Moon Fragrance

噤んだ代償
02



 整備場の自分のスペースに行くと、隣ではまだミンスが仕事をしていた。いつもは19時には帰っているのに今日は珍しく作業をしている。
 私に気づいたようで手を止めて声をかけてきた。

「リクどうした? 帰ったんじゃなかったのか?」
「ん? ちょっとやり忘れたこと思い出して」

 本当はツナギに着替えないとダメだけど、足場を伝ってガードスコーピオンの尻尾の付け根に座って本体にもたれかかる。
 社長にバレない場所ってないかな、なんて考えてしまってため息が出た。逃げるなって言われてても、あの場面見たら逃げるよね。

「なあ、どうした?」
「どうって?」
「泣きそうな顔してた」
「そう?」
「うん」
「気のせいだよ」

 隣のドックで作業を再開したミンスが一問一答のように淡々と質問して、ぼーっとした私が淡々と答えていく。変な間なんてないのに変な空気が流れてる。喋っているし作業の金属音が聞こえているのにすごく静かだ。

「ピアス、外したんだな」
「うん」
「似合ってたのに」
「ありがと」
「誰かからのプレゼント?」
「まあ」

 ジーンズのポケットに突っ込んだピアスを、ジーンズ越しに触る。

「昼間のってさ、秘書だろ?」
「うん」
「誰の?」
「……」
「社長の?」
「……」
「なんであんなことされたんだよ」
「さあ」
「さあって……」

 だってなんて言えばいいか考える思考能力が残ってない。
 頭が現実逃避しだして、このガードスコーピオンのテイルレーザーってどれくらいの威力なのかなとか、やっぱ普通の人間なら当たったら死ぬよねとか、もしかして火傷程度かも? ソルジャーはどうなんだろう? なんて本当は数値を見て分かりきってる疑問をぐるぐると考えだす。

「なあリク。そんな風になってんの社長のことか?」
「……」
「社長と付き合ってんの?」
「……」
「社長のこと好きなのか?」
「……」

 好きだよ。ここで助けてもらった時から。ううん、大人になって社長だって気付かなかったくせに、本当は子供の頃から綺麗でいいなって憧れてた男の子。
 怪我の面倒を見てくれたことも、優しくて大きい手も不敵に笑う表情も、透き通った目で見つめる青い瞳も、あの低い声もストレートに紡がれる言葉も全部好き。好きだけど。
 いくら彼女や元許嫁だったからって、常に一緒にいられるわけじゃない。出来ないことの方が多すぎる。会社じゃ近づけないし、社長だから忙しいし、立ってる場所なんて全然違うし……。
 あの秘書さんのようにあんなに美人じゃないし、スタイルも良くない、お洒落な服だって着ていることなんかない。隣にいたら鼻で笑われる。手だって黒い汚れが取れなくて手を繋ぐことすら躊躇う。
 そういえばデートって言われるようなこともしてないなぁ。
 責任転嫁のような理由を頭に並べ立てて、私は膝を抱える。つーっと一筋だけ涙が流れた。

「社長のことだけ黙るんだな」

 金属音が止んで声が近いと思ったら、気づいたらミンスがガードスコーピオンに取り付けてる足場に立ってた。

「リク。辞めないよな?」
「うん」
「オレ、リクの仕事ぶり好きだよ」
「そう」
「リクのその手、羨ましいって思う」
「う、うん?」

 なんだろうこの変な空気。私、何か返答間違えてる……?

「今日のヘリの時のこと、かっこいいって思った」
「……」
「社長にはびっくりしたけど、怖くて降りられなくなってるの少し可愛いって思った」

 ま、待って……、なに、なに? なんでこんなことになってるの?
 自分でも顔が無表情になっていってるのがわかる。

「入社した時から技術がずば抜けてて、1人でどんどん先に行って、気がついたら大型兵器任されてる姿もすげえ憧れてた」

 ミンスがガードスコーピオンの後ろ脚に飛び移った。下がる場所なんてなくて、驚いて尻尾から滑り落ちそうになるのをミンスが腕を掴んで助けてくれる。そのままジッと私の顔を見て言葉を続けた。

「リクのことが好きだよ。社長みたいにカッコよくはないけど、社長じゃなくてオレじゃダメかな? 少なくともあんなことにはならないし、泣くこともないと思うけど」

 あんなこととは今日の昼間や、先日の暴走事件のことを言ってるんだろう。
 ああ、久しぶりに息がしづらい。なんでミンスにこんなこと言われてるの。
『彼はキミに気があるようだ』社長にそう言われた言葉を思い出した。でも、なんでよりによって今……。
 感情の整理が出来なくてボロボロと涙がこぼれはじめる。社長に会う前に言われていたら、今こんなことになっていなかったんだろうか。

「なあ、泣かないでくれよ。話聞くから。メシ行こうぜ」

 困った顔で笑ってミンスが私の頭を撫でる。社長の手じゃない。撫でてるのは一緒なのに、あの大きくて優しい手じゃない。
 こんなところ社長に見られたくないと思ったら、そんな願い叶わなかった。
 コツ、コツと靴を鳴らす音が整備場に響いてそちらを見ると、怒りに満ち溢れた冷たい青い目がこちらを射抜いていた。

「何をしている」
「貴方が泣かせるから慰めてたんですよ」

 社長はこの前のハイデッカーの時よりも怒気を帯びた低い声でミンスを威嚇しているし、ミンスはなんでそんな社長を挑発するようなことを言うのか。

「泣かせた?」
「身に覚えがないんですか? じゃあ、なんで帰り支度始めて下まで降りてったリクが、泣きそうな顔でここまで戻ってきたんですか」
「何を誤解しているのか知らないが……。見ていたのか。リク」

 真っ直ぐな目で名前を呼ばれて私はビクッと体を跳ねさせた。
 ミンスがその視線を切るように私の前に立つ。

「やめてください。怖がってます」

 違う。怖いんじゃない。私に向けて一瞬だけ見せた優しい目のせいで、体が社長の元に行きそうなのだ。
 下で見たアレは、社長にとって取るに足らないようなことなのだろうか。忙しいだけだと思っていたのは私だけで、本当はアレが、いやもっと深いことが日常茶飯事だったのではないか。
 『キミを見つけたから遊ぶ理由もなくなったしな』あの言葉は嘘で、やっぱり噂通り遊び人なんじゃ。
 たった一回、変な場面を見ただけで私は勝手に何を考えてるんだろうか。でも、でもあの秘書さんが、秘書さんだけじゃない、この会社にいるほぼ全ての女性社員が社長に近づきたいのは確かなんだ。今は私も、大勢の中の一人なのに。

「私はリクと話がしたい」
「2人きりにはさせられません」
「彼女は私の恋人だ」

 なんで2人が睨み合ってるんだろう。自分のことなのに、なんでこんなに他人事で見てるんだろう。

「リクは貴方の秘書に食堂で……」
「ミンス、やめて……言わなくていい」

 私はミンスの言葉を遮る。報告して欲しくない。別に水をかけられただけだから、何かを望んでいるわけじゃない。黙っていれば社長は知らない。

「なんでだよ。あの人のせいでリクが迷惑してんだろ」
「言わなくて、いい……」
「それを見ていた者から報告なら受けている」
「!?」

 なんで知ってる、の……。この前のハイデッカーの時も思ったけど、どこから情報が入ってきているのか。

「は? だったらなんで泣かすような……!」
「キミはどうしろと言う。ここは会社で、私は雇い主だ。その雇い主の私情であの秘書を辞めさせるのか? それとも別の部署に追いやるのか? そんな人間がトップにいて誰がついてくる。組織に私情を挟んでいいなら、私はリクとキミを引き離すために、既にキミを別の部署へ送っている」

 社長の言っていることが正しい。だからあの秘書さんに腹は立つけど、社長に彼女をどうこうして欲しいなんて少しも思っていないし、ミンスにも事を荒立てて欲しくなかった。

「リクはそんなことを望まないし、そんなくだらない人間にも、指導者にもなるつもりはない」

 社長は私のことをわかってる。長い間一緒にいたわけじゃない。でも、それでも十分すぎるほどにこの人は私を見ていたんだ。
 私は社長の何を知っているだろうか。好きと思いつつ自信がなくて、怖くて口を噤んで来たのは私だ。
 私は社長の仕事の邪魔をしたくない。

「リク、やはり駐車場には来てくれたんだな。誰かが去っていくのは気づいたが……」

 ミンスの向こう側からひどく優しい声が聞こえてくる。

「本当に余計なことをしてくれた。誤解を与えたならすまない」

 社長から遮るように目の前にいるミンスで見えないけれど、一歩一歩、社長が近づいてきているのがわかる。
 社長が足場をくぐって、ガードスコーピオンの尻尾に座る私の下まで来た。

「昼間のことも知っていたから、今日はこれから甘やかしてやるつもりでここまで迎えに来たが……リクはどうしたい?」
「リク! この人といたらまた泣くことになるかも知れないんだぞ?」

 真っ直ぐな青い目が私を見上げている。社長の目に反射する私の顔はかなり酷い。でも目を逸らしたくてもやっぱり逸らせない。
 ミンスが声を荒げる。よほど心配してくれたらしい。気持ちは嬉しいけど、たぶん私はその気持ちに応えられない。

「キミの心を縛りつける気はない。だがやっと手に入れたんだ。そう簡単に手放す気はないし、何度でも振り向かせる自信がある。さあ、私かその彼か……違う選択があるならそれもいい」

 そう言って社長はチラリとミンスを見たあと、自分の元へ来いというように、両手を私に伸ばした。

「私は、リクと、話がしたい」

 大好きなその目に私を捕らえて、区切るようにハッキリと告げた言葉に体が動いた。

「ごめん。ミンス……私も、話したい」

 社長に手を伸ばして滑るように降りると、社長が受け止めてくれた。私のことを軽く抱え上げて、静かにゆっくり下ろすこの細身の両腕のどこにそんな力があるのだろう。

「はぁあああ……やっぱ勝てねえ……。前から薄々気付いてたんだよなぁ、社長と付き合ってるんだろうって」
「ご、ごめん……」

 ガードスコーピオンの脚の上で大きなため息をつきながら本当に悔しそうにしゃがみ込むミンスを見て、居た堪れなくなって謝ることしかできない。
 その間も社長はずっと私の腰に手を当てて引き寄せてるし、ミンスにしてやったりという笑みを浮かべている。

「いいよ、もう。惨めになる……くそぅ。社長、次リクのこと泣かせたら本気で奪いに行きますから」
「やれるものならやってみろ」

 私の頭の上で火花が散ってる……。縮こまっていると、社長が行こうと促す。歩き始めて後ろが気になって、何度かチラッとミンスを盗み見た。月曜日、気まずいなぁ……。
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