薄い液晶を指でなぞれば電子の海は波紋すら立てずに流れていく。誰かの愚痴、人気なイラスト、企業が垂れ流す宣伝。それらを漠然と眺めていると、ひとつ、おっと思う投稿を見つけはたと指を留める。
 新作発売開始、の文字列。投稿に添えられている写真はコーヒーチェーン店の新作フラペチーノ。
「ロスト……」
「ん……はい、どうしましたか? シャルル」
 隣で本を読んでいるロストの太腿を軽く叩いて呼びかけると、彼は本を開いたまま膝に下ろし、俺の方へ視線を向けた。淡い雪のような色の瞳を緩ませて微笑む姿を見ながら手元のスマホの画面を見せると、丸い虹彩がきょとりと瞬く。
「新しいやつ、ですか?」
「うん。一緒に行こう」
「……決定事項なのですね」
「? うん」
 当たり前だ。ロストとはいつも一緒にいる。
 今だってこの部屋で同じソファに座っていて、こうして隣にぴったりとくっついている。
 ロストがいないなんて考えられないくらい一緒にいるのが当然だから「行かない」と言われる可能性なんてない。言われたら言われたで、言いくるめてやる自信もある。
 そんなこと口に出さずにいるのに、察したらしいロストに小さく笑われた。
「ぜひ、行きましょう。俺も、これを飲んでみたいです。……ホイップがもっと載ってると、嬉しいのですが」
「ホイップって無料で増やせるんだよ」
「えっ……そうなの、ですか」
 ぱちぱちと目を瞬かせるロスト。知らなかったらしい。いつもはもっと冷静そうな顔をしている彼が、こうやってたまに幼い表情をするのは可愛らしいなと思う。
 今日は何の予定もない日だった。二人揃って朝からダラダラとソファの上で過ごしていたけれど、新作のフラペチーノが出てるのならば外に行く理由になる。
 窓の外はよく晴れていて雨の心配もない。少し寒いだろうけれど、お店に行けば暖房がきいていて暖かいだろうし、フラペチーノが楽しみだ。
 外出は――保護者に許可をとらなければいけない。保護者と言っても親ではなくて、俺とロストを保護する立場の男。
 あの男は厳しくて勝手な外出ができないから少し面倒だが仕方がない。今日は朝から仕事部屋に籠っているフリンズに許可をとるため、ソファから立ち上がって書斎を目指す。
「フリンズ」
「……まったく。ロストなら、きちんとノックをして待つのですが」
 ノックをする必要を感じなかったのでそのまま扉を開けるとフリンズが煩わしそうに溜息を吐いた。いつものことなので特に気にすることでもない。
 椅子の背凭れに体を預けたフリンズが一度だけ頭を振った。ウートルメールの長い髪がサラリと流れる。
「それで、どうしたのですか? シャルル」
「外に遊びに行っていい?」
「――ロストと一緒に、ですね?」
「うん」
「……」
 素直に応えるとフリンズが沈黙する。言葉が足りないのだろうかと、若干の焦りを感じつつ「新作のフラペチーノが出たから……」と補足するも、フリンズはやはり、じ、と黙って俺を見ている。
 無言の威圧感を覚えて身を固くしていると、「僕は誘って、いただけないのですね」呟くようにフリンズが言った。
「?」
「僕も外出に誘っていただきたいのですが」
「……仕事は?」
「もう終わりました」
 机の上に放置されている報告書らしき紙束にちらりと視線を向ける。未だ時代遅れに紙の書類を作っているフリンズが、一体どんな職務についているのかなぞであるが、それはともかくおそらくまだ終わっていないであろうそれらはもう、放置することとしたらしい。
「……なら一緒に行く?」
「ええ。もちろん」
 微笑んだフリンズが立ち上がるのを見て、俺は小さくため息をつく。
 この男もまた、普段はすました顔をしているくせにこういうときはやけに無邪気だ。出かけるのが楽しみなのか、仕事を放って外に出ることが嬉しいのか。いずれにせよ、少し、悪い顔だ。
 リビングに戻るとロストはまた本を広げていた。俺が戻ってきたことに気づくとすぐにそれを閉じる。
「ロスト」
「はい」
「フリンズも行くって」
「そうですか……フリンズは、仕事は、終わったのでしょうか?」
「終わってなさそうだった」
「……そうでしたか」
「?」
「……でも、フリンズのことですから、すぐ仕上げられるでしょう。それよりも俺たちに置いていかれる方が、嫌なのでしょうね」
 ロストはなにか、納得したふうに呟くとゆっくりと立ち上がった。そうしてゆったりとした歩調で俺の横まで歩いてくると穏やかな声で言う。
「準備を、しないといけませんね。羽織れるものをひとつは持っておきましょう」
「……うん」
「少し肌寒いかもしれませんから」
 俺に微笑みかけてロストはクローゼットを開けて自分のものと俺のものと二着の上着を用意してくれる。
 羽織れるものを、と言ってるときには朝の気象キャスターのようだなと思っていたのだけれど、こういうふうに上着を渡されるとまるで母親だ。
 そう言えば彼は俺より少しだけ年上だったと思い出す。といっても二つか三つ程度の差なのだけれど。
「あたたかいものを選んできました」
「あ……これ好き。ありがとう」
「ええ。喜んでいただけると、嬉しいです」
 手渡された上着はモコモコとしてあたたかそうだ。少し羽織れるものを、と言っていたように思うがこれはなかなか厳重な防寒対策だろう。
 それに腕を通しながら視界に入るロストはすでに薄手のカーディガンを羽織っていた。
「……ロストは寒くないの?」
「大丈夫ですよ。俺は慣れていますから」
「……そっか」
「シャルルは寒がりですもんね」
「……ロストとフリンズが、寒さに強すぎるだけだと思うんだけど」
「ふふ」
 こちらの反論に対して曖昧に笑われる。確かに俺は冬の間、ずっと布団の中にこもっている。ロストもフリンズもそういうことはしなくて、「寒くないの?」と聞けばいつも笑うのだ。「平気ですよ」「言うほど寒くありませんよ」と。そしてそういうときに限って気候は極寒なのだ。嘘でしょ、というくらいに。
「準備はできましたか?」
「……フリンズ、音もなく背後に立つのはやめてください」
「ああ。失礼しました」
 いつの間にかすぐ傍まで近づいてきていたフリンズの声に、ロストと揃って肩を跳ねさせてしまった。代表して文句を言ってくれたのはロストだ。
 しかし文句を言われたフリンズは全く反省していないように見える。ただ口では謝罪した。
「準備ができたのなら、行きましょうか」
 フリンズの手が伸びてきて、左手で俺の首輪を、右手でロストの首輪を撫でる。チョーカーだと言い訳できそうなデザインのそれが、所有物であることを主張するための飾りだと俺もロストもよく知っている。
 そこに鎖をかけられたわけでもないのに、なんとなくフリンズのその行為は散歩に出かける前の犬の首輪に、リードを繋げるような仕草であるように感じた。フリンズもまさかそんなことを――考えているわけでは、ないだろうが。



 行き交う人の多い通りの中を進んでいく。三人並んで歩いていると少々狭苦しいから、俺とロストは前を歩いていてフリンズはその後ろをゆっくりとついてきている。
「あ……、ロスト」
「はい」
「ガチャポンしよ」
 道端に置かれているガチャポンの機械を見て提案するとロストは立ち止まりきょとりとして、後ろのフリンズを見上げた。
「フリンズ、シャルルがあれをやりたいようなのですが……」そうやってフリンズに提案してくれている間に、お店に近寄って、軒先のラインナップを眺める。いろんなキャラクターのフィギュアやキーホルダーが並べられていて、見ているだけで楽しくなる。
 そうやっているとすぐに二人の気配がそばに来た。
「あまり自由奔放に動き回るものではありませんよ。それが元来のあなたの性格だとも、理解はしていますが……」
「このメンダコかわいい」
「本当だ。可愛らしいですね」
「……」
 メンダコのガチャポンを指さすとロストが頷いてくれた。反対にフリンズは呆れたような顔をしてため息をつきつつ財布を取り出した。
「二回ですね」
「? 三回じゃないの?」
「…………ふむ。これには誘っていただけるのですか」
 何か思案するような顔をしつつも、フリンズは俺とロストそれぞれに硬貨を三枚渡してくれた。
 ロストを見ると一番手を譲ってくれるようだったので、先に投入先に硬貨をいれて、ハンドルを回す。
 メンダコめじるしアクセサリー。どこにつけるかは置いておいて、カプセルの中身に期待しつつ取り出し口から取り出してロストに次を回すように促す。カプセルを開けるのは、一緒にやりたい。
 ロストはあまり、慣れてなさそうな様子でガチャポンのハンドルを回して出てきたカプセルをしげしげと眺めている。
「フリンズも回したら、みんなで開けよう」そう声をかけると、ロストはこくりと頷いた。
 最後にフリンズが硬貨を入れてレバーを回す。
「どれから開けますか?」
「順番に開けよう。フリンズのから」
「なぜそこで僕からですか」
「……なんとなく」
 なんとなく。本当に深い意味はない。ジト目のフリンズから目を逸らす。
「まあ良いです。とりあえず開けましょう」
 フリンズの手の中でカプセルが開かれる。中からころりと出てきたのは紫のメンダコだ。可愛い。クリアなそれは透き通っていて指先で摘まれると光を透す。
 続いて俺が開けると青色のメンダコが出てきた。どちらかというなら水色に近い。やっぱり可愛い。
「ロストは?」
「俺は……赤色の子ですね」
 最後にロストが開けたカプセルからは赤色のメンダコが出てきた。全部可愛い。全部で五種類のラインナップがあるメンダコなので、出なかったのは橙色と黄緑色の子だ。
 誰もどこかにつける様子がなければ、三人並べて玄関に飾ろうかななんてことを思いつつ眺めていると、横で「ほしいなら、あげますよ」とロストが気を遣うように言ってきて慌てた。
「あ、いや……欲しいというか、並べて飾ると可愛いなあって、思ってて……」
「……そうですか。玄関に、一緒に飾りますか?」
「僕のも並べさせてくださいますか?」
「はい。もちろんです、フリンズ」
「とりあえずこのメンダコは、シャルルに預けておきましょうか」
「あ、うん」
 慌てて手のひらを差し出すと、ロストもフリンズも俺の手にメンダコを置いた。なんだか俺の描いていた通りになっている。みんな、傘の持ち手だとか、つけたい場所とかないのかな……
 心配しながらもメンダコはポケットに、カプセルは回収箱にいれ歩き始めた。



 コーヒー専門店の自動ドアを潜り抜けて店内へ入ると漂ってくるコーヒーの香り。ふわりと鼻腔を擽るそれに一気に胸が踊る。
 壁際に設置されているメニュー表に手を伸ばして『新作』と大きく書かれた部分を見る。商品名はなんだか長くてよく分からなかったが説明書きを見ればなんとなく想像はできる。
 ベリー系のシロップを使った甘酸っぱいフラペチーノ。ホイップクリームが山のように盛られており、そこにピンク色のソースがかかっている様子が写真付きで描かれている。
「ロストが一番好きそう」
「そうでしょうか」
「うん。好きでしょ」
「はい。美味しそうです」
「フリンズも好き?」
「嫌いとは思いませんが、僕はコーヒーにします」
「え。だめ、フリンズもフラペチーノ」
「おや、随分強引ですね?」
「今日は新作のために来たから」
「ふ……わかりました」
 ちょっと小首を傾げたりしながらも了承の返事を返したフリンズ。俺は内心ほっと安堵する。よかった。今日は新作を一緒に楽しむつもりだったのに一人だけコーヒーにされては困る。
「では新作のフラペチーノを三つ、ということですね。僕が注文してきますので、ロストとシャルルは席で待っていてください」
「ありがとうございます、フリンズ」
「あ。フリンズ、ふたつ、ホイップ多めでって、伝えてね」
「ええ」
 俺とロストを残してフリンズがカウンターに向かう。
 それを見送ってロストと一緒に座席を探す。時間帯的に混んではいないから空いている席はあるけれど、窓辺の席や、テーブルの低いソファ席も空いているから、どの席にするか迷うところだ。
「ソファ席と窓辺の席が空いてるけど……ロストはどうしたい?」
「えっと……俺はシャルルのお好きなところで構いません」
「ロストの意見は?」
「……ソファ席の方が、楽だと思います」
「じゃあソファ席にする」
 即決。広い空間に置かれたL字のソファー席を選んでそこに腰掛ける。ついでに隣にロストが座るように促すとロストは素直に従って俺の左側に座った。
「……俺はあまり、こういうところに来たことがありませんでしたが、とても洒落た空間ですね」
「うん。なんか雰囲気あるよね。……今度は本を持ってきたらいいんじゃないかな。ロストは読書、好きでしょ?」
「確かに。本を読みに来るのも、楽しいかもしれないですね」
 ロストがぼんやりと言う。ここで本を読みながらカフェラテを嗜む想像でもしているのだろう。その姿は容易に想像がついた。絵になるだろう。
 一人でいると悪い虫がつきそうだから、そのときは俺が隣にいよう。なんて勝手に決意しているとフリンズが戻ってきた。ドリンクを載せたトレーを持っている。
「お待たせしました」
「ありがとうございます。フリンズ」
「ありがと」
「どういたしまして」
 フリンズが持っているテーブルに置いて、俺たちの向かいのスツールソファに座る。
 てっきり俺かロストの隣に座ると思っていたから少々意外だ。
「なんで隣に座らないの」
「僕は愛らしい飼い猫が二匹、肩を寄せて並んでいるのを眺めるのが好きなもので」
「……」
 変態的な答えだ。なんとなく無意識に隣のロストとの距離を取ろうとしてしまう。が、ロストは一切動くつもりがないらしい。むしろ詰められて逆に距離を縮められてしまった。
「シャルル?」
「ううん……なんでもない」
「はい。では早速いただきましょう」
 ロストが「いただきます」と律儀に言うので釣られて俺も倣う。フリンズは特に何も言わずにストローに唇を寄せていた。
「……」
 飲む前にはたと、思い出してポケットから三匹のメンダコを取り出す。ストラップ部分を摘めばゆらゆらと揺れている彼らを、フラペチーノのそばに飾るように机に並べた。
 順番に、赤色、紫色、青色。可愛い。先にフラペチーノを飲んでいるロストとフリンズに見守られているのを感じながら、フラペチーノとメンダコ三匹が収まる角度を探して写真を撮った。シャッターを切るのは何度か繰り返す。
「満足しましたか」
「うん……見て、可愛い」
「ふむ。確かに、とても愛らしい構図になりましたね」
「でしょ」
「フリンズが、真ん中なのですね」
「……」
 俺が撮影した写真を見てロストとフリンズがそれぞれ感想を述べる。そのうち、ロストから何気なく言われた言葉に動揺した。
 紫のメンダコをフリンズだと思ったつもりはなかったが、紫の子はフリンズが引いた子だし、そう言われるとそうかもしれない。
 フリンズが真ん中。俺と、ロストに挟まった位置。なんだか不服に思ってメンダコの並びを変えようとしたら「特等席にしていただけて、僕も嬉しいですよ」なんてフリンズがタイミングを見計らったかのように笑む。
「……」
 動かしづらくなってしまった。仕方なく、メンダコはそのまま、フラペチーノを持ち上げて、ストローに口をつける。冷たくて甘い味が口内に広がった。美味しい。
「……俺は、シャルルの隣が良いです」
「ん゙……」
「おや、では僕は背後にしましょうか」
 ロストが赤のメンダコを青の横に動かし、今度はフリンズが紫のメンダコをその二つの後ろに移動させる。
 なにをしてるんだ、このふたりは。
 不意打ちすぎて吹き出しそうになったが堪えた。
「向かい合わせにしたら、良いんじゃないでしょうか……」
 今度はロストがメンダコたちを向かい合わせる。三角形を作ったそれらは、見る分には仲睦まじげだ。
 ガチャポンを回したときはメンダコにはあまり興味なさそうにしていたのに、今はふたりしてメンダコの並べ方に夢中のよう。
 冷たいフラペチーノをまた一口喉に送る。この時間も、写真も宝物になりそうだ。