよな。ジグルフは腕を組んだ。覚えてないのを必死になって思い出してもらいたいとまでは思わない。ヴァレリーが覚えていようがいまいが、ジグルフの気持ちは変わらないのだから。
「その人がずっと心の支えだよ」
「……。それって初恋とかですか?」
「恋……? んー。そんな軽いものなのかな」
「えっ」
「子どもながらに絶対にこの人を守りたいと思ったよ」
「…………」
「だから俺が生きてる限り発動される保護魔法もかけたし、いまも……えっ。何その顔……こわっ」
「…………。ちょっとムカつきました」
「え」
「嘘です。ちょっとじゃなくてかなりイラつきました」
 ドン、と壁際に追い込まれた。
 ええ。と困惑しながらヴァレリーを見つめたところで状況は変わらない。むっと不機嫌そうにしているヴァレリーに、ジグルフは詰め寄られている。
「ジグルフは俺のプロポーズを受けましたよね?」
「え。うん」
「それって俺が好きってことですよね?」
「うん。好きだよ」
「……」
「? い゛っ、……バカ」
 抱きついてきただけかと油断していたら思いっきり首を噛まれた。あまりの力加減の無さにジグルフはヴァレリーの頭をぺしっと叩いた。「バカじゃないです」と不機嫌そうな声。ヴァレリーは自分を叩いたジグルフの手首を掴んで顔を上げた。
「俺のです。ジグルフは」
「……」
「きゅ」
「!」
 それにはヴァレリーもジグルフも二人揃ってびくりと肩を跳ねさせた。ヴァレリーの胸ポケットからもぞもぞと這い出てきたハリネズミが、ふよふよと二人の間を縫って離れていく。そういえば眠たそうなのをポケットに入れておいてあげたんだとヴァレリーも思い出した。
 不穏な空気はハリネズミの登場で弾かれた。
「……、今日何か食べに行く?」
「あ。色々と食材を買ってきたので、俺が作りますよ」
 早いものでもう夕暮れ時。
 ジグルフの言葉にヴァレリーも空腹を感じ始めたようだ。ジグルフからパ、と離れて買い物袋を漁りに行く。
 ジグルフはちりちりと痛む首を撫でて、自分もその食材とやらを見てみたいと、ヴァレリーのあとを追った。
 そんな二人をじいと眺めるのは優秀な使い魔、ハリネズミちゃんである。まるで先程急に起きてヴァレリーの服のポケットから抜け出したかのように振舞ったが、実はずっと起きていた。一時期うとうとはしていたが、ヴァレリーが噂話を耳にして故郷の真実を知り、ジグルフの正体に勘づいた頃から、ヴァレリーの大きく揺さぶられる感情に共鳴するかのように意識がはっきりしていた。
 どのタイミングで何をすればいいのかと迷った挙句にずっとポケットの中で大人しくしていたのだ。二人が分かりあって一件落着。そう思っていたのだけれど、まるで噛み合っていない会話を聞いているとお腹の当たりがムカムカとしてきてつい、ポケットから飛び出した。
 ジグルフの語った彼を支えるお兄さんとヴァレリーとは同一人物である。だから、ジグルフはヴァレリーが不機嫌になった理由がわからない。
 対してヴァレリーは、ジグルフが語った彼を支える大事な思い出の人と、自分が同一人物だなんて夢にも思っていない。だから、嫉妬したのだ。自分以外を心の支えだと、愛おしそうな目をして恋なんかよりも重たい感情だと語り、しかもその相手にジグルフの命が尽きるまでその人を守る魔法までかけたと言う。
 好きな人がそんなに大事にしている相手がいると聞いて嫌な気分にならずにいられるやつがいるというのなら教えてほしいものだ。強い嫉みを持つのは当然だろう。
 ……と、ジグルフとヴァレリー、双方の思惑がハリネズミには理解できている。自分がポケットにいるのに変な喧嘩が始まっては困ると、ハリネズミはムカムカするお腹に耐えかねて、鎮座する不穏な空気を割るように飛び出してきたのだ。
 これに関してはジグルフの方が、ヴァレリーとは幼い頃に出会ったことがあるんだと教えてあげればいい。ヴァレリーの方は幼少期の記憶なんてすっかり抜け落ちてしまっているし。このままヴァレリーが誤解した状況にしておくとジグルフはどうせ痛い目をみる。ヴァレリーは基本的に穏和だが、感情が積もりに積もったときの爆発は手の付けられない獰猛さだ。
 とはいえ、恋愛沙汰に首を突っ込むと面倒なことになりかねない。結局見守るのが一番なのだ。
 賢い使い魔のハリネズミは人知れず大きなため息をするのだった。

 シャワーから出たヴァレリーはタオルでわしわしと頭を拭きながらベッドに向かう。
「ジグルフ、あがりましたよ」
「ん……。うん」
「……きついんですか?」
「……うん。少しね」
 横向きになって目を閉じていたジグルフは、ゆっくり瞼を持ち上げ、心配そうにしているヴァレリーに小さな笑みを向けた。
 ヴァレリーはタオルを首にかける。それから上体を起こそうとしているジグルフを制した。
「寝たままでいいですよ。体、無理に動かさないでください」
「……そう? わかった」
 仰向けになって目を閉じる。ヴァレリーがベッドに乗ったので、木が軽く軋んでマットレスが深く下がった。
 ヴァレリーはジグルフの前髪を指で梳いて額に唇を寄せた。優しく落とされた口付けにジグルフはまぶたを持ち上げ、少し不満げだ。
「……口じゃないと意味ないって」
「知ってますよ。せっかちな欲しがりさんですね」
「……」
「ウザって思いました?」
「思った」
「やった。あたりですね」
「……」
 いつかの想像力の仕返しだ。ヴァレリーは不機嫌そうに眉を寄せているジグルフに対して悪戯っぽく笑った。
「俺もジグルフの思うことがわかるようになってきたかもしれません」
「……はやくキスしてよ」
「……それ、結構きますね。もうちょっと可愛くおねだりされたら100点です」
「はぁ? はやくちゅーしてっていってんの、このウスラトンカチ」
「もー。すぐ罵るんだから……」
 ヴァレリーはため息をついた。はやくキスしてなんてねだってきたのを可愛いと思った数秒後にはこれである。
「俺に罵られたら嬉しいくせに」
「まだそこには目覚めてないです」
「ふーん。じゃ、もっと罵ってどえむ、んむ……」
 これ以上好きに喋らせていたらキスどころの雰囲気じゃなくなるような気がしたので、ヴァレリーは可愛げのない口を塞いでやった。
 舌を入れるとジグルフはきゅっと眉を寄せてぎこちなく応えてくる。キスしたら大人しくなるのもそうだけれど、案外こういうところは初なものだ。
「ん、……はー……」
「はあ、……ジグ、俺ね、嫉妬したんです」
「?」
 口を離して今度は耳元でポソポソと語る。
「ジグが生きてこれた心の支えのお兄さんとやらが、妬ましくて仕方ありません」
「……、……ふうん」
「ね。その人のことまだ好きなんですか? 今どうしているのかも知ってます?」
「……」
 ヴァレリーはジグルフの耳を指でいじって遊ぶ。
 ジグルフは覆いかぶさっているヴァレリーを上目に見て、少し思案すると、いたずらっ子のように口元を弛めた。
「教えてやんない」
「え」
「勝手に嫉妬すればいい。余裕のないヴァレリーを見てるのは愉快だ」
「……ぶち犯しますよ?」
「どーぞ? 俺ヴァレリーのこと大好きだから嬉しいよ」
「……もう」
 そう言われては嫉妬もしゅんと顔を引っ込めるものだ。楽しそうにしているジグルフを、ヴァレリーはぎゅうと抱き締めた。
「気が変わったら教えてくださいよ?」
「やだ。自分で答えにたどり着いて悶絶すればいいんだ」
「もー。なんですかそれ……」
 くすくすと小さな笑い声が聞こえてくる。
 普段は大人びていて淡白だけれど、こういところはまだ子どもだなと。ヴァレリーはほんの少し呆れながらジグルフの首に噛み付いた。