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結局その日は、永久輝の厚意で彼女の家に泊まらせてもらうことになった。次の日、午前のうちに目を覚まし、お稽古前に自宅へいったん戻り、着替えてからお稽古へと向かった。


「…あれ、なほさん。今日はお弁当なんですか?」

午後のお稽古までの休憩時間中にすみれキッチンの一角でお昼ご飯を食べていると、トレイの上にささみのから揚げ定食を乗っけた下級生の娘役、優美せりなが首をかしげて尋ねてきた。

「しまもん」の愛称で呼ばれる2期下の彼女は今回の公演で千舟演じるアリエルの妹、スーザン・デービス役に抜擢されており、その縁で稽古期間中はなにかと二人で行動する機会が多かった。彼女自身も千舟によく懐いてきてくれているし、男役として娘役に慕われるのはなんとなく気分のいいものだったから千舟もまんざらではなかった。

今日も優美の誘いで一緒に昼食を摂ることになったのだが、いつもと違いお弁当を持参したことに優美は不思議に思っているようだった。優美は千舟のお弁当箱を横から覗き込み、中に詰められた料理を見て「わ、おいしそう」と声を上げた。

おかかの乗った白米に照り焼きチキンと卵焼き、人参とゴマの和え物、プチトマト…。

確かに食物のバランスもよく、詰め方にもこだわりがありそうな綺麗なお弁当だ。もしこれが自分で手作りしたものであれば千舟は誇らしげに笑っただろうが、あいにくこのお弁当を作ったのは彼女ではない。
千舟は苦笑いを浮かべて「すごいよね、これ」と頬を掻いた。

「これ、ひとさんが作ってくれたの」
「…えっ、永久輝さんが!」

優美は目を丸くして口に手を添えた。
娘役なだけあって動作がいちいち可愛らしい。その様子を見ながら千舟は頷いた。

「私、料理はからっきしで…野菜炒めぐらいしか作れないから…。ひとさんが『それじゃ体に悪いでしょ』って」

今朝、永久輝の家を出るときにこのお弁当とタッパーに詰めた数日分の夕食を持たせてくれたのだ。
自分のために上級生に料理を作らせるという状況に恐縮しながらも、結局その優しさに甘えて料理をもらってきてしまった自分は本当にできの悪い後輩だと思いながら、卵焼きを口に運ぶ。
…おいしい。
美人で優しくて面倒見がいい上に料理までできるなんて。本当に欠点がないような人だ。
昨日の夕食同様美味しい料理に舌鼓を打ちながらぼんやりとそんなことを持っているとその様子を隣でじっと見ていた優美が両手を握り締めて「あの!」と元気よく声をかけてきた。

「あの、なほさん!それなら明日は私がお弁当を作ってお持ちします!」
「えっ、…ええ、いいよ。別に。しまもんだって忙しいのに…悪いし」
「いえ、やりたいんです、私が!」

勢いよく身を乗り出してくる優美に思わず困惑気味に言葉を濁してしまう。
優美だって今回の公演では下級生ながら名前のある役をもらっているのだ。そこまで台詞や出番は多くないとはいえ、そのプレッシャーだってあるだろう。まさか上級生の自分が彼女に弁当を作ってきてもらうなんてことで迷惑をかけるわけにはいかない。
そんな思いからうまく返事を返せずにいると優美はそれを悪いように受け取ったようで、肩を落として目を伏せた。

「あの…ご迷惑、ですか」
「あ、いや…そういうわけじゃ…ない、けど…」

そんなしゅんとした姿を見せられてはもう断れない。

「わかった!じゃ、じゃあ明日はしまもんにお弁当、お願いしてもいいかな」
「はい!」
「だけど無理はしないでね、あくまでできる範囲でいいから…」
「無理なんてとんでもないです、私が作りたいんです」

それから優美は勢いよくご飯を食べると、軽やかに立ち上がってトレイ片手に鼻歌でも歌いそうな機嫌のよさでその場から去っていった。
まるで嵐のような子だ。…いや、それよりもなんで自分に弁当なんて作りたいとか言ったんだろう。
優美を見送りながらそんなことを思っていると、「罪作りな男ですね、なほさん」と軽やかな口調で声を掛けられる。振り返るとそこにはすらりとした長身の男役が立っていた。一期下の下級生、縣千だ。

「あがちん、見てたの」
「はい。…あ、隣、失礼してもいいですか」
「…もう座ってんじゃん」

許可を取りながらもすでに隣に腰掛けている縣に思わず苦笑いを浮かべる。
下級生にしては随分とあっけらかんとした態度だが、実年齢は大して変わらないため、大して気にはならなかった。縣はすっきりとした端正な顔に笑みを浮かべると頬杖をついて千舟の弁当箱を見た。

「それ、ひとこさんに作ってもらったって」
「ああ、うん」
「いいですねぇ…。それにしても罪作りな男だなあ、なほさんってば」
「…なにそれ」

罪作りな男って。
私、女ですけど。

「知ってますよ、そんなの。言葉の綾ですって」
「うん。…それでなに?罪作りな男?私が?」
「はい。…あれ、もしかして自覚ないんですか。ゆみこをあんなにたぶらかしといて」
「たぶらかすって…人聞きの悪い」

プチトマトを咀嚼しながら眉を寄せる。
優美をたぶらかしたことなど一度もない。上級生として慕ってくれる彼女を無下にしたことこそないが、それでも劇団内だけの関係だ。一緒に遊びに行ったことだって一回もないし。そんなことを言われるのは心外だ、とでもいうような顔で縣を見れば「別に嫌味で言ってるわけじゃないですよ。これでも褒めてるつもりなんです」と笑った。

「なほさんはいい人だから。モテるのもわかるんですよ」
「ちょっと、モテるとか…冗談でしょ。あり得ないよ」

宝塚は女の園。
世俗離れした特殊な場所だし、男役という極めて珍しい存在がいる世界だ。だからここでは女同士の色恋沙汰も決して珍しくはなかった。小学校から女子校育ちの千舟自身にもさしてそう言ったことには偏見はない。だが自分がその対象になるなど想像もできなかった。稽古では人一倍怒られて、落ち込んで、いつも同期に慰められている情けのない女を好きになる者がいるわけがない。

「…なほさんってばほんま鈍感…。…いや、こういうところがもしかしていいのかも…母性本能をくすぐる的な感じで……」
「あがちんが何を言っているのか…全然わからないんですけど。というかあがちん、私、仮にも上級生なんだからね」

もっと恭しく接しなさいよー、とふざけ半分に言いながら縣の肩へ寄りかかれば、縣は「すみません…というか、なほさん重い〜!」と笑って言った。

…愛も、恋も。なにもかも。
まだまだ未熟な自分にはわからないものだ。だがそれを悲観的に思うことはない。
だって今の自分に惚れた腫れたは必要のないものだから。そも、宝塚に身を置く上で芸の肥やしとして疑似的な恋をすることはあれど、本気の恋などできようはずもないのだ。
だって自分の全ては芸と舞台とお客様にすでに捧げてしまっている。

私が恋をするとき。
それはきっと、宝塚を辞めるときだろう。

すみれキッチンの端で縣とふざけ合いながらそんなことを思った。


宝塚に入団2年目のこと。
千舟がまだ愛も恋も知らない、子供の頃の話である。


 

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