荒木先生おさわりタイム

とん、とん。何かが何かを叩く音が聞こえて顔を上げると、荒木先生が眉根を寄せながら自分の肩にげんこつを当てていた。放課後、勉強を教えてくださいと押し掛けた執務室には二人きりだ。

「肩凝ってるんですか?」
「最近忙しくてマッサージにも行けてなくてな。あ〜……あ、」

アニメだったら頭の上にぴこんっと電球が浮かんだような、良いことを思い付いたという表情の先生と見つめ合う。

「特待生、俺の肩もみたくない?もみたいだろ?ほら、もんでいいよ」
「え、えー……」

如何わしい勧誘のように迫られて反射的に身を引きつつ、しかしそれは願ってもないことだった。だって、先生に触れられる機会なんて滅多にない。勉強を教えてもらっているお礼もありますし、あんまり自信はありませんけど、と真面目くさった顔で言い訳っぽい前置きをしてから私は立ち上がった。代わりに椅子に腰掛けた先生の背後に回り、両肩に手を置く。

「はぁ〜良い感じだわ」
「よかっ、たです、ねっ」
「あ、力抜いていいからもう少し続けてもらえるー?」

悦に入っている先生のつむじを見下ろしながら私は一生懸命肩を揉んだ。いつものストライプのジャケットを脱いだ肩は男の人らしくがっしりしていて、どきどきする。違うところも触りたいなあ、なんて。つい欲が出てきたのを察知したのか、ふと振り返った先生が私をじっと見上げてきた。

「……なんか、帝みたいなこと考えてない?」
「まっ、さっ、か!でも、あの、髪も触らせてもらえたら嬉しいなあって……」
「は?髪ぃ?まあいいけど、別に」

意外とすんなり了承されたので、私はそっと先生の黒髪に触れた。無造作に跳ねる毛先には整髪料がついていることもなく、ふわっと手が沈みこむ。わしゃわしゃと撫でながら、私は感嘆の溜め息を吐いた。

「わあ、ふわふわ……」
「……はい、そこまで。おさわりタイムはおしまい。勉強に戻ります」

荒木先生に手をつかまれて引き離され、夢のひとときは終了した。もう少し触れていたかったけれど十分満足だ。ありがとうございましたと何故かお礼を言ってしまった私をよそに、さっさとジャケットを羽織直していた先生は「いや、こっちこそ」と言ったけれど、その顔はきまりが悪そうにしながらも少し赤くなっているように見えた。

青柳先輩とばったり

青柳先輩と晴れてお付き合いを始めて私が真っ先にしたのは、下着屋さんに行ったことだ。いやいや気が早いだろうと自分自身に突っ込みもしたが、あの青柳先輩が相手となれば例え事故でも下手なパンツを見せることなんてできない。何時なんどき何が起こってもいいように準備をしておきたかったのだ。あんまり際どいのはハードルが高いけどちょっとくらい大人っぽいのは持っておくべきか、色は何がいいんだろう……じっくりと吟味していると、たっぷりしたフリルのパンツの向こうにいた人と目が合った。見慣れた丸眼鏡のレンズの奥の瞳がぱちくりと瞬きをする。

「な、な、なんでここに……!」
「おお特待生、奇遇だな!」

まさかの青柳先輩。好きな人であることに間違いないがここでだけは会いたくなかった。幸いなことに店内に他のお客さんはいなかったが、私は声を潜めて青柳先輩に耳打ちする。

「……青柳先輩って、いつも一人でこんなとこ来るんですか?」
「いや、さすがに初めて入ったぞ。右を見ても左を見てもどのパンツも素晴らしい、ここは最高の空間だな!」
「はは…それはよかったです……」
「ちょうど通りがかりに特待生に似合いそうなパンツを見かけたからプレゼントしたいと思ったんだが、甲乙つけがたくてな……どうにも決めかねてたんだ。一緒に見てくれないか?」

プレゼントと言われて一瞬きゅんときてしまったが、青柳先輩の両手にあるのはパンツ。素敵な彼氏さんですね〜と店員のお姉さんもニコニコ声をかけてくれて、なんだか私だけが動揺してしまっていたが、一呼吸おいて青柳先輩を見据える。

「青柳先輩」
「なんだ?」
「お気持ちはとっても嬉しいんですが、私、自分で選びたいんです!先輩にいいなって思ってもらえるようなパンツを!!だから……その」

言いきる前に、青柳先輩の手が唇に触れた。皆まで言うなと頭を振り、青柳先輩は持っていたパンツを陳列棚に戻す。

「どうやら余計なお世話だったな。それじゃ、特待生の勝負パンツが見られる日を楽しみにしてるよ」
「はい、待っててください!」

何やら青春熱血ストーリーのワンシーンのような台詞を交わして、青柳先輩は去っていった。そして勝負パンツをお披露目するときがそう遠い日ではないことは言うまでもなかった。

風邪っぴき黒コスモ先輩

「コスモ先輩、体調良くないですよね?」

すっかり見慣れた、半分以上を白いマスクに覆われた顔に向かってそう迫ると、コスモ先輩は無防備な瞳でぱちりと瞬きをした。マスクの上から手を当てて欠伸なんかをしてからベンチで横になっていた身体を起こすその動作は、ただ単にかったるいというよりは大儀そうに見えた。

「私の身体は病原菌の侵入を許しませんので、風邪を引くことなんてないですよ。ほら、声もいつも通りでしょう?」
「でも、顔がちょっと赤いです」
「気のせいですよ」

それ以上の追求を振り切るように屋上を出ていこうとする背中を追うと、コスモ先輩は不意にぐらついた。後ろに倒れかけた長身を慌てて受けとめながら、項垂れていつもより近くなった顔を覗き込む。マスクの下の口が開かれることはなくても、長い黒髪の合間からぎろりと睨む目は、面倒だとか鬱陶しいとか、そういう嫌悪感を露にしている。背筋がぞくりと粟立つのを表情には出さないようにして、私に動じる様子がないのを見てコスモ先輩は苛立ちをおさめ嘆息する。

「…ああ、すみません。どうぞお構い無く」
「……いいんですよ、うざったいってはっきり言っても」
「はい?」
「言ってくれていいです。私は、コスモ先輩の素を見せてほしいんです」

素顔も本音も、包み隠されてしまっているものだとわかっているのにこんなにも惹かれてしまうのはどうしてなのか。答えに手を伸ばす私を、深い紫をたたえた瞳が見つめていた。

「触るな」

ぱし、と乾いた音を立ててコスモ先輩の顔に伸ばした手を払われた。叩かれたのではなく軌道をそらすように払っただけで全く痛くはなかったのに、反射的にびくりと身体が揺れてしまって、コスモ先輩が鼻を鳴らしてせせらわらう。

「結局、びびってるくせに。ただの好奇心で近付かれるのはうんざりなんだよ」

好奇心というか、ただ好きなんです。今度こそ振り返らずに立ち去る背中にそうぶつけてしまいたかったけど、言えなかった。突き破りそうなくらいにばくばくと暴れる心臓は、怖かったのか驚いたせいなのか、でもこの高鳴りは間違いなく恋なのだ。

一郎セラピー

「好きになりすぎちゃいけないって、常々自分に言い聞かせてはいたんだよ。踏み込みすぎたら、報われなかったときにそれだけ辛い思いすることになるのはわかりきってたし。もう繰り返して身に沁みてるもの」
「……は?何、おまえ、そんなヤツいたのか?」
「うん……つらい……いやでも、出会えたことに後悔はないの。こんな思いするなら好きにならなきゃ良かったとは思わない。でも、でもね、って一郎はこんなの聞かされるの嫌だってわかってるけどどうしても気持ちの整理がつけられないんだよぉぉ」
「いや、男がでもとかだってとか言ってたらはっきりしろと思うが、お前は女だし別に……つーかどいつのせいだよ」
「これです」
「メール……『チケットがご用意されませんでした』……ああ」

ちくしょー!!と叫びながら床に転がる私を憐れんだ目で見下ろして、一郎は読み途中のラノベを閉じ、空いた手でがしがしと頭を撫でてくれた。

「気持ちはわかるぞ」
「うぅ……本当に行きたかったイベントだったのぉぉ」
「整理がつけられるまでは苦しいだろうが、それだけ好きだからこそだ。きっとまた前向きになって、応援できるだろ」
「……一郎ぉ〜ありがとぉ〜」

このほとばしるお兄ちゃん感というか、もとい包容力。なにやら後光が射して見える。

「はぁ……マジでお兄ちゃん」
「ったく、おまえの兄ちゃんじゃねーよ。イベントの日、どうせもう休みとってんだろ。代わりに俺と出掛けっか」

にっと笑う一郎に笑顔を返す。イベントを諦めるのにはまだ少しかかりそうだけど、一郎とデートするのは楽しみで、気持ちの整理はそう遠くないうちにできそうだった。

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