苦手だけど大好きな目
朝になっても下がるどころか上がっていた。
社長は一応、部屋には来てくれたがいつものように朝食は食べず、行ってくると言ってすぐに出ていった。
体調が悪いのを気づかれなくてよかったと思っている。
なんとか朝食を食べ切って私はすぐに横になった。まだ熱が上がりそうなのか、少し寒気がする。
「もう、最悪……」
社長が帰ってくるまでに熱が下がればいいなって思いながら、ボーっと天井を見ていたらいつの間にか眠っていた。
昼食はどうされますかと聞かれたような気もするけど、もうわかんないや……。
胸……背中? 肋骨なんだろうけど、痛いなぁ。息も苦しい。
真っ暗だなぁ。夜……かなぁ。
頭の中に響くように優しいけど悲しい声が聞こえて夢の中なのだと感じた。
『リク、ごめんね。おかあ、もう長くないみたい』
病院のベッドだ……。待って、待っておかあ。一筋の涙が私の頬を伝って落ちた。手を伸ばすと緑色の光の帯となって、掻き消えてしまう。
また私の周りが真っ暗になる。光のない闇の中だ。
『悪いな。リク……』
おとうの声だ……。子供の頃、夢の中で聞いた声。そうだ、次の日、目が覚めたら……。
宙に浮いた足……。あぁ……ああぁ……。
『なあリク、大人になったらキミのこと――』
『リク!』
やだ、やめて! もう、名前呼ばないで……! 聞きたくない、聞きたくない!!
私を呼ぶ声が波紋のように広がる。籠っているようで響くような。そしてすぐに凪いでいく。
ずぶずぶと底無し沼にはまっていく感覚がする。足元を生温い感触が包む。助けて。誰か……。
「た、すけ……るー……」
「リク! リク!!」
「っ! ぅ……」
何度も私のことを呼ぶ大きな声に弾けるように目が覚めた。吐きそうになるのを咄嗟に堪えようとしたけど、胃液が喉まで迫り上がってくる。
「気にせず吐きなさい。楽になる」
そう言って大きな手が私の背中の左側をさする。骨折部分に配慮してくれたらしい。
結局我慢できなくてシーツの上に戻してしまった。苦しい今、痛み止めの切れた肋骨はかなり厄介だった。
「ケホッケホ……いっ……ごめ……な、い」
社長が大丈夫だ、と言いながら頭を撫でてくれる。
少し落ち着くとお世話をしてくれている人が歯ブラシとうがい用の水と受け皿を持ってきてくれた。
歯を磨いて口をゆすぐとスッキリした。胃液で焼けた喉が少し痛いけど仕方ない。
新しい痛み止めを飲んで、新しいシーツに換えてくれたベッドにふらりと腰掛けた。まだ熱でボーっとする頭で時計を見ると昼の2時じゃないか。
「社長、お仕事は……?」
「そんなものはどうでもいい」
どうでもって……。でも今、1日ぶりに社長と目が合って嬉しくなる。
「キミを任せた1人から連絡を受けて戻ってきた。朝から熱があったそうだな。思い返せば昨日の夜、君の手は熱かった。気づかなくて悪かった」
「なぜ、謝るんですか?」
「知っていたら行かなかった」
「だ、ダメですよ!」
「1日くらいどうにでもなる」
とんでもないことを言うから言葉を失ってしまった。社長、なのに……。
私が黙ったことで沈黙が生まれてしまう。朝のように空気がまた重くなった。
何か喋ったほうがいいのか考えていると、社長が横に腰掛けて私の手を包み込んだ。そして静かに口を開く。
「随分とうなされていた。どんな夢をみていた?」
「……」
「話したくないか?」
そう聞かれて首を横に振った。でもどこからどう話せばいいか……。
「ゆっくりでいい」
「…………母と、父が、声が聞こえて、亡くなった時の……。母は私が12の時に病気で……父は……父は、っ……」
堪えきれずに泣き出してしまう。社長は何も言わずに抱きしめてくれた。久しぶりに社長の体温に触れた気がする。
私は社長のスーツの胸元を掴んで泣きじゃくった。いつもピシッと着こなしているそれはシワの跡がつくだろう。
「父は……っ」
「無理に話さなくてもいい」
この話を社長にするのは酷だろうか。最初の原因は神羅26号の打ち上げ失敗による計画中止なのだ。
「私を恨め。キミに恨まれるならそれも本望だ」
耳元でそう聞こえて涙が止まった。この人は知ってたんだ。会社が潰れただけではなく、おとうが自殺したことを。
違う。社長を恨むのは違う。悪いのは社長じゃない。プレジデントでもない。そのあとの宇宙進出への計画がなくなったことでもない。
よく村の人の家電も格安で修理を引き受けていた。村の外から来た人間に騙されたこともあった。おとうの人が良すぎて、もともと経営も限界だったのだ。
計画中止は1つのきっかけにすぎない。おかあが先に逝ってしまったことで、支えるものがなくなってしまっただけだ。
私は、《違う》とまるで駄々をこねる子供のように社長の腕の中で首を振った。
「社長の、せいじゃ……ない……。本当に誰も、何も、恨んでません」
頭を撫でてくれる社長の大きな手。少しずつ落ち着きを取り戻してくる。微かにありがとうと聞こえた。
思いっきり泣いたせいか目眩がしてきた。社長がそれに気づいたようで横になりなさいと言ってくれた。もう一度眠るといいとも言われたけど、眠れる気がしなかった。
「眠れないなら出て行ったほうがいいか?」
「ここに、いて欲しいです」
わずかに首を振って、今度は私が社長の手を取って見つめた。社長の手が躊躇いがちに握り返してくれる。社長の瞳がまた揺れた。
「勘違いするぞ」
「ふふ、いいですよ」
私は昨日、たった1日で社長がいないと寂しいと気づいてしまった。この人の目が逸らされると、悲しいと気づいてしまった。それは今、社長のお家に居候させてもらってるからかもしれない。でも社長の出勤前と帰宅後の挨拶は戸惑いから心地よさに変わっていた。
「自惚れてもいいのか?」
「…………?」
社長は深呼吸するように一呼吸おいて、青い目が私を射抜いた。やっといつもの、透き通った宝石のような社長の目だ。
「話したいことがある。キミの怪我が治ってからしようと言っていた話だ」
あまりにも真剣な目に私はゴクリと唾液を飲み込んだ。
「子供の頃からずっとリクが好きだった。両親の仕事を真剣に見つめてる姿も、私より幼かったのに小さいことでも手伝って技術を身につけようとしていた姿も。長い時間ぼーっと考え事をしている姿も。すべて好きだった。親父からキミが許婚だと聞かされた時、これ以上ないほど嬉しかった」
いいなずけ……? 今、いいなずけって言った……!? 私が社長の?
「その顔はやはり知らなかったか」
「だって、そんな話……」
「キミは私より4つ年下だ。まだ幼かったから話さなかったんだろう。それに、なくなってしまった話でもあるからな」
「あ……」
神羅26号の打ち上げ失敗による計画中止……。
「キミの考えた通りだ」
そのあとも社長がまるで懺悔をするかのようにポツポツと語ってくれた。
「神羅26号の計画がなくなりキミの実家へも行くことがなくなって、ずっとリクのことが気がかりだった。副社長になってある程度の力を得た時、キミのことを探したらロケット村からいなくなった後だった。親父には許嫁候補ならいくらでもいる、忘れろと何度も言われたが出来なかった。他の町や村も、スラムも一通り探したんだが、キミはいつの間にか我が社に入社して整備士になっていた。やっと見つけてほっとしたものの、キミはまったく私のことを覚えていなかった」
社長の目が少し悲しげに揺れた。自嘲するように笑って続ける。
「一体キミは入社するまでどこで何をして生きてきたんだ」
「見落とされちゃったみたいですね。一つのところにとどまらないで、スラムを転々としていました。捨てられたものや壊れたもの、廃材を拾って修理をして、それを売って生きてました」
「たくましいな」
「褒めてますか?」
そのつもりだと社長は笑った。
「昨日は……いや、一昨日はすまなかった。振り向かせようと必死な時に、邪魔をされたとあの男が気に食わなかっただけだ。大事にするつもりだったのに、リクを怖がらせてしまった。みっともないことをした自分が腹立たしかった」
「私、びっくりはしましたけど、怖くはなかったですよ?」
社長は一瞬、私をじっと見て優しく目を細めるとよかったと呟いた。
「キミが変わっていなくて安心した。リク、改めて言わせて欲しい。今でもキミのことが好きだ。私の恋人になってくれないか」
息どころか時まで止まった気がした。社長の青い目が私を貫く。整備場で会ってから私を捕らえて離さない、いつもの目だ。私の苦手だけど、でも大好きな目だ。
「私で後悔しませんか?」
「キミを一人にしてしまったことの方が後悔している。返事は?」
「イエス、しか許してくれないんですよね」
「よくわかっているな」
「ルー、私も好きです」
社長が驚きで目を見開いている。さっきの夢で思い出したのはつらいことだけじゃない。
確かに私は小さい頃、社長と会ってる。ルーファウスと上手く発音できなくて、ずっとルーと呼んでいた男の子。
親の仕事で何も知らずに一緒に遊んでいた男の子が、後の大企業の社長だなんて誰が思うだろうか。
「リク」
「あと今のセットされた髪も、下ろした髪も両方好きですよ」
そういえばと思ってここに来た日の夜に聞かれた、どっちが好きだ?を思い出した。
「まったく……。なあリク、キスしてもいいか?」
社長が片手で顔を覆って肩を震わせている。え、聞くの? 今更!?
「そ、それ、今更、聞くんですか? あんだけ、さんざん……」
社長はニヤリと笑って、ああと答えた。唯一動かせる左手は社長に握られてる。わざとだ。私が慌てるのをわかっててわざとやってる……!
「か、風邪だったらうつりますよ!」
「体調管理は問題ない」
そう言ってじわじわ近づいてくる。
「味見をするだけだ」
「も、もう、しましたよね」
「ならつまみ食いか?」
ベッドに横になってるから逃げ場がない。恥ずかしくて目を瞑った。手をついたのか私の肩口のマットレスが少し沈み込んで社長の柔らかい唇が額に触れた。
くすぐったくて恐る恐る目を開けたら、勝ち誇ったように笑みをたたえている社長の顔が目の前に見えた。
「これ以上、熱が上がったら困る」
「遊ばないでください……」
「だから遊んではいない。額で我慢しただけ褒めてくれ」
が、まん……って。困るも何も絶対に今ので熱上がった……。
「やっと、手に入れた」
社長のほうが熱がありそうな低い吐息混じりの声。まるで浸食されるように体の芯に響いて来た。
なんだか私もほっとしたみたい。また眠たくなってきた。
「社長、わたし、ねむく……」
「眠りなさい。ここにいてやる」
小さく頷いて私は目を閉じた。握られた左手の温かさと、私の頭を髪を梳くように優しく撫でる大きくて綺麗な手が心地よくて、今度は幸せに浸って眠ることができた。
私はたぶん、これからずっと、この人の目から逃げられない。- 10 -*前 次#
Moon Fragrance