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雨の日が嫌いだった。別に低気圧だからとか外で遊べないからとかではない。
雨の日になると面倒くさいことがあるから、私自身が自然と忌避していた。
しかし相手は自然現象、単なる私の嫌悪感でどうこうできるものじゃないことなんてもう子供じゃないんだから分かっていた。
「今日は降水確率高いんだって」
そう言えば明らかに顔色を変えた刀也。
もう傘持ってけとかそういう次元じゃない。
最初は私も刀也って雨の日嫌いなんだ、なんて思ってたけど違かった。
プールの授業も海水浴もいつだって一緒にいることを強要してきた。
それはもう露骨過ぎる程、私を水から遠ざけるのだ。
よく鈍いだなんだと言われるけど流石に何十年も続けられれば私だって悟る。
こいつは何らかの理由があって雨の日に出かけようとする私が嫌いなんだって。
なるべく屋内に留めておこうとするのもわざわざ迎えに来るのだってそのせい。
何が理由なの、なんて聞けばお前は知らないんだからなんて返ってくるからそもそも話にならない。
「今日なんの用事があるんだよ」
「…日用品買いに行こうとしてた」
「それくらい僕が買いに行く」
桜華に聞いた理由はあれどそれが本当だとは思えなかった。
この流れだと留守番になりそうだしいっそのこと考えてみようか。
ポツポツと降り出した雨の音に耳を傾けながら私は思考を巡らした。
幼い頃、私は溺れて死にかけたらしい…それも刀也の目の前で。
その時は周りにいた大人がすぐに気づいて助けてくれたらしいけど。
たった一瞬の出来事でも刀也にとって私と水は一種のトラウマらしい。
スイミング結構上手いんだけどな私。
そんな私の記憶の中には溺れかけた記憶もなければ幼少期…桜華のいないそんな時代なんて覚えてない。
せいぜい幼稚園入学を控えた頃からの記憶くらいしか私には残ってないのだ。
刀也の知っている私の幼少期なんてほぼほぼ私からしたら知らないのである。
「なに面倒なこと考えてんだか」
分かってみれば簡単な縛りで…多分これが刀也にとっては忘れられないトラウマで。
私が思ったことはきっとあいつには通じない。
だって私は覚えてない、いくら私がその時の事実をなぞろうがどうしようが。
今の私が泳げていても、といった所なのだろう。
あいつにとっては私が溺れたという事実だけで十分なのだから。
大人しく部屋の中でホットミルクを飲んでいれば玄関の扉が開いた。
「一歩も外には出てないよ」
追求される前に答えを出すのは癪だけどこの際どうでも良かった。
「あのさ、死にかけたら今度は刀也が助けてよ」
生憎いつまでも部屋に押し込められる気はなくて。
私は籠の中の蝶じゃないんだから、とっとと外に飛び出してこの羽を大空に広げたい。
外に出て死ぬ運命だとしても実際出てみないことには何も始まらないのだから。
「僕に、助けられると思うのかよ」
「信じてるって…それだけじゃだめ?」
外に出ていて冷めたままの刀也の手を取る。
部屋にいた私の体温は比較的高めのままだったからこの冷たさが心地良い。
そうして同じ色の瞳と目が合った。
「ホットミルク飲む?」
「どうしてそうなるんだよ…」
「いやぁ、寒そうだなーと思ったらつい…」
私のマグカップにはもう湯気は立ち上っていなかった。
ぬるくなった少し甘いミルクを飲み干す。
コーヒーを入れてカフェオレにでもすれば良かったかななんて考えて遅かったと笑った。
しれっとおかわりを入れてくれた刀也にお礼を言って二人で並んでホットミルクを飲む。
「二杯目って飽きないのか?」
「んー…別に気にならないよ」
そこから始まる他愛ない話、先程まで雨戸を叩いていた雨は止んだのか静かになっていて。
「雨の日、好きになれそう?」
刀也はただ静かに笑っていた。

雨の日に距離を失う僕をどう思っていたのか、妹はいつも天気予報を熱心に見ていた気がする。
リビングに行けばソファーに足をばたばたさせる妹がいて、不機嫌そうにテレビの画面を見つめていたっけ。
それだけで要件が何なのか理解は出来るけどわざわざ言葉にさせて、それを聞いて安心して。
…僕だけが思い込んでいるのはずっと分かっていた。
それでも言わなかった。
2歳の頃に立花が溺れ死にかけたのをずっと根に持ってトラウマを抱えているなんてこと、気付かれたくなかったから。
僕が大人しく真実を口にできたら妹が…立花が水に奪われるなんて思うことも無くなるだろうかなんて…今思えば大層自分勝手に考えて。
次の雨の日には僕の世界も変わっているのかも知れないなんて勝手に期待して。
…何も定かじゃない天気予報に傘マークなんて出なくて。
妹が不機嫌そうにソファーでじたばたする音ももう久しく聞いていないなと自嘲した。
夏が、静かに訪れようとしていた。