魔法か肉体かと問われると、ヴァレリーは全力で後者に能力を振った男だ。魔法に関して言えばまるでだめでテレポは思ったところにいけない始末。両親が魔法を使うのもあまりみたことがないし家系的にも向いていないのだろう。しかし肉体的な面では、ヴァレリーは町でいちばん優れていると言っても過言でないほどの力の持ち主だ。大人の男が両手を使っても持ち上げきれないような大剣をひょいと片手で持ち上げるのはもちろん、獰猛な狼と素手でやりあって勝ちさえした。
だから自身が怪我をしていてもジグルフを背負って歩けた。
でも、治癒ができない。
ふよふよと浮遊するハリネズミがまるでヴァレリーを導くように町の外れにあった小屋に案内してくれたので雨風をしのげるような拠点に着いたはいいが、付近には薬草もないし、そもそもあったとしても知識も道具もないのだから調合ができない。前述の通り魔法がダメということは治癒魔法がつかえるはずもないので怪我の治療ができないのだ。
この小屋になにか薬がないかと探してはみたが、食料や毛布はあっても、薬だけはなかった。
ヴァレリーは薄い布団に寝かせたジグルフの横にちょんと収まっているハリネズミに視線を向ける。ここにくるまででなんとなくわかったことだが、あれはジグルフの仲間であるらしい。
ジグルフを守るように動いていて、しかも人の言葉わかり、ある程度意思疎通も可能なようだった。なんであんな小動物が人語を理解し返答ができるのかと驚きはするが、ヴァレリーにとってはハリネズミがふよふよと宙を泳ぎ出した時点でそれ以下のことはすんなりと受け入れてしまっている。受け入れているというか、諦めというか。理屈はわからないがあれは特殊なハリネズミなのだ。
「この小屋って、もしかして君のご主人の拠点みたいなものです?」
君のご主人、なんてヴァレリーがジグルフのことを丁寧に呼ぶのは、道中そいつとかこいつとかでジグルフを呼称していたら何度もハリネズミから威嚇されたからだ。
あれは憎むべき殺人鬼だが、円滑なコミュニケーションのためには妥協も必要である。
「キュ」
ヴァレリーの質問への解は肯定。
可愛らしい鳴き声だ。
「なんでここに薬はないんですか? 絶対に怪我も病気もしない自信でもあったんですか?」
「キュー」
次は否定。鳴き方の違いもあるけれどご丁寧に首を振ってくれるので、それの答えがはい、いいえのどちらなのかぐらいならヴァレリーにも十分理解できる。
「キュ。キュ! キュー」
「……」
続けてなにか得意げにしているが、彼が何を伝えたいのかヴァレリーにはさっぱりだ。
「キュー。キュ、キュ」
「……すみませんが、君が何を言いたいのかさっぱりわからないです」
「キュ!?」
衝撃と悲しみを合わせたショックを受けたらしい。ハリがぼわっと立ち上がったかと思えば、すぐに萎れてしまった。
「……薬がないなら、どうやって治療してたんです? まさか放置?」
「キュー」
「違う? じゃあどうやって。……あ。魔法ですか?」
「キュ、キュ!」
ハリネズミが嬉しそうに鳴くのを見るにヴァレリーの「怪我に対して治癒魔法を使っていた」という答えは大正解であるようだった。
ヴァレリー自身は魔法がからっきしだから薬がなくても治癒魔法でなんでも治せてしまうというのはあまり想像がつかない。けれど思い返せばあの悪魔、もといジグルフはひとつの町を一瞬で滅ぼすことができるほどの魔力の持ち主なのだ。薬がいらないというのも考えてみれば頷けた。
「でもその張本人は気を失ってて魔法なんて使えないんだから薬がないならダメじゃあないじゃないですか。……治せないですよ、俺はともかく、君のご主人の怪我」
「キュー……」
「俺は魔法はダメなんです」
ヴァレリーの言葉にハリネズミが不思議そうに首を傾げる。
偉大な魔法使いの元にいたこの子は「魔法が使えない人間」を想像できないのだろう。
「唱えることはできるけど、うまくいかないんですよ。テレポも下手くそだし。ケアルなんてもっとできないです」
ハリネズミは依然不思議そうにしている。
こんな小動物相手に自分は何を真面目に語っているのかと虚しくなる部分もあるが、ヴァレリーはもう一度「使えないんですよ、魔法」と。否定を繰り返した。
ヴァレリーが黙ると小屋の中は静かになった。ふと小さな窓から見える空を眺める。
ここに来てどれぐらいの時間が経ったのだろうか。思ったよりも時間は過ぎていないのか。外は星空が嫌味なぐらいに綺麗で、まだ、夜は明けそうにない。
「……わ。なんです?」
ふよふよと漂いながらヴァレリーの視界に入ったハリネズミには、さすがに驚いた。ふよふよ。ふわふわ。どんな力が働いているのか知らないが、ハリネズミは浮遊してヴァレリーを眺めている。
「なんですか?」
「……」
もう一度問い直してもハリネズミは何も答えない。ヴァレリーがなんとなく手のひらを差し出してみると、彼はちょんとその上に体を乗せた。
あんな身軽に浮いて見せているのとは裏腹、見た目相応の重さはあるのだから驚きだ。
「俺のへたくそな治癒魔法でもみたいんです?」
「キュー」
冗談で言ってみたのにまさかの肯定だ。
ヴァレリーは目を丸くする。
「え。そこで頷くんですか」
「キュー、キュッ」
どうやら早くやれと言っているようだ。はいやいいえではないけれど、ふんふんと小さな顎を振ってるので催促はしっかり伝わってきた。
「できないって言ってるのに……」
ヴァレリーはため息をひとつつくと、ハリネズミを片手に乗せたまま、もう片方の手のひらを自身の足にかざす。怪我をした部分だ。
唱え方だけは知っている治癒魔法を口にする。
ぽう、と微かに手のひらのハリネズミが光った。ヴァレリーは思わずそちらを向く。しかし集中しろと言わんばかりに鼻を動かされた。なんなんだ、このハリネズミ。ヴァレリーは口角がひくつくのを感じたが、グッと耐えて詠唱に集中する。
じんわりとしたぬくもりが体を巡る。
「……」
かざしていた手のひらをそっと下ろしてみると、驚いたことに、傷が治っていた。
「……え。成功した、……? ……君の力なんですか? 君が俺になにかしたんです?」
「キュー」
肯定とも否定とも取れない鳴き方だ。
ふん、と鼻を鳴らした彼は、またもなにやら得意げだった。
「キュ、キュ。キュ!」
「……」
その調子でほかの傷にもやってみろと言っているらしかった。これまたどういう理屈かわからないが、使えなかったはずの治癒魔法がうまくいき、傷がすっかり癒えてしまった。ヴァレリーは自分の体を見て、しばらく無言でいたが、ゆっくりと立ち上がる。
「キュ?」
「俺のはあとでします。先にあっちにしましょう。……君、ご主人のこと心配でしょう」
「キュ……」
小さく鳴いたハリネズミはヴァレリーの気遣いが嬉しいようだった。けれど気を失ってるジグルフをみて先程までの自信を途端に失って不安げにし始める。
「ああ、ちょっと。そんなしょんぼりしないでくださいよ……。よくわからないけど、君の力で治癒魔法が成功してるんでしょう。君がそんなんじゃ、俺ひとりじゃ、どうしようもないじゃないですか」
「キュ」
気を取り直したようにハリネズミは鳴いた。ヴァレリーの言葉に喝を入れられたようだ。
「……」
気を失っているジグルフは人形のようだ。生気がないのはもちろんだが、やはり綺麗な顔立ちである。
ヴァレリーは小さく頭を振った。それから、先ほど自分の怪我にしたようにジグルフの身体に手をかざす。
殺そうと思った男を、今度は生かそうとしている。矛盾した行動にヴァレリーは苛立ちを覚えたが、少しずつ顔色の良くなっていくジグルフをみて嬉しそうに体を揺するハリネズミの姿に、そのいらだちを忘れ、つられてほんの少しだけ頬を緩ませた。
人の声がする。
ヴァレリーは身を捩って、ゆっくりと瞼を持ち上げる。いつの間にか眠っていたらしい。瞬きを2度3度と繰り返して眩しい光に瞳を馴染ませる。
見慣れない天井。話し声がする。片方は人のもので、もう片方は鳴き声だ。
「海の綺麗な南の島? そんなところに行ってなんになるの」
「キュウッ、キュー!」
「別に興味もへったくれもないのにそんなものが今後の夢にはならないよ。そもそも水なんて湧かせようと思えばいくらでもできるのにどうしてわざわざ海なんかに赴かないといけないの」
「キュ、キュ、キュー!」
「きみが夢見がちなんだよ。俺は自然が生み出す光景とやらには感心しないね」
「キュキューッ!!」
テーブルの上でじたばたとハリネズミが暴れている。どうやら主人となにか言い争いをしているらしかった。
ヴァレリーはもぞりと体を起こす。
2人ともすぐに気づいたようで4つの瞳がヴァレリーを向き、ハリネズミは小さな体をふわりと浮かせてヴァレリーの方へと浮遊していく。
「キュッ!」
「あ……。えっと。おはようございます」
何を言えばいいのかと、とりあえず挨拶をしてみたがハリネズミが嬉しそうに身体を震わせたのをみるに向こうも挨拶してきたようだ。ヴァレリーは頬をかいてそのまま手のひらを差し出す。ちょんとその上にハリネズミは体を収めた。
ふるると体を揺らして毛並みを整えている様子はいかにも小動物らしくて可愛らしい。
「ずいぶん懐いてるね」
「! ……」
「魔力が希薄なものどうし、なんか通じ合うところでもあるのかなぁ」
「はい?」
ジグルフはコップを手に取りその中の水を口に含んだ。こくりと嚥下。テーブルには紙ナプキンの上に乗った食べかけのパンもある。朝食の最中なのだ。
「……」
ヴァレリーはじとりとジグルフを睨む。
さきほど、貶された気がする。魔力が希薄とかいう言葉で。そして魔力が希薄なものどうし、ということは、ヴァレリーだけでなくハリネズミの方も貶されているのだ。が、ハリネズミは特に気にした様子もなくヴァレリーの手のひらの上で毛繕いをしている。
「食べなよ」
「……」
ジグルフがヴァレリーに顎で指示した。
立ち上がったヴァレリーにあわせて、ハリネズミがまた宙に浮き、ふよふよとテーブルの方に向かう。
ヴァレリーは無言のままジグルフと、その向かいにある手のつけられていないパンを交互に見る。それからやはり無言のままテーブルの方に向かって、椅子に腰掛けた。古いものなのか体重をかけるとギッと軋んだ。
「毒が入ってるかもね」
「キュッ!」
「はいはい。ごめんごめん」
これにはヴァレリーが反応する前にハリネズミの方が怒ったような鳴き声をだした。実際ジグルフは謝っているのでハリネズミはジグルフを咎めたようだ。
「キュッ。キュー」
「えっと……」
「毒なんか入ってない。不安なら自分が一口食べてもいい」
「は?」
「と、仰っています」
ジグルフはめんどうくさそうに人差し指でテーブルを叩いた。
ヴァレリーは唖然とその様子を見ていたが、ふとテーブルに視線を落とし、自分を見あげるハリネズミが得意げにしている事に気がつく。
合点した。
「……ああ。なるほど。通訳」
「キュー?」
「えっと……大丈夫ですよ。気にしてないです」
「キュ」
「いただきますね。ありがとう」
相変わらずハリネズミが何を言っているのかヴァレリーにはわからないが会話は成立しているようだった。
包みを開いてパンを手に取る。
「キュッ」
「あっ」
一口かじられた。毒味なんてしなくていいと言ったのに。
「もしかして、本当は一口食べたかったんじゃないですか?」
「キュキュ〜」
「もう……」
ふわふわと浮いているハリネズミは右へ左へと大きく体を揺らしなんやことやらととぼけている。毒味を買って出たのも嘘では無いが一口欲しかったこともまた本音であるようだった。
ジグルフは既に2人から興味を失っているようでつまらなそうに頬杖をついてコップの中で揺らぐ水を眺めていた。
「……」
沈黙する。
静かな空間でもそもそとパンを咀嚼していたが、段々と気まずさを覚え始め、ついにヴァレリーは口を開いた。
「君、名前はなんて言うんです?」
もちろん会話の相手はジグルフではなくハリネズミだ。
「キュ?」
「……、……」
ちら、とジグルフを窺うが我関せず焉。通訳に入る気はないらしい。
「うーん。ごめんなさい。わからないので、ハリネズミちゃんって呼びますね」
「キュ」
「俺は、ヴァレリーって言います。えっと……得意なのは力仕事です!」
どんと胸を叩いてみせるとハリネズミが目を輝かせた。どうやら感心しているようだ。
「俺、町では一番の力持ちなんです。大人にも頼られて町中の荷物運びなんかも手伝ったことがあるし、町に入ってきた狼を倒したことだってあるんですよ。それと……、……」
「キュ?」
ヴァレリーは唐突に言葉を詰まらせた。
「……」
一番の力持ちだった。
大人にも頼られていた。
優しい思い出がいくつも浮かんでは色褪せて消えていく。
――町でのことなんて、思えば全て過去のことなのだ。
町へ引き返しても日常は戻ってこない。焼け落ちた建物。鼻を刺す異臭。消え去った賑わいの声。変わり果ててしまった。もう二度と戻らないのだ。
「……うぅ、……」
喪失感と深い悲しみが込み上げてきてヴァレリーは急に涙ぐんだ。
悲しい。悲しい。この感情の行きどころがない。
心配そうに鳴きながらヴァレリーを見あげるハリネズミの小さな体に、ぽたぽたと涙が落ちた。
「……なんで」
「?」
「なんであんな、酷いこと、したんです」
ジグルフは窓の外を眺めるのをやめてヴァレリーの方を向いた。
声をかけてきた彼は俯いていて、両拳を膝の上に置き、耐えるように身を震わしている。
「なぜって。俺が君に理由を教えたところで君は納得しないだろうし。君の失ったものが戻ってくるわけでもないし。なんの意味もないのに知りたいわけ?」
「……、たいそう立派な理由があれば、お前のことを許せるかもしれないでしょう」
「俺を許したいの?」
「…………」
ヴァレリーは声にする代わりにふるふると首を左右に振った。
ジグルフは呆れてため息をついた。
「俺も君に許されたいと思ってない。だから理由を語ったところで君も俺も得をしないんだよね」
「……」
「まあでも慰め程度に答えてあげるよ」
ヴァレリーはゆっくりと瞬きをして歪んだ視界をクリアにする。それでもまだ浮かぶ涙の向こうでかの悪魔はとても綺麗に微笑んだ。
「消し去ってやりたかったんだ。そこに住む人も含めてあの町の全て」
「……」
「君は部屋の汚れをいつまでも放っておく? 俺は気に入らないから掃除するよ。それと同じだよね。いつまでもあって落ち着かないから昨日やっと滅ぼしてやった」
「……、……」
絶句だ。ヴァレリーはぱくぱくと口を動かしたけれど言葉が出てこない。
「……」
「でも君が生き残っちゃった。みんなと一緒に殺してあげられなかったことには……多少罪悪感があるかも」
「なんですか。それ……」
「おっと。ますます憎ませちゃったかなぁ」
ヴァレリーに睨みつけられたジグルフは口元に手を寄せてうーんと悩む。別に、あなたの友人や家族、愛する人たちを殺してしまってすみませんでした、町を燃やしてしまって申し訳ないです、と謝ることなど造作もない。が、そんなこと本心には一切思っていないし、言ったら言ったで余計ヴァレリーを怒らせるのだろう。
「君さ」
「…………」
「いつでも殺していいよ。俺のこと」
「……。は?」
「殺すのが怖いなら、自殺してあげてもいいんだけど。それは君に望まれたときの手段かな。俺は一人生き残った人間がどういう復讐劇を送るのか見届けてみたい」
ニコニコと胡散臭い笑みを浮かべるジグルフに対し、完全に置いてけぼりになっていたヴァレリーは少し遅れてジグルフの発言を受け入れ始めた。
ふっと浮き上がった感情は怒りだった。
パン、と乾いた音が響いた。
「バカにするな」
「……」
ヴァレリーは立ち上がり小屋を出る。
静寂。
昨日の拳の方が痛かった。が、平手打ちも負けず劣らずの威力。
「……いったいなあ。さすが馬鹿力」
ハリネズミは、ヴァレリーが力強く閉めた弾みで半開きになっている扉と頬をさするジグルフとを交互にみて、きゅうきゅうと鳴きながらうろたえている。
「いってあげな。心配なんでしょう」
「キュー……」
まだ迷っているようだったが、ジグルフが背中を撫でてやると、ハリネズミはふわりと浮いて扉の隙間に吸い込まれて行った。
「……」
一人だけになった空間。
ジグルフは椅子に背をもたれて大きく息を吐く。そのままずるずると崩れ落ち、ぼんやり、天井を眺め、そっと右手を伸ばした。
わざわざ治療してくれたらしい。軽い火傷はすっかり治っている。
手をおろし今度こそ全身の力を抜いた。目を閉じて深呼吸を繰り返す。
復習を果たしたある人は虚しさだけを手に入れた。長年の怨みをはらしたというのに何も残らなかったし、これからの希望も見つからなかった。
それがジグルフが知っている復讐劇。復讐を遂げた人間の末路だ。
綺麗な赤い瞳が脳裏に浮かぶ。
憤り。困惑。優しさ。葛藤。彼の全てを見たわけではないが、これだけでも充分、感性豊かな人間だと思う。自分とは違う。だから。違う道を歩んでほしい。
「あなたには綺麗な海を見てほしいなぁ。……」
ぽつりとこぼした声は無機質な部屋に吸われて消えていった。