こころやまい▽2017/01/25(Wed)
誰そ彼
「僕は自分がわからなくなりました」
「わからなくないよ」
「僕は芥川先生が好きです」
「うん」
「でも僕が好きなのは今の先生じゃなくて生前の先生なんです」
「どうしてそうなるんだ」
「だって、転生してしまったら、それはもう先生であって先生じゃないじゃないか」
「僕はここにいる。僕も芥川龍之介だ。辰年辰月辰日辰の刻に生まれた、芥川龍之介だ」
「僕が愛しているのは貴方じゃない」
「違う。僕は僕だろう」
「僕が愛したのは妻子がいて、常に精神を病みながらも小説に情熱を注いでいた貴方だ」
「転生したのがそんなに不満だったのかい」
「それは違います」
「何が違うと言えるんだ」
「貴方が生まれ変わってくださった時、僕は本当に、心の底から嬉しかった」
「ならどうして」
「わからない」
「……」
「貴方を尊敬していると、愛しているのだと胸を張れなくなってしまった」
「……」
「貴方も芥川先生だ。それは事実だ。変わらない真実だ。生まれ変わった芥川先生なんだ」
「……ああ、そうさ、僕は芥川龍之介。君が恋い焦がれていた、新思潮派の小説家」
「なのになんで、なんでなの。苦しくて苦しくて、どうしたらいいのかわからない。……ごめんなさい」
「……謝罪されても、困るよ」
愚か者だと、救いようのない阿呆だと、地獄に落ちるべき馬鹿なのだと、突き落としてくれたらどんなにいいことか。
▽2017/01/25(Wed)
共依存への在り処
やれやれと言った様子で彼の手を引いたのは、ナカハラその人である。待ち望んでいた瞬間。儚げな瞳は地に伏せられていて、視線が合わさることはない。
「……自分は」
控えめに開かれた薄い唇に目線を移す。想像していたよりもずっと低い声色に、驚愕の色を隠せなかった。
「萩原」
朔太郎、と名乗られるよりも先に、体が動いていた。勢いよく飛びついて、彼の背に手を回す。ナカハラが狼狽えた様子で僕の名を呼ぶが、この感動を抑える術を僕は知らなかったのだ。
ずっと会いたかった。君が覚悟を決める瞬間を待っていた。ずっと。心中で幾度も気持ちを吐き戻す。
「会いたかった、ずっとずっと待っていたんだよ」
彼の両手は、きっと行き場をなくしたまま空中で漂っているに違いない。初対面の人間に抱きつかれたのだ、不快な思いをしているに決まっている。だのに、僕は自分勝手で自己中心的だから、彼を離してやれないのだ。
あと少しだけ、このままで。
ぎゅっ、と彼を抱く腕に力が入る。不思議なことに、彼からは真新しい月の匂いがした。
「孤独になんてさせないよ。僕がずっとそばにいたげるからね。貴方のことが知りたくて知りたくて、ずっと待っていたんだよ、……ずっと」
ずっと、と言い終えると同時に、彼の手が僕の背に触れた。
「ようこそおいでくださいました、萩原朔太郎様。僕と一緒に、どうか、文学を守ってください」
遠慮がちに抱きしめられている。やんわりと縮められた距離感は、歪で不格好だ。耳元にかかる吐息がくすぐったくて、腰が動いてしまう。
「よろしくね、司書さん」
これが全ての始まりとは知らずに。
▽2017/01/25(Wed)
嗚呼焦がれ
「先生」
「なんだい」
「今のお薬じゃ到底死ねませんよ」
「おや、それは知らなかった」
「言ってよかったです」
「……なぜ君は知っていたのかな」
「先生の真似事をしたけど死ねなかったから」
「……」
「先生みたいに死にたかったのだけれど、上手くいかなかったから。7月24日にたくさんの薬を飲んで昏睡状態になったのに、死ねなかったから」
「穂吉」
「なに」
「そうしてまで僕に近づきたいのかい」
「うん」
「……それは」
「ん」
「……いや、やめておこう。なんでもないよ、なんでも」
愛か執着か、羨望か
▽2017/01/25(Wed)
ねんねころりよ
菊池「アンタなあ、あと何回繰り返す気だ?」
「……」
菊池「死ぬのが怖くないのか」
「……、こわいよ」
菊池「!」
「死は、さむくてくらくて、こわい」
菊池「じゃあ」
「……なーんて言ったら、貴方は同情するんだろ?」
菊池「……、っはは(救いようがないな、ほんとう)」
「同情してくれるようなことを言うのは簡単だよ。ちょっとだけかわいそうなことを言えばいい」
菊池「…………」
「でも僕同情されるの、だいっきらいなんだぁ」
菊池「そうかよ」
「幻滅したかい」
菊池「……はあ」
「んふふ」
菊池「今更にも程がある」
「見捨てないの?」
菊池「もう見捨てられている可能性はないのか?」
「んー、ある」
菊池「そうか」
「…………ねえきくっちー」
菊池「なんだ」
「ごめんね」
菊池「……」
「なんで嫌いになってくれないの?」
菊池「……」
「僕こんなにひどい人間なんだよ?」
菊池「……司書さんよ」
「なに」
菊池「寝ろ」
「あい」
菊池「寝るまでそばにいてやるから」
「ん」
▽2017/01/19(Thu)
避けられぬ別れのために
司書さんは時折難しげな表情をする。政府との規定が存在するから、僕はほとんど彼がしたためている書類の内容を知ることが許されない。
(何故、諦めた目をしているんだろう?)
温もりは確かに感じるけれど、指先で触れると氷のような冷たさを纏っている、そんな目で紙を見つめている。僕はきっと、心の何処かで、司書さんがそんな眼になる理由を知ってしまっているのだ。
──全ては最期のために!
遠くない未来の、ために。僕と彼が──穂吉が──他の文豪と呼ばれた皆がその役目を終える最期を見据えて、ああいった瞳の色を灯しているのだとしたら。
(そうなのだとしら、僕は)
煙草を摘む指先に力が入った。呆気なく二つに折られてしまったそれは、最早使いものにならない。灰皿に押し付けて、小さく溜め息を吐く他なかった。
(最期、か)
来なければいいのに、なんて、見当違いな意見を抱いてしまう。僕ら文豪は──書物を媒体に蘇った人間のなり損ないは──こんな感情を抱くべきではないのに。
(そうだよ、ただの仕事なのだから)
ビジネスだから、深入りしてはいけない。穂吉だってそう言っていたのに。
(だめだ)
言っていた、のだけれど。
(これ以上好きにならないでくれ)
好きにさせないでくれ。
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