Moon Fragrance

私の色
01



 お屋敷まで送ってもらうと社長は早めに帰るようにすると言い残して会社に戻って行った。
 部屋に戻ると自分の荷物……はほぼないんだよね。仕事着のツナギとケータイ、一冊の本くらい。服も部屋着も用意してもらったものだ。
 どうやってお礼しようかな。私の給料じゃとてもだし……。うーん、たしかこのお屋敷よりもうちょっと先にショップ街があったはずだけど、1人じゃ行かせてもらえないよねー。少し抜け出したら……。

「大ごとになるよねたぶん」

 仕方ない。社長に心配かけるの嫌だし、ちゃんと声掛けよう。
 部屋を出て少しうろうろしてお世話係さんを見つける。この先のショップ街に買い物に行きたいことと、社長には内緒にして欲しいことをお願いした。いつも着替えと入浴を手伝ってくれる2人がついて来てくれることになった。本当は2人にも内緒にしたかったけれど、何も言えない。私に何かあったらたぶん怒られるのは2人だ。
 車は乗らずにゆっくり3人で談笑しながら歩いていく。意外とすぐに着いて見て回ることができた。
 2人も楽しいみたいで、この服なんて似合うと思いますよなんてコーディネートされそうになる。目的はお礼だからなんとか躱しながら買い物を進める。
 1番お世話になった2人には、ベタつきにくいハンドクリームを。リネンも取り扱うから、香りが移らないように無香料で。
 先日、お庭で紅茶を淹れてくれた執事さんはあの時に紅茶が好きと聞いたので、お店の人に季節の紅茶を包んで貰った。
 あとは皆さんで食べてもらえるように、休憩用のお茶菓子を。
 社長には……1番悩んだ。そう言えば好みがわからない。いつも黒いワイシャツだし。ネクタイも黒。でもあの白いスーツに合う色が思いつかない。何かアクセサリーを好んでつけているわけでもないし。
 私が今つけている青いピアスは社長に貰った社長の目の色。でも私の目はブラウンがかった赤色で真紅やダークレッドといえば聞こえはいいが、くすんでも見えるので決して綺麗じゃないと思う。そもそも自分の目の色のものをプレゼントするってなんか恥ずかしいな。
 それに何か使えるもののほうがいいよね。工具……はアホか……そんなの喜ぶのは私くらいだ。うんうん唸っていると後ろで付き添いの2人がクスクス笑っている。ぼっちゃんはリクさんが選んだものならなんでも喜びますよ、と言われたけれどやっぱり悩む。すぐになくなるものを渡しても……なんて思ってると文房具を売っているお店のショーウィンドウで万年筆が目に止まった。
 こんなにタイミングよく見つけるものなのか。私の目の色よりは少し暗いけれど、ダークレッドの万年筆。使うには派手じゃないかなと考えていたら、2人がとても素敵な色じゃないですか絶対に喜びますよと背中を押してくれたからこれに決めた。
 ラッピングを頼んでワインレッドのリボンを掛けてもらい帰途につく。
 お屋敷に着いてから2人にはハンドクリームを、そして他のお世話掛さんたちのお礼も渡して感謝を伝えた。なかなか帰ってこない自分の娘の世話が出来たみたいで嬉しかったから気にしなくて良かったのにと言われた。今度はお礼なんていらないから、また来て欲しいと頼まれる。迷惑をかけにきただけなのに、変なところで感謝されてしまって不思議だけどほんの少しだけ嬉しくなった。
 あとは社長が帰ってくるのを待つだけだ。なんだか変にドキドキしてくる。ピアスをくれたとき、社長は一体どんな気持ちだったんだろう。いつもみたいに気にすることなんて何もなかったのかな。それとも意外と普通に緊張していた?
 テラスで少し涼しくなってきた夜風に当たってぼーっと外を眺めていると社長が帰ってきた。それに気づいてドアの方を見ると、社長がなぜか立ち尽くしている。

「おかえりなさいです」
「あ、ああ」
「どうかしましたか?」
「いや、気にしないでくれ」

 そう言った社長は口元に手を当てて、心なしか赤く見えた。

「あの……」
「なんでもない。ただいま」
「おかえりなさいです。……」

 社長が私の腰に手を回すと、話を遮られるように今日も帰宅後のキスが降ってくる。今日は心なしか長い気がする。離れる時にちゅっと微かな音が鳴って顔を隠したくなった。

「それより何かあったのか?」
「何かって、なんですか?」

 なんのことか分からずに私は首を傾げた。

「いや、早く部屋に行けとせっつかれた」
「へっ!?」

 あ、あーたぶんアレだ。うん、今日買ったやつのことだ……。

「ええと、あの、その」

 いま渡す? いやでも、まだ心の準備が出来てないし。私はキョロキョロと視線も落ち着かなくてしどろもどろになる。
 今? 夕食のあと? 寝る前? わかんない!
 悩んでいるとどんどん社長の顔が覗き込むように近づいてくる。

「どうした? 何かあったのか?」
「何かってわけじゃ……」

 心配しているのか宝石のような青い目が早く言いなさいと言っている。

「お渡ししたいものが……あって、ですね」

 こんなふうに追求されたら後で、なんて言えない。やっぱり社長のようにスマートにはいかない。
 しょうがないから最後に足掻くように社長に、目を瞑っていて欲しいとお願いした。社長は訝しげに私を見たが、恥ずかしいからどうしてもお願いしますと頼んだら、仕方ないと笑って目を閉じてくれた。
 私は隠すようにサイドボードの引き出しに入れてあった細長の箱を取り出す。それを少し見つめてゆっくりと深呼吸をした。

「リク?」
「ちょっと、待ってください!」
「わかった」

 私が緊張しているのを感じ取ったのか、社長がクスッと笑った。
 静かにゆっくりと社長の前まで歩み寄る。そこでまた深呼吸をした。

「ルー、目を開けてもいいですよ」

 思った以上に緊張で声が震えて俯いたけれど、でもプレゼントだから目を合わせた方がいいと思ったら意図せず上目遣いになってしまう。社長が目を開けるとなんだか不安になってしまって、おずおずと綺麗にラッピングされた箱を差し出した。

「私にか?」
「はい。この半月、いろいろ助けてもらったのでお礼です。その、何が好きなのかわからなくて、気に入ってもらえるかわからないですけど」
「開けてもいいか?」
「はい……」

 そう言って社長はテーブルに軽く腰掛けるようにもたれて箱を開いた。私は自分の指をいじりながら反応を伺っていると、社長が少し目を見開いてすぐはにかんだ。こういう顔もするんだと思ったら、一瞬息が詰まった。

「リク」
「は、はい!」

 突然、真剣な顔で名前を呼ばれて声が上擦ってしまう。なんだろうと思って目をしぱしぱさせていると、社長が箱をテーブルへ置いて近づいてくる。私の両二の腕を掴むように手を置くと、社長が私の首元に顔をうずめた。

「あ、の?」
「少しでいい、キミに触れさせてもらえないか」
「え、えっ……」

 今、私を捕まえるように二の腕に置かれている手。この状態を触れていると言わないのであれば、それは、えっと……。

「たのむ」

 吐息まじりに低い声でそう言って、猫背気味に下からすくいあげるように唇を重ねられた。唇の合わせ目を舌でなぞられながら優しく上唇を食まれる感触は、直前に言われた言葉のようにまるで懇願されているようだった。
 驚いてまだ目を開けたままで固まっていると、社長の目が開いて視線が合った。社長のこんな目、見たことない。少し不安を覗かせた、私の様子を伺うような目。ダメか? と問いかけてくるような目。
 少しとはどのくらいなのか私には全く想像がつかない。だって私はこの先を知らない。何が少しで、何が少しじゃないのか私にはわからない。怖いと言えば怖いし、気になると言えば気になる。
 今ここで嫌と言ってしまえば、たぶん社長はやめてくれるだろう。少し怖い、けど拒めない。違う。拒みたくなかった。
 ドキッとして目を瞑って、息がしづらくなって、空気を取り込みたいという理由をつけて口の合わせ目をわずかに開いたのは、イエスを選んだ答えだった。

「ん、んぅ……」

 社長の舌がするりと滑り込んでくる。歯列をなぞられるといつもゾクゾクする。腰か背中か、ふわふわとジェットコースターに乗ったような、それと一緒に電流が流れたようなピリッとした感覚が走る。それが怖くていつも逃げるように舌を引っ込める。でもすぐに絡めとられて外に誘われて、味わうように吸い付かれるけど、今日は自分から社長の舌先にちょんと触れてみた。凄くおっかなびっくりだったけど、社長はふっと笑って歯列をなぞっていた舌を止めると私のしたいようにさせてくれた。
 社長のスーツの下襟をぎゅっと握って、いつもはそんな余裕なんてないのに感触を確かめるように社長の舌先をチロチロと舐めてみる。
 暖かくて柔らかく、弾力がありちょっとざらざらとしている。初めての感触。
 社長の舌の裏に舌先をそっと這わせる。そしてちゅっと舌先に吸いついてみた。
 自分が考えているよりも必死になってたみたいだ。社長がくっくと肩を震わせ始めた。
 息を吸うためにぷはっと口を離すと、舌を誘い出されてお互いに舌を突き出した状態で舌先を触れ合わせる。

「ふっ、っ……」

 社長が時々吸い付くのでちゅっちゅっとした音が響いて、そのたびに腰のふわふわ感が増して私は唯一動かせる左腕を社長の首に回して体を支えようとした。徐々に脱力感が大きくなっていって、ついに力が入らなくなり崩れ落ちそうになる。
 社長が私の腰を支えて膝裏に手を差し込むと私を軽々と持ち上げた。社長がゆっくりとベッドへ向かい、私をそっと横たえる。抱き上げる時も歩き出した時も、私がベッドに沈み込んでも私たちは離れることができなかった。
 社長の舌が縦横無尽に私の口内をかきまぜる。いまいち焦点の合わない目を開けると、青い瞳が私を見ていた。

「ぁ……」

 社長の目が細められると大きく下唇を吸われて、ちゅぅっと音がして熱が離れた。酸素が欲しくて私は肩で息をした。

「可愛らしいキスだったな」
「ルーみたいにはできません」

 少し呂律が回らなくて舌ったらずで告げると、上手かったら困ると言われた。
 社長は体重をかけないように伸し掛かると、まっすぐ私を見つめて頬をくすぐりながらもう片方の手でシャツワンピースのボタンを外していく。
 あ、そうか、触るってこういう事だよね、とわかりきっていたことを改めて思い至った。急激に恥ずかしくなって、もう全て外し終わりそうなボタン合わせを手で押さえてしまう。それに帰ってきた時に軽くシャワーで汗は流したけど、ちゃんとお風呂に入ったわけではない。ま、待って……。ホントに少しってどこまで!?

「嫌か?」
「い、嫌ってわけじゃ……それに、私まだちゃんとお風呂には……」

 シャワーは浴びたけど、もごもごもごと小さい声で恥ずかしい理由を告げる。社長はなんだそんなことかと言ってのけて、ボタンを最後まで外し終えると合わせを全てはだけさせた。隠れているのは背中と下着部分だけだ。

「っ……」

 社長は私の腰のラインをそっと撫でる。それだけで落ち着いていた息が少し跳ねた。

「嫌な時と怪我が痛ければ言ってくれ。すぐにやめる」
「だい、じょうぶ、です」

 社長は私の腰をやわやわと感触を確かめるように触れながら、私の左肩に顔を寄せた。
 耳、顎のライン、首筋、首元と触れられた唇が下がっていく。

「っぁ……」

 腰を撫でる手と体に唇を軽く押し当てられるたびに小さく、ちゅっと鳴らす音のせいで変な声が漏れた。
 そのまま鎖骨、胸元、二の腕、腰と下がっていく。

「っふ、……ん」

 社長の唇がお腹に触れた時、くすぐったくてお腹をキュッとへこませたら、社長の笑った息がかかってくぐもった声が出た。
 何故か足をすり合わせたくなる。まだ知らない場所がきゅんと疼いた。

「横を向けるか?」

 そう言われてコクンと頷くと操られるように体を横にした。
 背中に残っていたワンピースを少しずらされると、背中にもたくさんのキスの雨が降ってくる。その全部に小さくリップ音をたてるので、聞こえるたびに微かに震えた。

「は、ぁ……っ」

 自分の口から漏れる吐息に身体中が熱くなる。
 社長はお腹や腰、背中はスベスベと触っていたけど、足や下着に隠された部分は一切触らなかった。少しってこういうことかと思っていると、やがて満足したのか艶かしいため息が聞こえた。すぐに社長が寝転がった気配がして後ろから抱き竦められる。

「ルー?」
「万年筆は大切に使わせてもらう」
「喜んでもらえましたか?」
「ああ。とても」

 耳にかかる声と吐息がくすぐったくて私は身をくねらせた。それに私の目の色が美しいなんて初めて言われてびっくりする。でも喜んでもらえたのは純粋に嬉しくて、ほっとして、よかったと小さく呟いて社長の腕に手を重ねた。

「あまり可愛いことをしてくれるな。他の男ならこれじゃ終わらないぞ」
「ルーは違うんですか?」
「リクの怪我がちゃんと治れば同じだ。その時は覚悟しておけ」

 一気に顔が熱くなって私は布団を顔に引き寄せた。
 少しベッドに横になったまま話したあと夕食にしようと乱されたワンピースのボタンを閉じていると、苦戦していたので社長が手伝ってくれながらまだいた方がいいんじゃないのか? と聞いてきた。すごくよく心配してくれるなとクスリと笑ってしまう。
 大丈夫ですと躱すと、帰したくないだけだ察しろと言われてしまう。
 その後もいろいろと理由をつけて家にいろと言うから、本音の中に冗談が見えて私は始終けたけたと笑いっぱなしだった。
 次の日の朝、社長の車に乗せてもらって久しぶりに出勤した。
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