22.Routes of Destiny

「仄香、いくつか聞きたい事がある。正直に答えろ」
「うん」

仄香は涙を拭って、頷いた。

「俺に抱かれたくなったのは、酒の勢いだけか?」
「分からない。素面でも、あんまり小十郎にずっと甘えてたら、小十郎と離れがたくなるから。お酒のせいであんなに大胆に甘えたのは確かだけど、小十郎は私の憧れだから、小十郎か小十郎を超える男前としかそういう関係になりたくないのは本心。今まで黙ってたけど、時々小十郎にぎゅって抱き締めて欲しいなって思う事はあったよ。ああ、自分で言ってて子どもみたいだ…。小十郎が付き合う女の人ってみんな大人で綺麗なんだろうなって想像して、自分もそうなりたいなって思ったりもしたよ」
「なるほどな」

要するに、仄香は素面では自分が子ども過ぎて俺とは釣り合わないと思って諦めているが、本音は少なくとも俺ともっと深い関係になりたいと思っている訳だ。
抱かれたいとまで行かなくても、高校生同士のような幼い付き合いならばすぐにでもしたい気持ちはあるという訳か。
別にそういう関係から始めても俺は構わない。
仄香が少しずつ関係を深めたいなら、それでも俺は待ってやれる。

「さっき、幸せ気分だったって言ってたな。断片的に覚えてる事はねぇか?あり得ねぇ事でもいい。覚えてる事を話せ」
「うーん…。チョコレート味のキス、かな。ここは小十郎の部屋だから、相手は小十郎しかいないんだけど、理性の塊みたいな小十郎がそんな事するはずないし、だからあり得ないって思うんだけど。キスもよく分からないから本当に何とも言えないんだけど、チョコレート味のキスをした気がする…。でも、キスってもっと違うものだと思ってたんだけどな。だから、自信ない」

ああ、要するに、唇を少しだけ触れ合わせるような、挨拶程度のキスしか想像出来なかったって事か。
女を抱く時のキスは違うって知らなかったという事か。
問題は、それはあり得ないから夢だと断言するか、真実を告げるかだ。
真実を告げるにはまだ早計な気がする。
仄香が他に何を覚えてるかが問題だ。

「他に覚えてる事はねぇか?」
「うーん………チョコレートの香りと、幸せ気分。身体がずっとふわふわする感じで酔っててくらくらしてて、それとは何か別のすごく気持ちいい感じがずっとしてて、温かくて、身も心も蕩けた幸せ気分、かな?本当に細かい事は何も思い出せないの」

細かい事こそ覚えていて欲しいのに、大筋だけは合ってる所が憎らしいくらいだ。
俺は、最後の質問をどう切り出すか悩んだ。
いざとなったら仄香を欺いて、仄香を傷付けないために昨日の事はなかった事に出来るように逃げ道を作るか、無理にでも俺の女にするか。

でも、既成事実を持ち出して、仄香を無理矢理俺の女にする事が、本当に仄香の幸せなんだろうか…。

さっき、仄香は言っていた。
俺と付き合う女は、仄香よりずっと大人で、そんな大人になりたいと。
もちろん、そんな特定の女はいないし、俺にとっては仄香だけが唯一愛してる女だ。
でも、それを言い聞かせても嫉妬するのが女だという事も知っている。

年齢の壁のせいで、立場も違う俺と仄香は、俺には過去の自分という見本があるが、仄香は俺の世界を何も知らない。
変な気を回して、仲がこじれて仄香を永遠に失うなんてゴメンだ。
それくらいなら、仄香が社会人になって、働きながら付き合うっていうのはどういうものか、仄香が分かってから付き合う方がまだマシだ。

俺は逃げ道を作る手を選んだ。

「お前ぇ、俺の隣りを堂々とまだ歩けねぇから、この部屋だけでデートする仲になりたいって言ったぜ?俺の女になりたいってな。覚えてるか?」

仄香は驚いたように目を瞠った。

「ええっ!?大胆な事をした気がしたとは思ったけど、小十郎に告白した事もだったんだ!!ううっ、ごめんなさい…」
「謝らなくていい。それで?素面の今はどう思ってるか正直に答えろ」

仄香はしばらく視線を落として悩んでいた。
焦れて仕方なかったが、俺は仄香の答えを辛抱強く待った。

「うーんとね、一言では言えないから、ゆっくり聞いてくれる?」
「分かった。お前ぇの話したい事を好きに話せ。時間はたっぷりあるから焦らなくていい」
「ありがとう。私の理想の人は、小十郎なのは間違いないの。だから、酔った勢いで告白したんだと思うの」
「なるほどな。それで?」
「でもね、私、自分に自信がないんだ。別に小十郎に勝とうとかそういうつもりじゃなくてね、本当に狭い世界しか知らないから。大学だって、他の大学の子達がどう過ごしてるか、何をしてるかも知らない。同じ高校の生徒の5人に1人は婆娑羅大にいるし、中学の頃から本当に狭い世界しか知らない。だからね、もう少し経験値を積みたいんだ。だから、就活したいの。そこで色々な人と出会って、他の世界の価値観に触れたいの。社会ってそういう所でしょう?小十郎は、そういう世界を相手に仕事をしてる。もちろん小十郎がエリートコースにいるのは知ってるけど、エリートの価値観だけで仕事は出来ないでしょう?だからね、小十郎が見てる世界を自分も体験してからじゃないと、付き合えないなって思うの」

仄香の堅実な考え方は昔からよく知ってる。
石橋を叩いて渡ってるというべきか、元々才能があるのか、何においても万全より二枚は上手になって、レベルを落として余裕を持って行動する。
それは特に試験の時に発揮されたが、元々の性格がそうだから、無茶はまずしない。
でも、目標に向かっての努力はものすごい。
仄香の女子校が、学業レベルは高いのに女子力は低いと評価されたら、世間並み以上の女子力を磨くのも怠らなかったし、大学に入ってもそれは変わらなかった。
間違った方向に努力しようとしたら、それとなく俺が軌道修正をして、仄香は素直に俺には従って来た。
ただ、温室育ちにしたのは確かだ。
変にすれた人間に育って欲しくなかったというのもあったが、変な男に外で引っかかるのを仄香の両親も恐れ、両家同意の上で仄香を囲い込んで来た。
それが、仄香の自信喪失に繋がるとは思いもしなかった。

「仄香、よく聞け。世間に揉まれるのも大事だが、変にすれた人間にはなるな。お高く止まれとも言うつもりはねぇ。ただそのまま慎重なお前ぇのままでいい。はぁ、こういう話は苦手だが、お前ぇも全く知らねぇ訳じゃねぇだろ。そうだな、お前ぇ、旦那ハンターって大学で聞いた事、あるか?」
「うん、1年生の時に聞いた。そういう子達の気持ちも理屈では分かるけど、私はそういう争いが苦手だから避けてた」
「なるほどな。婆娑羅大の男を狙って、女子大の女が学内をうろついてて知ったか。そういう女を逆手に取って落としやすいよう、女子大生向けのサークルがあったくらいだからな」
「うん」
「社会に出ても同じだ。本社の人間と支店の人間、もしくは親会社の人間と子会社の人間。別に本人同士の気が合えば好きにすればいい。ただ、俺はそういう目的で俺に近寄る女は大嫌いだ。でも、相手も伊達に旦那ハンターじゃねぇから簡単にはヘコまねぇし、媚を売るのも上手い。その上、平気で情報撹乱する女もいる。ライバルを蹴落とすためにな。それで傷付く罪のない女だっている。お前ぇの言う通り、社会に出たら人間社会の縮図だ。そういう風に色んな人間がいる。だから、お前ぇの不安も分かるし経験を積みたい気持ちも分かる。他の価値観を知るのもいい。ただ、話せば必ず分かり合えるなんて甘い考えは捨てろ。一番難しいのは、相手の人間性を変える事だ。それは不可能だ。価値観の違いに苦しむ事はあっても、それでプラスになる事と言えば、世間にはこういう人間もいるんだって納得出来るスキルが身に付くだけだ。仕事上では必要なスキルだが、プライベートに持ち込むものじゃねぇし、チームで仕事をする時には、価値観の大きな隔たりは障害だな。別の観点をくれる人間ならいいが、俺が言いたいのは人間性のレベルって事だ。分かるか?」
「うん、何となく」
「他の大学の事を知るのもいい。新鮮な体験だろう。ただし、深入りするな。お前ぇの価値観や人間性は21年かけて形成されてる。お前ぇの常識は、お前ぇのいた環境では常識でも、他では通用しねぇ。向こうも自分が正しいと思って向こうの価値観で動き、時には押し付ける事もある。似た環境にいた人間とは親和しやすいが、お前ぇの常識は世間一般の常識とは大違いだって事は覚えておけ。だから、俺はお前ぇをそばに置いて俺の側近に育て上げたい。俺はお前ぇの事をよく分かってるつもりだし、そこはお前ぇの常識が完全に通用する場所だ。だから就活には反対した」
「そっか…。やっぱり私は狭い世界でしか生きられないのかな?」
「そうだな…。間違った世界に飛び込んだらそれは寄り道だな。結局一番自分の価値観に合う場所を探して彷徨う。そして、自分のホームへ戻って来る。でも、一度道を外れたら大きな時間のロスになる。その失敗は教訓にはなっても履歴にはまず何のプラスにもならねぇな。付き合う男だって同じだ。適齢期は待ってくれねぇからな。20代前半が勝負だ。特に女はな。だから、仮にお前ぇが就活をしてどこかに入社しても、半年経過観察してロクな研修をさせなかったら、強制的に伊達グループに入れる。お前ぇの才能を潰すような事をしたら、お前ぇも傷付くし、その後の人生に影響する。男は、仕事以上に慎重に選べ。お前ぇの一生を担うんだ。下手に自分を過小評価して自分より見劣りする男を選んだら後悔するぞ。男の嫉妬は醜いし、自分の間違いを女に指摘されると意固地になる。結局傷付いたり不満を持つのはお前ぇだ。だから、お前ぇの自信なんて正直関係ねぇな。絶対に自分より確実に実力が上で、価値観と気が合う男を選べ。この男には絶対に敵わねぇけど、一緒にいて安心出来て幸せで、話す内容も95%は理解出来るってのが理想だな。残り5%が絶対に敵わない領域で、それゆえに尊敬出来るってのが、男にとっても女にとっても幸せだ。少なくとも俺はそういう価値観だし、俺にとってお前ぇはその条件を満たす貴重な女だ」

常々思っていた愚痴を混ぜたらつい長話になってしまったが、これはたかだか5才違いでも嫌ってほど感じて来た事だ。
俺は後悔するような道は幸い歩まなかったが、道を間違えた人間もたくさん見て来た。
居心地のいい場所というのは、適材適所の事で、何もエリートコースだけがいい訳じゃない。
ただ、仄香は俺が育て上げたから、俺が適材適所に必ず配置出来るから安心だって事だ。

仄香は悩むように俯いていた。
そして、やがて小さな声で呟いた。

「価値観の違いかぁ…。同じ大学の人達だって、色んな価値観の人がいるよ。大まかに特に違いを感じるのは、公立高校出身の人と、私立高校出身の人かな。確かに、私の友達は男女共に私立高校出身の人が多い。似た環境の人と惹かれ合うってそういう事?」
「そうだ。そういう友達は一生の友達になるから大事にしろ。もちろん中高時代の友達もだ」
「うん、大事にする」
「それを踏まえた上で、お前ぇの返事が聞きたい。俺はお前ぇが好きだ。10年以上お前ぇだけを想っていた。酔った勢いとは言え、お前ぇが俺の女になるって言ってくれて本当に嬉しかった。互いに社会人になって、別の道を歩んでお前ぇを待つのも構わねぇが、お前ぇの心変わりが怖い。お前ぇの望む、清い付き合いからで構わねぇ。どうする?」

仄香の瞳が迷うように揺れた。

「私は…」

それなら今すぐ小十郎と付き合いたい

やっぱり社会人になるまで待って
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