独歩と飼っていた犬が死んだ
独歩と飼っていた犬が死んだ。大きな病気をすることもなく老衰で、眠るようにして迎えた最期だった。朝起きたら寝床で冷たくなっていて、私はわんわん泣いて、独歩は隣で静かに大粒の涙と鼻水を流していた。周囲からはまた新しい子を迎えるといいよなんて言われて、それはあながち無責任な励ましではなかったのだろうけれどやっぱりそんな気にはなれず、ケージやごはん用のボウル、リードやおもちゃも結局全部処分してしまった。部屋の掃除をしても犬の毛が出てこなくなった頃、ああ本当に独歩と二人だけになったんだと自覚した。
「なあ、散歩行かないか」
「……うん、いいよ」
何も予定のない休日。思い付いたように誘ってきた独歩に着いて手ぶらで外に出た。久しぶりに馴染みのルートをのんびりと歩く。風はだいぶ涼しく、日差しは暖かく、胸のすくような青空が広がってすっかり秋めいた気候になっていた。どこからか金木犀が香って、辺りを見回したが出所を見つけられない内に香りは流れていった。
「あ、彼岸花」
「どこ?」
「あそこの、空き地の真ん中らへん。一つだけ咲いてる」
「本当だ。こんな何でもないところにも咲くんだな」
「そうだね…」
寂しそうに揺れる赤を眺めていると、並んで歩く独歩が不意に手を握ってきた。立ち止まりかけた私の手を引いて、ほら行くぞと促すように、ゆっくりした歩調でまた歩きだす。
「年とっても、ときどきこうやって散歩しよう」
「うん」
「二人だけだと、寂しいか?」
「……ううん」
きゅ、と手を握り返して、半歩先を歩いていた独歩に追いついた。独歩は長生きしてね、でも職場変えないと無理かもね、そう言うと乾いた笑いが返ってきた。
テリトリーバトル後の山田家と長女
「え……すげーご馳走じゃねぇか!」「うわあ、俺めちゃくちゃ腹減ってたんだよ」
「ありがとうございます、お姉」
「いっぱい食べてね」
固唾を飲んで見守った、テレビで生放送されたテリトリーバトルでBusterBrossは敗退。ぼろぼろで沈鬱な表情をして帰宅した三人を、それぞれの好物をたくさんつくって出迎えた。本当はおめでとうと笑って食べるつもりだったけれど、うまいうまいとすごい勢いで食べ尽くす三人を見て、内心で胸を撫で下ろした。とにかく無事で帰ってきてくれた、それでよかった。
「三人とも、今日は本当にお疲れさま。一人ずつ何かお願い事聞いてあげる!何でもいいよ!」
「…マジで?」
箸がテーブルに転がり、三人は顔を寄せあってぼそぼそ囁き合う。順番を決めていたのか、まず一郎がびしっと挙手をした。
「じゃあ、こないだ一緒に見たアニメのヒロインのコスプレしてくれねーか?」
「あーあれね、制服かわいいって言ってたやつ。でも高校生のキャラだったと思うけど、大丈夫かな?」
「よっし!!絶対似合うって!今度衣装買いに行こうな」
嬉しそうに笑う一郎を見て、今から少しダイエットをしておこうかと考える。次にはいっと手を挙げたのは三郎だった。
「お姉、一緒にお風呂入ってくれますか?」
「バッ、三郎てっめぇ……何言ってやかんだ!ガキじゃねぇんだからダメに決まってんだろーが!!」
「そうだね、三郎ももう中学生だしさすがにね…」
「じゃあ、一緒に寝るだけは?」
「う、うーん、それならいいかな?」
「なっ!」
一緒にお風呂に入るのはアウトな気がしたが、寝るだけなら服を着ているしいいかなと思ってしまった。初めに難度の高い例を出してからハードルを下げて、先に断ってしまったという後ろめたさからも承諾しやすくさせる、セールスなんかでよくある手口だったような。これが交渉のテクニックだよ低脳には真似できないだろうけどねぇ〜と煽られている二郎に、二郎は何かある?と聞いた。
「俺は……姉ちゃんがいつも笑顔でいてくれて、これからも家族で一緒にやっていけたら、それ以上望むことなんてないよ」
「二郎…」
ちょっとじーんとして、一郎や三郎とも同じような顔を見合わせる。絶対に泣かないと決めていたから、目頭が熱くなるのをぐっとこらえて笑った。
「また頑張ろう。ずっと応援してるから」
「おう!」
「はい!」
自慢の立派な弟たちは、力強く頷いてくれた。
帝統77kg問題
「提出したプロフィールに虚偽があると思います」中王区でのラップバトルを控えた乱数達からエントリーシートの提出を頼まれた。帰るついでだしと請けおったのだが、鞄にしまう前に何となく中身を見てみるととある数字にどうしても引っ掛かりを感じてしまった。
「も〜幻太郎、ちゃんと書かないとダメダメだよっ」
「嘘と言ったら小生みたいなのやめてください。虚偽とはどの部分のことですか?」
「ここのとこ!」
帝統の体重が77kgと書かれていたのだ。ふざけて書いたのではと疑ってしまうほど7だらけのプロフィールを二人の眼前に突き付けた。ちなみに当人は例のごとく賭場に行っている。
「あんなにしょっちゅう文無しになって横浜の森までサバイバルに行ったりしてるくらいなのにこんなに体重ある?」
「うーん、ぱっと見は痩せてるもんねぇ。実はムキムキだったりするのかな?」
「帝統あんまり自分のこと話したがらないし、もしかしたら問い詰めても本当のことを言わないかもしれないから、三人で銭湯でも行って真偽を確かめてきてよ!」
「面倒ですね…そこまでする必要が果たしてありますか?」
「だって、このせいでエントリーがちゃんと受理されなかったら元も子もないでしょ」
幻太郎は億劫そうだったが「いーじゃんいーじゃん、裸の付き合いでバトル前に親睦深めようよぅ!」と乱数は乗り気の様子だ。乱数によろしく頼んでその日は事務所をあとにした。
そして後日、エントリーシートをもらいにまたお邪魔すると今度は三人揃っていた。どうだった?と乱数に耳打ちすると、乱数はにやーっと笑った。
「それがなんとねぇ、本当っぽいよ!帝統ってばスゴいんだ!」
「ええ、嘘……」
「そこまで疑うなら自分で確かめてみては?」
「おまえら、コソコソなんの話してんだよ」
振り返ると訝しげな顔の帝統がいて、言い訳する間もなく後ろから幻太郎に背中をトンと押された。つんのめった勢いのまま帝統の固い胸板にぶつかって「おっと」と難なく受け止められる。取りすがった上半身は思っていた以上にがっしりとしていて私はごくりと唾を飲む。これはやっぱり筋肉なのか……?
「帝統、ちょっと脱いで見せて」
「は!?いや、何でだよ!」
「全部見せて」
「意味がわから……に"ゃーーー!!」
ていうか目の前で体重計乗せればいい話だよね?と乱数が言っていたのは聞こえないふりをした。
幻太郎と嘘付き合戦
「嘘だよ」もう会わない。そう言った口ですぐさま前言撤回をした私に、幻太郎はムッとした顔をした。いつも飄々としているものの、実は思っていることが顔に出やすい人なのだ。
「いつも人に嘘つくくせに、自分が嘘つかれるのは嫌なんて傲慢だと思わない?」
「……そうですねぇ、自分がされて嫌なことを人にするな。尤もです」
「もう嘘つくのやめようよ」
幻太郎が嘘の話を聞かせていた病床の友人はすでに亡くなっている。もう幻太郎が嘘をつく必要なんてないのに、まるでそれをアイデンティティーにするかのように嘘ばかり並べる彼が嫌いだ。
「やめたいのは山々ですが、嘘を言わないと酸素が吸えない身体になってしまいまして。まあ、嘘ですけどね」
「……もういい。幻太郎、キライ」
まっすぐ向き合おうとするこちらがバカみたいに思えてきて、溜め息をつく。だからと言って、こちらも同じ土俵に上がったってどうしようもないことだ。そっぽを向いた顔を覗き込んできた幻太郎に、じっとりした視線を返す。
「おや、それは嘘ですね」
「嘘じゃない。本当にちょっと嫌いになった。このまま幻太郎が嘘ばっかり言ってるなら完全に嫌いになる」
「それは困りますねぇ」
毛ほども困ってなんかいなさそうな軽い声に、本当に嫌いになるぞ、そう心の中で毒づいたときだった。ふっと笑う気配がして、急に耳元へ近付いた幻太郎の唇が囁く。
「小生は貴女が好きですよ」
それに関しては何も付け足さず、楽しそうに笑って幻太郎は去っていった。ああそうだ、好きだからこんなにも腹立たしい。
黒めの帝統とお昼休みOL
「なんかすごい……日焼けした?」「そうか?まあ日差し強くなってきたしな」
久しぶりに遭遇した帝統の肌は浅黒く焼けていた。会社の近くに良い感じの公園があって、外の空気を吸いたいしとピクニック気分でお昼ご飯をとる習慣を持つようになって出会った帝統とは、時々顔を合わせる仲だった。お腹をぐうぐう鳴らしながら隣のベンチに寝転がっていたので、よかったら少しいります?と聞いてみると飛び起きて擦り寄ってきたのが始まりだ。公園に住んでるわけじゃないでしょうと聞くと、家がないときはその辺で寝てるぞと事も無げに返されて、引くと言うよりはなんだかしっくりきてしまったというか、面白い人だなあなんて逆に好感を持った。命を賭けるくらいのスリルを楽しむギャンブラー、そんな人生も楽しいかもなって、自分とかけ離れすぎて現実味がなかったからかもしれない。
「なんで人は肌が黒いとチャラく見えるんだろうね」
「なんだそりゃ?そんなに黒いかー?」
膝の上に乗せたお弁当を支えていた片手に、おもむろに帝統が腕を並べて見比べてきた。一瞬だけ触れた筋肉質な男の人の腕に思わず心臓が跳ねたのなんか全く気付いていない気軽さで「うお、こう比べると確かにな!てかおまえ白っ!」と帝統はからから笑った。もとからノリは軽めだけど、やっぱりチャラい。私以外にも餌付けされてるんだろうなあ。
「ねえ、デザートにアイス食べる?」
「食べる!!」
「じゃあコンビニまで一緒に行こ」
別に私が帝統の面倒を全部見ているわけじゃないし、こんなご機嫌取りみたいなことをしようとしたって仕方がないけど、でも私もそこまで深く考えているわけじゃない。午後の仕事のことも、この人とこれからどんな関係になるんだろうとも、何にも考えずに今楽しく過ごせればいいかな、そう思える時間だ。