唐鋤星のデッドライン

 何万回と聞いた、小学校の頃から変わらない単調なメロディは、この期間は恐怖の調べになる。しかし、それも今日で終了。志望校がふんわりとではあるけれど定まってきた私は、一分一秒を逃さないように、無駄にならないように、たった一枚の紙きれと戦ったのだ。二年生で最後の定期試験が、幕を閉じた。

「うーん、終わったあ! たった二日なのにこの解放感!」
「苗字は特に今回頑張ってたからな」
「ふふ、そうでしょ?」

 左右田くんの部活もほぼほぼ活動していない、だけれど、私の部活も大概だ。基本は週二回の休みで、しかし今日は顧問の採点があるのと、大部分は現部長の気分により休みになったということが大きかった。左右田くんに「ほんとに部活してんのか?」と言われつつも、少し暖かくなった帰り道を並んで歩いている。サッカー部の天宮をフェンス越しに見つけようとしたけれど、皆同じ体操服だと、誰が誰かはまったくわからなかった。

「もう二年生も終わっちゃうね。本当色々あったなあ」

 あたりは春に向けての準備を始めた。しかし空気はまだ、ツンとして冷たい。けれど、コートを脱いでも丁度薄寒くて気持ちの良い気候だった。
 二年生は、一年生の何倍も濃かった。それもこれも、全部は私の隣にいる、地味めで猫背の真面目くんのせいだった。

「もう三年生になったら毎月テストあるんでしょ。頭パンクする」
「あー、忘れてた。成績には影響しないらしいし自分の勉強してたらいいかもな」
「んー……でもどうせならちゃんとやりたくない?」
「オメーの方が全然真面目だな。見た目はアレなのに」
「ちょっと、ひどい。でも真面目代表くんに言われると照れるわ。入試問題ってどこも一緒なんでしょ?」
「推薦とか選抜とかじゃなかったらそうだろうな」

 一年前からは想像できなかった、受験生みたいな会話。それも、左右田くんと。彼の口からの「推薦とか選抜」は、彼の受験方法が推薦であるということを仄めかしているのかもしれない。それも、彼の学力や技術力ならば納得だ。

「私は成績もそんなに良くないし小論とか書けないから一般だろうな」
「小論は結構型が決まってるらしいし、成績は三年が重視だろ」
「詳しい〜、頼りになるう」

 学校を出てからの、少しの坂道。橋が見えるまでもう少し。また後ろに転がるかもしれないのに、筋肉の薄い片腕で自転車を支えながら、もう片方の手でうりうりと彼の肩をつんつんすると、「あっぶね」ともう片方のハンドルを持った。私の筋力や学習能力を信用していないらしい。積んである鞄は、今日は軽いのに。
 ちょうどいい澄んだ空気は、都会の方でも味わえるのだろうか。左右田くんが高校生になったら聞いてみよう、と鼻から空気を吸い込むと、ほんの少し、春の匂いがした。

「クラス替え、嫌だなあ」

 夏空とはまったく違う青い空を仰ぐと、風が吹いた。何も言っていない隣の彼が、オレも、なんて同調するような風。それは気のせいではないことにして、彼に笑いかけた。

「神頼み、しに行く?」
「金持ってねぇよ」
「お金じゃなくて気持ちの問題だから! ……あ、公衆電話代の二十円持ってるよ」

 橋を渡りきった私たちは、急遽方向転換。左右田くんの足も自然とそちらを向いた。また橋を渡って、いつも帰る道と違う、住宅やお店がない田んぼ道。私たちは、私と彼が肩を並べて、焼きそばを食べて、忘れられない花火を見たあの神社に、足を早めた。

 ⊗⊗⊗

 当たり前のようにそれを受け取るけれど、ひと学年のテストを一日二日で丸つけする先生って、過労で倒れてしまうのではないだろうか。
 一限の国語はまだ採点途中だったらしいので、体育を挟んで理科の授業が学年末試験初めてのテスト返却になった。返ってきた瞬間に、先生が配った模範解答のコピーと照らし合わせて採点ミスがないかを血眼で探すのだけれど、結果は残念だった。

「天宮どうだった? 私頑張ったんだけどめっちゃ凡ミスしててさ……」
「あー……」

 理科の先生は採点時間は短いのに解説はやたら丁寧で、テストの解説に五十分を費やした。チャイムが鳴ってすぐに席を立ち上がる。テストが終わって間もないのに、担任の気分で席替えを実施したところ、天宮と近くの席になるのは二度目だった。二つ後ろの席を見ると、天宮は点数の部分を見えないように折り込んでいたのだ。まったく勉強をしていないと言っていたから、相当悪かったのだろう。
 私の勝ちだな、と若干の優越感に浸りながら言うと、渋々点数を開示した。そこに書かれていたのは、可もなく不可もない六十点――ではなく、間違いなく上位であろう、九十点だった。

「すっご!? えっ、アンタ全然自信ないっつってたじゃん。嘘だったの!?」
「あー……まあ……」
「なに、もっと自信持ちなよ」

 私も間違えた、先生の渾身のひっかけ問題ですら、満点の五点を貰っているようだった。にもかかわらず、さらに彼の性格だからマウントを取ってくるかと思いきや、どこか歯切れの悪い返事だった。不思議に思っていると、サンキュ、と言った彼は、そのまま廊下へ出て行ってしまった。
 アイツらしくない、と思いつつも、そういう気分の日なのかも、と自己完結した。それから答案を持つと、窓際の前から二番目の席を目指した。なんて言われるだろうか、胸を躍らせながら。

「そーうだくん」

 ガヤガヤと騒がしい教室。昨日のテレビ番組、朝の兄弟喧嘩、ついさっきのテスト、今日の給食。色々な話題が飛び交う中で、背を丸めている左右田くんに背中から声をかければ、びくりと震えた。またか、と思いつつも、今日は体調不良で欠席らしいクラスメイトの席に、背もたれを跨ぐように座ると、じゃじゃん、と答案を広げた。

「見て、あんまり良くないけどさ……でも左右田くんに教えてもらったとこは解けたの。苦手な計算も言われた通りなんとかゴリ押した!」
「ああ……良かったな」
「うん! マジ左右田くんのおかげ! 左右田くんは……」

 にへへ、と鼻の下を擦りながら言うと、左右田くんはほっとしたような、しかし、どこか固い表情を見せた。つい眉をひそめながら、左右田くんが引き出しに乱雑にしまいかけていたテストを盗み見ようとすれば、さっと私から見えないように隠した。それが、どこか不自然だった。私の表情を見てなのか、彼は苦笑を零す。

「いや……オレは大した点数とれてないから……」
「……またまたぁ。とか言って、当たり前に九十点台――」

 彼は私に教えてくれたとき、今回の範囲を完璧に理解しているようだった。それに、いつだって理科は九十点後半。百点を取れる分野だってあると言っていた。だから、謙遜かも。そう思ったのに、勉強が好きな左右田くんが、それも私なんかにそんな謙遜をするのか、不自然すぎるほどに不自然だった。彼のことをよく知らない人は、なんとも思わなかっただろう。
 つい、いつもの軽い調子で返して、左右田くんの学ランの袖口をぐい、と引っ張ると、片付けられようとしていた紙きれが顔を覗かせる。やがてその全貌は明らかになり――

「は……え? なに、これ」

 文句なしに、満点のような丸の数。強いて言うなら、凡ミスか何かで三角がついているくらい。
 ――なのに、左右田和一という男の子らしい筆跡の横に書かれた赤色は、紛れもなく『0』だった。正確にいえば、九十八、という数字を二本線で消してあった、その横に書かれていた。胸がざわざわした。嫌な予感が苦い味となって、口の中に広がった。

「……実はよ。…………いや、帰り話す」

 歯ぎしりをして、テストをぐしゃりと握りしめた彼は、私と目を合わせることはなかった。

 ⊗⊗⊗

「天宮のカンニングの手伝いしたんだ」

 橋を渡り始めたとき、今までの沈黙が破られた。左右田くんの口から聞こえた言葉は、あまりにも信じられないものだったので、口を噤んだ。言葉を失った。自転車のギアが回る音が、煩わしい。

「どうしてもピンチだからって。でも、まあそりゃバレるよな。オレと天宮の出席番号は遠くねぇし、よりによってカンニングさせたのが記述が多い理科だったんだからよ」

 重々しい口調なのに、おかしそうに言う左右田くん。ちっともおかしくなくて、それに、未だに状況が呑み込めずに、ついその場に立ち尽くした。左右田くんは、そんな私に構わず、小さな歩幅で進んでいく。天宮が、左右田くんに不正を? そんなの、信じたくなかった。けれど、今日見た天宮の点数が、二人の席の近さが、天宮の反応が、嘘ではないと言っているようだった。

「それで……この間先生に二人呼び出されて。でも天宮はオレが……」

 彼は、一度言葉に詰まると、ぎゅっとストラップを握りしめる手を強めた。

「最後までオレがカンニングしたって言って……」

 彼らしくない少し伸びた爪が、手のひらにくい込みそうになっていた。言葉は、途切れ途切れだった。

「オレも親友だから、まあ一回くらい全然良いだろうって思って認めたんだ」

 はは、と笑顔を貼りつけた左右田くんは、その笑顔とは裏腹にどこか苦しそうだった。どうして、そんなに苦しそうなの。天宮は、何をしているの。

「……何それ」

 口からぽろっと零れた言葉は、未だに状況を咀嚼できていない様だった。左右田くんももちろん完全に悪くないとは言いきれない。むしろ、悪いといえば悪いのかもしれない。けれど、彼が、彼だけがそうやって思い詰めるような表情をするのは、違う。

「もっと上手くやっていればバレなかったかもしれないのに――」
「それは違うでしょ」

 彼の言葉をこれ以上聞いていられなかった。小さな声でもごもごと、いつにも増して背中を丸めて顔を俯かせていた彼は、私の反論の言葉にバッと顔を上げた。スタンドが音を立てて、自転車の後輪を浮かせる。久しぶりに光が当たった瞳は、ほんの少し潤んでいるようにも見えた。ひょっとすると、それは彼だけではないのかもしれない。

「なんで左右田くんだけが悪いみたいになってんの? いや、左右田くんにももちろん非はあるけど、そもそもそれって左右田くんがどうこうじゃなくて、なんていうか……」

 目の前の彼が、レンズ越しにじっと私を見た。まるで私がこれから言う、続きの言葉を待つように。

「そんなの、親友じゃないじゃん」

 怒りか、悲しさか、たくさんの感情がぐるぐる回って、糸のように複雑に絡まる。声が震える。私の信じた二人の関係性が、嘘になりそうで怖かった。けれど、私たちが、二人が今まで通りの関係に戻るには、言うしかないと思った。もしかすると、私のエゴだったのかもしれない。私の唇はかすかに震えているのに、喉は拒絶しているのに、言葉を紡ぐのを止められない。何よりも、怒りが勝っていたせいだ。

「左右田くん、カンニングの手伝いは親友だからとかってするもんじゃないよ」
「っ! それは……」
「……天宮だってそうだ。ピンチなら勉強しなよ。受け入れなよ。左右田くんをカンニングのために使うとか、マジありえない」

 私はいつだって、正論しか言わない。気まずそうな彼に無理やり目を合わせて言う。私から目を逸らさないで。私を見て。私の言葉を聞いて。
 彼はほんの一瞬だけ、目を見開いて、私の目を見た。しかし、それはほんの一瞬に過ぎなかった。

「てかさ、先生もおかしいと思わないの? 今までの左右田くんの成績見てこなかったの? なんで、なんで」
「苗字、もういい」
「良くない」

 ギリ、と歯の奥で音が鳴った。頭に嫌な音が響き渡った。私の知っている二人は、短期間で仲良くなったとは思えないほど、何でも言い合って、ほんの少し羨ましい関係性だったのに。左右田くんを道具みたいに使って、左右田くんも当然のように使われて、そんなの、誰のためにもならない。

「……私、天宮に左右田くんとちゃんと話すように言うよ。こんなの、誰もすっきりしないでしょ」

 アイツだって、あの歯切れの悪さやわざと隠した点数から見るに、罪悪感を持っているはずだ。左右田くんに対して、話したいと思っているはずだ。二人は、親友だったのだから。
 なのに、左右田くんはどこか諦めたように、けれど三人でいたときみたいな穏やかな笑顔を浮かべて、眉を下げた。いつもより大人びて見えるその表情に、つい息を呑んでしまった。

「いいよ」
「なんで――」
「……オレは。アイツがいつも通り話してくれれば、それでいい」

 あまりにも落ち着いた雰囲気でそんなことを言うものだから、これ以上は言葉が出なかった。止まっている私を気にせず、歩みを再開させる彼の背中は、寂しそうなのに、芯が通っているようにも見えた。

「……左右田くんがいいなら、私もそれでいいよ」

 彼は――彼も、天宮とは今まで通りいたいだけだ。だったら、部外者がこれ以上立ち入る隙はない。明日も、明後日も、今まで通りの関係が続くことだけをただただ願って、左右田くんから遅れをとりながらも、自転車を押し始めた。

 ⊗⊗⊗

 チョークが砕ける音がした。社会の先生が手を滑らせてしまったらしい。受験生モードに入っている生徒は一割ほどしかおらず、テストが終わった気の緩みから、隣の席同士で雑談を交わしたり、私語をしている者が多かった。おまけに先生の授業は、先生も楽をするためかプリントの穴埋め形式だったので、つまらなくて寝ている人も何人かいた。いつも通りだ。
 ただ、いつも通りじゃなかったことは、天宮だった。左右田くんからあの告白を受けて三日が経過しようとしていた。なのに、天宮は左右田くんだけでなく、私まで避けるようになっていたのだ。私が話しかけようとしても、休み時間になるとふらっとどこかに消えてしまう。彼も私も、今まで通り楽しく他愛のない会話ができるのを待っているのに。

 授業開始から十五分、ギギ、とゴムと何かが擦れる音が立った。ざわついていたクラスメイトの視線が一気にこちらを向いた。一番前に座る左右田くんが、二度見をした。目を見開いた。

「天宮」

 整っているはずなのに、近くにいるせいかパッとしない顔が崩れた。落書きをしていたらしい右手が止まった。あんなにうるさかった教室がシンと静まり返った。紛れもなく、私のせいだった。自分の席を立ち、そのまま天宮の席の机に手を置いた、私のせいだった。

「苗字、授業中だ。いい加減受験生になる自覚を持ちなさい」
「……天宮、ちょっと顔貸して」
「苗字」

 さっきまで真面目に聞いてたんだから、他にももっと注意をするべき人はいるでしょ、なんて鼻で笑いそうになりながら、天宮の手首を掴んだ。本人も、周りも、何が起きているのかを一切把握できていない。しかし、私がぐい、と腕を引っ張っても、反対に引っ張り返されて、天宮がその場から動くことはなかった。
 先生が語気を強めて、私の名前を呼ぶ。周りの生徒たちが知らないふりをしているのが見える。「苗字、終わったな」とでもいうように。けれど、そんなことはどうでもいい。今更社会の成績に一がつこうが、なんでも良かった。

「先生、私今から天宮に告白するんで許してください。……ほら、来て」

 彼の反抗の力が弱まった。先生からの圧が消えた。皆がガン見をしてくるようになった。こんなこと言われたら、先生だって邪魔できないでしょうよ。私と天宮が二人で話せる時間は、授業時間しかない。
 呆気にとられている天宮の腕をくい、と引っ張ると、背後から誰かが口笛を吹く音が聞こえた。教室から出る間際に振り返れば、左端の一番前にいる生徒があまりにも間抜けな表情をしているもので、状況に見合わずつい息が漏れた。

 教室のドアは締め切ってあるから、私たち以外には私たちがどこに向かうのかはわからない。私は天宮を引っ張って中庭に行くと、壁にもたれかかった。冬服に、塗装の白が付くことだって今は厭わない。目の前の彼は、わざとらしくはぁ、と溜息をついた。

「名前、とうとうおかしくなったのか?」
「私だっておかしくなりたくてこんなことしてるんじゃない。アンタが避けるからでしょ」
「別に避けてねぇよ。……だったら普通に休み時間に呼べよ」
「はい嘘。休み時間にいないから今連れてきたんじゃん」

 早く戻りたい。そう言う代わりに、天宮のつま先が地面を叩く。視線が私からずれる。授業に戻りたいのか、この場から逃げたいのか。どちらともとれる具合だった。数日前まで寒そうだった木が、薄い緑色の葉をつけている。明るい春の匂いがしてきたのに、私たちが春を迎えるにはまだ早かった。すう、と息をするコンマ数秒が、彼の視線を奪った。

「……左右田くん」

 天宮の肩が、わかりやすすぎるくらいにびくっと跳ねた。かと思えば、はあ、と溜息をついて、私の隣に並ぶように壁に体重を預けた。それから乾いた笑いを漏らした天宮は、ようやく私と目を合わせた。

「左右田くんから聞いた」
「……それで、なんだよ。俺のやったことを学年に広める? それとも先生にチクるってか?」
「違う」

 私の素早く入った否定の言葉に、天宮が小さく驚きの声を漏らした。少ない葉がガサガサと音を鳴らして、ぬるくて気持ちの良い風が校舎と校舎の間を吹き抜けた。天宮はクラスでもムードメーカーだし、何より私たちの親友だ。何も私たちは彼の株を落とすような真似をしたくない。第一、当事者の左右田くんはそれを望んでいない。ぎゅっと短いスカートの裾を握ると、唇を噛んだ。皮がめくれそうだ。

「左右田くんは別にそれは望んでない。私だってそう。左右田くんは、アンタと今まで通りいたいって思ってるんだよ。私も、今までみたいに三人でいたい。……親友、だから」

 天宮の短い髪が風で揺れた。私と、何より左右田くんの思いは伝わるかな。絶対に伝わる。私たちはなんだって話せる親友だから。ぎゅっと手に込める力を強めてから、『天宮』と書かれた上履きに目を遣って、視線を上へと持ち上げた。第一ボタンが、開いている。

「天宮。左右田くんと話し合って、謝って。それで今まで通りやろうよ」

 やっとのことでかち合った視線。なのに、彼の表情は、苦虫を噛み潰したようで、耳のあたりがぞわぞわした。嫌な予感がした。嫌な予感がして、すぐだった。

「うっせぇ、部外者が口出しすんな」

 舌打ちが鳴って、それからの言葉はあまりにも淡々としていて、私を黙らせる。これ以上踏み込むなと突き放してくる。その通りだと思った。親友なのに、と思う反面、当事者でもない私が本人たちの意志を無視して勝手に進めるなんて、とつい押し黙る。
 天宮が、眉を八の字にして、寂しそうに笑う。彼の表情の意味がわからないで口を半開きにしていると、ふ、と息を漏らした。

「俺だってわかってんだよ……」

 その声は、自分を責めるようだった。今にも涙が溢れそうな声で、私まで胸がかき乱されそうだった。天宮は、薄い雲が広がりつつあった空を見上げた。きっと彼も、心は左右田くんと私と同じだ。心ではわかっているのに、心に正直に動けない。きっと、そうだと思う。喉から何かが込み上げるような心地がした。
 はあ、と彼の口から漏れた小さな溜息が、今度は私の肩を震わせた。溜息のせいだけじゃない。彼の表情が、三人で並んで歩いて、馬鹿をやっているときみたいな、柔らかいものだったから。

「俺さ」

 次に続く言葉を聞きたいのに、聞きたくない。彼の、優しいのにすべてを諦めたみたいな表情が、私の頭を左右に振らせる。やめて、聞きたくない。そうやって拒絶するように。天宮はそれに反して、私の肩に手を置いた。冬服が、少しだけ暑い。触れられると、さらに熱を感じて、暑い。私のことなんて気にせずに――ひょっとしたら、ほんの少しは気を遣ったのかもしれない。彼が、次の言葉をつくるまでに時間が少しかかっていたから。
 彼は、私の見慣れないような表情で微笑んで、その頬は少しひきつっているようにも見えて――

「名前のことが好きだったよ」

 やめて、やめて。その言葉は、私たち三人の関係に終止符を打ったも同然だった。天宮と左右田くんも、天宮と私も、もう今まで通りでいられない。親友という言葉がいとも容易く、ドミノ倒しみたいに崩れていく。
 暗闇に落とされるような心地がした。これ以上、何も言えなかった。天宮はそんな私を見て、また優しげに微笑むと、肩をとんとんと叩いた。

「こんなんで三人今まで通りとか、無理だな」

 言わないで。今まで通りがいいよ。その言葉は喉のあたりで絡まって、つっかえた。何も言葉が出てこない私に、後ろ髪を引かれるように数歩ずつ離れると、何も言わずに校舎へと消えていった。私も、何も言わずにその場に立ち尽くすことしかできなかった。

 教室に戻らないと。そう思っているのに、なかなか足がそちらを向かなかった。もう一度壁にもたれて、そのままずるずるとずり落ちるようにその場にしゃがみ込む。タンポポの芽が、随分と伸びていた。それを足先で踏んでしまって、ゆっくりと退けると、茎の部分がぽっきりと折れてしまっていた。
「親友」なんて言葉は、思っていた以上に簡単で、脆いものだったのかもしれない。何もしなければ、今まで通りにいられたのだろうか。もし、私のせいでこんなことになってしまったのだったら。部外者の口出しが招いてしまった悪夢なのだとしたら。

「はは……振られちゃったよ左右田くん」

 下手くそな鶯の鳴き声が聞こえる。春の匂いが濃くなってきた。木漏れ日が、校舎に影となって映る。私たち三人の関係は、たった三ヶ月という期限つきのものだった。

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