不安で冷たい青
数日が経ってやっと2回目の診察日。今日も朝から社長と一緒に出社して医療フロアへと向かう。先週と違って今日はレントゲン以外は常に社長が横にいた。仲直りしたんですね、と笑われて、そうですねとしか答えられなかった。
「肋骨はまだもう少し掛かりそうですけど、痛みはマシになってますよね?」
「た、たぶんですけど」
「たぶんかぁ。で、右肩の方はそろそろ大丈夫ですね。骨はくっつく時に関節が硬くなって動きづらくなります。無理しない程度に明日からしっかりリハビリしていきましょう。固定も痛くなければ外しちゃっていいですよ」
「し、仕事は……?」
「本当に仕事が好きですね。無理をするような動きをしなければ大丈夫ですよ。違和感を感じたら必ずここへ来てください。自分でも少しずつ動かしてくださいね。最初は辛いかもしれませんけど」
「やった! あ、ごめんなさい」
嬉しすぎて大きな声を出したら先生はお腹を抱えて笑っているし、社長は壁にもたれながら頭を抱えている。でもニヤケが止まらなくて頬を抑えた。
「次の診察はまた一週間後に」
「はい」
「リク、エレベーターの前で待っていてくれ」
「わかりました」
私はうきうきとした足取りで医療フロアの廊下を歩いていく。後ろの部屋で仕事には勝てなそうだねと言っている先生の声が聞こえて、しまった喜びすぎたと思った。その後の会話は知らない。
『人の気も知らないで』
『20年近く我慢したんだろ? 今さら数ヶ月くらい』
『簡単に言ってくれるな』
『頑張ってもう少し我慢してやりなよ』
『わかっている』
家に帰っても大丈夫かなとか、今できる仕事ってなんだろとか言われた通りエレベーターの前で待っていると、フロアにエレベーターが止まった。ああ、完全にこの人のことを忘れていた。
「小娘、なぜキサマがここにいる。どうやって入った? 一般社員とは縁のない場所のはずだが」
治安維持部門統括、ハイデッカー。
やっぱ忘れてくれてなかったか……。エグゼクティブ専用ということは、この人だって使うかもしれないということだ。頭の中が一気に冷たくなった。
「リク」
「る……社長」
何を言っても火に油になるだろうからどうしたものかと考えていると、後ろから名前を呼ぶ声が聞こえてくる。最近やっと呼び方が慣れてきたと思ったらこれだ。いつか墓穴を掘りそうで怖い。
ハイデッカーは私を一瞥したあと、社長の機嫌を取るように下手に出て話し出した。
この変わり身の早さ……。
「おお、これは社長! ご気分が優れないのですかな? いやー上に立つものという者は大変ですな。ワタシも無能な部下のせいで頭痛が……」
「彼女は私の婚約者だ。無下に扱うことは許さない」
「げほっ、げほっ! ……いっつ」
媚を売り出す相手に唐突に放たれた言葉に耳を疑って咽せる。こ、婚約者って言った!? 恋人だと言って欲しいわけじゃなくて、穏やかに収めて欲しかったのに言うに事欠いて婚約者って言った!?
ハイデッカーが面食らって私を睨んでる。こんな奴が? と言いたげな目だ。わかる。そこは同意しよう。ていうか、いつ婚約者になったの?
「ほう。それは、それは……。ですが社長にはもっと優秀な、こう口の堅い……」
あ、口の堅いって絶対あのこと言ってる。ハンドレットガンナーの件で社長の圧に負けて公開処刑にあった日だ。
ハイデッカーが口を開けば開くほど、私の状況が可笑しく思える。原因は私かハイデッカー統括か、はたまた……。
「エンジニアとしては申し分なく優秀だ。私は彼女に期待している。口の堅さに関しては感謝したまえ。キミが彼女に何を言ったのか、いまだに話してもらえない」
私がハイデッカーに脅されてたって知っていたのか。辞表と一言口走ったけれど、それ以上のことは言っていない。一体どこからその情報が……。
凍りつくような冷たい声で社長が淡々と話す。スッと細めてハイデッカーを見ている青い目も氷のように冷たい。ああ、父親のプレジデントより冷酷という噂もあったっけ。そんな姿、ここ半月で見たことないけれど。
「キミの処分が下らないのは彼女のおかげだと思った方がいい。優秀なハイデッカー君のことだ、わかるだろう」
社長は最後まで冷たい声でそう言い放ってカードキーでエレベーターを呼ぶ。すぐに開いたドアに私の手を引いて乗り込むと、ハイデッカーの不機嫌な顔を最後にドアが閉じた。
「知ってたんですか……?」
「何をだ」
「その、私が、ハイデッカー統括に……」
「何も言わないのはキミも同じだ」
「ごめん、なさい……」
「リクに怒っているわけではない。言えなかったのはわかる、あの時は恋人ではなかったからな。だがこれからはちゃんと話してくれ。でないと何かあったときに守ってやれない」
「わかりました」
少ししょんぼりしながら返事をすると、さっきまでの社長とは変わって優しい目で私を見る。大きな手が私の頬に触れた。
「あ、あの……それで、私はいつからこ、婚約者になったんですか……?」
「いずれそうなる。それまでに心を決めておいてくれ」
あまりにも優しく不敵な笑みで言うから、熱い顔を手で抑えて私は思わず社長に背を向ける。社長は私の頭をポンポンと静かに撫でた。
地下駐車場に着くと、また社長のお屋敷へ送ってくれると言う。仕事はと聞くとそれくらいの時間なら問題ないと社長は答えた。
明日からリハビリも始まるからそろそろ家に帰りたい旨を伝えると、ずっと居てもいいのだととても不満そうにしていた。でも二週間とてもよくしてもらって、ここを区切りに一旦1人で頑張らないとダメになりそうだと話したら、渋々だがわかってもらえた。ただ何かあれば必ず連絡することを念押される。
今日は社長の家で過ごす最後の日になった。- 15 -*前 次#
Moon Fragrance