「お兄ちゃん、私結婚するから」
彼女はいつも唐突だった。
台風の目というべきか、厄介ごとに巻き込まれては渦中で呑気に笑っているような子だった。
俺の部屋にひょっこりと顔を出しては俺の都合もお構いなしに巻き込んでくる。
今日だって、いつもと変わらず唐突だった。
「告白されてね、こないだデート、したの」
照れたように、恥ずかしむように、君は少し眉を下げて、へへへと笑った。
側から見ればそれは酷く幸せそうに見える…そう言えば正解なんだろう。
少なくともそうやって捉えて、納得しなくちゃいけないんだろうけど。
でも、俺じゃあその期待には応えられない。
そんな小さな嘘が見抜けない程俺は鈍くも疎くもない。
どれだけ、どれほどの長さを君と過ごしたと思ってるの。
悲しい時も、辛い時も、悔しい時も、嬉しい時でもいつだって俺は君の側に居た。
だから今、君がそうやって笑うのは。
嫌な事を我慢してやらなきゃいけない時の顔だって分かってしまうから。
それでも俺はどうしてあげることも出来ない。
その本心が分かっていても、何も、してあげられない。
ありきたりな社交辞令と形式的なお祝いをして、ここを出て行くその背中を見送るだけだ。
彼女は、俺に何を求めているんだ。
一緒に手を取って逃げるなんてこと、現実じゃできないのに。
このまま時が過ぎればいつかはそれが正解だったと思える時だって来るだろうに。
きっと今はそれを受け入れたくなくて、もしもの幻想を抱いてるだけだから。
「お相手の人は、いい人?」
自分で言っているうちにそう思えてくるから。
「うん」
「ならよかった」
ちゃんと兄としての感情を言葉に乗せた。
ずっと君の成長を見守って、やっと幸せになってくれて嬉しいよ、という俺の感情を。
きっと届いているだろう。
彼女の一瞬だけ歪んだ表情には気付かない振りをして。
「やっと私のお守りから解放されてよかったね、お兄ちゃん」
君はもう夢見る少女じゃない、現実を知り、変えられない何かを知った。
それがどうしようもなく、望んじゃいけないものだと理解して。
諦めたように、それを受け入れるために笑うのだ。
結局彼女はその報告だけしてふらりと何処かへ消えてしまった。
そうして俺だけが一人とり残された。
静寂は簡単に満ちて、空虚な部屋を埋めた。
そのまま俺はぼんやりと天井を見つめる。
思い返すのは昔から散々聞かされた夢物語。
「おおきくなったらおにいちゃんとけっこんする!」
無邪気な笑顔でそう言った君、きっともう覚えていないだろう。
俺は何でか今でも度々思い出すけど。
好奇心のままに行動していた君はいつだって俺に絵本の朗読を強請った。
たくさんの期待と疑問をいつもぶつけてきて、その度に俺は容赦なくリアルを教えた。
そんな俺を君はいつだって泣きながら殴ってきたっけ、今となってはいい笑い話だ。
「赤い糸、みえないよ?」
そう言って自分の薬指と俺の薬指を見比べた君。
きっと何も考えていなかっただろうけど君が躊躇いなく言ったその言葉に俺はビックリしたんだよ。
赤い糸が運命の相手としか繋がっていないって、分かっていたのかな。
それとも君は俺と繋がっていて欲しかったの?
「いつの話をしてるんだ俺は…」
今になって、未練がましいにも程がある。
ルームライトに真っ白な自分の左手を翳す。
糸なんてもちろんついてないしそこに通される指輪なんて考えるだけで絵空事のよう。
「まったく」
いつかの世界で俺がその手を取る未来なんかも考えちゃったり、なんかして。
それこそ物語の王子様はかっこよく馬に乗って君を助けに行けるんだろうけど。
どうしても俺には似合わないし、その資格すら無いらしい。
それでも、君の運命になりたかった。
ロマンチックだと笑われるかもしれないけどそれも全部君のせいにして。
だってほら、俺は今になって君に繋がる赤い糸を探してる。