聞きなれた電子音。スマートフォンに反射する日差し。朝だ。鳴っている電子音は目覚ましアラーム。これをスヌーズして10分二度寝してしまうとわりと時間がギリギリになる。
 ヴァレリーはブランケットから手を伸ばしアラームを止めた。
 午前6時。
 体を起こして目を擦る。
 ずらりと並ぶモニター。マグカップ片手にそれを眺める警備服の男。
「……?」
「? おはよ」
「えっ。えっ……!?」
「俺の勤務交代8時だから、それまでには出てってくれる?」
「えっ? ……」
 起き抜けにつらつらと語られても頭に入ってこない。ヴァレリーは唖然としながらも、まだ半分眠っている思考をフル回転させた。
 昨日も残業だった。セキュリティロックを解除してもらうために立ち寄った警備室に入れてもらった。そこの警備員が見回りに行ったからソファに横になって戻ってくるのを待っていた。
 ……。待っていて、どうしたんだっけ。
「俺、眠っちゃった……?」
「だからここにいるんでしょ」
「……。はっ! 俺の貞操……」
 ヴァレリーは慌ててソファから立ち上がり下半部に視線を落とした。
 バサリと床に落ちたブランケット。
 しっかりベルトを付けたスラックス。
 その様子をマグカップ片手に眺める男は、呆れている。
「インポに用はないって言ったじゃん」
「い……っ!?」
 インポテンツなんかではない。断じて。
 怒りで唇を震わせるヴァレリーの前に「はい」と。
「菓子パン食べる?」
 ジグルフから差し出されたのはコンビニのメロンパンだ。
「なに……?」
「社内のコンビニも始業時間までは開かないじゃん。夜も食べてないのに朝も抜いたら大変じゃない? もうすぐ出勤でしょ」
「あ。……」
 ジグルフの言う通りヴァレリーはここで寝落ちしてしまったので夜ご飯を食べていないし、手持ちに食べ物は無い。時間も時間なので、いまから外に買いに急ぐというのもめんどうなことだ。
「このメロンパンは……?」
「俺が帰りに食べながら帰ろうと思ってた朝ごはん」
「え。じゃあ悪いですよ」
「食べなよ。俺なんか今からは帰って寝るだけだし」
「でも……」
「今から働くんでしょ。あなた」
「……」
 ぐう。見計らったかのように腹の音が鳴いた。
「……。もらいます」
「うん」
 ヴァレリーが菓子パンを受け取るとジグルフは満足そうに頷いた。
「飲み物水でいい? はい」
 ローテーブルにぽんと置かれた紙コップ。ウォーターサーバーのやつだろう。
「備え付けのシャワーならあるからそれで良ければ浴びていったら? さすがに歯磨きは無いけど洗面台のとこにマウスウォッシュもあるよ」
「設備のいい警備室ですね……」
「仮眠室もあるっぽいよ。まあ俺基本一人シフトにされてるから寝てる暇ないけど」
「さすがブラック企業……。警備員のコストカットですね……」
「それもあるんだろうけど。俺の場合ペアにすると問題起こると思われてんじゃない?」
 メロンパンの封を切ったところだった。
 そういえば前の職場を痴情のもつれ、曰く性的被害にあって飛ばされたのだと言っていた。その内容は詳しくは聞けていないが。
 ヴァレリーはジグルフの方を見上げる。
「…………。うーん。軽々しく言えることです? それ……」
「あはは」
 ジグルフは軽い調子で笑っている。
「もう少し若ければアリだったかもなあ」
「……」
「モニター眺めてたら急に、いつもいやらしい格好して俺のこと誘ってんだろ、とか言われてもビビるよね。いやあんたと同じ制服だよ。みたいな」
「……」
「ふふ。思い出して笑っちゃうな。うける」
 むしゃりとメロンパンを一口。まぶされた砂糖は随分と甘ったるい。
「その後どうしたんです?」
「うん? んー。俺、精液は飲みたいけど別にセックスしたいわけじゃないからね。抱きつかれたのを思いっきりぶん殴ってたらまだ残ってた社員に目撃されてまあいろいろ」
「……。表向きには傷害沙汰の転勤でしょうね、それ」
「そうそう。と言っても俺と相手と、目撃した社員とあと偉い人2,3人しか話は知らないし、警備員の人事なんてみんな興味ないよ」
 確かに部署の人間ではなく完全に裏方の人だ。ジグルフに言われたとおり、警備員なんて、最近見なくなっても人が変わったんだなぐらいで気にとめないかもしれない。
 時刻は6時半になろうとしている。
 朝礼は8時半から。まだ2時間も余裕がある。家から出勤するとなると悠長に構えて居られないのだが、ヴァレリーは今既に会社だ。
「なんか遅刻の可能性がまったくないのでのんびりしちゃいそうです」
「最初に言ったけど俺は8時には交代するからあんまりぼけーっとしないでね。さすがに交代の人になんで社員さんいるのって聞かれるのはだるい」
「わかってますよう」
 メロンパンの最後の一口を食べ終えた。
「ていうか夜勤なんかよくできますね。俺夜は眠くて起きてらんないです」
「夜は全然いいよ。俺は日中起きてるのがしんどい」
「……。インキュバスだから?」
「そういうこと」
 軽く片付けられてしまった。が、これについてはヴァレリーも最早突っ込むほどのことではない。
 インキュバスさんは日中が苦手で夜が活発らしい。日勤より夜勤の仕事が向いているのだ。
「お前はこれから帰ってなんかするんです?」
「んー。寝るだけと思ってたけど、とりあえず飯探すかなぁ。そろそろ本気でキツイ」
「飯……。……」
 ジグルフの言う飯が通常の食事でないことは用意にわかった。真剣に悩んでいるジグルフをヴァレリーはじっと眺める。
「見た目が良くても同じ味ずっと食べてて飽きちゃったし。前のやつのとこ行くのはなぁ」
「……」
「男ってだけでいいなら悩まないんだけどやっぱまずは顔だよね」
 えへへと効果音をつけても良さそうな純粋な笑顔である。それとは裏腹言っていることはなかなかにえげつない。
 そんなジグルフを眺めながら、ヴァレリーは胃がムカムカするのを感じていた。
「こないだまでの人顔もいいしモノもデカいしわりとよかったんだよなー。もう飽きちゃったけど。イケメン探すの大変なんだよな」
「……」
 ぶち。
 何かの切れる音と一緒にヴァレリーがソファから立ち上がる。
「ここにいるじゃないですか。イケメン」
「え。えー。うん。顔はすっごい好き。でもお前勃起不全じゃん」
「違います。あと」
 ずいっとヴァレリーはジグルフとの距離を詰めた。
 思わず後ずさったジグルフの背中は壁にあたる。
「お前じゃなくて、ヴァレリーです。ヴァレリー・テイラー」
「? ジグルフ・エルアです……?」
「知ってます」
 自己紹介はヴァレリーによって一蹴された。
 ジグルフは豹変したヴァレリーに困惑しつつ「テイラーさん?」と呼んでみる。
 ヴァレリーの目は据わっている。
「……。ヴァレリーさん?」
 呼び直してみると「そうです」と強く頷かれた。
 ジグルフの今の心情はなんのこっちゃである。
「俺ん家わかりますよね」
「……? うん。まだ覚えてる。いいなーって思った人の家覚えとかないとリピートできないからそのへんはバッチリ」
 ジグルフもジグルフでとんでもない事を言っているが今のヴァレリーはそれに突っ込む様子はない。ただただ、ただ事では無いオーラを纏ってジグルフの前に立ちはだかっている。
「家で待ってなさい。今日は定時で帰ります」
「っ?」
 ヴァレリーはジグルフの制服ポケットに自宅の鍵をねじ込んだ。
「見せてやりますよ。本当の巨根ってやつを」