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外に出ると、日が傾き始めていた。今日の太陽は随分と早いお帰りのようで、遠くの空には既に夜が迫っている。
参道の縁を彼女が歩き、その中心を私が歩く。
ゆったりとした歩調でも確実に外へと向かっていて、直ぐに鳥居へと辿り着いた。 「ねぇ」
境内から彼女が出る前に、聞きたいことがあった。
「貴方は、誰なの?」
いつも聞いている、お決まりの問い掛け。そして彼女は当然、こう答える。
「黛立花だよ」
「ならなんで、私の、前に……」
現れたのか。貴方が本当に黛立花なら、いや、そうでなくても。一体何の目的で、何の為に。
けれど、その疑問は口に出せなかった。
何か確実なことが一つでも分かってしまうのが怖かったから。
「16歳で死んだ、黛立花だよ」
弾かれたように彼女を見る。依然としてその口元には笑みが浮かんでいた。
「ねぇ、桜華」
彼女は笑う。まだ笑う。なにがおかしいのか。なにが楽しいのか。
「私の声、覚えてる?」  
時に喉をさすりながら。
「私の姿、覚えてる?」
時に両手を広げながら。
「私の顔、覚えてる?」
そしてまだ嗤って、彼女は、面布を。
「────どう、したの」
手を抑えた。面布を外そうとした、彼女の手を。
そうしなければならなかった、そうせざるを得なかった。
そうでもしなければ、また。
「居なくなるって、思ったの?」
胸の中に潜ませた不安を言い当てられる。
「立花」
「なに?」
「………立花っ」
「なぁに?」
「………何で」  
どうして。
「何で、死んじゃったの?」
力無く崩れ落ちて、留まることのない涙が目から溢れてしまう。それでも、彼女の面布から手を離すことはしなかった。…できなかった。
この姿を見られたくない。ただ泣いてしまっている情けない顔を。
それでも彼女は何も言わずに、離れずに、側に寄り添ってくれた。…と、思ったのだけど。
「居なくなる、じゃないよ」
私の手を振り払って、泣きじゃくる顔を強制的に上げさせられる。すると彼女は自分の顔と私の顔を突き合わせて。
「もう居ないんだよ、バーーーーカっ!!」
そこから間髪入れず、互いの額と額がぶつかり合う。戸惑う私のことなんて気にせずに彼女は早口に捲し立てる。
「私はもう死んでるんだって!死人に口無し、なんて言うけど死んでも話させるなんておかしい話じゃん!何で何百年も死んだ奴の影追ってんの? お墓なくて寂しいなら仏壇でも飾れば良かったじゃん! 写真なくて思い出せないならそれでも受け入れてよ!…声も、姿も、顔も!全部忘れたならもうそれでいいじゃん!!…ねぇ桜華、もう一度言うから」
彼女は乱雑に面布を外して、私の襟元を掴む。急速に接近した翡翠色が、私の視界を埋め尽くした。
「────私もう死んでるから!!!!」
久し振りに、本当に久し振りに。彼女の顔を見た。…あぁ、そうだった。
彼女は、黛立花は、こんな顔をして怒る少女だった。
「ねぇ、立花」
「なに?」
「私ね、立花の顔…忘れちゃってた」
「知ってるよ」
「格好も朧げで」
「それも知ってる」
「声なんて全然覚えてなくてさ」
「うん、知ってる…でもほら」
手を離して、彼女は屈託なく笑った。
それは懐かしい、黛立花の笑みだった。
「思い出したでしょ?」
それはもう、完全に。…随分と長い時間が掛かってしまったけれど。
「久し振りだね、立花」
「うん。久し振り、桜華」  
私達はこうして、再会することができた。
「…悪いけど、私もう逝くね」
余韻もへったくれもない爆速の帰宅である。
もう会えない私に送る最期の言葉がそれでいいのか、甚だ疑問だけど。
「サヨナラを言いに来たと思った?…残念だけど私が今ここに居るのは、桜華のワガママに付き合ってるからだよ。こちとら時間外労働なんだから」
それにしたってアッサリしすぎというか、もう少し話をしたいというか。
…まだ私の口から、別れも告げられていないのに。
「まぁ何というか、あれだね。私は生まれ変わっても私として生まれてくるつもりだから気長に待っててね、なぁんて」
彼女だけが、いつだって真実だった。信じられない、嘘のようなことだって一度彼女が口にすれば途端に本物になってしまうのだから。
「だって私、約束破ったことないもん」
そう言って、彼女は鳥居を潜った。
闇夜に溶けるようにその身体が薄くなっていく。そんな彼女を見送って、私も拝殿へと戻るのだった。
「そうだね、立花はいつだって約束を守ってくれるもんね」
私が彼女のいた場所にそう言うと彼女は酷く満足そうに笑って、その先に進んでいく。ころころと笑うその笑い声が、風に乗って聞こえた気がした。…多分、私の気のせいだった。