「…………。」
「…………。」
「………………ね、カノちゃん、せっかく一緒にご飯食べてるんだしさ、何か話そうよ!」

沈黙に耐えられず、ピスティが両手を天に伸ばし、両脚をばたつかせながら訴えた。
それを見たカノは、困り顔だ。

「誰かとお喋りしながら食べたことがあまりなくて、何を話せばいいのかわからないんです。特に聞きたいこともないですし……。」
「えーっ! 私の年齢はいくつなんですかーとか、どうしてヤムはおっぱいが大きいんですかーとか、色々あるでしょ!?」
「あんたね……。」

ヤムライハからの冷たい視線を受けながらピスティが身を乗り出し言うも、カノの困り顔は変わらない。

「本当に、他の人のプライベートな情報に興味が湧かないんです。質問が何も浮かばないんです。相手から話す分は聞きますけど……。」
「……私は興味あるよ。カノちゃんは何が好きなのかなーとか、どんな人がタイプなのかなーとか。」
「…………。」
「だからさ、私とヤムがいっぱい話を振るからさ、色々たーっくさん、カノちゃんのこと教えて欲しい!」

キラキラ輝く大きな瞳で見つめられ、カノはどこか辛そうな顔を見せて視線を落とす。

「……私の話は、聞いても面白くないと思います。」
「面白いか面白くないかは、聞き手側が決めることよ? あなたのことは、今夜の宴でたーーーっぷり聞かせて貰うから、楽しみにしてなさい!」
「宴……?」
「あれ、聞いてない? カノちゃんの歓迎会として、パーーーッと酒宴を開くんだよ! 美味しいご飯やお酒がたくさん用意されるから、楽しみにしてて!」
「この後すぐ、侍女たちがあなたを綺麗に変身させることになってるの。どんな可愛い格好になるのか、楽しみだわ〜!」

昼食が終わると、本当にすぐに侍女数名がやって来て、数時間かけてカノの全身をコーディネートしたのだった。

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(何か胸元を隠す布が欲しい……。)

用意を済ませ、侍女たちから宴会場に向かうよう言われたカノであったが、普段よりかなり露出度の高い格好をさせられているために落ち着かず、会場内でコソコソと、かなり露出している胸を隠すための布を探している次第である。

「おお! カノじゃないか!」
「ッ!? シ、シンドバッド王……。」

いきなり逃げにくい相手に見つかってしまった、とカノは落胆した。
酒が入っているのだろう。ご機嫌な様子のシンドバッドはニコニコと笑いながらカノの肩を抱き寄せ、席について自分の膝上にカノを座らせる。
腰に腕を回されて、熱っぽい瞳で見つめられ、相手が相手だからと抵抗も出来ず、困ったカノは只々俯くしかなかった。

「中々似合ってるな。普段の格好が控えめだから、かなり見違えたぞ!」
「ありがとうございます……。」
「意外と出るとこ出てる体つきをしてるんだなー。今夜の君は、とても美しいよ。」
「シンッ!!」

会場中に響き渡りそうなほどの大声と共に、怒った顔のジャーファルが現れる。

「カノさんが嫌がっているでしょう!! ああ可哀想に……。ほら、私に掴まって。」
「こらこらジャーファル、彼女は別に嫌がっては…………えっ、あ、そんなあっさりジャーファルのとこに行っちゃうんだ……?」
「口説くんなら、その辺にたくさん女の子がいるでしょう? それでは。」
「ジャーファルの鬼! 悪魔! 魔王!」

王の喚きを背中に受けながら、ジャーファルは会場内でも静かな場所にカノを連れて行った。

「……あの、ヤムライハさんとピスティさんは……。」
「彼女たちなら、ほら……あそこで騒いでますよ。」

顎で示した方向を見れば、シャルルカンと組み合って喧嘩しているヤムライハと、そばでケタケタ笑い転げているピスティが見えた。

楽しげな雰囲気の会場にそぐわない、悲しげな表情をしたままうつむくカノに、ジャーファルはパパゴレッヤジュースを注いで渡す。

「我が国自慢の特産物で作られたジュースです。甘い物がお好きなら、きっと美味しく飲めますよ。」
「あ、ありがとうございます……。」

そういえばせっかくの宴会だというのに、何も口にしていないということに気づいたカノは、手渡されたジュースを一口飲む。
口いっぱいに、南国の味と甘味が広がる。

「……美味しい。」
「それは良かった。…どうですか? ここでの暮らしは。」
「……そうですね……。皆さんとても優しくて、前にいたところよりも居心地が良くて、少し、戸惑ってます。」
「前いたところの人々は、優しくなかったのですか?」
「……なんというか…………最初だけ優しかったり、人前でだけ優しかったり、身内でいる間だけ優しかったり、何かを得るために一時的に優しかったり、そんな人ばかりと接してきたせいか、他人に優しくされると、どうしても、疑ってしまって……。もう、色々疲れてしまったんです。だからここでも、優しくされる度に疑って……。」

この女性はきっと、もう人間そのものがそこまで好きではないのだろう、とジャーファルは感じ取った。
人間の醜い部分ばかりに触れすぎて、他人に期待することが一切出来なくなっているのだろう、と。

「私はここに来る前、高い建物から身を投げたんです。」
「えっ……。」
「合わない仕事を無理に続けたことで、精神を病んでしまい、仕事を辞めて収入がなくなり、一人暮らしが難しくなったんで実家に戻ったんですけど、両親が全く心の支えにならなくて。それで、もうこれ以上生きるのは辛いから、死ぬことにしたんです。」

生きることが辛いから、死ぬことにした。
この言葉は、ジャーファルにはかなりショックで信じがたいものであった。
この世界の人間は、苦しい目に遭うと「何クソ!」と上を向き、何がなんでも現状に打ち克とうとする。
けれどカノは戦う気力がなく、これ以上辛い目に遭うくらいなら死んだ方がマシだ、と自ら命を絶つ道を選んだと言う。

「目が覚めた時、私はここが死後の世界だと思いました。けど、そうじゃなかった。やっと、苦しみから解放されたと思ったのに、まだ、私は生きてるんですね……。」
「どうして……どうして、そんな……。生きていなければ、希望も何もないじゃないですか! もっと自分の命を大切にして下さい!!」
「ッ……! 先の見えない暗い道を、いつ治るか見通しの立たない病を抱えながら8年以上も只々這いつくばっている私の人生のどこに、希望なんてものがあるんですか!?」
「カノ、さん……。」

長い間抑えられていた嘆きの声が一気に放出され、大声で揉めている二人に周囲の目が向けられていることに気づくことなく、カノは大粒の涙を流し、表情を苦しみで歪ませて、訴える。

「こんな苦しみがこの先何十年も続くくらいなら死んだ方がマシだって思うのに、生きてればいいことがあるとかそんなこと言ったら親が悲しむとか、もううんざりなんです!! 私にとってのいいことは心の病が治ることで、それ以外は一時的な気休めなんです!! 親が悲しむって私の親がどんな人間か何も知らないくせに、赤の他人が知ったようなこと言わないで!!」
「カノさん! 落ち着いて下さい……!」
「私なんか生きててもなんの得にもならないッ!! 誰からも本心で好かれはしない……私が一番、私を好きじゃない……。」

頭を抱える体勢で泣き喚くカノを、おびただしい量の黒いルフが覆い始めるのを、ジャーファルはただ狼狽えながら見ていることしか出来ない。
しかし、彼の後ろから王が、シンドバッド王がカノの元に駆けつけて、彼女の手を握ってルフに干渉する。

「ッ!?」
「……大丈夫だ。この国の人は、誰も君を煩わしく思ってはいない。君は必要な人間だ。」
「私、は……ひつよ…う……? ほんと……に……?」
「ああ、本当だとも。少なくとも俺とジャーファルとヤムライハ、それからピスティは、君に死なれると悲しく思うさ。」
「…………そう……です、か……。」

真っ黒に染まったカノのルフが、段々と白さを取り戻し、全てが白くなると同時にカノは意識を失った。

「カノ……!」

真っ先に駆け寄って来たのはヤムライハで、心配のあまり顔を涙でぐしゃぐしゃにしているのを見たシンドバッドは、この顔をカノに見せてやれないのが残念だ、と苦笑した。

生まれ落ちてからの失敗