君にだけ伝わらない信号】
私を見るその視線の意味が知りたくて覗き込めば逸らされて。
興味本位でその世界に踏み込んだ。
白かったはずの私はいつしか貴方が求める色に染まっていた。
それでも嫌には思えなくて、隣にいる不確かな距離感に安寧を得たと勘違いしていた。
責任をとって欲しいだとかそういうことは微塵も思ってなくて、ただその世界に少しでも長く触れていたかっただけ。
その癖して拒絶されるのが怖いなんて我ながら臆病だと自嘲した。
慣れ親しんだ距離感を失って、話すきっかけが薄れていって。
失くなって初めて露呈した感情の名前も、貴方がそのまま見つめる視線の理由も…いっそのこと全部知らないままならよかったな。
気付けばその姿を目で追ってしまう。
近づきたい思いを押し込めては小さな言い逃れをして。
嫌なことばかりが募る、純白だった頃には知ることの出来ない気持ちだった。
止むことのない苦しみと張り裂けそうな痛みを抱えて、行き場のない愛を今日もまた隠した。
貼り付けた笑顔の奥に貴方への確かな思いがあるのに気付かれることなくこのまま終わってしまうのかな。
伸ばした手は届かない。
隣にいたはずの貴方は気付けば見えないほど遠くなっていて。
…霞んでいく、朧げにしか見えなかったその姿さえ消えてしまう。
私を起こしてくれた貴方はもう隣にいない。
授業中寝ないのに気付いてる?貴方はただ席が変わったから真面目になってるだけだとか笑うのかも知れないけど。
私が寝ていたら前みたいに起こしてくれるの?
「…醜いなぁ、私」
嫉妬なんかして、馬鹿みたい。
叶わない恋だって諦められたらどれだけ楽だろう。
一人ぼっちの放課後、心配してくれた貴方は私の隣にいない。"
22:08 実は2434沼ってる野口 "【解読不能のシグナル】
放課後、忘れ物をしていたと気付いたのは家までの道を半分以上進んでからだった。
明日回収すればいいかなんて考えはしたものの大切なものを置いてきてしまったため心配でたまらなくなり泣く泣く戻ることにした。
放課後の校舎に運動部の声が響いている。
デカイ校舎だからか昇降口でさえそんな声は聞こえていた。
階段を上る、ほとんど帰路についていたせいで二重にめんどくさいことになっているわけだが俺が悪いとわかっていても疲れるものは疲れる。
席替えをしてから席は入り口に近くなった。
さっさと荷物を取って帰ろう、なんて思って不意に教室の中を覗き込んだ。
眠っていた、少女があの頃と同じように。
俺にとってはもう昔のことのように思える、それでも色褪せない少女が、記憶のままの姿で眠っていた。
そうっと近付いて起きないか試してみる、あの頃と…隣の席だった頃と変わらないことを試して。
少女は…黛は俺が隣だった時と変わらない、同じ席だった。
まるで囚われているかのようにくじで同じ席を引いて笑っていた。
ただその隣に俺はいなかった。
こいつの隣は俺じゃないんだな、なんて感じて…勝手に離れて。
今も忘れようとして忘れられずにいる。
どれだけ記憶が過去になっても思い出だけが強く焼き付いて離れない。
「起きろよ黛」
ゆっくりとその瞼が持ち上げられた。
とろんとした翡翠の瞳が真っ直ぐに俺を見つめて。
「…起こしてくれたの?」
久しぶりにその声を聞いた。
姿はずっと見ていたから思い描けても話す機会がめっきり減ったからその声を俺は忘れていた。
「まだちゃんと覚えてたんだ私…でも未練だらけみたいでなんかやだなぁ」
ふわふわと俺の様子なんて気にせずに黛は笑った。
笑顔を向けられているのは俺のはずなのにどこか違うところを見ているようなこの感じはあの頃から全く変わっていなかった。
「…あれ、夢じゃないの?」
ぼんやりと寝ぼけ眼で呟くその姿も慌て始めて顔を真っ赤にさせるのも全て、俺が好きになった黛立花そのものだった。
「隣の席のやつとは上手くやってんの?」
「ま、まぁ…ボチボチってとこだよ」
黛は戸惑いがちに俺の問いかけに答える。
不自然なその戸惑いを追求しようとは思えなかった。
忘れられないことがわかっていながら距離をとって、それでもこうして近付いて。
例え嘘でも舞い上がってしまいそうになる。
これでもし何か一つ些細なきっかけでも有ればもう止まれないところまで行ってしまいそうで。
俺は無意識にその会話を止めていた。
「じゃあ帰るわ」
「…待って、あのね」
黛が俺を引き止めて、そうして時間が止まった。
鳴り始めた下校のチャイムだとか騒がしい運動部の声だとか、全てがどうでも良くなる。
「好きなの、ううん…ずっと好きだった、今でもずっと」
小さなシグナル、それはきっと恋の音。
静かに俺達は恋に落ちていて、今までずっと気付けないままだった。
互いの離れた距離はもうなくなっていて。
俺は忘れ物がこんなに近くにあったのだと気付いた。
不思議と憂鬱な気持ちは無くなっていた。