「荷物はちゃんと入れたの?」
「大丈夫だって!さっき刀也にも確認してもらったし!」
「…ならいいけど、気をつけてね」
どこから聞いてきたのかお兄ちゃんが私を見送ってくれた。
「早くしろ立花」
「分かってます〜、じゃあねお兄ちゃん」
私がいないのに一人で起きられるのか心配になって何度か振り返ってみるけどお兄ちゃんは変わらず手を振り続けるだけで私の意図なんて微塵も分かっていないようだった。
「ただでさえ重い荷物持ってるんだから…くれぐれも走ったりするなよ」
お兄ちゃんに思念を送ることを断念して泣く泣く刀也の待つ玄関に辿り着く。
お小言を言われるけどそれはいつものことだし、なんて聴き飛ばして…そうして思い切ってドアを開けた。
「行ってきます」
私と刀也の声が重なる。それが無性におかしくってついくすりと笑ってしまった。
今日から修学旅行です。
一度学校に集合して、そこからクラス毎にバスで移動する。
今日という日が楽しみすぎて、なかなか寝付けなかった私は、快適すぎるバスの旅を眠って過ごしていた。
シートに腰掛けた途端に眠気が襲い、気付けば誘われるままに夢の中へと旅立っていた。
「立花〜起きてよ〜」
何度呼びかけても、揺さぶっても起きない立花にアルスは困り果てていた。
他の生徒達が続々とバスを降りていく中で、そして他のクラスが2組を待っている中でのこんなことだ。
耳元で叫んでもほっぺたを指でつんつんと突いても身動ぎ一つしない。
まるで眠り姫である。そうしてみると呑気に眠っているだけのはずなのにその姿はどこかのお姫様のよう。
しかしそんな彼女を起こさなければいけないのだ。この眠り姫、どうやって叩き起こそう。
「黛兄を呼ぶしかないのかぁ…?」
アルスは彼女の兄と話すのが中々に嫌いだった。
それこそ彼の周りには嫉妬や皮肉の視線が渦巻いているから。
まるで彼が彼女の知らない闇の部分全てを一心に引き受けているような、そんな。
「…何してんの」
その声にはた、と現実に引き戻される。
そこに居たのは同じクラスのイブラヒム。
アルスも知っている彼に頼るのは最早当然のことだった。
一度外に出た彼はどうやらいつまで経ってもクラスメイトが降りてこないので、様子を見に戻ってきたらしい。
困った顔をしているアルスの表情から察したのか、リクライニングを最大まで寝かせたシートですやすやと眠る立花に目を落とした。
「おい、黛」
そして少し思案した後、彼は容赦なく立花の頬をぺちぺちと叩く。
少し声を漏らしたが、再び寝息を立てて静かになった。
まぁ、こんなんで起きるわけがないことは分かっている。
「…しょうがないか」
「…どうしたんですか?」
「アンタの妹の事なんだけど」
分かっていた、薄々そうなのではないかと思っていた。
昨日からずっと楽しそうにしていたしあの様子じゃ寝てしまうと。
予想が的中して呆れる反面でやっぱり僕しか起こせないのか、なんて嬉しくなる。
あの日からずっと、眠り姫を起こすのは僕だけの仕事…他の誰にも、譲るつもりなんてない。
バスに辿り着き、ぐっすり眠っている立花を数秒ほど見つめた刀也は怒鳴りつけるでもなく、強く揺するでもなく、慣れた手つきでふわりと抱き上げた。
「うわ」
「えっ……」
刀也の行動に目を見開いているイブラヒムと、口に手を当てて小さく声を上げるアルス。
横抱きにされた立花は寝心地の良いシートから離され、眉を寄せて身じろぎした。
起きたか?と思って顔を覗いてみたが、刀也の肩に頭を預けるようにしてすやすやと眠っていた。
ため息が出るほど可愛らしい寝顔である。
そんな彼女が刀也とセットだから、余計に本物のお姫様に見えた。
「このまま連れて行きますから……何してるんです?行きますよ」
ぽけーっと立花の寝顔を見ているアルス達に声をかけて、刀也はすたすたとバスの通路を歩いていった。
立花が目を覚ましたのは、昼食が始まる直前だった。
ぼんやりする視界の中で最初に目に入ってきたのは、机を挟んで向かいに座っているアルス。
機嫌良くしおりを読んでいた彼女は、立花の視線に気付き顔を上げた。
「あ、立花起きた〜」
覗き込むようにして身を乗り出し、本日2回目の朝の挨拶をする、アルスから返ってきたのはとても可愛らしい笑顔だった。
ぐるりと周囲を見渡した、学校ににこんな場所があっただろうか。
見たことのない場所にどうして私はいるんだ?
「ここはどこ?」
「立花まだ寝ぼけてるでしょ…今日から校外学習、それでここはホテルの中。これからお昼だよ」
そうだった。寝起きの私にも分かりやすいようにと、噛み砕いて説明するアルスの言葉で思い出した。
今日から修学旅行だった。昨日から楽しみすぎて、夜遅くまで頭が冴えて眠れなかった。
そのせいでバスに乗る前は本当に眠くて眠くて仕方がなかった。バスに乗ってシートに座った途端に寝入ってしまったのだ。
…そして、起きたらすでにホテルの中である。
またやってしまった……バスから降りた記憶なんてまったくないぞ…
朝、気づけば教室にいる、なんて日常だった。
今回もそうやって寝ぼけているうちに自分でここまで歩いて、また眠ってしまったんだと結論付ける。
まさか立花はバスを降りてからの先生の諸注意、点呼までずっと刀也に抱えられていたなんて、つゆほどにも思っていなかった。
「ボク立花のお兄さんのこと勘違いしてたよ〜」
「…?」
なんで刀也が?と言った様子ではてなマークを浮かべる立花。
噂の兄に目を遣ればぼーっとするな、なんて口パクで返ってきた。
周りは刀也の口パクに気付かないようだが立花にははっきりと伝わっている。
「…変なの」
いつもより様子がおかしい刀也に疑問を抱きながらもまだ見ぬ昼ごはんに思いを馳せる立花だった。
まぁ難しいことはお昼ご飯を食べてから考えよう。