聞こえる言葉
昨日はお屋敷に送ってもらった後、お世話になったみなさんにお礼の品物を買いに行った。
着替えなどを手伝ってくれた女性二人にはハンドクリーム。お庭で紅茶を淹れてくれた執事さんには、好きだという季節の紅茶。ほかの人たちには休憩中に食べれるようにとお茶菓子を。社長には少し恥ずかしかったけれど、自分の目の色に近いダークレッドの万年筆。
みんな喜んでもらえたようで嬉しかった。社長なんて少しの間、離してくれなかった。
ここ1週間の作業は基本的に整備用エレベーターからドックまでの大・中兵器の牽引や、新しく入ったという新人の面倒を見たり、合間を縫って医療フロアにリハビリしに行ったり、あまり右腕を動かさないように仕事をしていた。
そうそう、モススラッシャーの件は私に非はないとして始末書などの処分はなかった。社長が根回ししてくれていたらしい。
2週間をすぎた頃、まだ違和感があったけど痛みもなくスムーズに腕が上がるようになっていたし、やっと肋骨骨折のコルセットも外せた。
3週間目、肋骨の骨折の痛みも完全になくなった。腕は相変わらず少し硬いが、もう何をするにも支障はない。走るのはいまだに躊躇するけど。これでやっと診察は必要ないですねとなった。
社長? こまめにメールや電話は来るけれど、2週間前を最後に会えてはいない。出張だなんだかんだとあちこち転々としていて忙しいらしい。何か不穏なことが起きているらしいけど、私には何もわからなかった。
ただひとつ困ったのは、怠けすぎたのか指先の感覚が鈍っていたことだ。触れば10μm単位で物の厚さの違いや引っ掛かりがが分かっていたのに、30μm単位でしか感じなくなった。ちなみに90μmでコピー用紙1枚分。
「これはまずい。非常にまずい」
おとうの指先は私よりも鋭くて、それを見てきたせいか自分のことが凄いと思ったことはない、が誰もが出来ることじゃない。“たった”そんな単位で変わったところでって言う人もいるが、それが積もり積もれば誤差から見過ごせない間違いになる。感じ取って修正できるのであればわかるに越したことはない。
ロケットを扱っていたおとうの口癖は『人の命を乗せるものに“たったの誤差”なんて存在しねぇ。職人なら技術と指先に命を賭けろ』だった。かなりの年月が経った今でも思い出すが、今の私には耳が痛い。
ガードスコーピオンの脚の上で困り果てていると課長が覗きに来て、なぜかすぐ去っていった。
どうしたんだろうと思って、ドックの外側を覗き込むとミンスに話しかけていた。私の手が空いていないと思ったみたいだ。
いけないと思いつつ少し聞き耳を立てていると、どうやらヘリから異音がするらしい。
あっちはあっちで大変そうだな、と考えてとりあえず仕事をこなそうと思った。
黙々と仕事をこなしていると久しぶりに聞いた声が私の名前を呼んだ。
「マックハイン」
「ルー、ふぁうす、社長……」
呼ばれた方を見ると社長が1人でそこに立っていた。
なんだかまた課内がざわざわしていると思っていたら、突然社長が1人でやって来たらそれはざわつく。今日は誰も付き添いをつけていないので、他の女性整備士が近づこうかと画策していた。
ケータイや内線じゃダメだったんだろうかと思いながらガードスコーピオンから降りた。
呼び方を迷って変に名を呼んだ私を社長が笑っている。
目の前に行って話を聞いてみると、どうやらタークスが使っているヘリのうち1機の上部回転翼から異音がすると言う。
「あの、でも、さっき1人行きましたよ、ね……?」
「キミの同期がな」
そう、さっき課長が私を呼びにきたみたいだけど、手が離せないと勘違いして代わりにミンスを出した。同期が、と口に出す辺りに社長の不満が見えた。
そもそもヘリには担当の整備士が別にいて、私たちが診ることはない。しかも課長がミンスに話していたのを聞く分には、担当の整備士にも原因が分からなくてダメ元でいいと言う話だったはず……。ミンスが行って直らなくて、なぜ、私まで?
私じゃわからないかもしれませんよ、と言うと、キミならできる、いいから来いと言われた。社内や社長の服を汚さないように新品の軍手をつけて課長に報告してから大人しくついて行くことにする。
「いつ帰ってこられたんですか?」
「ついさっきだ。ヘリポートに着いたらキミの同期が居た。やはり原因がわからないというからリクの顔を見るついでに呼びにきた」
「直々にですか」
嬉しいだろう? と言われて吹き出しながらはい、と答えた。
社長に着いていくと違和感を覚えた。あれ? 普通のエレベーターで行くの? 反対側の整備用のエレベーターならヘリの格納庫まで直に上がれるのに?
「あの、なぜこっちのエレベーターで行くんですか?」
そう聞くと同時に社長のカードキーで呼んだエレベーターが来る。こっちはこっちで69階までノンストップで行けるけれど……と考えていると、押し込まれてドアが閉まる。と同時に壁に追いやられて口を塞がれた。
「!?」
こっちのエレベーターだったのはこれが目的かと理解した。重役専用のカードキーで呼ぶと他のフロアには止まらない。それが出来るのは表のこのエレベーターだけだ。
「しゃちょ……カメ、ら……」
なんとか押し返して口を離してもらうと、防犯カメラの存在を言う。カメラがあるということはそれを監視している人間がいるということだ。見られるのはちょっと……。
「社内にいくつカメラがあると思っている? 久しぶりに会ったんだいいだろう。顔は隠してやる」
そう言ってもう一度、口を塞がれる。何もよくないけれど、静かに上っていくエレベーターの中には、社長が私の口内をかき乱す水音だけが響いた。
「ぁっ……」
会社ですることじゃないし、社長、まだ午前なんですけど……。
社長の体が離れるとチンっとエレベーターが69階に着いたことを知らせる。
午後7時に駐車場に来い、忘れるなよ、と耳元で言って社長は先にエレベーターを降りた。
ドアが閉まりますという音声にハッとして背中を早歩きで追いかける。
初めて来た69階の赤い絨毯の上を歩くと、靴も履き替えてきたほうがよかったと後悔した。汚したらどうしよう。
70階へは階段で行くらしく着いて登ると大きな自動ドアが見えた。その前に受け付けのような机があって女性が2人座っている。たぶん秘書さんだろう。目線を合わせなくてもわかる。いい顔はされていない……し、鼻で笑われる。
それもそうか、社長が1人で出ていったと思ったら、この階に似つかわしくないツナギを着て、しかも部分的に機械油で汚れてる女を連れてきたら鼻で笑いたくもなるだろう。
体のラインが分かりそうなスーツを着ていて、そんな綺麗に仕事は出来ないと思った。
社長がドアを開けてくれると思いっきり睨まれてる。私がゲストのように扱われているのが気にくわないみたいだ。また一波乱こないといいけど……。
再び少し階段を登って社長室に入ると言葉を失った。広すぎる……。少し先に置かれている机も見たことないくらい広い。
壁は全面ほぼガラス張りでヘリポートやミッドガルの景色が見える。ここで何ができるだろうかと黙り込む。
「気に入ったか?」
「綺麗、ですけど落ち着かないです」
そう答えたら社長はそうかと答えて笑った。続けて、私が呼んだらここに来てもらうことになると言われて理解ができなかった。どうやら会いに来いという事みたいだが。
「こっちだ」
私の前を先導して外へ続くドアの方へ向かう。ヘリポートへ続く通路へ一歩踏み出すと強い風が吹き付けた。地上300メートル上空にあるミッドガル。その上に建てられた70階建ての超高層ビル。風が強いのは当たり前だ。
ただその強い風が吹き荒れる通路で、眼下遠くにミッドガルの街並みが見えて足が竦んでしまった。手すりやフェンスはあるが、高すぎて室内のように壁がないぶん怖い。
ほら、と言って社長が手を差し出してくれた。私が怖がっていると気づいたみたいだ。
新品の軍手をしているとはいえ、すこし躊躇う。それも伝わったのか有無を言わせず私の手を握った。
「私に遠慮するな」
「ありがとう、ございます」
社長が視界を遮るように歩いてくれて助かった、が! 一個下の格納庫へ続く階段を見て血の気が引いた。
「なんでここに階段を作った……」
すぐにヘリポートへ行けるようにというのはわかるが、なぜ剥き出しに作ったの!!!! 手すりをつければいいって問題じゃない……。
ビルのデザイナーと建築士を恨みながらなんとか社長に支えられて階段を降りるとやっと一息つけた。それでも屋外にいることは変わりなかったけど。
帰りは絶対に整備用のエレベーターで降りると心に決めた。- 17 -*前 次#
Moon Fragrance