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その日もルッスーリアさんやベルに稽古を付けてもらっていた日の事。稽古場として使用していた地下室にマーモンさんが訪れた。「今日の稽古はもう終わりかい?」
「はい。そろそろ終わるところです。どうかなさいましたか?」
「僕もなまえの事を見ようと思ってね」
「珍しーじゃん、マーモン」
「頼まれたから仕方なくね」
どうやらマーモンさんは誰かから頼まれて此処に来た様だった。まだ夕食まで時間もあるので、わたしはそのままマーモンさんに幻術についても学ぶ事になった。
「そもそも幻術とは人の五感を司る脳に直接作用し、脳を支配すること。術士の能力が高ければ高いほど支配力は強くなり、術にかかる確率も高く、よりリアリティを持つ」
「それは何方も同じなのですか?」
「幻術にも得意不得意がある。勿論努力によりその技術は高くなるし、不得意である奴が慣れてくるようにもなる。まずはなまえが幻術に対して得意か不得意であるか見極める所から始めよう」
そう言いマーモンさんはわたしから距離を取った。するとみるみるうちに地下室は溶け出していった。天井から何かが滴り落ち、床は液状化して体は下へと沈んでいく。
「?!」
「良いかいなまえ。視界から入るものが全てだと思ってはいけない。前にリボーンが君に言ったように見掛けのみで判断する事はとても愚かな事だ」
目の前で起きている事が幻術であると分かっていても、光景が変わる事は無かった。わたしはどんどん下へと沈んでいく。ちらりと振り返ると何故かベル達は沈まずそのまま宙に浮いていた。彼等は幻術にかかって居ないのだろうか。
この下はどうなっているのだろう、沈みきったらわたしはどうなるのだろう。頭の中をぐるぐると思考が回った。もがけばもがく程下に沈む感覚がした。焦ってはいけない、自分が悪い方向へ考えるとその通りになっている様な気がした。もし、あと数センチ下は地面になっているとしたら……。
こつり、と沼の底に足がつく感覚がした。
「!」
「今のはなまえが想像した物を見せる幻術」
気が付くと周りの景色は元に戻っていた。
「技術が高くなる程、幻術からは抜け出せなくなる。今回のは初めだったから君だけが幻術に掛かったけど、より高度になればベル達でも勿論幻術にかかる。念じるだけじゃ抜け出せないし、時に実体を持つ物にもなる。悲観的になることはない。君は不得意では無さそうだね」
わたしは自分の足元を見た。先程まであった溶けた床や壁は全て元に戻っているのに、今でも足場がぐらつく感覚が残っている。
「体験して慣れていく事も大事だから、明日からも何度か試してみよう」
「ありがとうございます、マーモンさん」
「礼は金で貰っているから構わないよ。なまえ、これは幻術の時ならずどんな時でもそうだけど、物事の本質を見抜く力というのはとても大事な事だ。それは時に本能的に分かる事もある。違和感は信じた方が良い、案外当たっている可能性があるからね」
「わかりました。明日からまたよろしくお願いします」
軽くシャワーを浴びてから夕食をとる為ダイニングホールへと向かう。わたしは以前ルッスーリアさんから頂いたワンピースを着た。
「んまあ!それ日本で買ったやつね」
「はい、その節は本当にありがとうございました。このワンピース、お気に入りです」
「良かったわ、今度はこっちでショッピングにでも行きましょう?」
「ええ、是非!」
ダイニングホールでの席順は大体が決まっていた。わたしはルッスーリアさんの右隣、そしてマーモンさんの正面だ。もう日本で食事をしていた時とは違う。わたしは望んで此処にいて、彼等もそれぞれ理由は違えどそれを受け入れてくれている。それがとても嬉しかった。
ただ一つ気掛かりなのはレヴィさんの事だった。日本で人質として捕らえられていた時も彼はわたしの存在を嫌悪していた。ザンザスさんの許可があるからこそ現在まで何も無かったが、彼はわたしが此処にいる事を快くは思っていないだろうと思っていた。
「明日もまた同じ時間に地下室でいいかしら?」
「はい。明日もよろしくお願い致します」
夕食も済ませ、ダイニングホールから各自室へと戻る。最後に残ったのはわたしとレヴィさんだった。少し気まずさを感じながらも意を決して直接尋ねることにしてみた。
「あの、レヴィさん」
「なんだ」
「その……わたしが此処にいる事、やっぱり不愉快ですよね」
返事が無い事から、やはりわたしの予想は当たっているのだろう。此処に居たいと願うからにはレヴィさんにも認めてもらいたいと思っている。どうしたら認めてもらえるか思案しているところに返事は返ってきた。
「貴様はザンザス様のようになりたいと言った。その為に努力し、強くなろうと此処にいるのであれば咎めはしない。認めてもいないがな、それは貴様の努力次第だ」
わたしはその言葉に内心とても喜んだ。此処に来てからずっと気掛かりだったレヴィさんに受け入れてもらえた事はわたしにとってとても大きな事だった。
「わたし、レヴィさんにも認めてもらえるよう頑張ります」
「ふん、口だけなら何とでも言える」
そう言ってレヴィさんは自室へと戻った。皆さんに認めてもらう為にもまずは強くならなくては。