Moon Fragrance

ささやかすぎる我儘
02



 社長のお家に着いて車を降りても、私はまた社長の袖をギュッと握り込んだ。社長がわかったクリーニングに出しておけばいいか? と困ったように笑っていた。
 相変わらず社長のお屋敷の玄関は自動ドアかと思うほどなんの前触れもなく開く。そして、これも相変わらずお世話掛の人たちが整列している。
 社長の袖を握って、泣き腫らした目と小さな声でお久しぶりですと言った私を見て、怪我の時にお世話になった2人が、まぁまぁ何があったんですか! ととても驚いていた。
 目に当てるために冷たいタオルを用意してくれて、目を冷やしている間にお風呂まで用意してくれた。服は用意しておきますのでゆっくりと浸かってらしてくださいと脱衣所に押し込まれる。
 服を脱ぐときにピアスをどうしようか悩んでまだ着けられなかった。
『似合ってないから外したら?』という言葉が小さなトゲのように厄介に刺さっていて、抜くことができない。あの人はなんで私がこのピアスをしているのかと聞いた。なぜあの人はこのピアスのことを知っていたんだろう。
 もんもんとしながら、少し熱めの心地いい暖かさの湯船に浸かった。
 頭も体も洗って体の水気も拭って脱衣所に出ると、怪我の時に準備してくれた服と下着を用意してくれていた。恋人の家とは言え、慣れなくて違和感が凄かった。
 居候させてもらっていた部屋にあるのとは違う浴室に連れてこられたので、どこへ行けばいいかわからず脱衣所の前をおろおろしているとお世話係さんに見つけてもらえて、社長の私室に通された。
 居候させてもらっていた客室は白を基調に明るく統一されていたけど、社長の部屋はウッドブラウンを基調にシックにまとめられていた。照明も少し薄暗く設定しているのか、なんだか、その……妙な雰囲気がある……。

「どうした?」

 まだドアの前に突っ立ったままで、どうしていいかキョロキョロしているとベッドに腰掛けていた社長に声をかけられる。なんだか少し、帰ってきた時よりも疲れている気がする。

「あ、の……なんだか疲れてませんか……?」

 まだ自分に自信がなくて消え入りそうな声で聞く。

「ああ。キミに何をしたのかと2人にこってり絞られた」
「ごめんなさい」
「違う。私のせいだ。リクは悪くない。いま夕食を用意させてる。私も風呂に入ってくるから少し待っていてくれ」

 そう言って立ち上がって、備え付けの小さな冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを出して私に手渡すと、私の髪を軽く梳いて部屋を出ていった。
 待っていてくれと言われてもどうしたらいいのだろう。部屋に入った時からずっと社長の香りがして落ち着かない。
 とりあえずもらったお水に口をつけるが、椅子に座るにもベッドに座るにも迷いすぎて、結局同じ場所でボトルを持って突っ立ったまま時間が経って社長が戻ってきた。

「ずっとそこに立っていたのか」
「は、はい……」

 社長は肩を震わせながら、好きな場所に座っていればよかったんだと言った。
 社長も冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出して飲み始める。濡れた髪と水を嚥下するたびに動く喉仏が色っぽくて、顔が熱くなって背を向けた。
 どうした? と聞きながら近づいてくる社長からシャンプーの香りがして、ふるふると頭を横に振った。社長が私の髪を一掬いして顔を近づけてくるから体が硬くなる。
 ちょうどよく夕食が運ばれてきて、社長の私室にあるテラス席についた。心臓が爆発しそうで正直、助かったと思った。
 涼しく心地いい風が頬を撫でていく。

「高いところは大丈夫だと思っていた」

 なにを話したらいいかわからなくて、機械的に食事を口に運びながら庭を眺めていると社長が口を開いた。

「あ、あれは、壁がなかったのと、風が強すぎて……」
「大型兵器の上でメンテナンスをしていたからな」
「大型兵器は落ちたら怪我と痛いですみますけど、あのヘリポートはそうはいかないですから」
「そうだな。次は気をつけよう」

 次も連れて行かれることがあるんだと思ったら可笑しくなってクスッと笑った。やっと笑ったと言って社長も目を細めた。

「まだ言い足りないことがあるんだろう?」

 社長がワイングラスを軽く傾けながらそう言った。私は目線を泳がせる。何からどう話せばいいのか、口下手な私にはわからない。

「言いづらいなら遠慮せず酒の力でも借りたらいい」
「少し飲んだだけですぐ寝てしまって、話どころじゃなくなりますよ?」
「それは困った」

 社長が軽く笑いながら立ち上がった。おいでと言って私の手を引くとベッドに腰掛ける。
 横に腰掛けた私にそっと唇を触れさせた。少しワインの香りがした。

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