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公演の初日を迎えると同時に新人公演のお稽古が本格的に始まった。本公演の稽古と併せて新人公演の稽古も自主的に行っていたため、台詞はある程度頭に入っていたが、とはいえいざ稽古を行ってみると改めて新人公演主演という重圧を味わうこととなった。

「あなたは本公演でも代役だから大変なのはわかるけど。でも、それはそれ。これはこれだから。ちゃんと身をいれてやってもらわなきゃ困るわよ」

立ち稽古中、台詞が吹っ飛び言葉が出てこなくなった千舟に対し、新人公演の演出を務める演出家の先生は眉間にしわを寄せながらそう言い放つ。稽古場の雰囲気はピリピリとしていて、あまり良いとは言えない。
今回新人公演で演出を務める栗田先生はまだ年若い女性の先生で、今回の新人公演は彼女にとっても演出家として初めての仕事であった。初めてということで彼女もまた重圧を背負っているのだろう。その表情は険しく、言葉には棘がある。

「すみません…」

千舟はうなだれて謝り、同期たちに声を掛けられながらも再び稽古へと戻る。主演の重圧というのは全くもって、凄まじいものだ。これを今まで永久輝は何でもない顔をしてさらっとこなしてきたというが信じられない。

「ちょっと、なほさん…大丈夫ですか?」

新人公演の稽古が終わり、明日の公演のためにと足早に稽古場を立ち去る人の波の中、千舟は備え付けられたベンチに深く座り込み、げっそりと体を壁にもたれかからせていた。
それに対して心配げに声をかけてきたのは今回の新人公演で二番手の役を演じる後輩の縣だ。

「うん…大丈夫…大丈夫…」

下級生相手にまさか「大丈夫じゃない」なんて言うわけにもいかず、重い口を開いてそうは言ったものの、魂が抜けたような顔で座り込むその姿のどこが大丈夫に思えるのか。
縣は「大丈夫ちゃうやん、絶対!一日でめっちゃげっそりしてるし!」と言い、千舟の肩をぐらぐらと揺する。

「もう生き返ってよぉ、新人公演のお稽古はまだ始まったばっかりだよ!」
「うっ…これが新人公演の日まで続くと思うとお腹が痛い。…もう私はダメだ…さようなら」

わざとらしくお腹を抱えてベンチの上にごろりと寝転がれば「なほさーん!死なないで」とこちらもわざとらしく叫び縣。しばらくの沈黙ののち、むくりと千舟が上半身を起こして顔を縣の方へと向ければぱちりと目線が合う。途端に、どちらからともなく吹き出し、笑い声が人もまばらな稽古場に響いた。…こんなやり取りをするのも随分と久しぶりのように感じる。今回の公演で新人公演主演を務めると聞いてからは自分のことで必死だったから…。

「あはは…でも、そうだね…あがちんの言うとおりだ。まだお稽古も始まったばっかなんだから頑張んなきゃ…」

そうしてよいしょ、と起き上がった千舟は台本を片手に先ほどの全体稽古で行った場面の復習をするために鏡の前へと立つ。体も心も疲労と重責でいっぱいいっぱいだが、それ以上に今の自分にはやる気と気力があった。
鏡に向かってああでもないこうでもないと体を動かしながら台詞を発する千舟の後ろ姿を縣はしばらく眩しそうに眺めていたが、そののち、自分もまた稽古を再開しようと肩にかけたタオルを置いてその場から去ろうとして…そして、あっと思い出したように振り返り、千舟に対して声をかけた。

「そうだ!なほさん、聞いた?あの話…」
「あの話?どの話よ」
「さきさんの話!」

さきさんの話、という言葉に思わずぎくりと千舟は体を固くする。
…彩風の件に関して、酷く一方的ではあるものの千舟は罪悪感を抱いていた。眞ノ宮のお陰もあって今では「どうしようもないことだった」と割り切ることができてはいるが、しかしそれでもやはり心のどこかで「あのとき止めていれば」と思ってしまうのは致し方がないことだ。
…まさか。
まさか、なにか彩風の身にさらに悪いことが降りかかったのでは…そんなことを想像しながら緊張した面持ちで振り返る。だが振り返った先にあったのは、思ったよりもずっと気楽そうな笑みを浮かべていた縣の姿だった。

「なんでも、病気の方がよくなったらしくて!明後日から復帰するそうですよ」

縣が笑顔で告げたのは間違いもなく朗報で。
千舟は一瞬ぽかんとした後、「え、え…それ…どこ情報!」と高い声で縣へ突撃したのだった。

「大道具さん情報です!いやーいつも思うけど、なんで裏方さんの方がこういう情報早く出回るんですかね…」
「大道具さん…情報…」
「明日の朝にまた先生たちから発表されるらしいですよ!」

いやあ、よかったよかったと気楽に言う縣。
しかしその声はもはや、千舟の耳には入ってこなかった。

「…よかった…彩風さん…」

思わずその場で脱力すると焦ったように縣が駆け寄ってくる。大丈夫、と心配げに肩を支える縣にもたれかかりながら千舟は心から彩風の快方の知らせを喜んだのだった。

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