Moon Fragrance

得体の知れない不安
01



 初めてルーと出掛けてから会議室に呼び出されるまで1週間とかからなかった。
 部長と課長が揃ってドックで作業中の私を呼びに来て、3人で64階の会議室へと向かった。来たか、と思った。
 ツナギのままで来ても良かったのだろうか。私のツナギはいつものように今日も機械油がついて所々黒く汚れている。
 なんだか妙な緊張感に会議室に入る前に深呼吸した。
 部長がノックをして扉を開けると、一斉に目がこちらを向いてちょっと怯んだ。
 楕円形の1番奥の席にルーファウス社長、そのまま右へ流れた席にうちの兵器開発部門スカーレット統括、都市開発部門リーブ統括、科学部門宝条統括、机を挟んだ向かいに宇宙開発部門パルマー統括、治安維持部門ハイデッカー統括が座っていた。
 スカーレット統括は妖艶な笑みを浮かべているし、相変わらずハイデッカーは私を睨んでいる。パルマーさんは妙にニコニコしているし、宝条統括は値踏みするように私を見ていた。その間でリーブ統括はなぜか困り顔だ。
 ドアの前に立っている私の向かいには、仕事の顔をした表情の読めない彼がいた。
 部長と課長が連れてきましたと言って横へずれる。弾劾されそうな雰囲気に少し不安になった。

「兵器開発部門メンテナンス課のリク・マックハインです」
「そんなに緊張しなくてもいいわよ」

 私の表情が硬っていたのか、スカーレット統括が口を開いた。ブロンドの髪に紅いルージュ、グラマラスなボディに紅いドレスがよく映える人だと思った。その豊満なお胸はどうやったら作れるのですか……。
 ぽってりした唇でふふっと笑うと話を続けた。

「あなたの評判よーく知ってるわ。うちの部門のメンテナンス課で一番優秀な子って」
「……ありがとうございます」

 妙な雰囲気に何を言われるのかが想像つかない。

「開発課や設計課に来ればもっといい仕事ができたんじゃないかしら」
「私の専門はメンテナンスです。保守点検、修理を行うのが私の仕事です」
「ふふふ。あなた仕事の話になったらいい顔するじゃない。ちゃんと知っているわ。だからあなたを呼んだのよ。うちの可愛い子達を熱心に整備してくれて感謝するわ。ここで本題よ。ロケット村の出だと聞いたの」

 ロケット村の出だからなんなのだろう。私は統括相手にだいぶ訝しげな顔をしていたと思う。スカーレット統括の隣にいるリーブ統括が当初よりもかなりの困り顔で私を見ていた。

「なんで、しょうか……」
「私たちね、最北にある北の大空洞に行きたいのよ。移動方法として飛空艇を使うつもりでいるわ。そこであなた、飛空艇ハイウィンドの整備につきなさい」

 耳を疑った。飛空艇ハイウィンドってシド兄が整備してたはずじゃ……。なぜシド兄に頼まないんだろう。

「シドに……シドはどうしたんですか? ハイウィンドは彼が整備を行っているので、私がいなくても……」
「シドちゃんなら、タイニーブロンコとアバランチと一緒にどっかに行っちゃったよ。ワシ見てた」
「え!?」

 目の前に社長や他に統括がいるのにも構わず、パルマーさんの想定外の言葉に食い気味に大きな声が出た。パルマーさんがびっくりして椅子の上で弾んだ。

「シド兄が……」

 自分の耳にも聞こえるか聞こえないくらいかの声でポツリと呟いた。もう飛ぶことのない、日に日に傾いていってるロケットに執着していると言ってもいいほど、あんなに毎日熱心に整備してたのに村を出た? しかもよりによってアバランチと一緒に? じゃあロケットは? シエラお姉ちゃんは? ソラに憧れていた夢は?
 夢なんて考えて自嘲の笑みを作りそうになった顔を引き締めた。真っ先に捨てた私が気にしていいことじゃない。

「だ・か・ら、頼まれてくれるわね?」

 可愛げに言っているが圧がすごい。これは頼みごとじゃない。れっきとした命令だ。回答を求めておきながらイエス以外の答えを求めていない。
 でも私はもう、ソラに関わることは……。

「私じゃなきゃいけませんか?」
「ええ。あなた、メイシン鉄工所の娘でしょう? そしてあなたは整備士として神羅カンパニー(ここ)にいる。ロケット村にいたなら、“空”のことに関する技術は受け継いでいるはずよね。優秀なのも知っている。適任なんて他にいないわ」

 バカなことを聞かないでちょうだいと言っている気がした。
 私はチラッと社長を見た。顔の前で細く長い指を組んでやはり表情は読めない。そして優しさのない目だ。野心家で自信に満ち溢れた目でずっとこちらの様子を見ていた。恋人だとわかっていなければ恐怖に震えそうだ。
 頭の芯が冷えてきた。手先も冷たい。
 冷静になるために目を瞑る。他に逃げ道はないみたいだ。
 
『申し訳ないが、リクには少し酷な話になるかもしれない。――だが、キミがその場で了承してくれると助かる』

 こういう事か。社長が、ルーがそれを望むなら。重なった手の温もりを思い出して、拳を握った。
 真っ直ぐ目を開くとスカーレット統括がもう私の答えを見出しているように妖艶に微笑んでいた。

「わかりました……」
「いい目をするわ。そういう子、好きよ」

 決めたのは決して貴女のためじゃない。沈黙を貫いている目の前の彼が、そう望んだからだ。
 足元がぐらついてる。ずっとソラから逃げてきた私が飛空艇の整備なんてどこで歯車が狂い出したのか……。

「話は以上でしょうか」
「ええ。詳細は追って連絡させるわ。あとこれを先に」

 課長が受け取りに行って渡されたものは分厚い紙の束、飛空艇ハイウィンドの構造書だった。最初の数枚をパラパラと流し見して、最後のページの日付を見た。竣工当時のものだ。構造が変わっているのであればこれは役に立たないだろうし、変わっていなければいないでどっちにしろ私には必要のないものだった。

「お返しいたします」
「あら」

 私が構造書をテーブルの上に置くと、次はスカーレット統括が不機嫌にも見える訝しげな顔をした。

「すべて記憶しています。荷物になるものは必要ありません」
「やっぱりあなた以外いないじゃない。本当にいい目をしているわ」

 スカーレット統括は私の言葉を聞いて面白そうにキャハハと高笑いを上げた。申し訳ないけど耳が痛い。
 チラッと視界に映った社長の口元はほんの僅かに口角が上がっていた。それだけでよかった。

「もうよろしいでしょうか?」
「ええ、じゅうぶんよ」

 満足したのかうっとりとそう告げられる。

「他言無用だ。わかっているな?」

 退室しようとすると、今まで黙っていたハイデッカーが突然口を挟んできた。お前を脅す材料はまだある、と言うように下卑た笑みを浮かべて言い放つ。根に持ちすぎだと思った。それに睨み返すように一瞥して、失礼しますと腰を折って1人会議室を出た。
 そのままお手洗いに直行して個室に入って思い切りえずいた。まだ昼ごはんを食べていなくてよかった。出るのが胃液だけで済んでさほど苦しまなかった。
 統括陣に囲まれたストレスなのか、それとも飛空艇の整備につくのがストレスなのか……。
 出るものなんてないのに、目に涙が滲んでえずき続ける。グルグルと嫌悪だけが頭を支配した。
 ソラは嫌いだ。嫌いだ。おとうもおかあも、工場も夢も、何もかも奪っていったソラなんて大嫌いだ。全部捨てて村を出てきたはずなのに、なんで! なんでこんなところまで追いかけてくるの……。
 2,30分はそうしていたか、やっと治まった吐き気に水道で口をゆすいで、ふらふらとフロアに出た。会議室の扉やエレベーターからは見えない一番奥のソファーに腰掛けて項垂れる。会議室の方から話し声が聞こえた。どうやら今、会議が終わってドアが開いたようだ。

『あの小娘……気に食わん』
『あら、あなたを睨んだあの目、とってもよかったけど』

 そんな会話が聞こえてエレベーターの方へ声が遠ざかっていった。
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