都市の煩雑とした様子とは違い、木々の揺れる優しい音と、歌うような鳥の鳴き声が鼓膜を揺らす。広いテラスに大きな窓。天井も高く伸びやかな平屋だ。ヴァレリーは早速窓を開けて大きく深呼吸をした。
「空気がおいしいですね」
「そう? それはよかった」
ヴァレリーが伸びをするのを横目に、ジグルフは床を軽く手で掃き、その場に体育座りをする。
テーブルも、椅子も、ベッドなんてものはもちろん、家の中には家具が一つもない。この空間はがらんどう。それもそうだ。空き家を買ったのだから。それにジグルフたちは宿暮らしだったので引っ越しも何も荷物がほとんどない。大きなリュックサック1個にそれぞれの持ち物が収まってしまう程度だ。
例の家を買った。ジグルフが現金をポンと出して見せたので不動産屋の方が腰を抜かしていた。どういう感情なのか冷や汗のようなものをかきながらジグルフが書いた書類を受け取っている不動産屋を、ヴァレリーはなんとなく同情しながら眺めていた。自分もあんな若い人からぽんと金を渡されあれよこれよと手続きを進められたらどぎまぎするに違いない、と。
「家具。買わないとね」
「そうですね。テラスにはハンギングチェアかシェーズロングなんかを置きたいです。こんなに気持ちのいい庭でゆったり昼寝なんかできたら最高ですよ」
「ギャンブルの出番だ。腕が鳴るね」
「……」
ジグルフが愉快そうに目を細めている。
ギャンブルという言葉にヴァレリーは口をへの字に曲げたのだけれど、これから家具を揃えていくとなるとジグルフの言う手段が一番現実的だし、事実家を買う金を作って見せたのもジグルフなので、どうも意見できない。精々、あまり危ない橋は渡らないでくださいよと、注意するぐらいだ。
「ここの横は空地なんですね」
ヴァレリーはテラスから見える隣の敷地を眺める。そこは本当に土地だけだ。
「誰か越してくるのかなあ」
「来ないよ。俺が買ったもん」
「……。はい?」
耳を疑った。ヴァレリーは油さしが必要なロボットのように首をギギギと回し、ジグルフを凝視する。
「え。なんです?」
「だから買ったんだって。この家と一緒に、横の土地」
「?」
「隣にはヴァレリーの店を建てるんだよ。家と渡り廊下で繋いでみたらなんだか秘密基地みたいで楽しそうじゃない?」
「……」
「聞いてる? おーい」
「……」
「……どっかいっちゃった」
ジグルフは座ったままヴァレリーに向かって手を振って反応を待っていたが、石像のように固まって動かないヴァレリーを待つのが面倒になって、手を振るのをやめた。
ふよふよとハリネズミがジグルフの頭に降りてくる。彼は彼で家の中を探索して回っていたようだ。
「いいものはあった?」
「きゅ!」
「ロフトについてる天井窓がきれいなんだ。よかったね」
「きゅきゅ〜。きゅっ!」
「ハンモックねえ。ハリネズミ用とか売ってあるのかな。作った方が早そうだ」
ジグルフはゆっくりと腰を上げた。さすがに家具も家電も一切ないというのは困るので、今日一日で揃えられる分をどうにかしなければいけない。オンボロでも物を置いておいてくれれば魔法で作り替えたのに、こういうときばかりは親切に家の中を整頓してくれた元家主にため息が出てしまう。
「ヴァレリー。買い物に行こう」
「……」
「おい」
「わあっ!?」
パンと尻をはたかれヴァレリーは思わず声を上げた。わりと容赦なくジグルフに平手打ちされて宇宙から戻ってきたようだ。
「買い物」
「あ、はい……」
ヴァレリーはおずおずと返事をする。人のケツをたたいておいて、ジグルフの方は涼しい顔をしている。
家を買える金を持っていることは知っていたので驚かないけれど、まさか横の土地まで買ってしまうとは。この男、いったいいくら持っているというんだ。
現実に戻ってきはしたが、一瞬でも気を抜くとヴァレリーはまた宇宙へ旅立ってしまいそうだ。
「というか、買い物って。ジグルフは魔法でいろいろ作れますよね?」
「作れはするけど、俺が全部魔法で作ったら俺の調子がよくない時に消えてなくなっちゃうよ」
「なるほど……。じゃあ買わないとですね」
「新品じゃなくていいよ。作り替えるから」
「……。魔法って便利ですね……」
ヴァレリーはやや遠い目だ。家を買うところまではついていけていたが、空地を買ったあたりからはもう置いてけぼりである。そこに追い打ちのように古い家具を魔法で新調するときた。普通の人間とは規模が違いすぎる。「DIY……楽しみだなあ……」と気を遠くしながらつぶやくしかなかった。
この家までは不動産屋のチョコボが引っ張るキャリッジに乗ってやってきた。しかし今はそれがないので、ここから町まで歩いて行くのはなかなかに時間がかかるだろう。
「ジグルフ、歩くの平気ですか?」
「テレポするんだよ」
「……ウッス」
ついさっき魔法の話題がでたのにそれぐらいも思いつかないのかお前といわんばかりのジグルフの蔑みを露わにした瞳に射抜かれては、ヴァレリーはおとなしく返事をすることしかできない。ジグルフは偉大な魔法使いだ。自分の思う常識に囚われてはいけない。戒めのようにヴァレリーはそう胸に刻んだのであった。
いくらギャンブラーの稼いだ金があるといっても土地と家とも買った手前、限度はあるので、家具はリサイクル品から買っていくことにした。ジグルフ曰く元の形は関係ないらしい。物の素材さえ大体あっていれば、たとえば木製の椅子から木製の机とか、電子レンジから冷蔵庫とか、ちょいと魔法をかければ作り替えることができるようだ。もうこの辺りについては突っ込んでいては埒が明かないのでヴァレリーは素直に受け入れた。ちなみに作り替えたものに関しては、ジグルフが不調でも、元がジグルフの魔力で生み出したものではないので影響がないんだとか。それに加えてオンボロでも新品同様にできてしまうらしいので、ガラクタすべてが宝の山だ。これに関しては、世の魔術師全員がそんなことをできるのかと聞いてみるとそうではないみたいだった。
ヴァレリーは、口には出さなかったがそんなに特別な魔力を持っているのならジグルフが奴隷として買われてしまうわけだとちょっぴり納得した。
買った家具や道具はすべてジグルフが魔法で家まで転送した。それ自体はほかにもやってのける術者がいるようで、店主の方は驚いていなかったが、ヴァレリーは驚きで口があんぐりあいて顎が外れそうだった。
「魔法……便利すぎる……」
「何その顔。おもしろ」
「もう何とでも言いなさい……」
ばかにされようがからかわれようが今のヴァレリーはそんなものに反応している余裕などない。ヴァレリーは生まれてこの方こんなにも身近に魔法をみたことがなかった。確かにこんなになんでもやってのける魔法が使えなければ、無理やりにでも抑圧してしまおうと目論む人間が出てしまうのも頷けた。
「……なんかこれじゃあ、力持ちだけが取り柄の俺は出番がないですね」
「……、なんで荷物運びの仕事がギルドに張られるかわかる?」
「え?」
「自分をテレポで移動させるのはどの術者でも簡単だけど、物を正確に指定された場所に飛ばすって結構神経も魔力も使うんだよね。つまるところ大荷物を魔法でいくつも運べる術者ってそうそういないわけ。ヴァレリーみたいな力持ちは必要なんだよ。だから自信もちなよ」
「! ……? でもそれってジグルフはできるんですよね? やっぱりここでは俺の出番なくないですか?」
「うーん。励ましたのに。めんどくさいなあ」
「え!?」
ついさっきまでジグルフは穏やかな口調だったのに、急に心底めんどくさそうにため息をついた。ジグルフの態度の急変にヴァレリーはびっくりだ。
「しかたないでしょ。俺が偉大な魔術師なんだから」
「ええ……。あ、ちょっと待ってくださいよ」
呆れたように言って次の店へと歩いて向かっていくジグルフを、ヴァレリーは慌てて追いかける。
肩を並べてジグルフの様子をちらりと伺う。励ましていたのか、あれ。ヴァレリーが出番がないと落ち込んでいたから。
「ジグ」
「なに?」
「手、つなぎましょう」
「? いいけど」
ヴァレリーは早速ジグルフの右手を握って嬉しそうに頬を緩める。好きな人と手を繋いでお買い物デート。最高である。
「へへ」
「……」
ついさっきまでキノコをはやしそうなほどじめじめと落ち込んでいたかと思えば、今度はスキップしそうな勢いで喜んでいる。ヴァレリーの浮き沈みを怪訝に思いながらも、ジグルフは小さく口角をあげ、つないだ手をほんの少し強く握った。
ヴァレリーの図案をもとにジグルフが家具の再構築を行った。ヴァレリーからしてみればこういう家具がほしいと絵を描くとジグルフが指パッチン一つで家具を作り直してしまうのだからなんだかおとぎ話の世界にでもいる気分だった。
家の中が空っぽだったのも数時間のうちだけで、家具が揃った今は随分と住処らしくなった。
テラスに置いたガーデンチェアに腰かけているヴァレリーのもとに、カフェオレの入ったマグを二つ持ったジグルフが寄っていく。
「ヴァレリー」
「はい」
「ん」
「あ。ありがとうございます」
礼を言いながらジグルフから差し出されたマグを受け取る。
「俺もお金をためて、まずはチョコボを飼います」
「ふぅん?」
ジグルフもテーブルをはさんだ隣にあるチェアに浅く腰かけた。
「ジグルフのテレポに頼れない時の足は必要ですからね」
「なるほどね。ちゃんと世話できるの?」
「もちろんですよ! これでも俺、子どもころに図書館でいろんな動物について勉強したんですからね。結構詳しいんです」
「……ふーん」
どことなく元気のない返事が聞こえたので、ヴァレリーは不思議そうにジグルフの様子を伺う。声音の通り、何となく寂しそうだ。
「……チョコボ。ジグルフって名前にしてかわいがります」
「それは嫌だ」
「ふふっ……。冗談です」
地を這うよなジグルフの声は心底嫌だと語っていてヴァレリーは思わず声に出した笑ってしまった。
「冗談に聞こえなかった」
「嫌って言われなかったらジグルフって名前にしました」
「はあ」
忌々しげなため息だ。
ジグルフからは先ほどの寂しげな様子はなくなっている。ヴァレリーはほっとした。
「はい」
「ん? なんです?」
「ピアッサー」
ジグルフがテーブルに置いて滑らせてきたそれはピアスの穴を耳にあけるための小道具だ。ヴァレリーはきょとんとジグルフとピアッサーとを交互に見る。
「あける約束でしょ」
「あ……そうでしたね」
「せっかくもらったピアスいつまでもつけらんないじゃん」
まさにむっすりだ。せっかくのシェーズロングに体育座りして、頬を膨らませて膝に顎をのせている姿は、今までで一番子どもっぽく見えた。
「……」
ざあざあと、雨の降る音がする。
「ヴァレリー?」
「あ……。すみません。ぼーっとしちゃいました」
今日は晴れだ。綺麗な夕日が回りを茜色に染めている。なんで雨の降る音なんてものが聞こえたのだろう。
ヴァレリーはどことなく困ったように頬をかいた。それからピアッサーを手に取って、そっと椅子から立ち上がった。
ジグルフはシェーズロングに背を持たれていないので、空いている背中のスペースに入って、ヴァレリーは膝立ちになった。
「どっちにあけるんです?」
「右」
「わかりました。……あれ、そういえば男性の右の片耳ピアスって同性愛者って意味があるとか言われてますよね」
「はあ? んなのどうでもいいでしょ。右目の代わりだから右耳がいいの」
「いや。ちょっと待ってください。もしかすると余計な男をひっかけそうじゃないですか?」
「ないって。さっさとあけてよ」
「あり得ますって。ジグルフ美人なんだから」
「それは否定しないけど、ピアスの意味なんか考える人間なんてそうそういないってば」
「褒められて否定しないそういうとこ好きですけど、そうそういなくてもいる可能性はあるじゃないですか」
「めんどくさいなあ、もう……」
「いてっ」
ヴァレリーはぺしんと右の頬をたたかれた。しかしジグルフはヴァレリーを振り返っていなければ膝を抱えたままだ。それじゃあどうやってヴァレリーの頬をはたいたのかというと、それはもちろん尻尾である。ジグルフの尻尾が器用にヴァレリーをビンタしたのだ。
その尻尾は、今はふんと知らん顔するように静かに垂れている。
「……。今の、次やったらしっぽ握りますよ」
「やだ。というかヴァレリーがいつまでもピアスあけてくれないのが悪い」
「だって右耳だけにあけろっていうから……」
「じゃあ右も左もあけたらいいじゃん。どっちって聞かれたから俺は右って答えただけだよ」
「でも両耳あけてもピアスをつけるのは右だけなんでしょう? あいてっ」
ぺしんと今度は左の頬をはたかれた。
「……ジグルフ」
「もう自分であけるからそれ貸して」
「! だめです! 俺があけるんです!」
宣言通りジグルフの尻尾を握ろうとしたら、ジグルフは振り返ってきて、しかもピアッサーを取り上げようとしてくるのでヴァレリーは必死の抵抗だ。
「はあ〜〜……じゃあさっさとやれってば……」
忌々しそうなため息だ。実際ジグルフは随分と鬱陶しそうにヴァレリーを睨め付けていた。
ジグルフは前を向きなおし、ヴァレリーを背もたれ代わりにだらんと座る。
「そんなにとられたくないなら24時間俺の傍にいればいいじゃん……」
「……、……。そうします」
「……何で嬉しそうなの」
「だってジグが俺に24時間傍にいてほしいって……い゛っ!」
危うく舌をかむところだった。
ゴン、とヴァレリーの顎に当たったのはジグルフの頭だ。ヴァレリーを背もたれにしてずり落ちて座っていたのを、急に姿勢を正したらしかった。というか、わざと勢いよく座りなおしてヴァレリーの顎に頭をぶつけてやったのだろう。
「〜〜っ、ジグルフ!」
「だからさっさとあけろって!」
「今の何か言うことあるでしょう!」
「はあ?! ヴァレリーが寝言いうのが悪いんだろ!」
「起きてますけど!」
そういう意味の寝言ではない。
「チッ……! このクソボケが!」
「はあ!? それシンプルに悪口なんですけど!」
これはもうピアスどころではないようだ。お互いに耳を立てて言い合っているのはしばらく続きそうである。
テラスに置かれた小さなハンモックに身を納めていたハリネズミは関わるまいと部屋に戻っていくのであった。