もしも首が刎ねられるなら

 二つ並んでいた影が、三つに増えた。まるで油芋を食べているかのような音が、落ち葉を踏む度に足元で鳴る。冷たい、冬の匂いがしてきた。歩幅や歩調は誰に合わせるでもなく、自然と三人とも揃っているのだ。この光景が当たり前になってから二週間。通りがかったスーパーマーケットでは、ジングルベルが奏でられていた。

「さっっっむ!」
「まだマシだろ?」
「うっそ! カーディガンの下に四枚は着てるんだけど」
「そんなやっったら短いの穿いてるからだって。なあ?」
「あー……それはオレも思う」
「下は寒くないから!」

 まだマシ、なんて、これから先の季節が思いやられる。一月なんかになると、地面は凍るし手はかじかむしで良いことがない。それでも、エアコンがない教室にストーブだけは常備されているのが救いだった。朝ご飯を食べ損ねたときなんかは、食パンだって焼ける。
 鋭い冷たさが、目に染みる。ガラスのように硬くて冷たい空気に、うう、と声を出す。それにもかかわらず、まだ大丈夫だと言う天宮は学ランを脱いでワイシャツ姿になっている。左右田くんは、髪から覗く耳をほんの少し赤くしていた。
 あんなに暑かった五ヶ月前が嘘のようだ。一年中、九月や十月の気候のままならどれだけの命が救われるだろうか。

「寒がりなんだな」
「女子は寒さに弱いんです」
「あー、確かに。ストーブであっちぃのに毛布使ってる奴多くね?」
「でも今でそんなだったら冬乗り切れねぇぞ」
「もう家から出ない……」
「とか言いつつなんだかんだ皆勤なんだろ」

 橋を渡り始めると、いっそう強く風が吹いた。木の葉が宙を舞って、髪が流れる。思わず目を閉じてしまうほどの寒さに、また愚痴を零せば、左の二人は粗雑な相槌打った。

 ⊗⊗⊗

 十二月も頭、過ごしやすくも寒い気候がいっぺん変わった、期末試験の返却日。またしても左右田くんのおかげで、今度は教科によれば学年二十位、なんてものもあった。二学期から三度の席替えが行われ、すべて左右田くんとは決して近くはなかったけれど、休み時間になるといちいち報告をしていた。数学や理科の先生も、私の著しい成長には目を見張っているようだった。

「名前マジでどうしたん? なんか夏くらいから頭良くね?」
「でっしょ。ちょっと勉強頑張ってんだ」
「うーわクソ真面目。私ら絶対来年の今頃になっても勉強してないわ」
「勉強しようって思うのがマジすごいよね」

 最後の国語のテストが帰ってきたその日のホームルーム、担任から返ってきた個票を友人二人と見せ合うと、二人も驚きを隠せない様子だった。進級してすぐの実力テストや一学期の中間試験の結果を考えれば当然の反応だと思う。まさかあの低レベルだった私が、左右田くんと自身の努力によってここまで報われると思わなかっただろう。数学なんてほとんど解法暗記の問題もあるけれど、それでも以前よりは頭が柔らかくなってきたような気がする。勉強を頑張ってる、と言っても二人はいつも通りであったことに安堵した。先生が手を叩くと、私を含めた皆は仕方なし、とその場を解散するように席へと戻った。

 変わり映えのないチャイムは、今日はスピーカーから聞こえてこない。誰が勝手に調整したのか、スピーカー音量がゼロになっていた。廊下からかすかに聞こえるベルの音に、先生が溜息をついてスピーカー音量をマックスにすると、生徒たちは教室から飛び出す。部活に行く者、いつかの誰かさんのようにさっさと家に帰りたい者、面倒くさそうに掃除用具箱に向かう者。その中で私は、ほんの少し猫背で、襟足がわずかに伸びた、彼の姿を捉えてはスクールバッグを持った。

「もう帰る?」
「……あー、そうだな」

 今日の左右田くんは、どこか煮え切らない返事。いつもならスクールバッグを既にショルダーバッグの形にして、ドアのところに待機しているはずなのに、今日は椅子から立った状態から動かない。何か用事があるのかと首を傾げる間もなく、左右田くんの手には柄の部分に『左右田』と書かれたドライバーが握られていた。技術の授業は五限だったのに、と今度こそ首を傾げた。

「早く帰っていじりたい?」
「お、おう。それはいつものことなんだけど、なんつーか……」
「なんつーか?」
「……ちょっと予想外の改造とかしてみたくてよ」

 先程の授業の余韻か、左右田くんの手元でくるくるとドライバーが回る。ペン回しをするように回っている。今にもエンジンを改造したい、とでもいいたげに。
 左右田くんが家でできる改造や分解は、左右田くんの私物もしくはガラクタに限るらしい。私はそう機械系の私物はないし、勝手にお父さんのコンピューターやらを改造したら私の首が飛ぶ。予想外のもの。うーん、と二階の窓からグラウンドを眺めると、サッカー部のリフティングに、野球部のバッティング。私の視線が幅跳び用の砂場を超えたところで、一つ、小さなボックスのような物が目に入る。つい、「ねえ」と手元をいじくる左右田くんに声をかけた。

「あのさ、余計な提案だったらアレなんだけど」

 私の言葉に、手元に向けられていた目がこちらを向く。三白眼気味のそれは、睨んでいるようにも見える。

「一回学校のものいじってみたくない?」

 私の、優等生とは程遠い提案に、彼はなんと言うだろう。もしかしたら、ノーかもしれない。しかし、今の彼の気分の高揚具合と、私たちの関係性を見れば、答えはほぼ一択だった。

「正直、スゲェやりたい」
「そうこなくっちゃ」

 左右田くんは、ドライバーを勢いよく工具セットにしまうと、にやにやを抑えきれないといったように口端を動かした。
 完全下校までのタイムリミットは約二時間。明日にするかと聞いたけれど、左右田くんは今すぐにでも改造がしたくて堪らないらしい。鉄成分に触れたくて堪らないらしい。私には到底理解できないその行動でも、左右田くんが楽しいなら私も楽しいに違いない、と左右田くんに自転車を貸した。走るのは体力が勿体ないし、圧倒的にこちらの方が効率が良い。乗り物酔いなんて我慢しろ、と笑えば、左右田くんは渋々高さの合っていないサドルに跨った。そして、律儀にもほとんど使っていないヘルメットを被るものだから、つい笑ってしまった。

 冬休みの事前課題。左右田くんが息を切らして自転車庫へと戻って来たのが、大工作のスタートの合図だった。適当に停めた自転車。思っていた以上に少ない荷物。いつもはかけない自転車の鍵が、左右田くんの手に握られている。ちゃんと鍵かけろよ、というひと言を添えて。
 私が目をつけていたのは、グラウンドに転がっていたラインカーだった。もしかすると、他にも体育用具庫には面白いものがあるかもしれない、と左右田くんの腕を引っ張った。
 一時間半の大勝負。用具室で誰にもバレないように、高跳び用のマットの裏に潜んでは工作をする。まだ、運動部の声がよく聞こえる。仮にエンジン音がうるさくても、暴走族か用務員のおじさんに責任を擦り付ければいい。

「ドキドキするね。悪いことしてる気分」
「実際悪いことだからな」

 マットにまるで自室のベッドかのように転がる私に目を向けず、左右田くんは手元の作業に熱中している。大した道具は使わないんだ、なんて思っていたのが馬鹿らしくなるくらい、どこからどう見てもエンジンなるものが完成しつつあった。あのガラクタのような部品が、どうしてこうなったのか。作業をじっくり横で見ていた私すらわからなくて、なおかつ彼の集中力は凄まじいものだった。
 五時四十五分の完全下校。それまでに間に合うだろうかと、用具室にかかった五分遅れた時計を見ていた。それまで、では駄目だ。サッカー部や陸上部が片付けに来るまでの、残り数分間。左右田くんが何を作っているのかはわからないけれど、緊張と興奮で心臓がうるさく鳴っていた。この数年で、ここまで私のことをドキドキさせているのは、左右田くんだけだと思う。
 金属のぶつかる音、エンジンの試運転。どこかの顧問の指導の声に、カラスの鳴き声。私と彼の呼吸音。色々な音が混ざっているのにもかかわらず、秒針が沈黙を引き立たせている。その沈黙を壊したのは、左右田くんのついた息だった。それは、私と左右田くんの事前課題の終わりを告げた。

「……できた」

 左右田くんが、身体の後ろに手をついて天井を仰ぐ。用具庫ゆえに寒さはマシとはいえ、お世辞にも暖かいとはいえないこの季節に、額に汗を滲ませている。その表情に浮かんでいたものはまさしく、「達成感」だった。

「……マジ? マジでできたの? この短時間で?」
「そりゃまあ……機械いじるのは好きだし」
「はぁ……」
「……って、元は機械じゃねぇか」

 正直、二時間を切った状況から何かを生み出すのは難しいのではないかという前提のうえで提案をしていた。しかし、以前に精米機を直してもらったときのあの手際の良さや、左右田のあの部屋の散らかり具合から見て、この結末が予想できない方がおかしいのかもしれない。私が思っているよりも、「好き」のパワーは大きかった。
 随分重さの増したラインカーは、見た目は馬鹿みたいに派手になっているけれど、一応手押しして使えるらしい。白い粉を零しながら、用具室の外へと手押しする。耳が切れるような、ツンとした寒さに触れた。

「これ、ここ押したら走るの?」
「ああ、その予定」
「すっご。……へえ。やっぱり車系なんだね」

 ハンドルの部分についたON・OFFのスイッチ。体積が二倍になったボディの部分。これが左右田くんの趣味だなんて、私が乗るバイクは大変なことになりそうだ、と苦笑が漏れた。部活動場所から外れた、ひとけのない、体操用の鉄棒。その砂場に置いて、試運転をしようと考えたのだ。
 オメーが押していいぞ、なんて言われたものだから、喜んでその役を引き受けた。綺麗に線は引けるのか、もしかしたら自力で軌道修正をして綺麗なトラックが引けるのではないか。わくわくが止まらずに、少し伸びた爪で、スイッチを押した。

 しかし、そのわくわくは間もなく焦りに変わり、やがて恐怖に変わる。ボタンを押した途端、ブルンブルンと暴走族のバイクよりも暴走族らしい音をかき鳴らしてはグラウンドを一直線に走り出した。おそらく、公道を走っている車よりも速いスピードだった。フェンスにぶつかるかと思いきや、見事に元から穴の空いていた部分を通り抜けて――具体的には少しだけ崩壊させて、そのまま道を一直線に駆けていき、やがて姿を消した。あまりにも一瞬の出来事に唖然としていると、周りにいる運動部たちも、もはや飛び出そうなほど目を丸くしていた。恐る恐る、隣に佇む彼に目を遣ると、喜びと恐怖、どちらともとれる表情をしていた。

「……完全にやらかしだね」
「やべぇ……どうするよ……ぜってー怒られる……」

 私が言葉を発すると、左右田くんの顔がみるみるうちに真っ青に変化していく。これは、相当焦っている。その場にしゃがみ込んで、私よりもひと回り大きな足跡が砂場に残って、さらにそれをくっきりとしたものに変える。前髪の下に両手をくぐらせ、頭を抱えてはマイナスな言葉をつらつらと述べるので、息が零れた。校庭から逃げ出した改造ラインカーのタイヤ跡を目で追ってから、左右田くんの前に屈んだ。

「一緒に怒られよう」

 左右田くんの顔が、ゆっくりと上がった。

「は、なんでオメーまで……」
「めーっちゃ怒られたくなさそうじゃん? 二人にしたら罪悪感も半減でしょ。そもそもこれ提案したの私だし。てかさ、こんなにすごい技術、怒る方がおかしいと思わない? あ、なんなら逃げちゃおうか」

 私はいつだって正論しか言わない。そう自負している。思い詰めたような表情は、やりきった左右田くんには相応しくない。わざとおちゃらけるように言えば、呆気にとられるように口を開けた。それから、呆れたように笑う。

「はは、そうだな。……逃げるか」

 その言葉を聞いた私は、彼の手を取った。そのまま走って自転車庫を通過して、すぐさま校門を後にした。その最中の必死さとドキドキ感を思い出しては、おかしくてしばらく笑いが止まらなかった。

 次の日の朝、ホームルームが終わると、左右田くんは担任と学年主任に「あんなことできるやつはお前しかいない」なんて褒め言葉半分に呼び出されたので、約束通り私も一緒にこっぴどく怒られた。
 弁償にならなくて良かったね、と笑うと、左右田くんは心からほっとしたような息をついた。逃げるか、なんて言っていたけれど、内心はやっぱりビビり左右田。心臓が痛かったらしい。教室に帰ると、席に着いた左右田くんに、目を輝かせた天宮がこう放った。

「和一、お前あんなん作れんの!?」

 ⊗⊗⊗

 冷めてきた、お世辞にも温かいとはいえないカイロをハンドルと一緒に握っては、自販機の前を通過する。そのラインナップは未だに冷たいコーラなどの炭酸ジュースやコーヒーばかりで、冬だということを忘れそうだ。青色が並んでいるのを見るだけで、身震いしてしまう。

「ねえ、なんで天宮は左右田くんと急に仲良くなったわけ?」
「急にじゃねぇって。元々機械系の趣味があるのは知ってたんだけどさ、あんなカッケェの作れると思わなかったんだよ」
「え」

 私の発した一秒未満の短い母音に、左右田くんと天宮が首を傾げた。だって、左右田くんは前に天宮に話しかけられたとき、私と初めて話したときのようだった。だから、仲が良いなんていうのはあの場で適当についた嘘か何かだと思っていた。

「……知ってたの?」
「は? 当たり前だろ? 去年意気投合したって言ったじゃん」
「いや、天宮がなんか無理やり絡んでんのかと思った。左右田くんも反応微妙だったし」
「帰りは被らねぇけど去年は一緒にいることが多かったんだ」

 じゃあ、あの日の帰りに言った、「左右田くんと私の方が仲が良い」的宣言兼天宮へのマウントは、実はそうではなかったということか。天宮への敗北感と左右田くんへの気恥ずかしさで、白い息が上がった。

「もー! 私だけの特権かと思ってたじゃん」
「俺こそ名前が和一にやたら絡んでっからカツアゲでもしてんのかと思ったわ」
「してない! 超対等なお友達! ちょーっとお釣りが来るかもしんないけど……」

 カツアゲなんて酷い。左右田くんとは何かと半分こ、むしろお礼に奢ったりする関係性だというのに。天宮が惚れた改造ラインカーだって、二人で生み出したようなものだ。
 すると天宮が左右田くんに目配せして、そんな左右田くんはどうしたんだ、と首を傾げた。今日も、あの日の雨宿りのお店のシャッターは下りていた。天宮は、あー、と零して、左右田くんに笑いかける。

「まあ、今年になって部活の奴らといたから距離感がわからなくなったっつーか……お互いよそよそしかったのはそれはあるかもな」
「あー……オレも二年になってまともに話したのは苗字が初めてだったしよ」
「……きゅんとした」
「いやなんでだよする要素なかったろ!」

 今年初めてが私だなんて聞いたら、嬉しくもなるでしょ。といっても、鋭いツッコミを入れている側の方が、顔を赤くしている。天宮の乾いた笑い。
 左右田くんが去年仲が良かった天宮と、左右田くんが今年初めてまともに話した私。その三人が歩いているなんて、少しおかしい。私は派手な部類で、左右田くんは地味な部類、天宮は私寄りといえ中立。特定のメンツと絡みがちな私と、一人でいがちの左右田くん、誰とでも仲良くなれる天宮。そう考えては、気持ちの悪い笑い声が聞こえて、二人の反応からするに、それは私の声らしかった。

「私ら傍から見たら変な組み合わせかもね」
「お前が異物なだけだろ」
「ひっどい! そんなのアンタだって左右田くんと一緒とか意外だからね」

 自転車を押しながらの攻防戦。左右田くんは、まるで関係ないかのようにこちらを見ているから眉をひそめれば、天宮も私の視線の先を見て、それから小さく笑った。

「まーでも、この時間は結構楽しいわ」

 何気なく吐かれたようなその言葉に、私と左右田くんは唖然とした。すずめの鳴き声と、冷たさだけを感じるその沈黙に耐えきれなくなったのか、天宮が舌打ちをした。彼にとってもまた、この空間は「楽しくて仕方ない」空間なのかもしれない。つい口角がぐんと上がると、ハンドルの片方を離して天宮の肩を組む。天宮は払い除けようと身体を捻りながら暴れ、左右田くんは「また転ぶぞ」と言った。

「あは、来年の夏祭りは天宮、川崎、鈴木、左右田になってるかもね」
「……オメーは?」

 何気なく言った言葉に私の名前が並んでいなかったのは、私が女子だからだろうか。それとも、左右田くんのことを考えていたからだろうか。彼の純粋な質問に、「え」と漏らせば、天宮も「な」と頷く。

「来年は俺、和一、名前だろ」

 さも当然のようにそう言う天宮に、またしても今度は私だけがぽかんとする。その表情を見て、彼らは顔を見合わせてはこてんと首を傾げた。そっか。当然だけれど、二人の中に「私」がいるんだ。自然と、子供みたいな笑い声が漏れ出た。冷たい風が吹き抜けても、気にならなくなっていた。

「あははっ、私ら親友みたい」

 親友、なんて浅くて薄っぺらな言葉だとは思っている。けれど、今この瞬間、私たちは紛れもない「親友」だと思った。もしかしたら、二人にとっても、お互いに信頼できる相手なんじゃないかって。
 冷たさが、かえって心地よかった。色々な感情が入り交じった結果として、白い息になっているような気がした。

「なんかお前が言うと寒いな」
「一番親友って言葉が似合う女でしょ。さいってー、親友から除外します」
「おい。俺も和一と親友だから」
「私いなくなってんじゃん」

 天宮の帰る方向への分かれ道は間もなくだった。やいのやいのと子供の言い合いをしながら分かれると、ついに私と左右田くんだけになった。
 さて、何を話そう。今日、今から私の家に着くまでの数分間で、左右田くんに話したいことはたくさんある。頭の中で何を言おうか、文字を並べ立てていると、私の隣に湯気のような煙のようなものが上がった。そちらを見ると――

「……親友、か」

 左右田くんが寒さによるものか、頬を染めて、今までに見たことがない表情を浮かべていた。

top